第8話

 俺の納得のいかない最たる原因の人物が、自身を棚に上げてすっとぼけるので、教えてやることにする。


「お前との関連が見えてこない。動機の方に何かがあるのかもしれないが、少なくともお前を巻き込んだ犯行ではない。もちろん、お前がたまたま犯行を知っただけという可能性もあるけれど、それならなおさら、なんであんな曖昧な言い方をしたのかが分からない」


 真剣に言っているのに、クスクスと小気味よく笑われてしまう。


「なんだ、まだ私のことを疑ってたんだ。伊勢谷くんに見てもらった通り、私はこの二日間、特別教室の鍵は一切借りていないし、犯行に関わったということはないよ。昨日は、シノハルくんに振られた後はすぐに家に帰ってるしね」

「それを証明できるものは?」何か語弊ごへいがあったような気がするが、そこはスルーする。

「うーん、ないね。昨日は家に一人だったし」


 夜に家に一人、ということからも永峰家の事情は一筋縄ではいかないのかもしれない。まあ、うちも姉貴と春絵がいなければ俺一人なのだからそう変わりはないか。


「じゃあ信じろって言う方が難しいぞ……。犯行に関わっていないのならなんで犯行を知っていたんだ」


 俺は珈琲こーひーに口をつける。ちょびちょびと飲んでいたが、冷めてきたので飲む量を増やしていく。


「だから言ったでしょ? 未来のことが分かるって」


 あのなぁ、と俺は苛立いらだつ。自然、珈琲こーひーをすする量と回数が増えていた。このペースは、勉強している時には有り得ない。

 そもそも俺の知りたいことに対して答える、という約束でここまで来ているのだ。そんな虚誕きょたんを聞きたいのではない。


 俺の苛立いらだちに対し、永峰はうんうん、とうなずいている。


「そうだね、もっともな態度だよ。シノハルくんが私のことを疑うのももっともなことだしね。でもね、先に一つだけ言っておくよ。さっきも言った通り私は予告文を書いてもいないし、あの部屋に置いてもいない。鍵を盗んでもいない。私はあの事件が起こることを知っていた。だけど、事件には全く関わっていない」

「……あのな、お前がそう言うのはお前の勝手だ。だけど、それを証明することはできるのか?」


 永峰は首を振る。


「ううん、さっきも言った通りアリバイなんてものはないよ。だから、私の無実を証明できるのは、私の証言だけ。要は、シノハルくんがそれを信じるかどうかだよ」


 そんなの、信じられる訳がないだろう。その言葉を、俺はすんでの所で飲み込む。


「じゃあ、お前は誰がこの事件に関わっているのか知っているのか?」


 事件について話していた人間をたまたま見てしまったのなら、永峰はその人物を見ているはずだ。どこの誰かまでは分からなくとも、少なくとも男か女か――、


「いや、私はそんな話を聞いたっていうわけじゃないからさ、概要しか分からないんだよ」


 予想に反する答えが返ってくる。俺は、珈琲こーひーにまた手を伸ばすものの、既に空になってしまっていることに気付いて、その手を引っ込める。


「……なあ、どういうことだよ。本当のことを教えてくれるんじゃなかったのか?」


 だが、それでも永峰の態度は変わらない。


「私は本当のことを言っているよ。これまでも、そして、これからも。嘘も偽りもない」


 嘘、偽り。俺が人間の裏に潜んでいるものだと思っており、そして避けようのないものだと感じているものでもある。

 永峰は、それがないと言っている。自分の言葉には、自分の態度にはそんなものがないと言っている。

 そんなことはあり得ない。あり得る訳がないんだ。


「ねえ、ちょっと話をするね。変な話だとは思うけど、独り言だと思って聞いて欲しい」


 俺は全く納得がいっていなかったが、永峰が続ける。

 しかし、それって結局、聞いて欲しいってことじゃないか。要は、口を挟むなってことだろう。俺は仕方なく、分かったと答えて続きを促した。


「ありがとう。それじゃあ……」


 永峰は突然、かばんの中から一冊のノートを取り出して言う。


「これは、戯曲です。私と、キミの間で起こるこれからの出来事が記された、戯曲」


 唐突に何を言い出すんだ。俺は全く訳が分からなかったが、それでもその言葉には反応してしまう。「戯曲」という言葉だ。

 脚本だとか、台本のことをわざわざ戯曲などという言い回しで表現する人間は少ない。そう表現する人の多くは、舞台などの演劇に関わってきた人々である。

 まさか、コイツも――? 俺の疑問を余所よそに、永峰は話を続ける。


「この戯曲の最初は、こんな始まりです」


 永峰は、おもむろに表紙をめくって最初のページを俺の方に向ける。

 開かれたページには、何やら多くの文章が書き込まれていたが、俺は、そのうちの一つを目にして、思わず呟いてしまった。


「……『永峰瑞希、篠原悠人、伊勢谷拓。三人が放課後、教室で密室トリックについて話し合う。篠原悠人による推理が披露され、その後に生徒会室へ。そこで新たな予告状を発見する』……、これはどういうことだ?」


 どういうことか、などと聞かなくても大体は分かる。まさに今日起こった出来事だ。そして、これが何を意味しているかなどは考えるまでもない。

 要するに、永峰瑞希が本当に未来のことを見ていたというのを示しているものであるのだ。


「どう? シノハルくん? やっと私の言葉を信じる気になった?」

「……確かに今日のことが書かれてある。だけど、今日あらかじめこれを書いていたとすればどうなる。そしてその通りになるようにお前がシチュエーションを作ったとしたら……」


 言っていてかなり苦しいことは分かっている。だけど、認めたくない事実に対して、俺は何かこじつけでも理由を求めずにはいられなかったのだ。


「うーん、まだ認めないか……。これだけの量を先に書いておくのはさすがに難しいと思うんだけどな……」


 そう言って永峰がパラパラとめくるノートには先のことも書かれてあった。


「待った。だとすれば、この事件の先の展開も分かるんじゃないのか。その戯曲とやらに書かれてあるはずだろう」


 言ってやった。これはかなり痛い所を突いたに違いない。どうせこの先のことなんか、出鱈目でたらめを書いているに違いないのだ。

 さあどうだ、と言わんばかりに俺は永峰の顔を見る。だがそれでも、その顔に動揺の色は見られない。


「この先のことは書いてあるよ」

「だったら……」

「でもさ、今日の内容を見ても分かる通り、本当になんとなくしか分からないんだよ。……だから、私には犯人が分からない」


 何かかなり都合のいいことを言っているような気もする。でも、何故か嘘を言っているようには聞こえないのはどうしてだろうか。

 ……いや、だまされてはいけない。どこかに必ず嘘があるはずだ。そこから、本当のことを探り出さないといけない。


「じゃあ、試しにこの先のことを見せてもらおうか」


 俺が手を差し出す。ノートを見せてもらおうとしたのだが、永峰は持っていたノートをサッ、と引っ込めてしまう。


乙女おとめの秘密をのぞくなんて破廉恥はれんちだよ、シノハルくん」

「……お前なぁ」


 話にならない。本当に未来のことが分かるのか、……いや、そんなことあるはずがないのだが、それを証明するために必要な物を見せてくれないなんて、それで自分を信じろなどと言う方が無理な話だ。


「私はさっきも言った通り、無理にシノハルくんに信じてもらおうとは思ってないよ。だけど、この事件に関しては、私は関わってない。それだけは事実だよ」


 それを確かめるために……、と思ったのだがそれももう無駄だろう。


「……はぁ、まあ明確な証拠もないし、まだ決定はできないけどな。だけど、伊勢谷が俺を放課後呼び出したっていうことは知っていたんだろう? 嘘までついて学校に戻ってきたのだから」


 永峰が目をパチクリさせる。


「私はペンケースを忘れただけだよ?」

「あぁ、忘れたのは本当かもな。だけど、それは故意に、だろう? 大体、わざわざ家まで帰ってるのに学校まで取りに帰ってくるなんて馬鹿らしいことはしないだろう。大体、家に帰ってまた学校まで取りに来るだけの時間があるかと言ったら微妙だしな」

「図書館で勉強しようとして気づいたって言ったら?」永峰が挑発気味に言う。

「それもあり得ない。そもそも、この教室に置き勉をすることはできないのは知っているだろう? 掃除が終わった時点で、机の中にあるものは担任によって回収されるんだ。机の中にペンケースが残っている訳がない」


 つまり、永峰は俺たちの目を盗んでペンケースを机の中に隠し、それを回収してあたかも忘れて帰ったかのように見せかけただけなのだ。

 俺が言い切ると、永峰は一気に表情を崩し、ペロリと舌を出す。


「……うーん、もうちょっとマシな嘘をつけばよかったか」

「他の奴には通用しても、俺には通用しないんだよ」


 嘘だとか偽りだとか、分かりやすいものは、瞬時に分かってしまう。態度とかにも表れるが、そもそも言っていることを突き詰めると、破綻はたんを起こす場合が多いからだ。


「ま、その様子だと、この謎もバッチリ解いてくれそうだね」

「……あぁ、お前のついている嘘をさっさと暴いてやるから、そのつもりで待っておけ」


 言ってから、しまったと思った。今の永峰の言葉は完全に売り言葉だった。そこに俺は、買い言葉で反応してしまった。

 この事件に対して、真剣に取り掛かることを宣言してしまったのだ。


「楽しみだよ」


 永峰は一言そう言うと、鞄を持って立ち上がる。つられて俺も立ち上がった。


「そろそろ行こっか」

「……おう」


 俺と永峰は、会計を済ませて外に出る。外はもう、日が落ち始めていた。

 俺は外に出ると、永峰を先に行かせようと、立ち止まる。永峰はさすがに俺の意図を察して、それじゃ、と小さく手を挙げた。


「あ、そうそう」


 歩き始めた永峰が俺から数メートル離れた所で振り返る。


「シノハルくん、今年入ってきた下級生には気をつけた方がいいと思うよ」


 永峰の笑顔が夕陽にえていて、美しい。しかしその笑顔も、偽りなのかもしれない。永峰に潜む感情が、俺には全く理解できなかった。


「……シノハルくん言うな」


 俺のつぶやきは、誰に聞こえるでもなく夕焼け空へと消えていった。

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