第7話


   ▽


「あ、私はグァテマラってのでお願いしまーす」

「……俺はブレンドで」


 俺と永峰は、小田原駅から少し離れた喫茶店にいた。小洒落こじゃれよそおいの珈琲こーひー専門店「東雲しののめ」は、たまに俺が勉強のために訪れている。駅に近いチェーン店は他の新高生がいたり、うるさかったりして集中できないのだ。


 その点ここは、珈琲こーひーの値段こそ高いものの、そのせいか高校生が寄りつくような場所ではなく、知り合いに会うこともなく落ち着いて勉強することができるのだ。

 だからここは、俺のたった一人のいこいの空間だったはずなのだ。なのにどうしてこんなことになった。


 俺はテーブル席の向かい側でウキウキと、店内を見渡す永峰を見る。いつもなら大丈夫だろうと気にしないのに、今日に限っては周りに誰かいないか、とオドオドする。


「心配症だなー、シノハルくんは。誰もいないって。しかもシノハルくんのことを知ってる人なんて限られてるんだから大丈夫だよ」


 確かに事実ではあるが非常に失礼だな……。


「余計なお世話だ。というかこんなことになったのはお前のせいだろうが」

「まあそりゃあそうだけどね」


 時間は巻き戻る。伊勢谷は、文芸部のことを少し調べると言って生徒会室に残ったので、俺たちは流石さすがに帰ることにした。さっさと帰って晩飯のための買い物でもしようと、生徒会室の前で永峰に背を向けて、歩き出す。


「……じゃ、お先」


 だって二人きりとか嫌だろ、しかも自分のことを嫌いだと言っている相手と。

 そそくさと退散しようとすると、なぜか前に進めない。嫌な予感がして後ろを振り向くと、満面の笑みを浮かべた永峰が、俺の肩に掛けたかばんをしっかりとホールドしているのが見えた。


「……何か御用ごようで?」


 恐る恐る聞いてみる。いや、もしかすると聞かない方がよかったのかもしれない。何も聞かずに、かばんに回されている腕を振り切って一目散に逃げ帰った方がよかったのだと、一瞬で俺は後悔の念に襲われる。


「まあまあシノハルくん。まだ帰るには早いよ。少し私とお話ししていきませんか?」

「嫌だ」食い気味に反応する。

「即答だね……」

「だってそりゃあそうだろ。大体どこで話をするっていうんだ。しかもお前と話すことは何もない」

「シノハルくんにはないかもしれないけれど、私からは聞きたいことがあるんだよ。それに、本当はシノハルくんにも聞きたいことがあるんじゃないの?」


 聞きたいこと、ね……。聞いてちゃんと答えてくれるのならば、聞いてみたいとは思う。


「……ちゃんと答えてくれるだろうな」

「シノハルくんが知りたいと思っていることなら、多分ほとんど答えることができると思うよ。それに、知っておいた方がこの先よさそうなこともね」


 なんだか曖昧あいまいな言い回しだ。まるでこの先に起こることが分かっているかのような……。

 いや、ないない! それは絶対に! 俺は首を小さくブルブルと振って、その思考を外に追い出して、口を開く。


「分かったよ……、で、どこで話すんだ」


 言うと、永峰はうーんと指を口に当てながら少し思案してからうん、とうなずいて言う。


「よし、駅前の珈琲こーひー店にしようか」

「分かった」


 まあ、駅前の珈琲こーひー店と一口に言っても色々とある。どこか静かで目立たない所を探せばいいだろう。

 そう思って、俺は永峰を見る。そして何故か永峰は俺のことをじーっ、と見ているだけで動き出そうとしない。


 こう見ると、本当に綺麗きれいだ。き通るような白い肌に、吸い込まれそうなつぶらな瞳に……、

 ……って、何してるんだ、俺。


「ほら、先行けよ」


 見つめられっぱなしというのも気まずいので俺は先を促す。


「……へ? 私、先に行くの?」はてな、と首を傾げる永峰。

「そりゃそうだろ、一緒に駅前まで行ってるのなんて見られたら困るだろ」


 主に永峰が。俺のことが嫌いなら、普通に考えてそういううわさが立つのは嫌だろう。そこまで気をつかってやってるというのに……。

 永峰は、プッと少し吹き出してから言う。


「そんなこと気にしてたんだ、シノハルくん。まあシノハルくんがそんなに嫌がるのなら、私が少し先に行くね」


 そう言って、永峰は俺を横切って歩き出した。うーん、俺の気遣きづかいはあまり分かっていなかったようだ。

 少し間を空けて俺も歩き出す。学校を出て、駅までの道のりを歩く。帰りは下り坂オンリーなので、非常に楽だ。


 そして、少し間を空けて歩いていた俺は思う。

 ……うん、これはたから見たらただのストーカーだ。


   ▽


 そうしてたどり着いたのがここ、「東雲しののめ」……かと思いきや、そうでもない。その前にもう一悶着ひともんちゃくあったのだ。

 あれから先に駅前にたどり着いた永峰が入ろうとした店は、なんとまあ有名な珈琲こーひーチェーン店で、俺は慌てて先に入ろうとした永峰の服を引っ張って連れ戻したのだった。


「なんでよりによってあんな所に入ろうとしたんだよ……」


 今でもこうやってうらぶしが口から漏れ出すほどに、あの時の俺は慌てていた。今度は俺が先陣を切って、少し駅からは外れにあるこの珈琲こーひー店にたどり着いて、今に至る。


「大体シノハルくんが神経質すぎるだけなんだよ。別に二人きりの所を見られたっていいじゃん」

「どうしてお前はそこまで強気でいられるんだよ……」

「だって事実として、私たちはそんな関係じゃない。私はキミのことを嫌っているという事実があるんだからさ。そんな噂が立ったって堂々としていればいいんだよ」


 世の中、そんなうまくはいかないと思うんだけどなぁ……。嘘の情報だろうと構わずに広まっていき、いつしかそれが真実であるかのようにすり替わってしまうのが、現代社会の闇でもある。


 そんな会話をしていると、注文した珈琲こーひーが届けられる。そこに砂糖とミルクをぶち込んで、よくかき混ぜていると目の前で永峰が目をパチクリさせている。


「……何だよ」

「いやぁ、勿体ないなと思って」

「何が?」

折角せっかくこんな専門店に来ているんだから、珈琲こーひー豆の味をそのまま味わうべきだと思ってさ」


 そう言うが早く、永峰はグァテマラをちょびっとすする。「うーん、この味わい、まさにグァテマラだね!」とか言ってるが、本当にお前、分かってんのか?


「だからこそブレンドを頼んでるんだろうが。無難に味わうんだよ、俺は」


 そう言うと俺も珈琲こーひーを少しすすった。うむ、いつもの味だ。エナジードリンクが俺にとっての最大のエネルギー源であることは間違いないが、これはこれでなかなかのもんだ。俺の身体がカフェインによってむしばまれていっているような気がするが。

 俺は珈琲こーひーを置くと、一息ついて言う。


「……で、聞きたいことってなんだ」


 そう、用件だ。こんな所まで来て、なけなしの金を使っているのだから、さっさと用を済ましてしまうに限る。世間話なんかできるはずもない。


「うん、そのことだけどさ。シノハルくん、あの事件についてあの場で言わなかったことがあるんじゃないのかと思って」


 言われて俺は、珈琲こーひーへと伸ばしかけていた手を止める。

 ……自覚は流石さすがにあるようだな。


「そうだな。例えば俺の目の前で珈琲こーひーをすすっている女子が犯人じゃないのか、ってこととかだな」


 俺に言った「未来が分かる」云々うんぬんの発言からも、永峰がこの事件について何か知っていたのは間違いない。それに、永峰のことだから俺が永峰を疑うという可能性を考慮しているはずだ。それでいてこの態度を取っているのなら、なおさら疑わしい。


 しかし永峰は、俺の言葉に対して全く動揺する様子も見せずに珈琲こーひーをすすっている。


「ま、シノハルくんならそう考えるのも無理ないか。でも、私がやったって言うなら鍵はどうしたの? 私は一度も生徒会室の鍵を借りたことはないってことは貸出表が証明してくれてるし」」


 痛い所を突かれる。


「それとも私が数秒でドアを開閉できるようなピッキング技術の持ち主だと言うのかな? 残念だけど、そんな事実はないよ。私は真っ当に十六年間生きてきたので」


 やっていることが真人間まにんげんのそれではない気がするが。


「……犯人じゃないにしても、犯人の関係者だということは考えられるだろう」


 ふんふむ、と永峰は頷く。


「それは否定できないね。もっとも、私は誰がやったか知らないけれど」


 俺は肩をすくめる。コイツの言う未来予知はどこまで本気なのだろうか。


「それにさ、文芸部の人たちが犯人でほとんど間違いないっていう結論が出たじゃない」続けて言う。


 永峰の言う通りだ。そのことに対してはひとまずの結論を出したのだ。しかも俺が提案した方法だというのに、俺自身がそれを否定してどうする。

 だが、話はあの時と異なってもいる。


「さっきの暗号らしき数字の羅列られつが何なのか、全く分かっていない。犯人は、あれが密室を解く鍵だと言っているが、それがまだ解けていない」


 あの暗号の存在は、俺たちに新たな謎を提示したと言ってよいはずだ。それに対して永峰はでもさ、とコーヒーカップをもてあそびながら言う。


「伊勢谷くんは、あの暗号は無視しようって言ってたよね」


 永峰の言うように、俺は暗号が解けていない時点で文芸部に疑いをかけるのは早計だと判断したのだが、伊勢谷はそれに反対した。


「要は、その暗号とやらを解けば悠人の考えたトリックに行き着く訳だろ? 犯人は、俺たちがそのトリックを思い付くことはないと思っていたのだろうけど、そうじゃなかったってことだ」となぜか自慢気だった。


 だが、俺の考えたトリックが答えだという前提であの暗号を見るものの、全く解読ができないのだ。答えありきの暗号というのも変な話ではあるが、全く思い付かなかった。


「まあ、あの暗号自体が俺たちを混乱させる目的である可能性もあるし、それにとらわれるのは良くないというのは分かる。だけど、俺の言ったトリックで、文芸部が犯人なのだとすると、もう一つ納得のいかないことがある」


 それは、俺が単純に文芸部が犯人だと言い切ることができない原因となることであった。

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