第6話

「失礼しまーす」


 職員室というものは普通、入るのを少し躊躇ためらってしまうものだが、伊勢谷拓という男にとっては関係のないこと。こういう時だけは、生徒会副会長のポジションがモノを言う。もちろん俺たちが入っていくと不自然なので、なんとなく入口で待っていることにした。


 真っぐに岩田教諭の方に向かっていく伊勢谷。岩田教諭は伊勢谷に気付いておお、と軽く手を挙げて言う。


「いつものか? ……今日の生徒会活動はないと聞いているが?」

「あ、はい。でもちょっと仕事を見つけたので、鍵を貸してほしいんです」伊勢谷が言う。

「そうか。なら好きに取っていけ。貸出表の記入だけ忘れんように」


 そうとだけ言うと、岩田教諭は自身の机に向かう。ひげを濃く生やしたどちらかというと強面こわもての教師だった。ジャージを着ているから体育教師なのだろうかと思ったが、職員室の入り口に貼ってある座席表を見る限り、専門は数学のようだった。全くイメージに合わない……。


 と思っていると、岩田教諭がチラと俺の方を見てくる。いかん、ジロジロ見ていると何かたくらんでいるのかと思われてしまう。大体俺たちが伊勢谷について来ているだけでも相当不自然なのだ。俺は視線を岩田から外すが、岩田はなおも俺のことを横目で見ている、ような気がする。たぶん、自意識が強すぎるだけだろう。


 それよりも今は、貸出表だ。伊勢谷が貸出表に自身の名前を記入しながら、それをじっくりと観察している。


「どうかな? シノハルくんは、そんな人がいると思う?」永峰が俺の横で言う。

「……どうだか」俺に聞かれても困る話だ。

「君たち、何か用?」


 俺と永峰が驚いて振り向くと、後ろからやって来た女性教師がいら立ったように立っていた。職員室の入口を完全にふさいでしまっていた俺たちは、たじたじと職員室の外へと出て行く。しかし間もなく、伊勢谷も中から生徒会室の鍵を持って中から出てきた。


「……どうだったんだ」俺が問うと、難しい表情で伊勢谷は答える。

「そうだな、該当する人物はいるにはいた。ただ三人もいるんだ。昨日の放課後、俺が鍵を返した後に他の教室の鍵を借りた部活もあれば、今日の朝、俺が鍵を借りる前に他の教室の鍵を借りる部活もある」


 その具体的内容を伊勢谷が話す。まず、昨日の放課後、下校時刻ギリギリに十五分だけ鍵を借りている文芸部の三年生。そして、今日の朝に鍵を借りているのは家庭科部の二年生と、吹奏楽部の三年生だ。いずれも、使用用途は「部活動関係」である。


「この内容だけだと、一番怪しいのは文芸部だよね。放課後に、ほんの少しだけ鍵を借りるなんて何の用事があったのかな? 吹奏楽部は、朝練だと思うし……」永峰が言う。


「確かに。吹奏楽部も家庭科部も少なくとも三十分は鍵を借りている。これは、もしもその間に俺たち生徒会が鍵を借りに来ていたらすり替えがバレてしまうことからも、リスクが大きいだろう。その点、放課後ならもう一度鍵を借りに来ることはあまり考えられないから、犯行も行いやすい」伊勢谷も続いた。伊勢谷にしては、良い所を突いているように思う。


 しかし、俺は考える。これはあくまで、贋物がんぶつとのすり替えを行ったという仮定で話を進めているだけであって、それが行われたという証拠は現に一つもないのである。この三つの部活にしらを切られたらそれまでのことだろう。

 俺がそのことを指摘すると、それでも、と伊勢谷は言う。


「用途を聞いてみないことには分からないだろ。俺は聞くよ。この三つの部活に」


 まあ、本人がそう言うなら仕方がない。なので、俺は言う。


「そうか、頑張れよ。応援してる」


 そうとだけ言ってきびすを返す。よし、やっと夕食へと気持ちを切り替えられる。待ってろ春絵。


「ちょいちょいちょい、待てよ悠人! ここまで来たら、もう運命共同体だろ! 頼むから、最後まで付き合ってくれよ」


 伊勢谷はこれでもかという勢いでパチンと手を合わせてくる。何だよ、運命共同体って……。俺はあきれながら、振り向いて言った。


「俺じゃなくたっていいじゃねぇか。大体どうして他の役員に知らせないんだよ。今日だって、生徒会活動がないのなら生徒会室で話せばよかったのに、どうして教室で話すんだよ」


 生徒会活動がないことは、先ほどの岩田の発言からも明らかだ。俺が言うと、少し困ったように伊勢谷は顔をく。


「役員にはまだ知らせたくないんだ。生徒会室で話してたら、他の役員が入ってくる可能性がある。ただでさえ会長がいないっていうのにこれ以上面倒事を持込むのは俺としても気が引けるんだ。それに大事おおごとにしたくない」


 そりゃあ、大事おおごとにしたくないというのは俺も同意見ではあるが。


「あれ? 生徒会長さん、いないの?」永峰が横から口を挟む。それに対して、伊勢谷は頷いた。

「そうなんだ。今学期が始まってから一度もまだ学校に戻ってない」


 現在は、副会長である伊勢谷が会長代理をしている。それがいつまでなのか、会長の用事が何なのかは知りようもないが、伊勢谷が会長だとは世も末だ。


 しかしまあ、こんな非常事態に一人でこのことに対処するというのはかなりキツいだろう。伊勢谷ならなおさら。俺がこの立場なら投げ出す、おそらく。

 考えてやるくらいならいいか、と思って身体を向けて言う。


「あー、分かったよ。話さえ聞かせてくれれば、考えるくらいのことはするよ」

「本当か! 助かる、マジで!」


 抱きつかんばかりの勢いで俺の肩をつかむ伊勢谷の横で、ねえねえ、と声がする。永峰だ。


「ここまで聞いちゃったし、私も混ぜてもらっていいかな?」


 その言葉を聞くと、伊勢谷は俺の肩を乱雑に離し、永峰の右手を強く握って言う。


「ありがとう、永峰さん! まったく関係ないのに!」


 あの、関係ないっていうなら俺もなんですけど……、この扱いの差は何だよ。

 永峰は、握られた右手を少し驚いて見ながら、落ち着いて、と言わんばかりに苦笑いをする。


「ま、まあ盗み聞きしちゃったのは事実だし、ここまできたらとことん付き合うよ! ねえ、シノハルくん!」


 ここで満面の笑みを俺に向けてくる永峰。


「だからシノハルくんって言うなって……」


 ほとんど反射的に口に出していたが、永峰の爛々らんらんとした目つきを見ていると、何を言っても無駄なんだろうな、と思い始めてもいた。


「よし、それじゃあ他に考えられることがないか、今から生徒会室に行こうか」


 伊勢谷がそう言ってエントランス横の階段を登り始める。今日はこれにて解散のつもりだったのに……。

 続いて永峰、そして重い足取りで俺も続く。生徒会室は確か、二階に上がってすぐだったはずだと思い出したので、帰るのには便利だ。むしろそれだけが救いだ。


 のんびりと二階に上がっていったので、生徒会室に先に入って行った伊勢谷と永峰が、真ん中の大きな机の前で立ち尽くしている姿を見て、不思議に思う。


「何やってんだよ、座らないのか」


 俺が言うと、伊勢谷が振り向く。その顔は硬く、そしてその手には一枚の紙。

 まさか、と思い俺は伊勢谷の顔を見る。無言で頷いた伊勢谷から、紙を引ったくって内容を読んだ。


『親愛なる新和戸高校生徒会諸君。このままでは君たちに文化祭の失敗を止めることはできない。この密室を解く鍵は、8325523256。健闘を祈る』


 ……暗号? この無意味に見える数字の並びは、密室を解くための何かを示しているのだろうか?

 伊勢谷は外に飛び出して、辺りを見渡す。当然、犯人がいる訳もなく、口惜くやしそうに戻ってくる。


「クッソ……、どうなってんだよ。一度ならず、二度までも。それに何だよ、この暗号みたいなのは。悠人、この意味が分かるか?」


 俺は首を振る。


「いいや、さっぱりだ。……だけど伊勢谷。これでもう一歩踏み込めるんじゃないか?」


 答えたのは永峰だ。


「鍵の貸出表を調べれば、犯人を絞れるかもしれないってことだよね?」


 俺はうなずく。伊勢谷は、あっと言って、すぐに外へと駆け出した。


「今日の朝から放課後までの間に、さっきの三つの部活のうち、どれかが他の教室の鍵を借りていて、それを返しているかどうかを調べればいいってことだよね?」


 永峰が確認してくるので、俺はそれに対して無言でうなずいた。だが、それは同時にもう一つのことを意味する。


「でも、もしかぶりがなかったり、そもそもそんな人が存在しなければ、複数犯もしくは贋物がんぶつとのすり替えという方法が間違えだったということが考えられるよね?」


 永峰もそのことには気付いていたようだ。

 先ほどの三つの部活以外の部活が、同じようなことをしているのであれば、二つ以上の部活が共同して、犯行を行っているとも考えられる。しかし、今日の朝から放課後までの間に、同じようなことをしている人がいないのであれば、この犯行は贋物がんぶつとのすり替えによっては不可能であるのだ。


 この暗号も気になるが、まずはそちらを確認すべきだろう。

 しかし、この暗号は何を意味しているのか? パッと見た所、あまりにも無意味な数字の羅列られつではあるが……。


 そうして待つと、バタバタという音が聞こえる。ガラガラ、と扉が開いたかと思うと、伊勢谷が駆け込んできて言った。


「文芸部だ! あいつら、さっきまで部室の鍵を借りていやがった! しかも今度も十五分だ! 間違いない、文芸部の奴が犯人だ!」


 犯人探しは、意外にもあっけなかった。伊勢谷は、文芸部に話を聞くと息巻いている。

 証拠はない。だが、これは犯人を逃げ場がなくなるまで追い詰めることが目的ではない。もし文芸部が犯人なら、伊勢谷が話を聞くだけでも抑止効果があるはずだ。


 もしも文芸部が犯人なら、の話だが。


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