第5話

「そして、最後の一つが別の鍵の存在、すなわちスペアキー、もしくはマスターキーの存在だ」


 正規の鍵を使わず生徒会室に侵入するのはリスクの低い方策と言えるだろう。可能性としては捨て難い。

 だが、伊勢谷は賛同しかねる、といった顔つきだった。


「うーん、悠人。スペアキーだけど、たぶんないと思うぞ」

「そうなのか?」

「そう。俺はよく生徒会室の鍵を借りに来るんだが、一回だけ返しに行くのを忘れてしまった時があって、その時はわざわざ呼び出しまでくらったよ。それで、岩田先生に結構怒られたんだが、その時に先生が『鍵がなくなったら、鍵穴から変える必要があるからな』って言ってたんだ」


 それはつまり、鍵を紛失してしまったのなら、替えのキーはないから新しく鍵を作成するほかない、という意味にもとれる。だが、違う意味にも取れるはずだ。


「でもさ、それってなくなった鍵が誰かに拾われて使われちゃったら大変だから、鍵穴から変える必要があるって意味にもとれるよね」


 はい、その通りです。さすが永峰さん。


「あー、そういう考え方もあるのか。でもそれならなおさら、スペアキーなんて作る必要ないよな。だって管理が面倒だし、一つなくなったらもう一方は使い道がなくなるものなんて、意味がないのだし」


 まあ、伊勢谷の言うことももっともだ。


「とりあえずここではスペアキーはなかった、と仮定しよう。で、次はマスターキーだ。これはたぶん、用務員さんとかが持ってるのだと思う。特別教室の設備点検の際に、キーをいちいち借りるのは面倒だからな」

「ということは、シノハルくんは用務員さんが犯人だと?」

「シノハルくん言うな。……そう決めつけてはいないだろ。用務員さんからマスターキーを奪ったという可能性もある」

「だけどそれだと、職員室の鍵を盗むのと同じくらいリスキーな行動だよ? 私、用務員さんが腰にキーみたいなものを付けてるのを見たことあるし。たぶん、持ち歩いているんじゃないかなぁ?」


 そうなんだ、知らなかった。しかしだとすると、


「……じゃあ、この説も厳しいのか? 伊勢谷、生徒会の誰かが合鍵を持っているとかはないのか?」


 俺の問いに、伊勢谷は少し複雑そうな表情を見える。


「合鍵みたいなものはない、はずだ。さっき言った通り、スペアキーもないわけだし。あったとしても俺たち生徒が管理できるようなものではないはずだ」


 全ての可能性が棄却され、また振出しへと戻る推理。どこかに見落としていた点が、抜け落ちていた観点があるというのか。


「合鍵はない、ピッキングや盗難の線も薄い。じゃあどうやって……、いや、この際見方を変えるべきか」

「見方を?」永峰が首を傾げる。

「今まで俺たちは、密室がどうやって作られたか、ということに焦点を当てて話を進めていた。でも、よく考えてみると、これほどまでに無意味な密室はないと思う」

「……どういうことだよ?」伊勢谷は、さっぱりと言った様子だ。


「密室ってのは、推理小説なんかではよく殺人事件の際に自殺に見せかけるためなどに使われるもんだ。だけど今回の場合は、密室である必要性がまったくない。本当に文化祭を失敗させたいのだったら、わざわざ密室にする必要はなかったんだ」


 鍵を開けるだけなら、ピッキングでもよかった。紙を生徒会室に入れるだけならドアの隙間とかから入れればよかったのだ。


「今回の事件のポイントは、きっちりと机に予告状が密室状態で置かれていた……、そのことにあるんだ。つまり犯人は、生徒会に対して宣戦布告をしたんだ。解けるものなら解いてみろ、と」

「随分と挑戦的な犯人だな……、待てよ、つまり犯人は」

「そ。生徒会に対して根に持っていることがあって、生徒会を敵対視している人物、と考えることができる」伊勢谷の言葉を俺が引き取って言った。


「そんな人に心当たりがあるの?」永峰が伊勢谷の方を向いて問う。

「……うーん、パッとは思いつかないなぁ……」


 伊勢谷は渋面しぶつらをしている。まあ確かに自分たちがうとまれているかもしれない可能性を考慮すると、気分はすぐれないだろう。


「まあ、お前たちが大したことないと思っていることでも相手にとってはそうでないかもしれない。それに愉快犯である可能性もゼロではないんだ。どうやって密室を作ったか、ということもだけど、誰がこの密室を作ったか、どうしてこんなことをしたのか、といった観点からも見た方がいいとは思うぞ」


 そう、例えば何か予算絡みなどで憂き目にあった他の部活動が……。

 俺はそこまで考えて、一つの可能性に思い当たる。


「なあ伊勢谷、どうでもいいことかもしれないが、鍵を入れているキーボックスってのはその岩田教諭の机の上にあるのか?」


 伊勢谷はキョトン、とした表情を浮かべるが、すぐに答える。


「いや、先生の机の後ろの壁に掛かっている。それがどうかしたのか?」


 俺は小さく息をついて言った。


「なら、まだ考えられる可能性はある」


 伊勢谷と永峰はほぼ同時に「本当?」と顔を寄せてきた。暑苦しいな、こいつら。


「……よくある手口だ。推理小説なんかでは手垢てあかがついているくらいの」少し身じろぎしながら、語り出す。


「犯人は鍵のすり替えを行なったんだ。手口は簡単。職員室に行って、生徒会室以外の鍵を借りる。その時に、あらかじめ用意していた生徒会室の鍵の贋物がんぶつを正規の鍵とすり替えておく。キーボックスは岩田教諭の席の後ろにあったのだから、おそらく岩田教諭はすり替えに気付かないはずだ」

「ああ、それで伊勢谷くんにそんなことを聞いたんだ」永峰が相槌あいづちを打つ。


「そうだ。生徒会室の鍵の贋物がんぶつも、よく見ている人間ならそれらしいものを作ることは造作ぞうさもないことだろう。そしてパッと見ただけではそれが贋物がんぶつかどうかなんて分からない。犯人は生徒会室に侵入して紙を置いた後に、自身が借りた鍵を返すのと同時に生徒会室の鍵の贋物がんぶつを本物に戻しておいた。……これなら犯行は行える」


 だが、この犯行を行ったという証拠は何一つない。ただこの手口でも犯行は行えると言っているだけで。


「そうすると、犯行を行えるのは昨日伊勢谷くんが鍵を返してから、今日の朝、鍵を借りるまでの間にその他の鍵を借りて、それを返した人間ってこと?」


 先ほどから感じていたことだが、永峰は理解が早い。俺は首肯しゅこうした。


「そう。そう考えると、犯人はかなりしぼられることになる。特定もそれほど難しくはないはずだ。……問題は、そんな人物かいるかどうかということだが。伊勢谷、覚えていないか?」


 俺が伊勢谷に尋ねると、少し考えた後に、言う。


「……しっかりとは覚えていないけど、俺が昨日、鍵を返した後と今日の朝、鍵を借りるまでの間に鍵の貸し借りはあったはずだ。生徒会室の鍵は借りられていないというだけで」


伊勢谷はそう言うと、椅子をガタ、と鳴らして立ち上がる。


「どうした?」俺が尋ねると、矢継ぎ早に返事が返ってくる。

「どうしたもこうしたもないさ。今から行って確かめればいいだろ?」


 まあそれに関しては伊勢谷の言う通りかもしれない。すぐにでも犯人が分かるかもしれないからだ。


 俺はちらりと、永峰の様子をうかがう。これまでの発言をかんがみると、永峰が何らかの形でこの予告状事件に関わっていると見て間違いないはずだ。だが、永峰の様子に変動はない。むしろワクワクした様子で伊勢谷の後について行っている。


「おい悠人、行くぞ」


 伊勢谷が教室の扉の前で俺を呼ぶ。……分かってはいたけどどうやら俺も行かないといけないようだ。かばんを持って後を追おうと立ち上がると、誰もいない教室内は静寂せいじゃくに包まれていた。自分の席に教科書やノートを置いて行くといったいわゆる置き勉が認められていない新高では、放課後の教室はまさにがらんどうと言ってよいのだろう。置き勉をしようとして、放課後の掃除や担任の点検によって教科書を没収された生徒は後を絶たないという。俺たちは重い教科書をたくさん持って毎日坂を上り下りすることを義務付けられているのだ。


 ……まあ、それはともかく。職員室は一階のエントランス付近にあるわけだし、二年九組の教室から職員室まで歩いて行けば自然、帰宅する方向へと動けるはずだと自分を納得させ、二人の後を追っていく。

 前の方では伊勢谷と永峰が何やら楽しそうに話をしていた。


「永峰さん、悠人と面識あったんだね」と伊勢谷。初対面は昨日ですけど。

「うんまあ、面識ってほどでもないけどさ、ちょっと昔に色々あった関係でね」息を吐くように嘘をつくな。大体、俺に聞こえてるって分かってるのか?

「へー、そうなんだ。悠人って何を考えてるか分からない時があるから、難しいんだよなあ」あの、本人数メートル、いや、それどころか一メートルほど後ろで歩いているんですけど?

「あー、それちょっと分かるかも、ははは」分かるなよ。というかなんで分かるんだよ。お前に分かってたまるかよ。


 ……といったような俺の存在を無視したかのような会話が繰り広げられているうちに、職員室の前へとやって来ていた。

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