第2話
「ごちそうさまー」
春絵が朝御飯を食べ終え、慌ただしい様子で部屋を出て行っていた。俺はその慌ただしさによって我に返る。時計は七時三十分を示していた。俺もそろそろ準備をしますか……、と思いながら味噌汁をずずっ、とすすった。あまりにものんびりしていたせいで少し冷めている。
そんな俺を姉貴は少し意味あり気な目線で見ていたが、すぐに視線を外し自分の食事に戻った。それほどまでにボケッ、としていたのかもしれない。
バタバタという音がしたかと思うと、春絵が再びリビングへと戻ってくる。そして、何やら台所で作業しているかと思うと、弁当箱を三つ持ってこちらへとやって来た。
「はい、お姉ちゃんの分と、お兄ちゃんの分。お姉ちゃん、必要だったよね?」
俺たちに弁当箱を渡しながら、春絵が言う。
「おー、いるいる。昼はあっちで食べるからね。サンキュ、春絵」
そうか、今日の昼は春絵の作った弁当か。それだけで午前中のモチベーションに繋がる。
春絵は申し訳なさそうに手をパチンと合わせて言う。
「ごめんお姉ちゃん、食器の片付けだけはお願いします!」
それに対して姉貴は、はいはい、とヒラヒラと手を振った。
「ほら、春絵。遅刻するよ」
姉貴に言われ、春絵は時計を
「ありがとう、お姉ちゃん! それじゃ、行ってきます!」
あぁ、天使が行ってしまった……。
こうなってしまってはもう、家にいる意味などあるまい。「ごちそうさん」と小さく
「んじゃ姉貴、俺のもよろしく」そう言って食器を流しにぶち込んでおいた。
「あら、当たり前のように言うのね」
「おうよ。大学生なんてどうせヒマだろ」
「前から思ってたけどアンタ、大学生への偏見がひどいわね……」
そりゃそうだろ。こんなにヒマそうにしているのに、家事を分業制にしてしまうなんて悪魔の
俺は、冷蔵庫のドアを開いて買い置きしてあるエナジードリンクの缶を取り出した。それをプシュッ、と開けて一気に飲み干していく。
これで、第三段階のスイッチが入った。篠原悠人、完全な目覚め。目は開かないが。
「朝からそんなの飲んでたら、お腹壊すわよ」
姉貴に水を差されるが、俺はふふーん、と言って反論する。
「朝から翼を生やして何が悪い。大体朝からコーヒー飲んでるのも大して変わらんだろ。どっちにしたって刺激物だ、刺激物。身体への影響はどっちもどっちだろ」
「身体に悪いってのは認めるのね」
そりゃそうだろ。朝じゃなくてもエナジードリンクの飲み過ぎは良くない。カフェインの過剰摂取になってしまう。それでも、今日みたいに頭が重かったりする日だけは朝からのチャージがないと一日持たないのだ。
まあこれで一日大丈夫だろう。なにせ午前中は、昼飯という最大の楽しみが待っているだけでワクワクしてしまうのだから。
「ところでアンタ」
部屋を出ようとしたところで姉貴に呼び止められる。
「ん?」
「二年生になって、何か変わった事とかあった?」
変わった事。それを言うなら昨日は、非常に変わった一日ではあったのだが、それでも俺は姉貴に背を向けながら言う。
「ないさ。何にも変わらない。これからもずっと、な」
高校二年生が始まって一週間。一週間で変わることなんてそれほどない。そして、今年も一年、去年と変わらない日々を送ることになるはずだ。
そう心に決めて、俺は部屋を出たのだった。
▽
地元の駅までチャリをぶっ飛ばして約十五分。そこから電車に揺られること数分、二駅隣の
俺の住む街、神奈川県小田原市。「かまぼこの街」と、大々的に宣伝してしまうくらいなので、かまぼこくらいしかアピールポイントがないのか、とたまに思われるがそんなことはない。具体的に何があるかと言われれば、小田原城ぐらいしか言えないのだが。それでも地元民からしてみれば、ギリギリでも神奈川県に乗っかってるし、そこそこの都会じゃないのかと、ちょっと期待している節がある。だが残念ながら、その実態は都会に小指くらいしか引っかかっていない。
でも、別にそういう都心にほど近いアピールは
だが、山が近いというのもなかなか不便なもので、新和戸高校までの道のりもただひたすらに上り坂と階段なのである。帰り道に階段を登らされるよりかは
やっぱりエナジードリンクの補給をしてきて良かった……、と思いながら学校へと到着した頃には、まだ時計は八時十五分。ほれ見ろ姉貴、まだまだ余裕じゃないか。
俺は、心の中で姉への不平を唱えながら下駄箱を開ける。昨日、ここには謎のメモ書きが入っていた。そこから導き出される推論を元に、結局指示に従ったところ、とんでもない目に遭ってしまった。
今日は、さすがに何も入っていない。そのことに
教室に入っても、特段誰かに挨拶するわけでもない。そして、ひっそりと自分の席に着席する。ふむ、今日も特段変わらない一日の始まりだ。
「悠人! やっと来た、遅い! マジで!」
……普段と変わらないはずだ。なんとなく既視感のある光景が目の前に繰り広げられてはいるが。
俺の席へと駆け寄る声の主、伊勢谷の目は何というか昨日よりも鬼気迫るものがあった。
「……どうしたんだよ、朝っぱらから。てか俺、割と早くに来た方なのによ」駆け寄るまではいいが、顔が近い。そして周りの視線を感じる。嫌だ……。
「それがさ……、いや、ここではマズいか……」
急に辺りを気にしながら声のトーンを落とす。それと同時に近づけていた顔を離す。いや、何だよ。さっきの勢いはどこに行ったんだよ。
「おい、悠人。お前、放課後暇か?」
「まあ、そりゃ」
ただし、夕飯の準備があるから、言い換えると、春絵のために飯を作ってやる必要があるから、さっさと帰るつもりではいる。
「じゃあ、放課後少し教室に残っててくれ」
「? 生徒会室とか図書室とかじゃダメなのか?」
どうせコイツの事だし、大した話じゃないはずだ。というのも前にもこんなことを言われて残ったら、くだらない案件だったからだ。確か、生徒会役員同士の
……そんな苦い経験もあった上に、今日は早く帰りたい、春絵のために。だからできるだけ手短に、俺の被害の少ない案件にしてもらいたいと思っている。だが、伊勢谷は首を振る。
「いや、今回に関してはダメだ。人に聞かれたくない。だから、放課後、ここだ」
「でもよ、そうしたら日直が鍵を閉めるんじゃ……」
そう言いかけて俺は、今日の日直を示す黒板へと目線を移す。女子の方は「永峰」から次の人へと変わっていたが、男子の方は今日も「伊勢谷」のままであった。
「日直なら今日も俺だから、大丈夫だぜ!」
親指を立てて満面のドヤ顔を披露する伊勢谷。何やってるんだよ副会長……。お前的には大丈夫かもしれんが、この学校の将来的に大丈夫じゃない気がする……。
「……はあ、分かったよ。残ればいいんだろ、残れば。話聞くだけでいいんだろ」
「さっすが悠人、信じてたぜ! 心の友よ!」
伊勢谷が思いきり両手を伸ばして身を寄せるのを俺はひょいと
「んで、お前は今日日直の責務をキチンと果たしてるのか?」
「…………あ」
そう言うが早く、伊勢谷はさっさと教室から出て行ってしまう。やはり、既視感を覚える光景だ。
しかも昨日と同じように放課後に呼び出しだとは。まあ、相手が伊勢谷って分、昨日とは違う安心感がある。過去の経験を踏まえると、相手が伊勢谷だからこそ昨日とは違う不安もあるのだが。
昨日と似たような一日が始まってしまうものの、それでも普段の一日だ。そこに、あの女子、永峰瑞希が関わることなどありはしない。
……さっきからチラチラと妙な視線を感じてたんだけど、きっと勘違いだよな、うん。
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