落日②

 城門を開けよと、言う声がする。

 固く閉ざされた城門のその向こうには、王都マイアの騎士がいる。数は知れない。報告よりも多いのか、少ないのか。どちらであっても無意味だろう。こちらは、たった二人だけだ。

 アストレア公爵は北のルドラスとガレリアの国境付近にて戦死した。もう五年も前の話だ。爵位を継ぐべく公子は成人し、それからすぐあとにアナクレオン陛下より聖騎士の称号を下賜かしされたものの、しかしまだ若い身である。公爵の代理、つまりは城主の代理を務めるのは亡き公爵の妻のエレノアだ。

 騎士団長トリスタンはエレノアの騎士だった。

 エレノアはアストレアの貴族の娘で、トリスタンはその傍系の血筋にあたる。だから、アストレア公爵家に嫁ぐ前のエレノアを知っているし、エレノアにとってトリスタンは年の離れた弟のような存在なのかもしれない。少年の時分からよく叱られたのも、いい思い出と言えばそうなのだろう。エレノアというひとは、自分にも他人にも厳しいひとだと、トリスタンはそう思う。そういう性分なのですよ、と。エレノアは笑って肯定するにちがいないが。

 ふたたび、騎士の声が響いた。エレノアは控えていた従者に目顔で合図する。ほどなくして、開かれた城門の先には王都マイアの騎士がいる。敵であると、トリスタンはまだ口のなかでつぶやかずにいる。だが、あれは味方とは言えないだろう。

「アストレアの聖騎士は、どこにいる?」

 指揮官らしき壮年の男は、トリスタンとさして歳の変わらぬ容貌をしている。公爵夫人の前でも下乗せずに、そのまま見おろす。よほど自尊心の強い人間なのだろう。

 トリスタンは歯噛みする。主を愚弄されて怒りを感じるのは当然だった。エレノアは視線だけを寄越す。ああ。これではまた、叱られてしまう。

「今日は客人が多いですこと。白の王宮の客人は、とうにお帰りになりましたよ」

「我々は王命でここに来た。偽りを口にすれば、それはアナクレオン陛下の前で嘘を吐くと同様と見做される」

「では、いま一度申しましょう。わたくしの子は、ガレリアにて戦死しました」

 マイアの騎士たちは騒ぎ出していた。エレノアはさめざめと泣いているわけではなかったが、しかしその声は息子を亡くした母親のそれだった。気丈な人だと、エレノアをずっと傍で見てきたトリスタンはそう思う。演者となるには完璧な振る舞いだ。騎士団長でさえも騙されるくらいに。

 空が、青の色から変わってゆく。アストレアの城下では家路につく男たちや夕食の準備に追われる母親たち、子どもたちは駆け足で老人たちはゆっくりと坂道をくだってゆく。それが、アストレアの日常だ。しかし、城下町は閑散としていて、代わりに道を埋め尽くすのはこの招かれざる客たちだけだ。数は、三十を超えている。元老院の姿はない。そういえば、あの老者は公爵夫人に献上品ひとつ用意しなかったことを詫びていた。何が手ぶらなものか。とんだ置き土産を残してくれた。

 冷静であれと。トリスタンは自身に言いきかせる。私の名は、アストレアが騎士団長トリスタン。口のなかでつぶやく。そして、視線の先にはマイアの騎士がいる。彼らは白の軍服を纏ってはいなかった。臙脂えんじの色はどこの騎士団であったのか。トリスタンは知らない。とはいえ、話の通じる相手とは言えないだろう。

「戦死、だと……? そのような報告はきいていない!」

「ですから、わたくしは問うているのですよ? マイアは、白の王宮はわたくしの子を返してくださらない。これほどまでに隠すというのでしたら、子は亡き者と……そう受け取るしかありません」

「嘘事を申すな! この期に及んでマイアに逆らうつもりか!」

「逆らう、ですって? 何をおっしゃるのでしょう? アストレアが一度でもマイアに、アナクレオン陛下に反したことがありますか? 忠義を疑うというのなら、ご自身の目でたしかめればいい」

 エレノア様、と。トリスタンが呼ぶ前に、主はこちらを見ていた。大丈夫です。なにも案じることはないのですよ。そうして、いつものように。姉が弟を諭すみたいに、そういう笑みをエレノアはする。

 混乱がはじまっていた。いや、マイアの騎士たちは動揺しているのだろう。本気で武力を持ってアストレアを落とすつもりならば、とうに動いているはずだ。これは、脅しに過ぎない。しかし、エレノアというひとは、アストレアはそんなものにはけっして屈したりはしない。壮年の騎士は片手をあげて部下を静めさせる。

「いいだろう。だが、偽りは許さぬ。これより、アストレアは我が軍の管轄に置く。抗うなどと考えないことだ。これは、元老院の拝命であるのだからな」

「従いましょう。ですが、わたくしからもひとつ忠告しましょう。剣には剣を持ってこたえます。……いいですね?」

 戦えない数ではなかった。けれども、ここから先は威迫だけでは済まない。アストレアは他の公国と比べてもちいさな国だ。北のルドラスとの戦争がつづく以上は、マイアに守ってもらう他はない。そのマイアに逆らえばアストレアは簡単に潰される。いきるためだと、エレノアは言う。それならば、耐えるしかないのだ。

 エレノアは道を空け、マイアの騎士たちは城内へと入った。これは、時間稼ぎだ。おそらく長いたたかいになるだろう。エレノアは公子の痕跡も証左しょうさをすべて消している。どれだけ捜そうとも何も残らない、そのはずだ。王家の姫君となれば、なおのこと。最初からいなかった者など捜しようもなければ、誰一人として口を割らない。そうだ。アストレアは小国なれど、強き国だ。

 トリスタンはエレノアを見る。主はもうトリスタンに視線を合わせなかった。だから、トリスタンはエレノアを疑わない。このひとは、アストレアの希望だ。失ってはならない光だ。どんな屈辱も困難にも、耐えなければこの国が失われてしまうだろう。いつか、戻ってくるその光が、必ずエレノアとアストレアを救ってくれる。トリスタンはそう願う。

 赤の色が城下を染めている。それは、落日だった。まるで炎のようだと、トリスタンは思った。しかし、エレノアというひとはそれを選ばずに、けれどももっとも困難な道を取った。本物の炎にアストレアが包まれる。それだけは、してはならないのだと、わかっている。

 本当に強い人だ。それでも、ずっとエレノアの傍にいたトリスタンだからこそ、知っていた。何の不安も恐れも感じていないなど、嘘だということを。

 ご安心ください。あなたが戻るその日まで、この方と、アストレアは私が守ります。彼らは森に入った頃だろうか。私の名はアストレア騎士団長トリスタン。私の使命はアストレアを守ること。トリスタンは口のなかで繰り返した。

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