ルドラスの銀の騎士

 森の奥へとさらに進んでいけば、すべての謎がようやく解けた。

 ルドラスの森と霧が隠していた集落は街と呼ぶにはあまりに仰々しく、砦と名付けるにはちいさい。ガレリアの三分の一ほどといったところだ。

 ブレイヴは身体の異変のひとつを見逃さないようにと、神経を使っている。魔力を宿さずに生まれたブレイヴには、それを感知するのはけっして容易ではない。従者の二人もおなじくそれで、この霧が自然現象であるか、あるいは魔の力によるものか判別がつかないのだ。

 これが森のなかに存在していたという事実だけでもガレリアにとって、いやイレスダートには脅威であり、けれどもブレイヴは恐怖や焦りといった感情を覚えてはいなかった。たしかにここはイレスダートにとって危険だ。とはいえ、発見できたことはのちに優位に働くだろう。ただしあくまでそれは、ここから生きて帰れればの話だ。

 招かれざる客を遠巻きに見ている者たちがいる。

 イレスダートの聖騎士に注ぐ視線はそれぞれで、老爺ろうやは悪魔を見る目つきをし、幼子を抱く母親は怖れをそのままにする。若者たちは好奇心を隠しきれないようだが、目が合うのは禁忌だと信じ込んでいるから騒ぎ立てない。俘虜ふりょか、それとも使者か。どちらであってもブレイヴは彼らにとって敵だ。

 ルドラスの男は途中で外套を脱いでいた。背筋もちゃんと伸びていて、挙止きょしも騎士のそれだった。ただの雑兵ぞうひょうではないと、ブレイヴは認める。自分に会わせたいという人物も、おそらくは。

 案内された一室には簡素な机と椅子が置かれているだけで、窓はなかった。

 ブレイヴは息を呑む。緊張も警戒もするのは当然だ。すでに着席している人物は、ただ一介の騎士などではない。銀の騎士ランスロット。ブレイヴは口のなかで騎士の名を呼ぶ。

 長い銀髪を一つに括った騎士は、ブレイヴも座るようにと目顔で促す。ここまでブレイヴを連れてきたルドラスの男は、そのままランスロットのうしろへと控えた。ブレイヴは無言でそれに従い、ジークとレナードを扉の近くへと佇立ちょりつさせる。

 銀の騎士は相好そうごうを崩さない。眼窩がんかに埋め込まれた碧は硝子玉のように澄んだ色をしている。すっと通った鼻筋や薄い唇にしても、どこか中性的な印象を受けるが優男といったわけでもなさそうだ。彼を観察するその短い時間に、彼もまたブレイヴを見つめていた。碧の硝子玉は上手く感情を隠していても、鋭さだけは仕舞いきれていなかった。

 思ったよりも若い。それが、ブレイヴの最初の感想だった。おそらくあちらもおなじことを考えているにちがいない。階級にしても聖騎士であるブレイヴと同等、だとすればそれなりの影響力を持つ人間だと読んでもいいだろう。そうでなければ、ブレイヴをここまで連れてきたりはしないはずだ。

 そうだ。ランスロットは客人としてブレイヴをここへと呼んだ。

 イレスダートの騎士が北の敵地をその足で踏めば、生きて戻るかあるいは死ぬかのどちらかでしかない。俘虜となれば尋問、または拷問を受けるのは避けられず、それならば騎士は迷わず死を選ぶ。自殺が許されていないヴァルハルワ教徒の騎士であってもそうする。しかし、いまのブレイヴはどちらでもない。ルドラスの銀の騎士が、イレスダートの聖騎士と接触したその目的はなにか。それは、ランスロットの口からきくしかない。

「三か月だな。これより以前に、我が軍に対して見境なく攻撃を加えていた貴国が、どういうことかそれを行わなくなった」

 長い空白の時間を破ったのはランスロットだった。

 騎士の言った三か月というのは、ブレイヴがガレリアに赴任してからの期間のことだ。総指揮官であるランドルフはとにかく敵となれば攻撃をし、執拗に追ってそれらを全滅させてきた。そこに攻撃の意思があろうとなかろうともだ。しかし、ブレイヴは上官の指示に逆らい深追いはせず、またこちらからの攻撃は極力避けてきた。ランスロットはそれを問いたいらしい。

 おそろしく勘のよい男だと思った。つまりランスロットはブレイヴがそこにいるのをとっくに知っていたのだ。自国の情勢が敵国へと伝われば、それだけこちらが危うくなる。ましてや、窮迫きゅうはくした状況下にあると悟られるなどもっての外だ。聖騎士という存在は、ブレイヴが考えている以上の意味を持つらしい。

「どういうことなのか、その真意を貴公に問いたい」

 願ってもない言葉に一気に血の巡りが早くなり、鼓動が高鳴るのをブレイヴは感じた。

「これから話すことは、イレスダートの王アナクレオンの言葉であり、嘘偽りない声である」

 これは国王の真意だ。ブレイヴはそれを代弁するのだということを、まず伝える。

「無駄な争いを我がイレスダートは望んではいない。イレスダートを血で穢すことはおろか、ルドラスに不利益をもたらすことも本望ではない。たしかに、過去を変えるのは不可能だ。けれど、その先はどうか。互いを認め、手と手を取り合えば、新たな未来が開けるのではないか。望むのは和平である。イレスダートの子らの命を無駄に捨てる気はない」

 語り手となるには、平常を装った上でそれなりの感情を込めなければならない。並べた言葉は王の声だったとしても、ブレイヴの思想は君主とともにある。

「なるほど。理想論だな」

 銀の騎士は素直な感想を吐く。

「だが、一度は交わされるはずだった休戦条約もいまは白紙。いまさらそれを蒸し返すというならば、そちらに都合が良すぎる話ではないのか?」

 嫌悪と軽蔑の両方が見える。しかし、ブレイヴはそれを不快だとは感じなかった。銀の騎士の言い分はもっともだったからだ。

 イレスダートとルドラスと。停戦協定調印式が行われていればいま、北と南の王国は戦争などしていない。あれはそう、五年前のことだ。

 イレスダートの前王アズウェルは温厚な性格であり、争いそのものを嫌う人間だった。和平を重んじるのはアナクレオン以上に、それゆえに周囲の反対を押し切って危険を顧みず王自ら敵国へ向かい、そして悲劇は起こったのだ。

 それは事故だった。けれども、偶然というのは時に必然という言葉に簡単にすり替わる。敵国で命を落とした王を前にして、それが事故であったなどと、誰が信じるだろうか。

「ならば、貴国はを認めるということか」

 ブレイヴはもうすこし声をさげた。和平を求めておきながら王を誘き寄せ、そして葬ったと。誰もが信じ疑わなかったなかで、当時二十三歳だったアナクレオンはただ一人、ちがう声をした。 

 あの日、ルドラスを襲ったのは百年に一度といわれるほど強い嵐だった。

 マイア王家は竜の末裔として特殊な力をその身体に宿しているものの、しかし人間とおなじように死は訪れる。アズウェルはそれが早すぎたのだ。王家の子は普通の人間よりも生命力に優れるため病に罹りにくいと言われるし、傷の治りにしても異常なほどだ。だから寿命も必然的に長くなる。若くして死を迎えるとすれば、それは殺されたときだけだ。

 冬が終わるよりも先にアズウェル王は北へと旅立つ。

 麾下の騎士は三百ほど、そこにはイレスダートの王女ソニア――幼なじみの姉の姿もあった。当時のことを鮮明に記憶している者は少ない。生き残った者はわずかで、なによりもあの悪夢は心的外傷としていまも騎士たちを苦しめているという。父が生きていればと、ときどきブレイヴは考える。犠牲となったのは、当時聖騎士だったアストレア公爵も含まれていた。

 王都マイアでは王と王女の死を悼み、悲しみ、そうして怒りは遅れてくるものだ。人々は声を大にする。我らの王は敵国に殺された。卑劣な策を要したルドラスを許してはならない。剣と取れ、槍を構え、矢をつがえよ、盾を持て。イレスダートを守れ。我らが聖王国に平和をもたらせと、叫ぶ。

 その混乱のなかで、アナクレオンはひとつの決断を下した。あれは、災害である。味方も敵も、さらには街ひとつを破壊したのは天変地異だと、そう結論づけたのには、明確な理由が存在する。嵐はルドラスの主要都市を壊滅させただけではなく、イレスダートもまた被害を受けた。十日以上つづいた雨は作物の収穫に影響し、特に被害の多かった地域では飢える者が出るだけに留まらず、衛生状態の悪化による病が蔓延した。

 こんなことを可能にする者はいない。人間は、その力を持たない。

 両国ともに戦争どころではなくなっていたのが事実、アナクレオンはそれに異議を唱える者を処罰し、そうして今日に至るまでイレスダートとルドラスは冷戦状態にある。

 いま、目の前にいるのはたしかにブレイヴの敵だ。だとしても、ルドラス人のすべてが敵だとは思わないし、敵国の滅亡を望んでいるわけでもない。ブレイヴの矜持と誇りの先には常にアナクレオンがいる。理想はおなじところにあり、それを実現させるために騎士は剣を持つ。私情はいらない。ブレイヴはイレスダートの聖騎士だ。

「私をここに呼んだ目的が知りたい」

 長い空白の時間のあとに、ブレイヴは声を落とした。

 諜者を容易く城塞都市に忍ばせるくらいだ。ランスロットの最初の問いなど、すぐにたしかめられる。だが、銀の騎士はブレイヴと接触した。その意味は――。

「ルドラスの王都でも、おなじ声があがっている」

 ブレイヴはまじろいだ。

「五年前にイレスダートは王を失ったが、ルドラスは王子を失った。それ以降、王都は早期の終戦を求めている。すなわち、ルドラスに勝利をもたらすこと。しかし、同時に休戦を望む声も多い」

「貴公は、私にそれをアナクレオン陛下に伝えるようにと、そう言っているのか?」

「ああ。そして、私も貴公の声をそのまま我が王へと届ける」

 巧妙な罠か。もしくはまたとない好機となるのか。

 ふたたび沈黙が訪れた。銀の騎士は弁の立つ人間ではないようだ。しかし、騎士の声に偽りはないようにきこえる。そう、ブレイヴには思えてならない。

「あなたは、どちら側の人間だ?」

「騎士として王命に従う」

 こたえになっていない。ブレイヴは失笑しそうになる。それに、銀の騎士はルドラスの王の真意を明らかにしていない。和平を望むのはたしかに一部の人間なのだろう。そこに、ルドラスの覇王が含まれているのか、否か。それとも、ランスロットの主は王の他に誰かいるのだろうか。

 うしろに控えていたルドラスの騎士が蝋燭を変えた。その動きすら演出のように思えてきた。ランスロットは時間を望んでいる。彼個人の思考や意思はどうであれ、イレスダートとルドラスの休戦の実現にさせるにはたしかな時が要る。

 こうして、イレスダートの聖騎士と銀の騎士とのあいだで密約は交わされた。手燭を渡されて、そこから解放されたときに、ブレイヴは悪い考えをすべて捨てた。疑い出せば際限がないからだ。それに、銀の騎士は奸詐かんさを用いてあざむくような人間には見えなかった。あの目は、自分とおなじであると、そう思う。

 だから、互いが敵と敵だったとしても、次に会うのが戦場であったとしても。いまは、未来に託したわずかな光に賭けたかったのだ。

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