若と呼ばれて②
一番大きい日干し煉瓦の家が
「あいつらに屈したりはしない!」
「そうだ! 戦おう!」
採石で使う金槌を掲げながら男たちが吼える。皆、浅黒い肌をして、胸から腕に掛けてはち切れんばかりのたくましい筋肉が自慢の奴らだ。
それでも、と。クライドはつぶやく。得物が槌しかない人間ばかりがここには集まっている。どいつもこいつも力自慢でも、本物の武器を持った相手には敵わない。そんなものはやり合う前から決まっているというのに、皆はどれだけわかっているのだろう。
一度目も二度目も運が良かっただけだ。
隣村の連中とずっと揉めているこの村の男たちは、戦う術を知らずとも己の力だけで追い返す。素人ならばそれで済む。だが、次はそうもいかない。
「女と子どもは村長の家で守ろう。敷地を跨いだ奴らには石を投げつけてやればいい」
「待て、そうなる前に食い止めるのが先だろうが」
「南から攻めてくるとは限らないぞ。北が手薄だと、奴らも気付いている」
「ああ。ガキどもにあそこを守らせよう。余っている農具はまだある」
どこで止めるべきか、クライドはその機会を見失っていた。
自分はどうもこういったのが不得意である。狐顔のヤンがちらちら視線を送っている。狸顔のタルは戦う前からおろおろしている。
だいたい、それを俺に求めるのは間違っている。適任なのはあいつだろう。二人を無視して、クライドは別へと視線をやる。たぶん、目が合った。それなのにまだだんまりをするらしい。
この集落には村長という存在が二人いる。
若い頃に王都ナナルの教会で助祭を務め、とうとう出世できずに戻って来た男は、拙いながらも治癒魔法が使えたので村人たちに重宝され、いつのまにか村長となった。目の病が進んだ上に足腰も弱って杖なしでは歩けない老人だ。五年前に先立たれた妻とのあいだに一人息子がいる。年はクライドとおなじ二十二歳、二人とも負けん気が強かったので、ちょっとの口論ですぐ取っ組み合いの喧嘩がはじまった。
そのおかげで強くなったといえば、たしかにそうかもしれない。
服の下で破裂しそうな筋肉が奴の武器だ。中肉中背のクライドより頭ひとつ分背が高くて肩も広い。短く刈った黒髪と切れ長の目は、そのまま奴の性格を現している。短気で
エドムンドは客間の一番奥でむっつりとした表情を作っている。
口々に叫ぶ男たちを宥めるのは、老齢の村長の方だ。エドムンドは自分が村長だと自分で認めていないので、その役割を父親に押しつけている。むかしはああじゃなかった。
エドムンドに変化が訪れたとしたら、それは月光石が関わっている。
少年の時分に一緒にあれを見つけた。大人たちは大工仕事や畑仕事よりも、採石を優先するようになったけれど、この村がよくなると皆が信じていた。それなのに、あれから十年以上経ってもこの村は貧しいままだ。
クライドは、兄弟同然に育ったエドムンドを非難するつもりもなければ、そんな資格すらないと思っている。クライドはこの村を捨てた人間である。上手くいかなくなるとすぐ酒に逃げるこの男が兄だとしても、兄弟喧嘩がはじまるくらいならだんまりを突き通す。
「ともかく。奴らがまた攻めてくるなら、守りを固めねばならん」
騒いでいた男たちが静かになった。皆、村長を見つめている。
「いいか、皆。あくまで戦うのは、奴らが侵入したときだけだ。こちらから手を出してはならん」
でも、だけど。男たちがまた騒ぎ出す前に村長はつづける。
「わしはもう、癒やしの力はほとんど使えん。医者も当てにはならん。無駄な犠牲を増やしたくはない」
王都ナナルから来たという医者は、クライドが子どもの頃からいる。
「そんなんじゃ、いまにここは潰されちまうぞ」
皆が一斉に奥を見た。エドムンドだ。腕組みをして壁にもたれ掛かっていた男は、皆の顔を順繰りに見つめて、その最後に村長へと視線を落ち着かせた。
「甘いんだよ、親父は。奴らにここを乗っ取られていいのか?」
吠え立てる息子に村長はひとつ息を吐いた。
「最悪、それも仕方なかろう」
エドムンドが壁を殴る。
「それが村長の吐く台詞か!」
「奴らの狙いはあくまで月光石。この村の人間には手を出さん」
「その考えが甘いと言ってるんだよ!」
老齢の父親の首を締めあげる勢いで、エドムンドが進む。男たちがエドムンドの前に立ちはだかったが大男の力に敵わず、押しのけられていく。
「いいか? 相手は前みたいに隣村の連中じゃねえ。あのダビトだ」
場が静まりかえる。誰かの唾を飲む音がはっきりきこえた。
「自分の兄弟を殺して、女王の命を狙い、いまでも玉座を欲しがっているような奴だ。話が通じるような相手だと思うか? あの石を奪うだけ奪って、それからここの人間にも手を出す。男たちは
「お前は何もわかっとらん」
「なんだって?」
「力のある人間は弱き者の気持ちがわからぬ。皆はお前ほど強くはない」
「なら、大人しく屈しろと」
「逃げる。という方法もある」
エドムンドが
「どこに逃げるんだよ。これだけの人数、受け入れるところなんて」
「ある。ナナルの南西に行けば、あるいは」
「ダナン! ヴァルハルワ教会に尻尾を振れというのか!」
「教会は来る者を拒まない。女子どもだけでも」
「話にならん!」
エドムンドの太腕が村長へと届く前にクライドは割って入った。
「なんだ……?」
「やめろ。自分の父親を殺すつもりか?」
ヤンとタルが村長を自分たちの身体で隠す。エドムンドが舌打ちした。
「余所者が口を挟むな」
受けて立つくらいなら親子喧嘩がはじまる前に止めていたし、エドムンドを殴っていた。
「時間がない。ここで揉めているあいだに、奴らはここに近付いてる」
エドムンドから距離を空けて、皆の顔を見ながらクライドは言う。
「もう、すぐ近くまで来ているかもしれない。砂嵐が収まるまで天幕で身を隠せるくらいの奴らだ。北と南の守りを。物見台からの鐘がきこえたら、まず石を投げろ。弓矢はすこししかない。射手は絶対に死ぬな」
矢継ぎ早に繰り出される命令で、男たちの表情が変わった。これが現実だ。理想を語るのは簡単でも、いまできることをやるしかない。
男たちでひしめき合っていた客間が空になる前に、物見台から鐘が鳴った。思ったとおりだった。残っていたのは村長とクライド、ヤンとタルだ。エドムンドの姿は消えていた。
クライドも男たちを追う。入れ替わりに女と子どもたちもまもなくここにやって来るはずだ。ところが、客間に飛び込んできたのは子どもではなかった。こいつは南にいたはずだ。まさかもう落ちたのか。
「若! たたかいは、もうはじまってる」
やはりそうか。突破される前にクライドを呼びに来たのだ。男はぜえぜえと息を吐きながら、どうにか声を絞り出す。
「ちがうんだ、若。俺たちじゃない。知らない奴らが、暴れてる」
「知らない奴?」
「白膚だ。ここらじゃ見ない。青髪とか金髪とか。たぶん、イレスダート人だ」
ヤンとタルが顔を見合わせている。思い当たりはない。
「そいつらはなんだ?」
「知らない。でも、若を呼べって、そう言われた。自分は聖騎士だって、言ってる」
クライドは眩暈がした。あり得ない。現実逃避もいいところだ。それとも、ここはすでに落ちていて、死ぬ前の夢でも見ているのだろうか。
南へと向かったクライドは自分の目でそれを見た。男はけっして虚言を吐いてなどいなかった。
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