七章 砂漠の剣王

砂漠を越えて

砂塵の街

 渇きと熱と。

 砂漠の旅にて戦う相手はこのふたつだ。きまぐれな風は味方に付ける。砂を巻きあげて荒れ狂う風が何日つづいても、建物や天幕のなかでじっと待つ。そう、ブレイヴは彼から教わった。

 アストレアを南下すること三日、西のオリシスに近付きすぎずに荒れ地の方へと進んで行く。豊かな森から遠ざかり、ただひたすらに風の導きに身を任せる。旅の馬はノエルが用意してくれた。いずれも若くて良い馬ばかりで、これなら高値が付くだろう。

 あのときの記憶が蘇らなかったのは、状況がまったく異なるからだと、ブレイヴはそう思った。

 旅の準備は抜かりなく、仲間だって増えている。皆も砂漠の旅ははじめてで、しかし不安を抱えてなんていない。レナードとじゃれ合っているのはデューイ、ときどき彼らを叱りつけるのはルテキア、その隣で微笑むのはシャルロットだ。まるで遠足だとセルジュがため息を吐く。軍師の弟アステアも、皆とおなじでちょっとわくわくしている。

 ブレイヴの幼なじみも一人で馬に乗っている。疲れているようには見えないし、彼女もずっと笑顔だった。心配してしまうのは過保護とでも言うべきだろうか。ブレイヴの横顔を見て、苦笑するのはアストレアのカラスだ。

 この先、イレスダートの領域から異国へと入る。

 沃土よくどに乏しい枯れた土地、あの街で嫌な思いをしたのはレオナだけではなかった。レナード、ルテキア、ノエル。皆もそれぞれ胸に宿った思いを表情に出さないようにしている。成長の証だ。

 大人数でぞろぞろ上がり込むには街で一番大きい宿場しかなく、店主はブレイヴを見るなり視線を逸らした。また騒ぎでも起こされたらかなわない。そんな顔だ。この宿場と酒場は繋がっていて、夕方にはもう一階の食堂が賑わっている。見習いの少年を呼んでブレイヴたちを部屋へと案内させ、厩舎きゅうしゃには馬丁ばていも付けてくれた。事情が飲み込めないセルジュとアステアのうしろで、ジークが笑っている。

 上顧客のみに許された部屋に入るなり、口笛を鳴らしたのはデューイだ。

 浴室と洗面台、ちいさいが台所まで付いている。大部屋には寝室がふたつもあって寝台は人数分とはいかなくとも、それでもひとつの寝台を取り合った者たちからすれば贅沢すぎる部屋だ。

 はしゃぐデューイの臀をたたいて、レナードとノエルは荷物を片付けさせる。ルテキアはさっと台所へと入っていき、香茶の用意をする。カウチにちょこんと座ったフレイアも、いつものように大人しくしているシャルロットも何も知らない。遅れて部屋に入ったのはクリス、彼は教会の場所をきいていたようだ。

 ブレイヴはひょっとしたらこの街で彼に会えるのではないかと、勝手な期待をしていた。翌日からひどい砂嵐に見舞われること三日、とうとう彼は見つからなかった。

「まったく話になりません」

 円卓に麦酒エールのグラスをたたきつけるのはセルジュだ。

 交渉はこれが五度目、どれも色好い返事はなかった。ブレイヴは目顔で給仕娘を呼ぶ。ほどなくして麦酒のおかわりと酒肴しゅこうが運ばれてきた。

 イレスダートとユングナハルを繋ぐこの街には、行商人や巡礼者、他にも旅行者や冒険者などが必ず立ち寄る。宿場や大衆食堂も大から小までさまざまで、だいたいどこも混んでいる。

「なかなか首尾良くとはいかないな」

 ブレイヴもそうぼやく。セルジュの麦酒はすでに三杯目、いつもよりも減りがずっと早かった。乾酪チーズとナッツの載った皿には、ちゃんと干し果実も添えられている。好物で機嫌を取る作戦が上手くいくか、わからない。

「どちらにしても、この砂嵐が収まるまで動けないんだ。根気よく当たろう」

 いつもと役目が逆じゃないか。ブレイヴは心の声を仕舞っておく。宥め役がもう一人ほしかったものの、魔道士の少年はまだ成人前でジークもレナートたちと他を当たっている。

「いよいよだめなら、クリスを頼ろうと思う」

「どうでしょうかね」

 教会嫌いのブレイヴの主君アナクレオンほどではないが、セルジュも教会を好ましく思っていない側の人間だ。

 そもそも、あの二人の同行には反対だったのだろうか。それこそ都合の良い話だ。西のラ・ガーディアからグラン、イレスダートの内乱とつづいてアストレアまで、フレイアとクリスは尽くしてくれた。

 名目上は借金の取り立て人として、けれどもすべて返したあともフレイアはまだ付いてくる。少女の兄、フォルネのルイナスに言われたのか、それとも他の意思かは知らなかったが。

「教会が聖騎士に協力してくれるとは思いませんがね」

 ブレイヴは失笑しそうになる。王都マイアに近付かんとする聖騎士、それを阻止すべく動いたのは黒騎士ヘルムート率いる黒騎士団だ。王命を受けたヘルムートは本気でブレイヴに挑みかかってきたし、こちらも退くわけにはいかなかった。

 そうして黒騎士団を破り、ブレイヴはムスタールを突破する。あの公国を拠点とするヴァルハルワ教会も大きな痛手を受けただろう。公爵であるヘルムートは負傷し、その後遺症に悩まされているときいた。ヘルムートはブレイヴにとってかつての教官だ。それなりに胸は痛む。

「ともかく、もうすこし粘るしかない」

「いっそイレスダート人が相手ではない方が、上手くいくのでは?」

 その言葉の意味をわかっているのだろうか。

 素面の軍師なら絶対に出てこない台詞だ。デューイはきっと上手く交渉してまず駱駝を手に入れる。丈夫な長靴ブーツも外套も、砂嵐に耐えられる天幕も一通り集める。食糧も多めに準備して、女性たちのためにお菓子も付けてくれる。しかし、どうだろうか。口八丁手八丁なデューイはアストレアの馬を売ったその金ですべて用意したとして、釣りは返ってこない。手間賃だと、のたまう姿は容易に想像できる。

「聖騎士というのは、不便だな」

 ブレイヴのつぶやきはセルジュに届いていないようで、軍師は一人でぶつぶつ言っている。

 イレスダートの内乱は余所の国にも届いていて、一年前にここで騒ぎを起こしたことも住民たちは知っている。曰く付きの聖騎士が来た。いや、ちょうどいい餌が来たと、ほくそ笑んでいるのかもしれない。

 どこの商人もしたたかだ。そこらのイレスダート人よりも、十倍の値で吹っかけられる。金貸しと商人たちの情報網はすさまじく、こうなるとマリアベル王妃の耳飾りはここで仇となってしまったらしい。

 結果論だろう。ブレイヴは口のなかでつぶやく。それなら、聖騎士はどこにいっても借金を背負っていると伝わっていてもおかしくない。

 軍師のグラスは空になっていた。仕方がない。もう一杯だけ付き合おう。ブレイヴは給仕娘を探す。目が合ったのは、そのときだった。

 少年はブレイヴに向けてにこっとした。年はアステアとおなじくらい、少なくとも親を待つ子どもには見えない。

「僕が掛け合いましょうか?」

 少年は三つ隣の円卓から移ってきた。左手に持ったグラスには麦酒が入っていたらしい。少年から酒精アルコールのにおいがする。

 胡乱な目で見る軍師を制しながらも、ブレイヴも警戒する。イレスダートでは成人前の飲酒は禁じられていたが、見つからなければ逃れられる。実際、ブレイヴが士官生の時分に隠れて酒を飲む者もいたし、そもそもユングナハルでは年齢制限がないのかもしれない。

 少年は人好きのする笑みでいる。問題はまた別だ。こんな子どもにまで聖騎士の面は割れていて、知っていてなお近付こうとするその理由がどこにあるかだ。

「きみの目的は?」

 駆け引きなどなしで、ブレイヴはそのまま問うた。少年の仮面の下には老獪ろうかいな姿でもあるのだろうか。ウルーグの鷹を彷彿させるものの、かの王子よりももっと表情が豊かだ。

 勝手に相席を決め込んだ少年は、一瞬だけ考えるようなふりをした。

「まずは一杯、おごってくれませんか?」

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