竜人たち

 横殴りの雨から逃れるようにして、彼は酒場へと入った。

 普段から飲んだくれの男たちの姿もあれば、彼のように突然の雨に見舞われてここに駆け込んだ旅人の姿もそこそこに、さほど広くはない店内で席はほぼ満席となっていた。

 給仕娘が麦酒エールを運び、また別の席からもすぐさま声がかかる。調理場からは香ばしいにおいが漂ってくる。ここの名物は羊肉の炙り焼きのようだ。

 彼は店内をぐるりと見回した。やはり席は埋まっていて、それぞれが麦酒を片手に食事をたのしんでいる。

 さて、どうしたものか。

 彼はびしょ濡れになった外套を脱いでいたし、この雨のなかでもう一度外へと出る勇気もなかった。彼より先に店に入っていた旅人たちは、名物の麦酒と羊肉を断り、白パンと林檎酒シードルで一杯やっている。なるほど。旅人たちはイレスダートの巡礼者らしい。敬虔なヴァルハルワ教徒たちは旅先でも肉は食さず、酒のなかでも許されているのは林檎酒だけだった。

 旅人たちが長い祈りを唱えはじめたのでそれを待っていたら身体は冷えるだけ、では地元の住民に交じってひとつ面白い話でもきかせてやれば、麦酒の一杯でもご馳走してくれるだろう。

 しかし、男たちは自分たちの話で盛りあがっている。家でいつも口喧しくする太った女房の悪口に、南のじいさんが孫ほど歳の離れた娘に懸想けそうしてこっぴどく振られただとか、せがれが隣町から嫁をもらってきたものの男みたいな大女だったなどなど、僻邑へきゆうに住まう人々のたのしみといえばこうした下品な話ばかりだ。

 早いところ席に着かなければ給仕娘に追い出されてしまう。そこで彼は一番奥の席を見つけた。円卓にグラスはひとつのみ、他の連れもいないようだ。

「相席しても?」

 こたえが返ってくる前に、彼はもう座っていた。

「麦酒とレンズ豆のスープ。それから、この店のおすすめを一品頂こうかな」

 彼は片手をあげて給仕娘を呼び止めると、次々と注文をする。身体が冷えていたのでまずはスープで温まろうという作戦だ。麦酒とともに羊肉の串焼きもそのうちに運ばれてくるだろう。勝手に相席された相手は迷惑そうな顔でいる。彼はにっこりとした。

「やあ、ユノ。こんなところで会えるとは思わなかった」

 彼は突然の横殴りの雨にうんざりしながらこの店に入った。つまりここに来たのはと、そう主張しているのにもかかわらず、相手はまるで信用していないらしい。

 思いがけない再会というのがどこまで本当か。なにしろ彼は嘘をひとつ吐いている。そうだ。同族のにおいを辿るのは、彼にとって造作もないことだった。

「イレスダートで大きな争いが終わったようだね。けどまあ、もう一波乱ありそうだけど」

 彼はスープを啜りながら言う。相手が声を返してくれないので、大きな独り言みたいだ。遅れて運ばれてきた羊肉に齧りついて、麦酒で流し込む。串焼きを相手に差し出すと、また無視された。

「あれっ? ユノは肉を食べないんだっけ?」

 敬虔なヴァルハルワ教徒は肉食が禁じられている。人間の世界は面倒だなと、彼は前にもおなじことを言ったのを思い出した。

「ああ、そうか。君は枢機卿だったっけ? じゃあ、菜食主義者でもおかしくはないねえ。……いや、待てよ。今度は下っ端の助祭だったかな? そうだそうだ。少年なら司祭にも遠いよねえ」

 彼は記憶を端から辿ってみる。それにしてはどうにも曖昧だ。そもそもユノと以前会ったのは三十年前くらいだったか。彼は独りごちる。子どもがとっくに中年親父になっているくらいの歳だが、しかし青年かあるいは少年くらいに見える。

「その白い法衣もなかなかよく似合ってるよ。まあ、君は面倒が嫌いなたちだから、白肌と白髪を隠すためなんだろうけどさ。なんていうの、敬虔な教徒みたいだ。笑えるよね。僕らは人間でもないくせに」

 だんまりを決め込んでいるらしい。相手は林檎酒をたのしんでいるものの、こちらの声にはまるで無視だ。

「まあ、いいや。でも、君がどうしてこんなところにいるの? 誰かを待っていたのかな? ああ、そうか。君の連れ合いを待っているんだね」

「五月蠅い」

 声が返ってくるとは思わなかったので、彼はいささか驚いた。彼はいつもみたいにべらべらと喋っていたつもりである。なるほどなるほど。の話題は禁句のようだ。

「ごめんごめん。ユノ、君を怒らせるつもりはなかったんだ。ただ……」

 彼はじっと相手を見つめる。雪花石膏アラバスターの肌、長い白髪、それから青玉石サファイアの瞳。ユノという青年を作る色はとにかく異質であり、しかし人を誑惑きょうわくするうつくしさを持っているのもまた事実、もっともそれでいうのなら彼の容姿も似たようなものだった。うつくしいものに化けるのには魔力があれば造作もなかったが、しかし彼らは意識せずともその姿を保っていられる。彼は麦酒を飲み干すとにっこりとした。

「そうしていると、本当に人間みたいだ」

 店内は酔っぱらいたちがたのしく騒いでいるので、ここでの会話は二人にしか届かない。ここに竜族が二人混じっていても、誰も気がつかない。

「じゃあ、もう行くよ。今度はね、南へ行ってみようと思うんだ」

 彼の旅には目的というものがなく、気の向くままにただ歩いているだけだった。

 イレスダート、またはその周辺に散らばっている同族を見つけるのも気まぐれで、別に関わろうとも思わない。けれどもどういうわけか、彼はこの白い青年の前ではことさら饒舌になる。

「そうそう。運が良ければ会えると思うんだ。君の兄弟……、そう白の姫君にもね」

 風の吹くままに旅をするのは悪くないし、気が変わって同族に会いに行くのも良いだろう。

「ああ、そんなに心配しなくてもいいよ。ユノ。僕はね、どちらにも味方するつもりなんてないからさ」

 だったら黙って見ていろ。同胞はそれ以上声を発しなかったが、しかしちゃんと目顔でそれを読み取った。

 だから君は人間みたいなんだよ。彼は独りごちて席を立った。せっかくの再会だ。物別れなんて味気ない。次に会ったときにはどんな土産話を持ってこようか。別れの挨拶などせずに、彼は銀貨を二枚置いて行く。酒場を出たとき、雨はもうあがっていた。

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