追い詰められた男

 蒼天騎士団を指揮する騎士団長トリスタンは、この日もランドルフに呼び出されていた。

 針仕事を終えたエレノアが侍女にお茶の用意をさせている。

 そんなに疲れた顔を見せるものではありませんよ。あの子たちがあなたを見て不安になります。そう、エレノアは言う。

 蒼天騎士団は成人を迎えたばかりの少年騎士が多いせいか、エレノアはどの少年たちも自分の息子みたいに思っている。彼らを導く役目にあるのがトリスタンだ。

 とはいえ、蒼天騎士団団長という肩書きに未だに馴れていないのがトリスタンの本音だった。

 トリスタンは少年の時分からずっとエレノアの騎士だった。姉の代わりに彼女は公爵家に行った。姉には恋人がいるのです。ですから諦めてください。きっぱりとそう言い残して帰るつもりのエレノアは、しかしあれから二十五年ものあいだここにいる。トリスタンも、妻を娶って子どもの二人くらいはいる年齢になったものの、まだ独り身だ。エレノアはあれこれ五月蠅く言わないが、代わりにお節介という名の説教をしてくるのが相談役の姉弟だ。

 にこにことしているのが弟、背筋がしっかり伸びているのが姉。先々代の公爵の時代から公爵家に仕えている騎士の二人、年老いてからは騎士団を若い者に任せて引退し、しかし城内に残ってエレノアに助言をくれる存在なので、トリスタンも彼らを邪険にはできない。

 おやまあ、騎士団長殿はどうにも諦めが悪い。未亡人になったとはいえ、あの方の心はお前には向かないよ。いつまでも少年のつもりでいられると困る。そうとも、早く良い人を見つけなされ。さもなくば、公子にも先を越されるよ。

 つい先日もおなじ説教をされたばかりだ。エレノアの耳にも入っているらしかったが、トリスタンの主は素知らぬ顔をして香茶をたのしんでいる。さあ、あなたも掛けなさい。エレノアにそう言われると、トリスタンは従う他なかった。

 焼き菓子の良いにおいがする。アストレア城内で長いあいだ働いてきたふとっちょの料理長は、魚料理に鴨料理の他にもパンを焼くのが得意で、このところは新しい菓子にも挑戦しているらしい。

 円卓に並べられたのは新作のマドレーヌのようで、にこにこしながらエレノアがトリスタンにも取り分ける。このあと感想を求められるのだが、甘いものが苦手なトリスタンはいつもとおなじ声をする。そこへ、慌ただしく扉をたたく音がした。トリスタンは思わずため息を吐いていた。

 トリスタンはランドルフの私室に向かった。入室の許可も得ずにいきなり押し入ってくるのがランドルフだったが、こうして呼びつけてくるのはエレノアにはきかれたくないときだ。

 カウチに腰を沈めた男の目は血走っている。

 酒精アルコールのきついにおいは不快だったものの、トリスタンは騎士の表情を崩さない。よく持った方だと思う。トリスタンはガレリア遠征の仔細を他の騎士からきいている。アストレアのカラスは常に公子の傍にいたから、夜を待たずにランドルフが酒瓶を空にするのも知っていた。この男が食中酒として葡萄酒を楽しむに留めていたのも、エレノアに嫌われたくないからだ。トリスタンの主は鯨飲げいいん馬食をことに嫌う。

「あの男が、帰ってくる」

 呪いの言葉のように吐き出された声は震えていた。

 それほどに酩酊めいていしているようには見えなかったが、しかし不安を解消するためには酒の力を借りなければならないほどに、ランドルフは追い詰められているのだ。

 王都マイアより下命かめいが届いたのは七日前だった。

 ランドルフの傍にはすでに仮面の騎士がいて、蒼天騎士団の団長であるトリスタンも同席を求められた。王都からの使者は白騎士団の若者だ。こちらを穿鑿せんさくするようなたちではなかったものの、しかしランドルフはちがう。すべての責任をトリスタンに押しつけるつもりでいたらしい。

 ところが、使者の口から出てきた言葉にランドルフは驚愕し、己が立場を忘れて激高した。年若い使者は気圧けおされつつも、しかしさすがは白騎士団の騎士である。

「これは、国王陛下の声なのです。従わないという選択などありましょうか?」

 使者は毅然とした面持ちで、最後までランドルフと向き合った。

 残されたトリスタンと仮面の騎士は、ランドルフの癇癪が収まるのをとにかく待った。

 鵜呑みにできない気持ちはわからなくともなかった。王国軍と叛乱軍の戦いがすでに終わっていること、本当の王が玉座へと戻ってきたこと、聖騎士と王女はともに王都マイアに入り、また聖騎士とともに戦った他国の要人に対しても、王は真摯な対応に当たったこと。

 いずれこの日が訪れるだろう。トリスタンは信じて止まなかったが、聖騎士を敵と見做していた者にとってはまさに寝耳に水だ。己が正義を声高に叫んでいたのならばなおのこと、それどころか王はランドルフに即刻アストレアを解放するように求めている。

「あの男が、私を殺しに……」

 そうまで恐れているのなら、即時にこの国から出て行けばいい。悔悛かいしゅんし、すべての非を認めさえすれば、白の王宮もアナクレオン陛下もこの男を許すだろう。

 それなのに、ランドルフは未だにアストレアにこだわっている。

 トリスタンは声を求められるまでただ沈黙を守っている。同情をするには値しない。爵位を剥奪され領地を没収され、ランドルフが貴族でも騎士でもなくなったとしても関係がない。そもそも、この男こそがアストレアの侵略者だ。

 公子が姫君とともにアストレアを追われたあの日、軍を率いて城を包囲した王都の騎士たちはすでに国外へと逃げている。残っているのはこの男のように、行く当てのない者か、あるいは処罰を恐れている者かのどちらかだ。蒼天騎士団の力を集結させれば、戦えない相手ではなかったが、エレノアは首を縦には振らない。彼女は公子の帰りを待っているのだ。

「何をそうまで恐れる必要があるのです?」

 仮面の騎士の声には笑みが含まれている。蔑み、あるいは厭悪えんお。騎士が主君に対してする声ではないようにもきこえる。

「ランドルフ卿はこのアストレアを守っていたのです。公子が戻ってくるというのなら、好都合ではありませんか? そのときが来るまで、ここに留まればいい」

 悪魔の囁きだ。にもかかわらず、ランドルフは救いを求めた子どもの目を仮面の騎士に向けている。そら恐ろしいものを感じつつも、トリスタンはずっと呼吸を殺している。仮面の騎士はランドルフの前で騎士の挙止きょしをする。

「どちらに……?」

 思わず、呼び止めた。

「鼠の始末を。どうやら、鼠は一匹ではないようですので」

 あの仮面の裏で騎士はどんな表情を描いているのだろう。

 謹直きんちょくな騎士に見える。だが、トリスタンにはこうも見える。冷静な声を繰り返しながらも、仮面の騎士はわざとああいう物言いをする。

 そう、ランドルフを追い詰めているのは、仮面の騎士ではないのか、と。


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