イスカの獅子王とイレスダートの聖騎士①
「私を倒せる者はいないのか!」
腹から吠えるスオウの声がここまできこえる。
少年騎士らは戦う前から竦みあがっている。王女エリンシアが年若い軍師よりも先にブレイヴを見た。傍らのセルジュがうなずく。弓矢の一斉攻撃がはじまった。
「あれの相手をまともにするのは、馬鹿のやることです」
攻撃的な物言いは皮肉が半分、残りは警告だろう。黒馬の集団が近づいてくる。イスカには騎士がいないから自軍の将、あるいは主君を守るという概念もない。たしかにスオウはイスカの王だが、しかし戦士たちにとって主というのもそもそも間違っているのかもしれない。イスカの王とは、その国で一番強き者を指す言葉だ。
「スオウが来ます」
エリスがつぶやいた。美しい横顔からは畏怖や憎しみといった感情とは別の、悔悟の情が見える。小競り合いから発した争いを止められなかった。和平を謳いながらも王女の声は獅子王に届かなかった。頼りとしていた宰相は心を病んで国から消えた。ウルーグとイスカ、兄弟国としての関係を修復する架け橋となるはずだったシュロという戦士を失ってしまった。エリスは、いったいいつから己を責めつづけているのだろう。
死なせてはならない、そう思った。ここにはいないウルーグの鷹エドワードも、騎士団長オーエンも、誰一人として失わずにこの戦争を終わらせるのが不可能だったとしても、ウルーグの未来のためには死なせたくはなかった。
黒馬の集団が近づいてくる。イスカの黒馬は気性が激しいために扱いがとにかくむずかしい。雨が降れば泥に足を取られるのを嫌がるし、霜が降りれば走るのを拒否する。それを手懐けて戦馬として鍛えているのがイスカの戦士たちだ。濡れ羽色の黒髪、褐色の肌、その大きな体躯を見ればウルーグの騎士などまるで子どもだ。
雨のように降ってくる矢にも怯まずにただ真っ直ぐに向かってくる。黒馬の集団を率いている男をブレイヴは見た。あれが、イスカの獅子王。
無理に食い止める必要はないと、セルジュがエリスに進言した。王女は己の軍師の意見よりも先に、ブレイヴの軍師の声をきいた。
まさに獅子王の名にふさわしい戦いだった。
イスカに身を置き、獅子王やその妻シオンの傍らで軍師として働いていたセルジュだ。賢しらな策を講じようともスオウには看破されると見抜いていたし、そうした上であえてここまで誘い込んだ。無論、スオウもそのつもりだろう。荒れ地の民は、いつの時代も戦いに明け暮れていた戦士たちの末裔だ。ひとたび戦場と出れば受け継がれてきた戦士の血が騒ぎ出すのかもしれない。
「エドワードとオーエンはどうした?」
ついに、エリンシアとスオウが相対した。
「ここにはいません。彼らは、彼らの戦いをつづけています」
王女に獅子王を近づけさせまいと、騎士たちがそれを阻む。エリスは目顔で彼らをさがらせる。ここまできて対話で終わるような相手じゃない。しかし、スオウはイスカの戦士である。
「敗北を認める代わりに、己の命でも差し出すつもりか?」
「いいえ」
鼓膜が破れるかと思うくらいの大声にも、エリスはけっして負けていなかった。凜としたその表情で獅子王に向かい合う。
「ウルーグはまだ負けてなどいません。スオウ、あなたと戦うのはこれからです」
「お前が私を殺すと言うのか! 面白い!」
スオウにつづいてイスカの戦士たちが一斉に笑い声をあげる。己の主君を、ウルーグという国を愚弄されたとばかりに気色ばむ少年騎士らは、いまにも飛び出しかねない顔をしている。
互いに陣形を組み直し、そこから最後の戦いがはじまる。騎士団長オーエンはこちらへと引き返しているところだろうか。ウルーグの鷹と騎士団長を名指ししたくらいだから、二人の到着を待つつもりかもしれないが、それはあまりに非現実すぎる。オーエンはともかくエディはここには来ない。駆けつけて来るあいだに、勝敗は決している。
ブレイヴはいま一度、獅子王を見た。
イスカの歴史も始祖であるイスカル、それから現獅子王のスオウも時間の許す限りだったが調べあげた。イスカという国は他の兄弟国とは異なり世襲制にあらず、そのためイスカルの子が次の王となったわけでもなく、その血もいまを生きるイスカの戦士たちに受け継がれているのだろう。
ブレイヴは目顔で軍師に訴えた。これからすることの一切に口出しも手出しも許さない、と。セルジュがブレイヴの傍に戻ってからそれほど時間は経っていなかったが、己の主君の性格は熟知しているはずだ。おやめください。そう、セルジュの唇が動いていた。
「貴様はなんだ?」
エリンシアとスオウ。二人のあいだにブレイヴは割って入る。さすがはウルーグの馬だ。イスカの黒馬にも獅子王にも臆さずに、ブレイヴの言うことをちゃんときく。
「ブレイヴ・ロイ・アストレア。……イレスダートの聖騎士」
「聖騎士? 知らんな」
またイスカの戦士たちから笑いが起こった。ブレイヴも微笑む。スオウという人間は押し出しの良い人物らしい。もっとも、幼なじみのような悪名があれば遠い西の国まで名が通っていただろう。赤い悪魔のディアス。幼なじみもここにいればきっとブレイヴを止めた。
「ブレイヴ。なにを……?」
「手慰めになるとは思わないが、獅子王の相手をする人間が必要だろう?」
スオウがいきなり
「公子! やめてください」
「セルジュはエリスの傍に」
こういった演出も必要だろう。そういう目顔をブレイヴはする。騎士団長オーエンが戻ってきたとして、こちらにどう勝機が傾くかどうかエリスもセルジュもわかっているはずだ。獅子王を前にしてウルーグの騎士たちの士気はさがっている。
「一人とは言わん。十人でも二十人でも、まとめてかかってくればいい」
「いや、私一人で十分だ」
そして、スオウ自身もこんな安い挑発に乗るような男ではないはずだった。ブレイヴは先に馬を下りる。長期戦となることは覚悟の上、馬を潰されて負けたとあってはオーエンに顔向けができなくなる。ふた呼吸のあと、スオウもつづいた。中央にブレイヴとスオウを残して円陣ができた。
どこからでもかかってこい。
スオウが振り回していた剣は騎馬戦では片手で扱っていたものの、両手に持ち替えている。あれをまともに受ければ剣が折れるのが目に見えている。ブレイヴは間合いを十分に取って、浅くなった呼吸を意識して戻す。
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