雷光
掲げた右の手をおろすと同時に、レオナはひとつ息を吐いた。
雷を撃ち落とすのはレオナにとって造作もないことだ。しかし、さすがに広範囲となれば話は別で、ルダの魔導士たちが作り出した雪を降らす分厚い雲があってからこそだ。
けれど、と。レオナは思う。
たしかに半年ほど前のレオナにはむずかしくとも、いまならば己の魔力のみでできたのではないか。竜の血はレオナに力を与えてくれる。その気になれば国ひとつ簡単に壊してしまえるほどの力。幼なじみが最後までレオナが戦列に加わることを許さなかったのは、このためだろう。彼は、レオナをそこから引き離そうとする。戻れなくなってしまう、その前に。
「なんて顔、してんのよ」
首尾良く進んだはずだ。それなのに、アイリスの声は冷えている。
「ちゃんと狙ってほしいところよね。将軍に当たれば御の字よ」
アイリスはずっと先を見る。レオナが落とした雷光は、敵の足を止めるために放ったものだ。味方が巻き込まれないようにと、あらかじめ時間や距離は計算し尽くされていたが、敵を撃ち抜いたかどうかまではわからない。
「アイリス」
「冗談よ」
そうはきこえない。しかし、アイリスがレオナの覚悟の足りなさを見抜いているのならば、非難の声は筋違いだ。
レオナがいるのは本隊の最後尾にほど近く、そこには当然ルダの公女アイリスもいる。すなわちここが最後の砦というわけだ。前方ほど熾烈な攻防とならなくとも、敵の勢い次第では激戦は避けられない。ルダの主力は魔道士たちの部隊だ。
この
「ブレイヴはまだ、あきらめていないわ」
かのオルグレム将軍と相見えたとき、幼なじみはきっと刃を交えるよりも前に言葉を交わす。王家に衷心の厚い将軍の心を動かせなかったとしても、最後まで声を届ける。それが、レオナの知っているブレイヴだ。
「私たちは、私たちにできることだけをするの。それだけよ」
まるで自分に言いきかせているみたいだと、レオナは思う。
少なくともアイリスが自棄になっているようには見えなかった。本当は、自ら前線に出てその魔力を惜しまずに使う。そうしたいはずなのに、いまのアイリスはレオナよりもずっと冷静だ。背負っているものが軽くなったのかもしれない。彼女は長いあいだ、一人でルダのために戦ってきたのだ。
「大丈夫ですよ。きっと、うまくいきます」
魔導士の少年は、いつだって前向きで明るい声をする。レオナは応えるかわりにうなずいた。
「それに、レオナは僕が守ります。もちろん、アイリスさんも」
騎士みたいに頼もしいことを言うものだから、レオナはアイリスと目を見合わせてちょっと笑った。
「だいじょうぶ。アステアも、わたしが守ります」
アステアはきょとんとして、アイリスは意地悪っぽい笑みを唇に乗せる。
「王女サマはお強いのよ。だから、ルダが負けるはずがないわ」
空が白く光ったと思えば、瞬きをする間に稲光がした。
老将軍はざわめく騎士たちをまず制したが、その動揺はすぐには消えるものではなかった。
「オルグレム将軍。あれは王家の」
「おそらくはレオナ殿下であろうな」
そして、再び騎士たちは騒ぎ出す。
オルグレムは憶測で物を言わない男だ。ルダで雷が起こるのは稀ではなくとも、しかもあれは確実にこちらを狙ったものだった。
高位の魔導士がそろったルダの地ならば、あるいは雷を扱える者がいてもおかしくはない。祈りの塔にて魔力を高め、己の精神を限界まで集中させ、そうして幾人もの力が合わせて聖なるいかづちを落とす。だが、ルダはそこまで愚かではないと、オルグレムは考えている。
なによりも、おなじ光をオルグレムは見たことがあったのだ。
あれは先代の王だった。マイア王家の子は竜の血と力を受け継いでいるために、その身に宿る魔力はふつうの人間とは比較にならず、あのような雷光を放つのは容易いことである。ゆえに竜の証を持つ者は己が先頭に立ち、光と剣を掲げて、そうやっていつの時代も人々を導いてきたのだ。
しかしながら、王家の第二子ソニア王女につづいて第三子のレオナ王女も、また長く行方が分からぬ状態である。
まさかこの辺境のルダに現れようとは誰も思うまい。とはいえ、白の王宮では密かな噂が広まっている。ムスタールで王女を目撃したという者もいれば南のオリシスでも同様に。いやいや、かの王女は聖騎士とともにいるのだと、誰の声も裏付けが取れたわけではなかった。ただし、最後のがもっとも信憑性が高いとされているようで、己が野心のために幼なじみであるレオナ王女を連れ去ったのだと、声高に訴える者ばかりである。
オルグレムは錯綜した情報に心を動かされたりはしない。それは長年の経験というよりも本人の気質なのだろう。そして、老将軍を突き動かすのは王命だけだ。そう、騎士にとって王の声は絶対である。
「将軍。ならば私たちはこのまま進んでもよろしいのですか?」
「これでは、レオナ殿下に剣を向けてしまうことになります」
長くオルグレムと苦楽を共にしてきた部下たちだからこそ、あれが誰が放った力であるか、悟っているのだろう。
「さすれば、ルダにはアストレアの聖騎士もいる。彼は大罪人であり、これは好機と考えるべきなのでは」
「馬鹿な! それでは王女にも危険が伴う。我々の使命をお忘れか!」
また別のところでは口論がはじまった。オルグレムがだんまりを決め込んでいるせいか、騎士たちは次から次へと疑心と不安を声に出してしまう。
オルグレムは皆の顔をぐるりと見回した。
皺深い老齢の騎士は長いこと戦場を駆け抜けてきた盟友であった。その横の
若者たちも老人たちには負けてはいない。血気に逸る少年騎士たちを宥める青年騎士たちも、やがて彼らの勢いに負ける。壮年の騎士は彼らよりもすこし大人なのでさすがに冷静だが、誰も声をきき入れない。
オルグレムは彼らを見ると家族のことを思い出す。
妻を病気で亡くして三人いた息子たちも、親より先に逝ってしまった。息子によく似た面立ちの孫もまた騎士としての本懐を遂げた。オルグレムに代わって家を守ってくれていたのは孫の嫁であったが、まだ若くあまりに不憫なために実家に帰してやった。他に兄弟もとうにおらず、あとに残された家族といえば王家に入った姪だけだ。それがよもや、マイアとルダを争わせる引き金となろうとは。
「皆の者、きけ」
老将軍はやっと重い唇を動かした。
「我らに下された命令を忘れたわけではあるまい。ここで退いてはならぬ」
騎士たちにもうざわめきは起こらなかった。老将軍はにこりとする。ここだけ見れば気の良い
オルグレムは馬を進ませる。他の騎士たちは黙って後につづくだけだ。
国王アナクレオンはこう言った。ルダに迎えと、その一声だけであった。老将軍もまた声を返す。御意と、それだけだった。
つまり、アナクレオンはルダを討てと命じたわけではない。
だが、騎士ならばその意味がよくわかるだろう。ルダには王妃マリアベルと嫡子である王子がいる。どういうつもりで、ルダがマイアに反したのかは知る必要はない。すでにルダは叛逆として見做されているからだ。
さあて、長い戦いになりそうだ。オルグレムはゆっくりと馬を進ませる。
ルダにアストレアの聖騎士がいるというなら、良い戦いができそうだ。
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