グランルーザへ

 既視感を覚えたのは、あのときと状況が似ていたからだ。

 聖騎士殿を迎えに来ました。祖国アストレアを追われてたどり着いた砂塵の街。異国の剣士クライドが連れてきたのは、オリシス公爵の妹ロアだった。

 過去へと思考が戻り掛けて、ブレイヴはかぶりを振る。ここはイレスダートから遠く離れた山岳地帯、感傷に浸るには早すぎる。

「ありがとう、セシリア。本当に助かるよ」

 微笑みで返してくれる竜騎士は、やはりレオンハルトにそっくりだった。王子レオンハルトとは士官学校で知り合った。ブレイヴよりも二つ上の学年だったが妙に先輩風を吹かせることなく、その押し出しのよい性格で皆から好かれていた。レオンハルトが王族だと知ったのは彼が卒業間際になってから、王子自らが竜の背に跨がり空を操る騎士なのだと、レオンハルトはそう言って笑っていた。

「聖騎士殿のことは、兄からよくきいています」

「修道院に忍び込んで見つかったときのことも?」

「あ、いえ。それは……」

 暢気におしゃべりをたのしんでいる場合ではないと、セルジュの視線が刺さる。わかっている。試すわけではなかったが、彼女に敵意がないか見分ける必要もあるだろう。なにしろブレイヴたちを襲ってきたのは、セシリアとおなじ竜騎士だ。

「ともかく、皆さまをグランルーザへお連れいたします」

 正直なところ、ブレイヴはそれを期待していた。男たちならばどうにか苦労して登山道をのぼれたとしても、女性たちにそれを強いるのは酷な話だ。かといって、幼なじみたちをウルーグに置いていくわけにはいかない。ラ・ガーディアの動乱はグラン王国にも届いているはず、そこにイレスダートの聖騎士が関わっていると、レオンハルトはおそらく知っている。勝手な願望でも現実となった。こうして迎えに来てくれたセシリアには感謝するべきだ。

「お待ちください。その前に、あなたに確認すべきことがございます」

 セルジュだ。皆の治療が終わったらしく、それぞれが好奇と疑心を含めた視線で竜騎士を見つめている。

「我々はずいぶんと手荒い歓迎を受けました。さきほどのあれが、あなたと無関係のようには見えませんね」

 セシリアのすぐ傍には彼女が乗っていた飛竜が待機している。獰猛で恐ろしい飛竜を手懐けるのが竜騎士、主の命令なくして竜は攻撃の意を示さないとはいえ、ついさきほどおそろしい竜と戦ったばかりだ。その大きな眸に見つめられるだけで身が竦む。

「軍師殿のおっしゃるとおりです。あれは私とおなじグランの竜騎士。ですが、グランにはふたつの国があることもご存じでしょう? グランルーザは……、兄と私は聖騎士殿を敵などと考えておりません」

 ふたつの国。たしかにグラン王国は南のグランルーザと北のエルグランにわかれている。不可侵条約が置かれたこの二国で軍事行為はけっして許されず、博識な軍師なら理解しているはずだ。鎌を掛ける相手が悪すぎる。ブレイヴは目顔で軍師の追及を止めさせる。つづけて謝罪を述べようとしたブレイヴを、セシリアは笑みでまず遮った。

「とにかく、まずはここを離れましょう。日が落ちる前にグランルーザに着かなくてはなりません。それに、新手が来ないとも限りませんから」

 セシリアは手鏡を使って空へと合図をした。天空で控えていたのだろう。二名の竜騎士たちが地上へとおりてきた。

「さあ、参りましょう。あなた方は私とともに」

 ブレイヴはまずノエルを乗せる。飛竜に乗れるのは五人くらいで、ブレイヴとセルジュがそのあとにつづく。レナードとアステア、そしてクライドはすでに他の竜の背に収まっている。登山家二人の姿は消えている。とっくに逃げたあとらしい。

「向こうに、仲間が」

 幼なじみたちがいる。セシリアはうなずいた。最後の一人はセシリアとおなじく女の竜騎士だった。林のあいだから幼なじみたちが出てくる。レオナもシャルロットも無事だ。やはり敵が潜んでいたのだろう。彼女たちを守って戦ったルテキアとフレイアの外套には返り血が付いている。

「やっぱり竜だ!」

 そう叫んだのはデューイだった。存在を失念していたブレイヴはセシリアを見る。六人以上も乗って大丈夫なのか。セリシアは苦笑した。

「女性ばかりなので大丈夫ですよ。もっとも、暴れると振り落とされてしまいますけど」

 それはぞっとしない。先に空へと旅立つ飛竜たちを見送って、いよいよブレイヴたちの番だ。セシリアの愛竜が咆哮する。敵へと威嚇の声ではなく、ブレイヴたちへの合図らしい。その直後にすさまじい重力を感じた。上から押さえつける力にとても暴れるどころじゃないなと、ブレイヴは思った。

 馬を全速力で走らせるよりもずっと早く、森も山間の集落もどんどん追い越していく。身体を打ちつける風に耐えながら奇妙な浮遊感にも慣れてくると、周りを見回せる余裕がやっと出てきた。美しい蒼穹、まだ遠くに見える灰色は雨雲だ。日没までにグランルーザへと、そう促したセシリアの意図がわかった。夜間の飛行は危険だし、この大所帯で雨雲に巻き込まれたら無事では済まなくなりそうだ。

「寒さは我慢してくださいね」

 山越えのために丈夫な外套を用意していたとはいえ、上空の気温は想像以上だった。応えようとしても唇がうまく開かずに、また喋ったところで舌を噛みそうだ。

 ブレイヴよりも細い背中を見つめながら、グランの竜騎士はたくましいとそう思った。これほどの速度で竜を操っているのにまだまだ余裕が見える。長槍を使って敵を討つ。それくらいの竜騎士になるまでどれほどの時間が必要だろうか。ぼんやりとそんなことを考えているうちに、グランルーザの王城が見えてきた。

 ふたたび地上へと足をおろしたとき、思わず座り込みそうになった。足がいうことを利かない。歩いているのに前へと進めていないような、奇妙な感覚がしばらくつづいた。耳鳴りと頭痛もしばらく収まらずに、ふと見ると地面に座り込んでいる者がいた。レナードだった。アステアが背中を擦っている。どうやら空の旅で酔ってしまったらしい。

「長旅、お疲れさまでした」

 竜舎へと戻っていく竜たちと入れちがいに、一人の女性がこちらに近づいて来た。

「姉上。ただいま、戻りました」

「セシリアも。おつとめご苦労様でしたわ」

 長身のセシリアと並ぶとずいぶんと小柄に見えるその女性をブレイヴは知っていた。そして、幼なじみも。

「アイリ……? あなたは、アイリオーネでしょう?」

「レオナ、ひさしぶりね。まさかグランで会えるなんて……」

 二人は手を取り合って再会を喜んでいる。セシリアが姉と呼んだその人は義理の姉で、アイリオーネは王子レオンハルトの妻だ。生まれはイレスダートの北方に位置するルダ。アイリオーネはルダの公女でグランへと嫁ぐ前は、マイアの修道院に身を寄せていた。レオナとはそこで交流を深めている。

 高原に咲く花のような人だと、ブレイヴは思う。おだやかさとやさしさと、でも厳しい寒さに耐える強さも持っている。レオンハルトはそこに惹かれたのだろう。その馴れ初めを思い出して笑ってしまいそうになり、ブレイヴは口元を抑える。優美であるものの、アイリオーネは怒るとちょっとこわい。ブレイヴはレオンハルトとともに修道院に忍び込んで見つかった。修道女たちに怒られるよりも前にアイリオーネに説教されたのも、いい思い出といえばそうなのかもしれない。

 それにアイリオーネもルダの人間だ。厳しい気候に耐えるためか、ルダの子どもたちは魔力を宿して生まれてくる。内に秘める魔力は白の王宮の名だたる魔道士よりも上であり、アイリオーネの紫色の髪は魔力が強い者の証ともいえる。

「アイリオーネ。怪我人がいるんだ。すまないが、手当てを頼めるだろうか?」

「まあ。では、こちらへ……」

 ブレイヴはノエルを促した。セルジュの治療を受けたとはいえ、専門の治癒魔法の使い手に見てもらった方がいいだろう。歩けてはいるがどこかぎこちない。アイリオーネは幼なじみに、他の女性たちも連れて行った。レナードとアステア、それにデューイも付いていったので、残った者はセシリアにつづいた。

 モンタネール山脈を越えた先、山岳地帯に位置するグランルーザの王城は堅牢かつ荘厳で、また難攻不落と名高い城でもある。城下に街は存在せずに、城壁に囲まれた城の敷地内で住民たちも暮らしている。グランは人と竜の共存する国、人の手で飼い慣らされた飛竜は戦争の道具として有能だが、それよりもっとおそろしいのは野生の飛竜だ。竜の縄張りに足を踏み入れなければ害はないとはいえ、ここはもともと山を切り開いて作られた王城、奪い返そうとする飛竜も少なくないのかもしれない。つまりこれは先人たちの知恵だ。

 年端もいかない男の子のあとを、ちいさな竜がちょこちょこと付いてくる。

 幼くともいずれは竜騎士へと成長する少年には、すでに竜が与えられている。背丈に見合わない剣をしっかり抱いて、その無垢な瞳のなかには自信と誇りが雇っているのがわかる。見習いとはいえど、彼も立派な竜騎士の一人だろう。

 中庭から回廊へと入り、しばらく奥へと進む。客人用の間に通されたブレイヴは、まだ彼の姿が見えないことを不自然に感じていた。円卓に用意された香茶に手を付ける前に、ブレイヴは彼の妹へと問いかける。

「レオンハルトはどこにいるんだ? 彼にはまず礼を告げたい」

 急にセシリアの顔が強張った。同席するのはセルジュとクライド、二人の視線もセシリアに集まっている。

「それは……、いまはできません」

「なぜ?」

 王子として多忙を極めているのだろうか。しかし、レオンハルトは途中で公務を放り出して久闊きゅうかつの手を握り合う、あるいはその大きな身体でブレイヴを抱きしめる。そんな男だ。

「兄は……、レオンハルトは、いまこのグランルーザにはいません」

 なるほど、姿を見せない理由がわかった。だとしても、まだ疑念が残る。そもそも久しく会っていない友の迎えに、妹を寄越すような男だっただろうか。自らが先導して妻アイリオーネを苦笑させる。妹を紹介するのもそのあとだ。

 居心地の悪くなるような沈黙に、先に唇を開いたのはセシリアだ。

「先ほど、あなた方を襲ったのはエルグランの竜騎士です」

 このグランルーザより北に位置するエルグラン、もうひとつのグランの王国。不可侵条約が生きているなかで、なぜ南へと侵入していたのか。その答えは、グランの妹姫の口からきかされる。

「お話ししなければならないことが、たくさんあります。兄のことも、グランルーザとエルグランのふたつの国。そして……グランの歴史のことも」

 これからのことも、と。セシリアはちいさく紡いだ。

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