誇りか信念か

 回廊を大股で歩くその足には一切の迷いが見えなかった。

 彼の挙止きょしは王族としての威厳と風格が現れている。グランの男子は総じて長身で体軀たいくに優れているが、彼はまた特別に大きい。足腰も強く、はち切れんばかりの太腿は竜の背に跨がり、空を翔けるうちにそうなった。

 彼は竜舎を出る際に友に小一時間で戻ると告げた。

 返事はなかった。どうせ約束など反故ほごにされると思われているらしい。しかし、友は彼によく似て気の短いたちである。幼い頃から長い時間を過ごしていればおのずと性格も似てくるようで、となれば友というよりも兄弟と言うべきだろうか。

 友とは言葉こそ交わせなくともそこに種族の壁などない。男の背に翼が生えずとも友の背に跨がれば空を自由に行き来できる。とはいえ、友は男のしもべではなく信頼が置ける同等の関係である。だからここであまりに時を掛け過ぎれば、友は自分の危機を察して助けにくる。そうならないことを、レオンハルトは願う。あれは、ひとたび暴れたらなだめるのに苦労するからだ。 

 途中から制止の声が届かなくなった。麾下きかもここの侍従たちも置き去りにしてしまったらしい。急な来訪、しかしそれが一国の王子が相手なら門前払いにもできず、回廊で擦れちがう者たちの視線もまた招かれざる客に対するそれだ。さすがに剣は向けてこなかったか。レオンハルトは鼻白む。その気になれば一戦交える覚悟でここに来た。すんなり通してくれるあたり、まだとは認められていないのかもしれない。

 勝手を知る城であるため、やたらと捜し回る必要もなければ他者に所在を問う手間もなかった。レオンハルトはただ一心にそこへと向かう。これから会うのは幼少から知っている相手だ。空いた時間さえ見つければ書庫に籠もるくらいなら可愛いものでも、寝食を忘れて読書に没頭する。長たらしい文章を数ページ捲っているだけで欠伸がするレオンハルトにしてみれば、まるでその行為が理解できない相手だ。女のような細腕を掴んで、外へと無理やり引っ張り出したのも一度や二度ではなかったはず、そうレオンハルトは記憶している。だがそれもあくまで昔のはなし、二十年の時が過ぎたいまでは、互いに名を馳せた竜騎士だ。

 やがて書庫へとつづく部屋にたどり着いた。

 入室の許可などもとより求めていないので、ノックもなしにレオンハルトはいきなり扉を押し開ける。カウチに腰を沈めて読書をたのしんでいた男が、レオンハルトの目を見た。

「君が来るのはいつも突然だね」

「お前を待っていては日が暮れそうだからな。ジェラール」

 体格こそレオンハルトに劣るものの、相手もまた長身である。ジェラールはやおら立ちあがるとベルを鳴らして扈従こじゅうを呼んだ。香茶でも振る舞うつもりらしいが、こちらはそこまで長居するつもりはない。目顔でカウチに掛けるように促されても、レオンハルトは無視した。 

「あいにくだが、祈りの時間が近づいている。話は手短にしてくれないか?」

 ジェラールは熱心なヴァルハルワ教徒だった。

 さっきまで彼が読んでいた本もヴァルハルワ教に関するものだろう。教徒にとって信仰こそが生きるすべてであり、祈りの時間は何にも変えられないほど重要だ。

「レオンハルト。僕にすこしの時間をくれないか?」

 大聖堂は敷地内にあるため徒歩で行ける。レオンハルトが本拠とするグランルーザには王城から離れた場所に大聖堂がひとつ、それに対してこのエルグランには三つも大聖堂が設けられている。グラン王国は聖王国イレスダートのような面積もない小国だが、しかし教徒の多さにおいては劣らない数だ。

 レオンハルトは鼻で笑う。祭儀の時間まで待てと言いたいらしい。

「なら、俺が納得する言葉で説明しろ」

「納得、ね」

 ジェラールもまた笑みで応える。まったく大した余裕だ。レオンハルトの愛竜の性質を知っていながらこの態度、呆れを通り越して褒めてやりたいくらいだ。

 縷言るげんなど求めていない。祭儀の時間が迫っているのなら、それまでに終わらせてみせろ。短気を起こさず皆まできくかどうかは、次の声次第だ。

「グランルーザとエルグランはひとつになるべきだ」

 まるで宣教師だ。これからはじまる弁舌をきく前から吐き気がする。

「かのラ・ガーディアとはちがう。グラン王国はもともとがひとつの国だ。僕らは聖イシュタニアの導きにより、グランを元に戻そうとしている。それのなにがおかしい?」

 狂言だ。レオンハルトはそう吐き捨てる。

 たしかにグランルーザとエルグランは元をたどればひとつの国であった。マウロス大陸を支配するのが人ではなく竜、その時代にまで遡ればグランの歴史も見えてくる。モンタネール山脈を攻略し、ようやく竜の脅威から逃れた人々はしかし小型の飛竜という先客に出会した。マウロス大陸を蹂躙する竜よりちいさくとも竜は竜だ。その上、奴らは翼という武器を持ち空を自由に翔ける。絶望に打ちひしがれる人々は長いときを要して、飛竜を手懐けることに成功した。それが、グランのはじまりだ。

「先人たちの足となって動くのは馬ではなく竜。竜騎士たちのなかでもっとも優れた者が王に選出された。そこまではいい。しかし、王族のうちで仲違いが起こり国が分断されたという歴史は、グランにおいて汚点であると僕は思う」

「……ふん。親子とはいえど、思想が異なれば争う理由にもなるだろう」

 ここに対峙する二人の青年に流れる血も、たどってみればおなじところへと行き着く。それでもレオンハルトの指摘するとおり、親子でも思想や概念が異なればたちまち争いの理由が生まれてしまうのが人間という生きもののさがだ。

 だいたい、先に種を蒔いたのはヴァルハルワ教だろう。レオンハルトは口のなかでつぶやく。王としてグランに君臨するも為政者いせいしゃとして優れていたかどうかは別の話、何世代か後に国は傾きはじめ、苦悩した王にすり寄ってきたのがヴァルハルワ教だ。

「王子は父王を見限って新たに国を作った。だがそれも民を守るため、それのなにが悪い?」

 時間が惜しいと言いつつも、グランの歴史といった昔話を持ち出してくる。ジェラールはこうした回り道を好む男だが、いつまでも与太話に付き合う趣味はない。

「なにがおかしい?」

「いや……、君は相変わらず正直だ」

 その細面の顔で、わざとらしい笑みを見せられるのがいかにも癇にさわる。

「レオンハルト。君はヴァルハルワ教会の介入を快く思っていないのだろう? しかし、百年前に我がエルグランとグランルーザで結ばれた不可侵条約は、ヴァルハルワ教会なくして実現しなかった」

 レオンハルトは歯噛みする。どの面がそれを言うのか。

「お前たちは侵略者だ」

 条約の期限となるまで、まだ数年残されていたはずだ。一切の武力行為が認められない領域で、エルグランはグランルーザに侵入した。すでにいくつかの集落が落とされているのが現実だ。

 これは裏切りである。許し難い背徳行為に対して、グランルーザもただ手をこまねいているわけではない。ここで反撃すれば戦争がはじまってしまうことも理解しているし、だからこそ真意は知るべきだ。ジェラールは現エルグラン王の甥である。

「ずいぶんと乱暴な物言いをする。そうだな、非礼は詫びよう」

「非礼、だと……?」

 レオンハルトの拳が震える。

 エルグランの侵攻はグランルーザの端で止まっている。

 虐殺こそなかったとはいえ、抵抗した住民たちは殺され、あるいは俘虜ふりょとなった。レオンハルトは民を思うだけで、怒りが身体中から吹きあがりそうになる。心優しいレオンハルトの妻は民を想って涙を流した。気丈な妹は涙こそ見せなかったが、長い時間を掛けて死者へと祈りの言葉をつづけていた。それが、普通の感情だろう。

「レオンハルト。これは定められたことなのだよ」

 国境を越えた向こうの国では、なぜそれがわからない。答えは簡単だ。レオンハルトとジェラールでは思想が異なる。 

「先も言っただろう? 聖イシュタニアの導きこそ正しいのだと。此度の犠牲を喜ぶ者などエルグランにはいない。されど、君たちが抗えばそれはもっと増えるだろう。なぜ、反発する?」

「俺はヴァルハルワ教徒ではないからな」

「なるほど、わかり合えないわけだ。だが、レオンハルト。誤解しないでほしい。たとえおなじヴァルハルワ教徒でなくとも、僕たちはグランルーザの滅亡を望んでいるわけではない。異教徒などと乱暴な言葉を使うつもりもなければ、我らが同胞として迎え入れる。我がエルグランの王は、その所存だ」

 吐き気がするのはどうしてだろう。耳障りな話をここまできかされても短気を起こさなかった。自分を褒めてやりたいと、レオンハルトは思う。

「目を覚ませ、ジェラール」

「君こそ、現実を見るべきだ。レオンハルト」

 聖イシュタニア、そしてヴァルハルワ教会。少年の時分に勉学に励み、鍛練を積み、友誼ゆうぎを結んだ友の声よりも、ジェラールは信仰を選ぶというのか。不可侵条約を反故とすれば、レオンハルトが乗り込んで来ることくらいわかっていたはずだ。それでも、己の言葉ひとつで拳を収めると思っているのだろうか。妄信だ。レオンハルトは怒りを抑えるために、意識して呼吸を繰り返す。ジェラールは相好を崩さずにいる。無垢な子どもさながらの瞳は、まるで疑っていない。

「人は信仰心を失くしてしまえば、拠り所さえも見失ってしまう。愚かしいことだと、そう思わないか? 君は、もうすこし利口な男だと思っていたよ」

「お前たちこそ何だ? 俺はべつにお前たちの思想を否定するつもりはない。……が、他者にそれを強制するのなら話は別だ。ましてや、信仰という都合のよい言葉で己が行為を正当化するのなら、お前たちの行いは不潔な思想でしかない。まるで獣だ。人は理性があるからこそ、越えてはならない線を踏み止まる」

 ここまで言われて怒り狂うような男なら、はじめから対話など求めていない。ジェラールが扉をちらと見る。呼ばれた扈従が戻らないがどうでもいい。口論は回廊まできこえているらしく、扈従は扉の向こうで控えているのだろう。

「君は昔から変わらないな、レオンハルト。そういうところは嫌いじゃない」

「そのままそっくり返してやる、ジェラール。だが俺は、お前のそういうところが好かない」

「しかしまあ、獣か。言ってくれる。君も物好きのようだ。獣だと、そう罵る相手のところに妹を嫁がせるとは、ね」

「妹は受け入れる。お前がセシリアだけではなく、グランルーザも手に入れようとするような強欲な人間だと知っていても」

「ずいぶんと悪い言葉を使う。僕は彼女が拒めば、無理強いをするつもりはないよ」

 これも本心だろう。レオンハルトがジェラールをよく知っているように、ジェラールもまたセシリアの性格をわかっている。グランルーザとエルグラン、ふたつの国のためならばセシリアは己の心など捨てる。たとえその相手が幼少から見知った相手でなかったとしても。

「レオンハルト、残念ながら時間切れだ。僕は行かなくてはならない」

「逃げる気か、ジェラール」

「まさか。逃がさないつもりだよ」

 ジェラールは指をぱちりと鳴らした。一斉に踏み込んで来たジェラールの麾下たちがレオンハルトを取り囲む。即座に身構えたが、しかし剣を奪われる方が先だった。レオンハルトほどの大男ともなれば、相手も殺すつもりでくるのだろう。五人掛かりで組み敷かれるとさすがに腕のひとつも動かせなかった。扉の向こうにはレオンハルトの麾下が捕らえられている。置き去りにした結果がこれだ。レオンハルトは失笑しそうになった。

 どうにか動かせた頭を持ちあげて、レオンハルトはジェラールを見る。艶然と微笑む友の顔を見て悟った。病的なまでに神経質で几帳面なこの男はとにかく無駄を嫌うたちだった。時間を要求したのはこのためだったと、いまさらながらに理解した。 

 

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