叛乱軍と聖騎士

 叛乱軍が住み処としているのはなにもひとつだけではない。

 大衆食堂の地下室、妓楼ぎろうの一室、廃屋に隠れていたりあるいは普通の民家で暮らしていたりとさまざまだ。ブレイヴは最初にガゼルと会ったとき、なぜこんな見つかりやすい場所に潜んでいるのかと訝しんだ。けれども、その謎はすぐにすっきりとする。ガゼルはわざと王国軍に自分たちの存在を明かしているのだ。

「叛乱軍とはすいぶんな言葉だな。俺たちを呼ぶなら解放軍と言ってくれ」

 ブレイヴの軍師が明け透けのない声をすれば、ガゼルは笑いながらそう返した。以後、ブレイヴは彼らを解放軍と呼ぶ。関わってしまったのだからブレイヴたちも解放軍の一員だ。

 サラザールの現状は、思っていたよりもずっとひどいものだった。河を隔てたその向こうには貴族たちが住んでいる。反対側の西にあるのが貧困窟で、ここに身を落とした者たちは皆訳ありの人間ばかりだ。

 ただ、ガゼルに言わせれば東の区域もたいして変わりはないようで、自由という名の放置がされているだけこちらはまだ良い方らしい。どういう意味かわからなかったので、顔に傷がある男にきいてみたものの、自分は物心ついた頃からここにいたので知らないと返ってきた。眼鏡の細男は言葉を濁してそそくさと去り、目が合ったここで一番年少の少年にはじろっと睨まれた。

「あんたら騎士の仕事はなんだ? 戦争をすることか? ここはちがう。ここでの騎士はただの王の人形みたいなもんだ」

「騎士が民の監視役を務めているのか?」

「まあ、そんなもんだ。税金を納めるのに一日でも遅れたらしょっ引かれる。ちょっとした喧嘩から殴り合いになっても、騎士がすっ飛んでくる。最近じゃ、物が高くてとにかく普通には買えない。愚痴のひとつでも落とそうものなら……あとはわかるな?」

 仕方なくガゼル本人にたしかめた答えがこれだ。居合わせていたエディは声を失い、それから何度も東西の街を自分の足で歩いている。クライドが一緒だから心配はないと思う。ウルーグの鷹はああ見えて頑固だから、ちゃんと自分の目で見ておきたかったのだろう。 

 この日は朝からずっと曇りだった。

 ガゼルが出掛けたときいて、ブレイヴは彼を追ってとある商家にたどり着いた。さして広くもない庭園でガゼルは土いじりをしている。追いついたブレイヴににやっと笑った。

「似合わないことしていると思っただろ?」

 心のなかを言い当てられてどう返そうかと迷った。

 ガゼルのような大男が庭仕事をするのは、たしかに妙な光景といえばそうだ。ただでさえ強面の顔に無精髭、加えて眼帯とくれば庭師と言い張っても誰も信用しないだろう。しかし、こうしているあいだにもガゼルは慣れた手つきで植え替えを行っている。繊細な作業の繰り返しに見えるが、以外と手先は器用なのかも知れない。

「別に俺の趣味じゃない。あいつが好きだったからだ」

「それが、白薔薇の君?」

 ガゼルの動きがぴたりと止まった。ここに入る前、商家の主人に合い言葉を要求された。白薔薇の君。あらかじめ眼鏡の細男からきいていたので通れたものの、声に詰まっていたら追い返されるだけで済んだとは思えない。

「見頃になるのは夏前だな。ここは日当たりが悪くて元気なやつが少ないんだ」

「薔薇を育てるのは熟練の庭師でもむずかしい。花が咲けばそれだけでも喜ぶべきだと思う」

「やけに詳しいな。あんたの恋人の庭にでも咲いていたのか?」

「いや……、祖国の母が薔薇を育ててたんだ。前にすこしだけきいたことがある」

 サラザールの西に位置するこの場所は日照時間が極めて少ない。正午を過ぎれば途端に街中は暗くなるので、午前のうちにまず水仕事を済ませる。ほとんど隙間なく並んだ家からは洗濯物が垂れさがっていて、夕方になっても湿ったままだ。そんなところで植物を愛でようなど考える奴は変わりもんだよ。まあ、ガゼルくらいかな。デューイは養父に向かってそう言う。

「そうか。なら、その母親を大事にするんだ。それからその恋人もな」

「白薔薇の君は、あなたの……」

「ああ、俺の妻だった。死んでもう十年にはなるか」

 ガゼルは泥の付いた手を外套に擦りつける。立ちあがって見あげた空に青色は見えなかった。

「美人だが気が強くて口が立つ。俺は一度もあいつに口では勝てなかったな。だが、あいつの言うことはいつだって正しかった。あいつは真面目で優秀だったから、下流貴族から騎士になった俺のところに来るって言ったとき、周りは皆驚いたよ」

 まるで昨日まですぐ傍に白薔薇の君その人がいたみたいに、ガゼルは笑う。

「知っているか? このサラザールでも稀に魔力を持った人間が生まれるんだ。ああ、たしかにイレスダートほどじゃない。俺だってあいつに会うまでは魔法なんてものは見たこともなかった。サラザールに魔法師団を作ったのもあいつだ。十年前はじいさんばかりだった。いまはもうほとんど残っちゃいないようだが」

 魔法師団。それをたしかめるために、ブレイヴたちはサラザールに来た。しかし、ガゼルの話を合わせるとどうも違和が残る。

「言っただろう? 稀に生まれる、と。あいつが死んでからは表立った活躍はないようだが」

「あなたの奥方は、」

「あいつは自分で死を選んだ」

 ブレイヴは瞠目する。

「事故だってきいたよ、最初はな。魔道士たちの修行の一環で魔道石に力を込めている最中に暴発したって。俺はその頃、遠征と称してウルーグの国境近くに行っていた。ほとんど干渉しない兄弟国の動きが怪しいってな。だが何もなく、戻ったときにはあいつはもういなかった」

「なぜ、自分で命を……」

「誇りのためだ」

 片方しかないガゼルの灰青の瞳がブレイヴを見つめている。

「なんのことはない。ウルーグ遠征は俺を遠くに追い出すための嘘だった」

「それは、何のために?」

「前の王は好色家だった。魔法師団を作ってしまったがために、ただの一介の魔道士ではなくなっちまったんだ。あいつは王に見初められた。……そういうことだ」

 皆まで言わせてしまったことを、ブレイヴはすこし後悔する。

 騎士も魔道士も、臣下であれば王の声は絶対だ。王の寝所に呼ばれたとしても断れば夫であるガゼルにも累が及ぶ。白薔薇の君という人は自分だけではなくガゼルの矜持も守り抜いて、そうして死んだ。

「あいつが俺に残してくれたものといえば、白薔薇の思い出くらいだ。遺言なんて残すようなやつじゃなかったし、怨み言ひとつ残しちゃくれなかった」

 忘れろという意味だったんだろう。そう、ガゼルはつぶやく。

「でも、あなたはいま」

「俺は馬鹿だから、あいつの遺志に従って三年は耐えた。何もなかったような顔をして王の元で騎士をやっていた。でも、それじゃあ駄目だった。目を逸らしてきたものが見えてくる。この国はますますおかしくなっていく」

 だからガゼルたちは蜂起する。彼はそこに正義を見出してはいないし、私怨をまったく含まないなんて言わない。

「どっちにしろ、次が最後だ。俺はもう二度失敗してる。リンデルとは長い付き合いだったが、さすがに三度目は見逃しちゃくれない」

「俺には、あなたがまだ迷っているように見える」

 ガゼルは意外そうな目をしたあと、また空を見あげた。青空も見えなければ涙雨も降ってこない鉛のような重たい雲がこの街を覆っている。

「ミハイルはたしかに頑張っているんだろうよ。十四歳で王にされた上に、議会の連中は少年王なんて置物かなんかだと思ってる。両親も兄弟もいないさびしい少年だ。同情はする。だが、民にそんなものは関係ない」

 ブレイヴは開きかけた唇を閉じた。正しくは言えなかった。王殺し。ガゼルは本気で為すつもりなのだろうか。許されざる大罪を犯すことくらい子どもにでもわかる。ましてや、騎士だったガゼルが本当にそれを望んでいるとは、ブレイヴにはとても思えない。 

「今年は雪が降らなかったからな。どうにか冬を越せても、次の年はわからない」

 ガゼルの視線の先には薔薇園がある。この場所で薔薇を楽しめるのは夏だと彼は言った。でもそうじゃない。ガゼルはこの国を憂いている。沃土よくどに恵まれない北の大地で民は、いつだって寒さと飢えに耐えつづけている。

「ここに来たからには当てにはするぞ。利害の一致、そう考えてくれたらいい。あんたたちの探しものは王宮にいる」

「それがいまの魔法師団?」

「あれは魔女だ」

 眉を顰めたブレイヴにガゼルはつづける。

「女神の名を持った魔女。先代の老王の愛妾、それから得体の知れない魔道士が二人。やつらは処刑人だ」

 仲間が数名殺された。他にも王宮や城下街で王家に反する者は見せしめとして炎の魔法で焼き殺された。そう、落としたガゼルの目に宿るのは畏怖いふだった。

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