魔女と少年①

 サラザールの北には貴人たちの邸宅が連なっている。

 白銅色の三角屋根を越えた向こうにはサラザールの城が見える。下流貴族から中流貴族までは城下街に居を構えているが、一部の上流貴族や階級の高い騎士たちは家族共々王城にて暮らしている。有事の際に王族を守るのが彼らの仕事だからだ。

 ラ・ガーディアの始祖である四兄弟の末弟サラザルは、堅牢なる王城を造りあげた。

 城壁はとにかく高く、東西南北に設置された塔には騎士が常駐している。王の伺候に訪れる要人たちは城の外からはやってこない。侵入者となればすぐに衛士が駆けつけてくる。

「サラザルは他の兄たちとちがって幼かったし、それに神経質だった」

 見渡す限りに広がった薔薇園からちょっと離れたところにガゼボがある。ここは愛妾たちのために作られた離宮だ。

「この素晴らしき王城を見せたがらなかっただなんて、やっぱりすこし変わっていますのね」

「疎ましかったのだろう。兄たちがサラザルを、いつまで経っても子ども扱いするから。何度となく訪ねてきた兄弟を追い返し、別れてからはけっきょく一度も会わなかったらしい」

「まあ」

 彼女は笑って、それから香茶の入ったカップへと手を伸ばした。果実の香りがするこの香茶はここより遠く離れたオリシスから取り寄せたものだ。彼女がお気に入りだと知ると、行商人に金貨を二枚握らせてひと月掛けて用意したのだという。そういうところは数ヶ月前に身罷った少年の祖父にそっくりだ。彼女はそう思う。

「ふふふ。でも、ミハイル様でしたらどうしたかしら?」

「僕には兄弟がいないから、サラザルの気持ちはわからない」

 彼女の向かいで焼き菓子を摘まんでいる少年の名をミハイルという。声変わりも終わっていないのか、少年の声は少女のように高く、体つきも男にしては線が細い。さらさらの銀髪と灰青の瞳は初代王サラザルとおなじ色だ。彼女が離宮に招かれたとき、老王の濁った目ではその色は見えなかったが、ミハイルにはしっかりと受け継がれている。

「でも、そうだな……。いきなり訪ねてきて、自分の親類を名乗り出すような奴を、僕だってこの城には入れない」

 少年は老王の愛妾たちを追い出していたが、彼女だけは離宮に残した。

 白磁を思わせる肌、波打つ髪は神秘の紫、漆黒のドレスからのぞくしなやかな肢体、彼女を前にして男たちは無遠慮な視線で彼女を穢す。まだ少年のミハイルは性の味を知らないからか、女の色香には簡単に騙されないようだ。ならば、なぜ自分を離宮に置いておくのか。彼女は知っている。彼はただ寂しいのだ。

「お前に兄妹はいるのか?」

 ほんのささいな話題だった。他意など感じられず、けれども彼女はにっこりと微笑む。

「いた、と言った方が正しいのでしょうか。兄と、それから母の異なる妹がおりましたわ」

「戻りたくはないか?」

 彼女は目をしばたく。

「あそこにはもう私の居場所などありませんから」

 ミハイルは視線をおろした。悪いことをきいてしまった、その自覚があるのだろう。少年は彼女がイレスダート人だと知っているし、遠い東の聖王国から売られてきたのだと、そう思っている。もちろん人身売買などイレスダートにおいても禁忌のひとつだ。とはいえ上流貴族の娘の結婚など親に売られるのもおなじ、政略婚で他国から嫁いだものの歳の離れた夫に先立たれて、そうしてラ・ガーディアの北の果てへとたどり着いた。老王に見初められて離宮へと入った。ミハイルはそのくらいしか彼女を知らなかったが、おおよそは真実であるから彼女も否定はせずにいる。

「そんな顔をなさらないで。私のことより、いまはご自身のことだけを考えて」

 香茶のお代わりを勧めるとミハイルは素直に従った。彼はまだ子どもだ。けれどもしも、、彼とおなじくらいの子どもに連れ添いながら長い人生を送っていたのかもしれない。彼女は微笑む。そんなことにはならなかった。だからこうして、彼女は生まれた国から遠く離れたこの土地に身を寄せている。

「すこし前にウルーグに行ったと、そう言っていたな」

 老王の愛妾として離宮に閉じ込められてはいるものの、それなりの自由は許されている。いまさらそれを咎められるとは思わなかったので、彼女は否定をしなかった。

「僕はウルーグに行ったことがないし、この王城からも出られない」

 ああ、なるほど。これは妬心としんだ。本来、籠のなかの鳥であるはずの彼女ですら自由だというのに、少年にはそれがない。

「すこし落ち着いたら、きっと陛下も外出が許されますわ」

「どうだかな。あいつらはみんな過保護だ」

 ミハイルの両親は彼が幼い頃にどちらも病死している。他に兄弟も近しい親族もおらず、代わりに残っているのは歳の離れた伯父や伯母ばかりだ。好色家だった老王には公にはしていない子どもがたくさんいる。彼はそれを自分の家族などと認めていなかったが、跡を継いだばかりの王にあれこれ干渉するのは彼がまだ子どもだからだ。

「お祖父さまがなくなったばかりですもの。陛下一人に負担が掛からないようにと、皆さまは案じていらっしゃるのですわ」

「あいつらのうちにまともな奴が一人でもいれば、こんな苦労はしなかった。僕を子ども扱いするくせに、まつりごとなんてひとつもわかっていない」

 円卓の上で作ったミハイルの拳が震えている。彼は自分がお飾りの王だというのをちゃんと理解している。サラザールの王家はいつからこうなってしまったのだろう。政治を省みずに放埒ほうらつな生活をつづけてきた王族たち、実際に国政にかかわっているのは上流貴族たちの議会である。王が替わったからといって、いきなり国が変わるわけでもなければ、奢侈しゃしな暮らしを好む王族たちの悪習が終わるわけでもない。

「本当に苦しんでいるのは民だ。僕じゃない」

 苦しそうに言葉を吐くミハイルを彼女は気の毒に思う。

 疫癘えきれいでミハイルの父親が死んだことにより、王家の直系で残された少年だけになった。幼い頃から帝王学をたたきこまれたミハイルには王の自覚がある。だからこそ苦しいのだろう。少年でいられた時分は終わってしまった。王城から出たことのないミハイルは、自身が玉座に腰を掛けてはじめて現実を知った。

「叛乱軍は日に日に大きくなっている」

 恐ろしいのだろうか。少年は自分の手で剣も持ったこともない子どもだ。

「案じる必要はありませんわ。陛下には、リンデル将軍がいらっしゃいます」

「守ってくれるだろうか。僕を、この国を」

 侍従や他の臣下の前ではけっして見せてはならない顔を、少年は彼女の前で見せる。手折るのは容易い。けれども、それではこの少年があまりに憐れだ。

「及ばずながらもお力添えいたします。このイシュタリカがきっと、陛下をお守りいたしますわ」

 彼女は視線を回廊へと向けた。銀の長衣ローブに身を包んだ二人がそこに控えている。男か女か。フードに顔が隠れているために判別はできない。しかし、あれは処刑人だ。

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