ウルーグの鷹①

 フォルネからウルーグまでの道のりはカナーン地方の旅と比べてずっと楽だった。

 街道に従って馬を走らせて三日、国境の砦が見えた。ここはラ・ガーディアの最南フォルネ、隣のウルーグとは兄弟国なのに国と国を隔てる砦が存在することにレオナは驚く。

 でも、こういうものなのかもしれない。ひとつ境を過ぎればそこはもうちがう国、他人の国だ。

 あらかじめ国王ルイナスからの知らせがあったのだろう。衛士に誰何すいかされずにすんなりと中には入れた。案内役として同行するのはフレイアとクリス。金髪の少女はフォルネの王女で、白皙の聖職者は彼女の傍付きだ。

 ウルーグ最初の町へと着いたのは夜だったので、ともかくまずは休息した。あくる日、朝食を終えると幼なじみたちは話し合っている。ブレイヴとディアスとクライドと、最近ではよく見る組み合わせだ。アステアはクリスたちと薬を調達しに行ったようで、魔道士の少年はすっかり懐いた様子、他にも自由行動を許されてそれぞれが思い思いの時間を過ごしている。

「朝からどこに出掛けるんだい?」

 レオナを呼び止めたのはデューイだった。

「すこし、町を見てみようかなって。ちょっとした散歩」

「ふうん。朝から元気だなあ」

「朝って、もうお昼よ?」

 知ってる。そんな顔でデューイが笑う。悪戯が見つかって、でも叱られていないのに居心地が悪いときみたいに、レオナはそわそわする。

「で? 何を買いに行くつもりだったんだ?」

 出入り口を塞がれてしまったし、たぶん見抜かれてもいる。ここは正直になるべきだ。

「果物かお菓子を。ロッテがすこし元気になったでしょう?」

「ああ。昨日もちゃんと食べてたしな。いいことだよ」

 きっとクリスのおかげだ。レオナはそう思う。シャルロットの声は戻らないままでも、クリスはけっして無理をさせなければ彼のアルトの声はふしぎと落ち着く。

「俺も行くよ」

「えっ?」

「それともあんたの騎士に許可が要るかい?」

「そんなことは、ないと思うけれど」

 たぶん、ブレイヴはまだお話中だ。

「よし、決まり。じゃあレナードも連れて行こう」

 通りすがりのレナードが捕まった。赤髪の騎士はさっき朝食を食べたようで、ぼんやりしている。

「姫さまの護衛が二人なら安心だろ?」

「そうね、おねがいしようかな。それに、レナードに話したいことがあったから」

「へ? ……俺に、ですか?」

 目をぱちぱちするレナードにレオナはにっこりとした。

 マロニエの街路樹がつづく石畳を歩いて行く。ちいさな町でも街道に沿ってたどり着く最初の町だからか、地元の住民たちよりも巡礼者や旅人が目立つ。金髪碧眼の二人組みは祭儀の帰りなのだろう。町外れには教会があるらしい。

 赤髪の騎士ともう一人の青年も赤髪、しかしこちらは騎士の容貌にはほど遠く頭には重ねた布が巻かれている。彼らが護衛するのは青髪の貴人。それらしく見えるかしらと、レオナはちょっとどきどきしながら歩いている。対照的にデューイとレナードはたのしくお喋りをする。たのしくというのは案外間違いで、もっぱらデューイが揶揄っているだけ、どちらにしてもレオナの目には二人がじゃれ合っているように見える。

 会話が途切れると、レナードがちらちらとこちらを見はじめた。きょとんとするレオナにおっかなびっくり切り出してきた。

「あのお、俺に話があるって」

「ああ、そうそう。そうだったわね」

「なんだよ。何かやらかしたんだろ?」

 にやにやするデューイをうるさいなあと押しのけつつも、レナードは捨てられた子犬みたいな顔をする。思わずレオナは笑ってしまった。

「ごめんなさいね。そんなにこわがらなくてもいいの」

 昨日のことだけどね、レオナはつづける。

「お礼を言わないと、そう思って」

「ええと、お礼? 俺、なんかしましたっけ?」

「昨日、ルテキアと夜いっしょに出かけていたでしょう?」

「え! なんだそれ、初耳! お前、けっこうやるじゃないか!」

 レナードの背中をデューイが遠慮なしにたたいて、ちょっとお前は黙ってろよと、レナードが応戦する。やっぱりじゃれ合っている。レオナはくすくす笑う。

「あのね、怒っているわけではないの。ルテキアもね、ずっと気を張っていたでしょう? だから息抜きは必要だと思うの」

「そうそう。ああいう真面目な女騎士を落とすのは大変だからな」

「ルテキアはあんまりお酒は得意じゃないみたいだけど、でも話し相手は必要でしょう?」

「うんうん」

 合いの手を入れてくるデューイを無視して、レナードは真顔になる。

「あいつは、なんていうかその……真面目だから。ジークのことだって、たぶん信じてないと思うんです」

「うん。そう、ね。きっと、みんなおなじ……」

 けれど、一番長くアストレアの鴉を知っているのはルテキアだ。

「幼なじみなんです。あいつ……ルテキアとジークは。もともとルテキアはアストレアの北部の生まれで、でもあいつ次女だからかこっちに来て、それでジークの家に世話になったとかって」

「彼女のこと、たくさん知っているのね」

「ええ……、それは、まあ」

 目を逸らされてしまったのは、照れ隠しだと思うことにする。

「だいじょうぶ。ブレイヴには、内緒にしてるから」

「ええと……、そうですね」

 お願いします。最後の方は小声でよくきこえなかったけれど、ちゃんと約束は守るつもりだ。

「あれ? そういえばさノエルは一緒じゃなかったんだ?」

「ああ、ノエルはロッテと一緒だよ。あいつもほら……妹いるからさ」

「ふうん。兄さんがたくさんいていいな、ロッテは」

 今日のルテキアは朝寝坊をした。きっとお酒を飲んだからで、ルテキアの代わりにノエルがシャルロットと一緒にいてくれる。面倒見の良い奴なんだよ。そう、レナードがはにかむ。目的の露天商へと着いてレオナたちはそこで足を止めた。もうすぐ午餐の時間だからか、たくさんの人で賑わっている。焼き菓子の甘くていいにおいがしたので、レオナは行ってみましょうかと二人を目顔で誘う。そのときだった。

「おい、そこのお前!」

 いきなりだった。歩き出そうとしてびっくりしたレオナとデューイは同時に振り向く。金髪の男が二人、そのうちの一人がこちらを指差している。

「間違いない。こいつだ!」

 詰め寄ろうとする男の前にレナードが立つ。

「なんだお前は!」

「どいてくれ! お嬢さんじゃない。用があるのはそっちの男だ!」

 レオナはデューイを見た。いや知らない。初対面だ。デューイがそんな顔でいるから男は歯を剥き出しにする。いまにも飛びかかる勢いの男を、もう一人が慌てて止めた。 

「おい、どうした? 落ち着けよ。みんな見てる」

「止めるな! この赤頭に、俺はたしかに金を貸したんだ!」

 全員がデューイを見ている。騒ぎを遠巻きに見物していた買いもの客たちも、露天商もだ。

 それはいつの話なのだろう。デューイはラ・ガーディアからカナーン地方に来た。サリタにたどり着いてそのまま孤児院に居座った。少なくとも半年は経っている。

「ねえ、デューイ。ほんとうなの?」

「いやあ、まいったなあ」

 こういうとき、デューイは平気で嘘を吐く。もしも出会いがそうでなかったなら、レオナだってきっと彼を信じていた。

「まって。あの、逃げたりなんかしません。だからちゃんと話を、」

「何の騒ぎですか?」

 ふいに響いた声は落ち着いていた。もう一人、金髪が現れる。レオナは目を瞬く。少年だった。

「あの……」

「エディ! きいてくれ、こいつが」

「喧嘩は困ります。話でしたら、あちらで伺います」

 背丈も顔も、やはり少年に見える。最初の男たちとおなじく金髪で、でも少年の髪はもっと綺麗な金糸雀カナリア色だ。この騒ぎでも好奇の色をまったく宿していないその目は、男たちとデューイ、レナードとレオナと順繰りに見つめていく。

「しかし、私には先に約束があります。それまですこし、待っていただけますか?」

「やくそく?」

 少年がうなずく。着古した外套はずいぶんと年季が入っているものの、少年の挙措は男たちとはちがう。それに、声。レオナは口のなかで呟く。

「はい。イレスダートの客人と会う約束をしています」

「イレスダート……?」

 レオナの問いに少年はにこりとも返さなかった。

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