孤児の少年②

 海岸へとつづく大通りから遠く、中心部からも外れた場所にあるのがこの街の修道院だ。

 聖王国イレスダートと西の大国ラ・ガーディア。ふたつの大国を行き来する巡礼者のために作られたのだとか、あるいはもともとカナーン地方に住む民のためであったとか。やがて修道院の周りに人が集まるようになり、そうしてサリタという街が造られたのは、自由を宣言するよりも百年ほど前の話だ。

「ずいぶんとお疲れの様子ですが、ゆっくりと休めば熱も下がるでしょう。心配は要りませんよ」

 レオナたちを迎えてくれた老婦人はやさしく微笑む。この女性がマザーなのだろう。他の修道士や助祭の姿はなく、司祭も不在のようだった。眼鏡の奥から見える薄藍の瞳はとても綺麗で穏やかだけれど、どこか疲れている。太陽を透かしたような白金の髪の毛もひどく傷んでいるし、この修道院はマザーが一人で任されているのかもしれない。仔細しさいをきこうにも、デューイは子どもたちに見つかってもみくちゃにされていた。お土産をねだったり、面白い話をせがんだりと、子どもたちはデューイに懐いている様子だ。 

 ほっと肩の力を抜いたレオナはマザーに尋ねる。ここで祈りを捧げられる場所はひとつだけだ。突き当たりをすぐですよと、マザーは教えてくれる。ちいさな修道院ですから迷うこともありません。レオナが一人になりたいのだと、察したのかルテキアは同行しなかったし、クライドも子どもたちに捕まってしまった。異国人の褐色の肌がめずらしかったらしい。

 古い修道院の奥へと進んで行く。たしかに迷わずにたどり着けたものの、ここも老朽化がはじまっていた。

 聖イシュタニアの像はレオナがこれまで見てきた聖母とおなじだと思えずに、祭壇や並べられた椅子だって簡素なものだった。この街の人々は自由と引き換えに信仰心を捨ててしまったのだろうか。己の罪を認めなければ贖罪など必要がなくなる。けれども、レオナが女神の前で膝を折るのは自分のためではなく、他者への祈りだ。

 アルウェンさまの魂が、どうかあるべきところへと還りますように。

 レオナはまだオリシス公の死を受け入れてはいなかったし、自分がイレスダートを離れた場所にいることだって信じられずにいる。でも、夢なんかじゃない。レオナの唇は否定を紡ぐ。そうだ。あの白の少年がアルウェンを殺したのだ。異形の子ども。白の少年は運命だとうそぶいた。そんなもの、わたしは認めたりはしない。それなのにどうしてだろう、レオナはあの白の少年を知っているような気がするのだ。

「おいのりをしているの?」

 レオナは顔をあげる。さっき見た子どもたちのなかにはいなかった。栗毛の子どもがこっちを見つめている。

「ええ、そうよ。大切なひとを、亡くしてしまったから」

「そのひとは、おねえちゃんの家族?」

「いいえ。でも……、おなじくらい悲しいの」

 六歳くらいの男の子だった。ここにいるということは、彼も孤児なのかもしれない。栗毛の少年ははにかんだ笑顔のまま、こちらへと歩いてくる。ところがちょっとした段差でつまずいてしまった。頭から倒れてしまった少年をレオナはすぐ抱き起こしてやる。彼の身体はびっくりするくらいに軽かった。

「だいじょうぶ?」

 栗毛の少年はうなずく。

「あれ、おかしいな? お昼はね、もっと見えるんだけどな」

「あなた、もしかして……」

 目が見えないのだ、この少年は。レオナは皆まで言わなくてよかったと思う。彼の表情からすっと笑みが消えてしまった。

「うん。あのね、ぼくがもっとちいさかったときに、病気になったんだって。そこから、だんだん見えなくなって……」

「そう……」

 レオナは少年の髪に触れて、次に頬に触れた。やっぱり、見えていない。緑色の光はレオナが少年から手を離すと、すぐに消えた。

「ぼく……、あんまりおぼえていないけど、ずっとまえに熱が出て、それで目がさめたらここにいて。おかあさん、いなくなってた」

 こういうときに、どういう声を出せばいいのだろう。彼が見えていなかったとしても、せめて悲しい顔をするのはやめようと、レオナは唇を噛む。

「でもね、さびしくなんてないよ。ここにはともだち、いっぱいいるんだ。デューイもね、よくきてくれるんだよ。それに、ぼくにはにいさん、いるから」

「おにいさん?」

「うん。ルロイはね、ぼくのおにいさん」

 ここに来る前に会った少年だ。そうか、兄弟だったんだ。二人ともおなじくらいの子どもよりもずっと痩せている。ここには他に七、八人くらいの子どもがいた。ヴァルハルワ教会からはある程度の援助があるといっても、子どもたちを満足に食べさせるには足りないのだろう。来るべきではなかったのかもしれない。レオナは瞼を閉じる。兄のルロイはレオナからお金を盗ろうとした。失敗したのはレオナが硬貨を持っていなかったからで、けれども標的にされるような容貌をしている。世間知らずのお姫さん。クライドの言うとおりだ。

「おねえさん?」

「ううん、なんでもない」

 レオナが笑みを作ると、少年も安心したかのように笑顔になった。

「ぼくは、キリル。おねえさんは?」

「わたしは、レオナよ」

 レオナ。栗毛の少年は繰り返す。

「こんど、ルロイにも会ってあげてね。ルロイはね、よくほかの子とけんかするんだけど、でもぼくにはやさしいんだ」

 わかる気がする。あの子どもは余所者や大人を警戒していた。

「きっと、レオナもルロイとなかよくなれるよ」

 自慢の兄なのだろう。嬉しそうに微笑むキリルにレオナは曖昧な表情をする。もう嫌われてしまっただなんて、言えなかった。

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