孤独に生きた者の末路②

 下手をこいちまったなあ。デューイはひとりごちる。

 サラザールの城内は王国軍と叛乱軍、改め解放軍が入り乱れて戦っている。解放軍の指導者であるガゼルは地下水脈を通って城内へと侵入した。解放軍古参のガゼルの麾下きか二人と、イレスダートの聖騎士が一緒だから何の問題もなければ心配も要らないだろう。

 第一部隊は城門前で派手に暴れている。こちらはガゼルみたいな元騎士だったり王宮仕えの従僕だったり、いわゆる訳ありの連中だ。第二部隊を構成するのはほぼ民間人である。悪政に耐えつつ密かにガゼルに力を貸していた者も、解放軍の蜂起に乗じて立ちあがった者もいる。老爺から子どもまでと年齢もそれぞれ、剣や弓を使ったこともない者たちばかりだ。

 デューイはこの部隊に混じっていた。掏摸すりや借金の踏み倒しなら得意としてきたデューイだが、こと戦闘となると真っ先に逃げ出すくらい戦えない側の人間だ。ガゼルも最初から戦力として期待なんてしていなかったし、怪我をする前に適当に逃げろと言ったくらいだった。

 だから、しくじったのは誰のせいでもない自分の失態だ。

 内側から城門が開かれたとき、第三部隊の到着を待たずに第二部隊は突入した。ほどよいところで逃げよう。そう考えていたデューイはそのまま城内へと押し流されていしまったが、あの子を探しに行くならそれもちょうどいいなとすぐに思考を切り替えた。とはいえ、この部隊の主力はあくまで民間人である。城内には当然正規の王国軍が待ち構えていた。

 こうなると、城門を開けさせたのは罠だったのではないかと疑うのが普通でも、先に侵入していた第三部隊にはウルーグの鷹がいる。レナードやノエルといったデューイもよく知る面子がそろっていて、最初はそこに誘われたものの、戦えないデューイにとっては利点がないので断った次第だ。

 けどまあ、あいつらと一緒だった方が、危なくなかったかもなあ。デューイは天を見あげながらごちる。

 リンデル将軍という指揮官を欠いた王国軍だが、すこしは持ち直したのかもしれない。そもそも数では圧倒的に有利だった王国軍だ。相手が子どもや老人ばかりであれば形勢が傾くのは当然だろう。内側から第三部隊と外側から第一、第二部隊と挟み撃ちにするのが本来の作戦だったのに、いざ戦いがはじまれば誤算はいくらでも出てくるものだ。皆がどんどんやられていくのを見て、それでもデューイは逃げようと考えていた。だいたい、勝手に動いたやつらが悪いし、こういうのは自業自得ってやつだ。とっととずらかろう。そしてあの子を探しに行こう。

 できなかったのは、どうしてだろう。

 デューイは自分の運のなさを嘆いたことはなかった。母親は老王の手籠めにされて望まない子を身籠もったあと、サラザールから消えた。父親は口封じのために殺された。よく面倒を見てくれたじいさんも冬の寒さに耐えきれずに死んで、そうして天涯孤独となったデューイは野良猫さながらに厨芥ちゅうかいを漁っていた。 

 でも、それは自分の不運のせいじゃない。そもそも運が悪かったならガゼルに拾われてなんかいなかったはずだ。

 そうだ、俺はきっと神様ってやつに好かれているんだ。

 敬虔な教徒でもないくせに、そんなことを言うからには理由がある。勝手にサラザールを飛び出してラ・ガーディアを南下したのち、カナーン地方とたどり着いた。ちょっと立ち寄っただけの孤児院で、まさかあの子に出会うとは思わなかった。蜂蜜色の髪、人見知りするたちなのか一点に留まらない藍色の眼、はじめて会うはずなのにデューイはその子を知っていると、そう思ったのだ。

 イレスダートの聖騎士と王女、訳ありの要人たちと知り合えたのも、彼らをサラザールに関わらせたのも、偶然などではないとデューイは考える。強運の持ち主だたからこそ、ここまでやってこられたのだ。

 じゃあ、とうとう運が尽きちまったわけか。呼吸が苦しくなってきた。頭がくらくらするのも耳鳴りが止まないのも、血をたくさん流してしまったせいだ。

 デューイは左足を引き摺りながらなおも進もうとする。さっき派手に転んだせいで左足を捻挫してしまったかもしれない。けれども、デューイが痛みに喘いでいるのはそこじゃない。騎士と対峙したときに構えた剣はあっさり弾かれてしまったし、避けきることもできずに脇腹を貫かれた。

 大げさなくらいに声をあげてぶっ倒れてしまえば、騎士はデューイに構わず他の仲間を攻撃しに行った。デューイの視線の先には年端もいかない少年がいて、少年は庇われたのにもかかわらず、怯えてそのままどこかへ行ってしまった。

 血が止まらないのでこのまま死ぬのだろうと、デューイはそう思った。

 サラザールにいれば嫌でも汚いものばかりを見た。暴力とか裏切りとかが日常の、そんな人生だった。ガゼルに保護されても何度なく反発して、そのたびに孤独を味わった。どこかで道を踏み外しているのなら、それがいつからなんてわからない。そんな酷い人間なのに、良心というものがデューイにもすこしは残っていたらしい。

「うまく、にげて、いればいいな」

 べつにさっきの子どもを恨んでいるわけじゃない。あの子どもはデューイなのだ。誰かを恨んだり呪ったり、とっくに止めていたデューイはそれでも自分の運のなさを罵りたくなった。それも今日で終わりだ。きっと、明日からはサラザールにも光が訪れる。曇り空ばかりで暗く閉ざされていたこの国がようやく生まれ変わるときがきたのだ。だからもう、これ以上を望むものなんてなにも――。 

「ある、よな。だって……、死にたく、ないよ。俺は、まだ」

 やっと、見つけた。孤独に生きてきたデューイがの存在を知ったのはいつだっただろう。希望、あるいはひかり。勝手な願望でも、あの子はデューイにとって唯一の存在だったのだ。

 上から冷たい雫が降ってきた。晴れどころか曇りでもなければ、まったくこの国は最後まで甘えさせてはくれないらしい。もう瞼も開かないのでたしかめようもなかったけれど、こんなときくらいお天道さまを拝みたかった。雫はぽたりぽたりとと、つづけてデューイの頬へと降ってくる。本降りになるのか、または雪に変わるのか、それは誰かが泣いているようだった。

「死なないで」

 そのやわらかな声は、たしかにあの子の声だった。

 ああ、そうか。この国はちっともデューイにはやさしくなかったけれど、神さまはほんのすこしだけデューイに愛情を与えてくれているのかもしれない。起きあがることもできずに、それでも前に進もうとデューイは地面を這いつくばっていた。とうとう力尽きたそのときに、最後に会いたかった人に会わせてくれるのだから、次に生まれ変わったら敬虔なる教徒でいよう。それが夢や幻であったとしても。

「おねがいだから。ひとりに、しないで」

 祈るような少女の声がする。泣くのを必死に堪えながら訴えかける声が段々と遠くなっていくのをデューイは感じていた。もう、泣かなくてもいいよ。声にしたつもりでも、きっとあの子には届いていないだろう。

 そのやわらかな緑の光はデューイを包み込んでいた。泣くな、と。誰かが少女を叱っている。この声はたしか、イレスダートの赤い悪魔だ。妙な組み合わせだなあ。二人の呼びかけに応じようとして、しかしデューイの意識はそこでぷつりと途切れてしまった。

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