彼らの王
彼の青髪は海の色と良く似ている。
その右手に
「何をしている? 王の前ぞ」
一人が即座に下乗した。
他の者も地面に額を押し付けて平身低頭をする。ブレイヴも彼らと同様に膝を折った。考える余裕もなく、反射的にそうしていた。王はしばらくその光景を満足そうに笑んでいたが、聖騎士の前へと立った。髪を鷲掴みにされて長靴で踏みつけられようとも、ブレイヴは顔をあげることは許されなかった。そうだ。ブレイヴはイレスダートの聖騎士である前に叛逆者なのだ。
ところが、王はブレイヴを前にしても何もしなかった。
正式な軍法会議を待たずとも、ブレイヴはその場で首を斬られてもおかしくはない罪人だ。王自らの手で断罪がくだされるのであれば、騎士としてこれ以上ない誉であると言う者も、あるいはいるのかもしれない。そういった美徳などブレイヴには理解ができなかったが、しかしいまこの状況下において、それが叶うのならばまた本望だと、そう思いはじめてもいる。許されるのであらば、己の命など惜しくはない、と。
「考え直してはもらえまいか?」
幼少の頃からアナクレオンという人を知っているブレイヴだ。汚い言葉を用いて罵倒するような人ではないと、わかってはいた。とはいえ、王家に剣を向けたブレイヴは恨み言のひとつやふたつ吐かれる覚悟でいた。冷静で理知的なアナクレオンであっても、彼もまた人なのだ。
「これはイレスダートの未来のためなのだ。ルダもアストレアも協力してくれまいか?」
衝動的に顔をあげそうになったが、理性でそれを留めた。なにを、と。ブレイヴの声は唇の動きだけで外へは出ていかない。
「北のルドラスと南のイレスダートと、この長い戦争を終わらせようではないか。戦ってくれるな? イレスダートのために」
言葉を、違和感を、ブレイヴは押し殺す。戦争に使うためにルダとアストレア、それから他の公国をも手に入れるならば、間接的なやり方をせずとももっと簡単にできたはずだ。それに、ブレイヴは信じていた。いや、信じていたかったのだ。王を、アナクレオンというひとを。
「とはいえ、それだけでは民は納得しないだろう。聖騎士であるお前が贄となるのだ」
けれども、これは王の声なのだ。王命に騎士は従わなければならない。アナクレオン・ギル・マイアは、彼らにとって唯一の王である。
声が出ない。目の奥が熱くなる。呼吸が苦しい。認めてしまえば楽になれることを、ブレイヴは知っている。そうだ。ブレイヴはイレスダートの聖騎士だ。フランツ・エルマンがアナクレオンを守る盾ならば、ブレイヴは王のために敵と戦う剣である。
なにを躊躇うことがあるのか。そう、王の声がする。顔をあげることは許されない。他の声を発することも、また。
「やめなさい」
凛とした声音が届いた。いつ来ていたのだろう。ブレイヴの隣にはレオナがいる。傍付きも護衛も必要としない王女の
「おお、我が妹よ。よく戻ってきてくれた。広い世界を見てわかっただろう? お前も聖騎士を説得して、」
「黙りなさい。それ以上、兄を侮辱することはわたしが許しません」
演出にしては大袈裟に感じる。彼女が怒っているのも当然かもしれない。王はごく自然に言葉を吐いたが、兄を間近で見てきたレオナはその言動を見逃したりはしない。いま、ただしさを声にできるのも彼女だけだ。
「これは異なことを言う。私はお前の兄ぞ」
「あなたは兄上じゃない。あなたは……、誰?」
彼女は、なにを言ったのだろう。ブレイヴは兄と妹を見る。他の騎士たちもとっくに顔をあげていて、どよめきが起こっている。
絶対的な王の力で支配されていたこの場が変わりつつある。
白の王宮はいま、国王派と王女派で分断されているという。馬鹿げているとブレイヴは思った。聖騎士を裏で操っているのも王女だという噂話に怒りを覚えたのも、これがはじめてではない。だが、これはそういった類の話ではなかった。彼女はわかっている。そう、彼女だけが、見破っていたのだ。
「いいえ。わたしにはわかる。兄を偽るあなたはそう……わたしと、おなじ」
王は声をあげて笑った。その場にいるほとんどの者が呆然としていた。乱心、いや狂乱したのは己ではなく、妹姫であるかのように王は
「なかなか面白い余興ではあったぞ。だが、お芝居もこれで終いにしようぞ」
王は高らかに天へと両の手を掲げた。それは祈りの仕草にも似ていた。王の身体を光が包んでいる。それはやがて閃光となりて、光の洪水がブレイヴを襲った。とっさにレオナを庇ったものの、守れていたかどうかもわからない。目を開けることも叶わず、そのとき大地が揺れた。
体勢を立て直す前にブレイヴの耳に届いたのは、獣の咆哮だった。なにが起こったのか。あれこれと考えるよりも己のその目で見た方が早かった。
「これは……」
つぶやきはすぐにかき消される。竜だ。誰かが叫んだ。ブレイヴの思考が止まった。
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