決意と証明と

 すこし待ってと幼なじみに言われたので、素直に待っていた。

 けれどもセルジュとは感情的に口論をしたあとで、それも幼なじみが自分よりも先に軍師のところに行ったのはちょっと面白くはない。なかなか戻って来ないので、そのあいだに頭を冷やしておこう。ブレイヴは回廊から中庭の方へと進み出す。ちょうど荷運びを終えた者たちが戻って来て、一揖いちゆうする。しかし、声を掛けてくれる者はいなかった。それほどひどい表情をしていたのかもしれない。

 ようやく雪が止んで、ルダには太陽が戻ってきた。

 日中の気温がぐっとあがれば街道に積もった雪も溶けて、馬が進めるようになる。オルグレム将軍の率いる騎士団はそのときを待っているのだろう。

 勝ち目がない。そう軍師に言われて、ブレイヴも心のどこかでおなじ思いだったことに気がついた。ルダには魔道士たちがいるが、騎士の数は少ない。兵の数も圧倒的にこちらが少ないので、長期戦となればルダが不利となるのは明らかだった。

 では、どうすればルダは勝てるのか。

 いいや、そうじゃないと。ブレイヴはかぶりを振る。重要なのは勝敗ではなく、マリアベル王妃と生まれて間もない王子を守り切ることだ。オルグレムの騎士団は、王妃と王子をルダから取り戻すまで退かないだろう。ブレイヴはオルグレムとは初対面で、戦場で相対したとしても聖騎士の声が届くとは思えない。ならば、王女や王妃の声は。

「いつまで、そうしているつもりなの?」

 振り向いたブレイヴの頬に冷たいものが当たった。雪玉だ。すぐに壊れてしまったそれは、幼なじみが投げつけたものらしい。レオナの手にはもうひとつ雪玉がある。今度は命中する前に地面へと落ちた。こんなことをする人だったかなと、ブレイヴは苦笑する。 

「王都でも、ずっと前にこんな雪が積もったね」

 ちょっと頭を冷やすだけが、小一時間くらいは経っていたのかもしれない。幼なじみはわざわざブレイヴを探しに来てくれた。雪玉攻撃は抗議の証だ。

「レオナとディアスと。一緒に雪遊びをした」

 幼い頃の記憶は蘇る。冬の一番寒い日に、白の王宮でも雪がたくさん積もった。

「戻ろうよ? 手、こんなに冷たくなってる」

 傍まで来ると、レオナはブレイヴの手を握った。でも、幼なじみの手も冷たい。

「そうだね。風邪をひいてしまってはいけないから」

「ふふっ。風邪をひいたのは、ブレイヴよ?  忘れてしまったの?」

「そう、だったかな?」

「そうよ。わたし、あなたの看病するつもりだったのに、ソニア姉さまに追い出されてしまったの」

 アストレアは冬にあまり雪が降らないようなあたたかいところだ。だから幼いブレイヴは雪を見たのが嬉しくて、ついはしゃいでしまった。翌朝熱を出して寝込んだところまでは覚えている。邪魔になるからと、レオナは姉のソニアに部屋から追い出されたようだ。

「ディアスがね、教えてくれたのよ? アストレアではあまり雪が降らないって。いつも元気なブレイヴが、熱を出したのはそのせいだって」

 ブレイヴは苦笑いで返す。まったく、ディアスは。余計なことを言ってくれたな。幼なじみはくすくす笑っている。

「……ね? ディアスがいなくて、さびしい?」

 たぶん、見抜かれているのだろう。心をぜんぶ預けたひとだから、弱さばかりを見せてしまっている。

「ブレイヴ?」

「だめ。はなさない、まだ」

 衝動ではなく、そうしたいと思った。ブレイヴはレオナを腕のなかに閉じ込めて離さずにいる。全部きいてしまっていたのだろうなと、ブレイヴは思う。こっそり隠れてきいたいたというよりも、偶然耳にしただけだと、そんな風に見えた。ただ間が悪かっただけだ。

「なかなおり、しよう?」

 やっぱり、そういうと思った。幼なじみがブレイヴを見あげている。

「あれは喧嘩じゃないよ」

「うそ。あんなに、怒っていたのに」

「セルジュに対してじゃない。あれは、自分が不甲斐なかったからだ。八つ当たり、かな」

「じゃあ、やっぱりあやまらなきゃ、ね?」

 幼なじみは先にセルジュと話をしたし、やっぱり軍師の味方をするつもりなのかもしれない。それならなおさら、素直に従うのはちょっと面白くない。

「レオナだって、喧嘩したくせに」

「わ、わたしのことはいいの!」

「よくない。レオナのときはみんなが見ていた。アロイスは泣きそうにしていたし、アイリオーネは怒っていた。ルテキアもロッテも心配しただろう? たぶん、怒ってもいた」

「それは、そうだけど……」

 レオナは早々に負けを認めたものの、抗議のつもりかブレイヴの胸をたたいている。

「もう、ブレイヴのいじわる」

 このくらいの力加減なら痛くはなかったし、胸のなかで暴れる幼なじみも可愛い。このままずっと閉じ込めてしまおうか。そう思いつつも、ブレイヴは彼女の手を絡め取る。

「レオナ」

 唇が触れあう近さで、ブレイヴはそっと囁く。

「隠していること、なに?」

 幼なじみの瞬きが急に増えた。本当に嘘が下手な人だ。

「かくしていることなんて、」

「してないって、言える?」

 しばし見つめ合い、けれども先に根負けしたのはレオナだった。幼なじみは無理に笑みを作ろうとして失敗する。

「ね、わたし。わすれたこと、ないよ? 白の王宮から離れて、ガレリアへと行ってからそのあとのことも、ぜんぶ」

 ひとつひとつをたしかめるみたいに、幼なじみはゆっくりと声を紡いでいく。

「ムスタールで別れたルーファス。オリシスのアルウェンさま。サリタのルロイとキリル」

「うん……」

「それから、ラ・ガーディアでもグランでも。わたし、いまは守りたいもの、たくさんあるのよ? 守れなかったものばかりだから……」

 懺悔のようだと、そう思った。レオナが苦しそうに声を落とすたびに、ブレイヴの胸もおなじくらい苦しくなる。

「ね、ブレイヴ。わたしね、たたかうって決めたの」

「約束、したのに?」

「うん、でも……、わたしは竜人ドラグナーだから」

「そんなの、理由になっていない」

 反抗期の子どもみたいな言葉で、ブレイヴは声を返す。見つめるレオナの顔がちょっと困っていた。

「ねえ、ブレイヴ。わたし、あなたとの約束、ちゃんと守るわ。だから」

「でも……、きみはその力で、人をまた殺す」

 ブレイヴの腕のなかで幼なじみがびくりと身体を震わせた。

「わたし、もう何度も人を殺してるわ」

「そうじゃない」

 白い光。彼女の力が目覚めたとき、ほとんど意識のなかったブレイヴは、それでもあの光を見た。彼女が人を殺した最初だ。 

「最初に、レオナは俺とディアスを守ってくれた。サリタだっておなじだ。きみは、あの子どもを守りたかったんだ。ウルーグやグランルーザも、誰かを守るために力を使う。それは、正当な理由だと思う」

 人の命を奪ってしまった。幼なじみが何の痛みも感じていないはずがない。

「でも、これからはちがう。きみの力を戦争に利用したくはない」

「それでも、わたしは……竜人ドラグナーなのに?」

 ブレイヴは応えない。先の王もそうだった。竜の力を持つ者はいつの時代も先頭に立って人々を守る使命にある。なぜ、彼女レオナでなければいけなかったのか。ききわけのない子どもみたいだ。たぶん、セルジュの声もレオナの申し出も、正しい。 

「イレスダートは、わたしの国よ」

 静かに、それでも否定をさせない強さで落とされた声は。

「いま、イレスダートは乱れている。王都で兄上に何が起こっているのかは、わからない。でも、他にギル兄さまを止められるとしたら、それはわたし」

 ブレイヴに前を向かせようとしている。決意のようで叱責のようでもある。こうやって、レオナに怒られたのははじめてだ。

「わたしは、竜人ドラグナーだから。王家の誰かがまちがってしまったときに、正さなければならない。それがきっと、としての役目だと、そう思うの」

「役目だなんて」

「ううん、きっとちがう。ほんとうはね、わたしギル兄さまを止めたいの。アイリスの声だけがすべてじゃない。でも、妹としてわたしは兄を止めたいのよ」

 いつのまにこんなに強くなったのだろう。いつまでも守られたばかりの弱い女の子じゃない。きっと彼女はそう言う。

「それでも、俺は」

「いっしょに、かえりたいの。あなたといっしょに。王都に、わたしたちのマイアに」

 だから、信じてほしいのだと、幼なじみは言う。

 あいしているから信じている。けれどもあいしているからこそ、離れてしまうのがおそろしい。この手は、いつまで幼なじみを守ることができるのだろう。

 










 マイアの軍幹部、それも中枢を担う白騎士団の団長ともなれば、いかに士官学校を首席で卒業した名門貴族の騎士であろうとも、二十代の半ばでその座に就くのは異例中の異例ともいえる。

 たしかにイレスダート国内にて、それも王都マイアでは特に混乱つづきだった。

 経験豊富な往年の者たちがことごとく戦死、残ったのが若者たちばかりなのも事実だ。だとしても、フランツ・エルマンという人でなければ、とてもこの重圧に耐え切れず、戦場で果てるよりも前に精神を病んでしまっていただろう。

 国王と元老院と、それから彼の元に集う騎士たち、それらの板挟みとなるのは必然だった。

 人間の感情というものをどこかで殺しているか、あるいはすでに母親の腹のなかで捨ててきたか、そのどちらかでなければとても務まらない立場にある。前の団長であれば後者だったといえる。はたして、フランツ・エルマンはそのどちらであるのか。

 イレスダートでは早くも雨の季節を迎えている。

 この時期の長雨はめずらしくはないものの、しかしながら昨年は雨の災害が多かった。

 王都マイアではそれほど大きな被害はなかったとはいえ、北の城塞都市ガレリアにつづいてムスタールやランツェスも水害による被害をきいている。こうも毎年のように起これば、民はたしかに自然と不安を抱くものかもしれない。その上、昨年はルドラスによって城塞都市ガレリアが落ちた。それ以上ルドラスの侵攻は止まっているが、依然として緊張は高まっている。

 血気に逸る元老院たちは本格的な開戦を訴える。ただし、それにはいささか兵力に不安が残るところだろうか。白の王宮は王の声を待たずに単独で動いている。オリシスはいつでも動ける状態にあるし、ほぼマイアの支配下に置かれたアストレアの騎士団も貴重な戦力として奴らは当てにしている。残るはルダだ。だから元老院は躍起になってルダを手に入れようと動いている。

 通常、白の間が開け放たれるのは明るい時間のみで、それも白騎士団ならびに麾下きかの騎士たちが一堂に集まるなど何かしらの式典以外にはなかった。

 並ぶのは錚々そうそうたる顔ぶれの他にもまだ若い、それも少年の面差しの者さえいる。さらには上流貴族から下流貴族に至るまで、後者など本来ならば真紅の絨毯を踏むことすら許されていないというのだから、彼らはもうそれだけで胴震いをさせている。

 玉座にはイレスダートの王アナクレオン。その姿をまなこに映すことがまるで禁忌であるかのように、彼らの視線は右へ左へと落ち着きがない。自分の呼吸すら支配されているような緊張のなかで、王はただ静かに声を落としてゆく。

 しかし、その途中でざわめきが起こった。

 声を発したのは若い騎士たちではないだろう。とはいえど、誰しもがそれなりの動揺をしたのはたしかで、王の言葉に耳を疑ったのはフランツもおなじだった。

 だとしても、凝然ぎょうぜんと立ち尽くす他はない。アナクレオンの声は、まだつづいている。

 それらがすべて終わるまでに、そう長く時間は掛からなかった。

 そして、王は皆をさがらせる。そこに聖騎士フランツを、ただひとりを残して。

 声を返すように求められたときに、そこではじめてフランツは王の顔を見た。

 頬が痩せたように見えるのも無理はない。王はしばらく床に伏せており、執務が行えないほどに健康状態が芳しくなかった。

 いつ身体を壊してもおかしくはないほどに王は多忙な身であったが、理由はそれだけではなかったはずだ。しかし、フランツはその目ではっきりと見たわけではないために、事実を追うのは不可能だった。投獄されたのはムスタール公爵ヘルムート。黒騎士を庇ったのも元老院という話だが、容喙ようかいを許さぬ状況にあった。 

 フランツは無意識に拳を固くしていた。

 ヘルムートはすでに釈放され、ムスタールへと戻ってしまった。王命であった。黒騎士が王都を訪れていた際に、フランツは白の王宮で彼と会っていた。話したないようもしっかり覚えているし、フランツの目からしても黒騎士は正気に見えた。何が起こったというのだろうか。職務に忙殺されるフランツにはそれをたしかめるような時間もなく、またイレスダートに帰還したというもう一人の聖騎士の存在が邪魔をする。

 アナクレオンは、フランツの心に宿ったわずかな疑念を読み取っていたのかもしれない。お前は王の盾だ。それは聖騎士として、または白騎士団団長としてフランツを騎士に戻すには十分な一声だった。

 事態は一年前よりも逼迫ひっぱくしている。

 オリシス公暗殺、アストレアの聖騎士の国外逃亡、他にもイレスダートで事件は度々起こっている。いかに英邁な資質を持ったアナクレオンでも、これまでとは考えを改めることもだろう。ルドラスの兵など一兵たりともガレリアより南に入れてはならないし、それには早期にガレリアへと兵力を集める必要がある。

 アストレアとルダにはその贄になってもらわなければならない。

 玉座の王は、静かにそう声を落とす。騎士のなかに王命に背くという選択肢などなかった。あるいは、もしそこにおなじく聖騎士であるカタリナがいたならば、その真っ直ぐな気質そのままに、王へと声をあげたかもしれない。

 団長室へと戻るよりも前にフランツは要人たち、麾下の騎士たちに詰問のような声をされたものの、フランツは緘黙かんもくを通した。それが騎士として正しいあり方だった。

 しかし、皆がおなじというわけではない。忠誠、信念、または矜持。人はそこにすこしでも闇を見れば、心が揺らぐ生きものだ。彼らには証が必要なのだ。王の盾であること、その重みだけでは足りないというのか。彼らの耳にはの声が届いていたというのか。

 フランツは持ったのが疑心ではなく不快感であると認めてはいたが、それらすべてを捨てた。あれはアナクレオン・ギル・マイアの声だった。

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