悪い報告①
「悪い報告と、悪い報告と、悪い報告があります。さて、どれからききたいですか?」
その物言いはまるで他人事のようにもきこえる。実際そうなのかもしれない。彼が手にした情報はすべて過去のもので、己の主君へと届けるにはあまりに時間が経っていた。
花祭りの初日も終わりかけた頃、もう一人の幼なじみが現れた。別にディアスをのけ者にしたつもりはなかった。かならず二人で来るように。そう、エリスには真顔で言われていたし、なによりもディアスは朝から姿が見えなかった。
オスカー・パウエルはランツェス公爵家に仕える騎士の一族だ。
パウエル家の長子オスカーはディアスの麾下、ブレイヴとも面識のある人物だった。彼らは王命により自由都市サリタの市長に接触する。そこまでは行動にしていたのだろう。首尾はどうだったのか、それを国王アナクレオンへと報告する義務を麾下に任せて自分は幼なじみたちと行動する。ディアスがなにを、どこまでを考えて西の国まで来てくれたのか、ブレイヴにはその胸の内のすべてを読み取るのは不可能だったが、少なくともオスカーにとっては良い迷惑だったらしい。挑むような目つきでオスカーはブレイヴを見ている。
「最初のはなんだ?」
勿体ぶった物言いは騎士の癖かなにかだろうか。東のイレスダートから西のラ・ガーディアまで遠路はるばる戻って来たというのに、ディアスの声はずいぶんと素っ気ない。
「まったく、とんだ目に遭いましたよ」
騎士はそう言って冷笑する。敬虔なるヴァルハルワ教徒たちも、花祭りの期間だけは大聖堂への礼拝が少なくなる。通常ならば一日に二度行われる祭儀も休みで、司祭や司教なくとも誰でも入れるように大聖堂の扉は開け放たれている。しかしここにいるのは四人だけだ。
オスカーはブレイヴから視線を外して自身の主君を見た。箱庭の姫君のことは最初にちらっと見ただけで自分からは名乗らず、いてもいなくてもおなじ存在だと思っているのかもしれない。けっして人見知りする性格ではなかったが、レオナはレオナで騎士をすこし警戒しているようだ。
「ご託はあとできいてやる。最初の悪い報告はなんだ?」
ディアスはいま一度、問う。騎士の顔つきが変わった。
「ガレリアが落ちました」
自分の主君のみならず、聖騎士であるブレイヴと姫君を同席させたのだ。それなりに悪い報告と覚悟していたものの、しかしこれはまったくの想定外だった。三ヶ月という短い期間ではあったが、ブレイヴもガレリアの守護を任されていた身だ。イレスダートの公国内から騎士団は集められているし、城塞都市の守りは堅固だということも知っている。いくらかの不安はのぞいていたとはいえ、ガレリア陥落の報はなにかの間違いだと思うくらいだ。
それに、いまあそこを守るのはランツェスの炎天騎士団、つまりディアスの異母兄だ。ブレイヴはそういう目でオスカーを見る。騎士は素知らぬふりでつづけた。
「されどもご安心ください。ルドラスはガレリアより南へとくだってはおりません」
「どういう、ことだ?」
思わず問い返したブレイヴに、騎士は鼻白んだようだった。
「あなたが敵国の将軍と交わした言葉は
ひょっとしたら試されているのかもしれない。ディアスも無言でいるのなら、二人が組んでいると読むのが普通だ。
「銀の騎士ランスロット。彼はたしかに優秀な騎士かもしれませんが、あれは敵側の人間です」
「裏切られたと、そう言いたいのか?」
「いいえ、まさか。しかしルドラスの将にもさまざまな人間がいるでしょう。あなたと彼の声だけで戦争が終わるならば、もうとっくに終わっているはずですよ?」
ブレイヴは失笑しそうになった。なるほど、よく喋る。さっきの推測は撤回しよう。単に幼なじみが口を挟む隙がないだけだ。
「此度のルドラス侵攻にランスロットは関わっていません。聖騎士殿にとっては少なくとも吉報となりますね」
「では、誰がガレリアを?」
「さあ? さすがにガレリアまでは行っていませんので。私が耳にした噂では、西の居住区で火災があったとだけです」
噂を鵜呑みするような騎士にディアスの麾下は務まらない。ブレイヴはまず微笑みで返す。オスカーもにっこりとした。
「……ガレリアがルドラスの支配下に置かれていない理由はなんだ?」
ブレイヴもオスカーも、同時にディアスを見た。
「わかっていながら、あえて問うのですか? それはあなたの、」
「兄は見返りになにを差し出した?」
ディアスはいつもブレイヴよりも冷静で、いつもその先を見ていた。西の大国ラ・ガーディアにいるあいだ、感情的な
「あなたの妹君は、いまルドラスにいます」
はっと息を呑む音がきこえた。レオナだ。幼なじみはディアスの妹を知っている。
「兄上がウルスラをルドラスに売ったのか?」
「それは少々言葉が悪いような気がしますが、間違ってはいません」
「どういう、こと? どうしてウルスラが……」
「おや? 姫君はウルスラ様とお知り合いでしたか? ああ、そういえばお二人ともマイアの修道院に入っていましたね」
少女の時分に修道院に身を寄せていたレオナは、そこでディアスの妹と友誼を結んでいる。それは友情というよりも姉妹の関係に近かったのかもしれない。
「公子のおっしゃるとおりです。ランツェスは独断でルドラスと同盟関係となった。ホルスト様はガレリアを放棄して、炎天騎士団ともどもランツェスへと帰還されました。つまりウルスラ様は人質も同然、されどもあくまで持ち掛けたのはルドラス側です。兄君は最良の選択をなさったのです」
それも戦争の手段としては間違っていない。そう考えてしまうのは、自分の家族ではないからだろうか。そんな血の通っていないような人間だったのかと、ブレイヴは己に問う。いや、答えを見出すべきはそれじゃない。ホルスト公子の行いはイレスダートへの、マイアへの叛逆ではないのか。
「……白の王宮が黙っているはずがない」
思考は途中からつぶやきとなってブレイヴの唇から零れていた。
「ええ、そうでしょうとも。あなたのアストレアのように、元老院から疑われて当然です」
睨みつけたところでこの減らず口は止みそうもない。オスカーの白々しい演技のような声はつづく。
「ランツェス公爵は冗談のひとつも通じない謹直な方です。ホルスト様は謹慎を申しつけられましたし、白の王宮……とりわけ国王陛下へと弁明の書状を送っています」
「そんなものが通じるような相手じゃない」
「ずいぶんと説得力のあるお言葉ですね。しかし、我がランツェスに沙汰はくだっておりません。なぜなら、王都はいまそれどころではないからです」
「それが三つ目の悪い報告か?」
オスカーは微笑してうなずく。
「まずは国王陛下の近状を……。初秋を迎えた頃からアナクレオン陛下は公務すべてを執務室で行っていたそうです。多忙を極める方です。心身ともに疲れもあったのでしょう。さいわいにして元老院の動きも大人しく、しかし冬がはじまったあたりから陛下のご様子に不審な点が見られるようになりました」
ブレイヴが最後にアナクレオンと会ったのは初春だ。あの軍事会議がもう何年の前のようにも感じる。しかし、あのときのアナクレオンの表情は王たる自信に満ち溢れていたし、そもそもアナクレオンという人は自身の疲労など他者には見せないような人だ。ブレイヴは歯噛みする。ガレリア、それからアストレア。元老院はもちうるすべての手札を使って王を追い詰めようとする。
「……不審な点、とは?」
ディアスの声に、ブレイヴは顔をあげる。幼なじみの麾下オスカーは応えるまでふた呼吸を置いた。
「元老院が国王陛下に対して、売国奴などという
「やめてください」
いったい、どこでこの声を止めようか。逡巡するブレイヴよりも早く、幼なじみはオスカーの言葉を打ち切った。騎士は大袈裟にため息を吐く。
「話は皆まできいて頂きたいですね。ともかく、元老院が国王陛下を危険視しているのはたしかです。……そんななか、白の王宮では流血事件が起こりました。あろうことに白の間にて、です」
「それは……、兄上に刃を向けた者が」
「はい。ムスタール公爵ヘルムート、彼が国王アナクレオン
「あり得ない」
今度はブレイヴがレオナよりも先に言い切った。
「もちろん、未遂に終わっています。でなければ、私もこんなに落ち着いてなどいませんよ」
「では、ムスタール公が王家に背いて陛下を手に掛けたなどという虚言も」
「残念ながらかの公爵の行いは事実ですし、国王陛下が重傷を負ったのもおなじく」
うそよ。幼なじみのつぶやきがきこえる。
「ですが、アナクレオン陛下も王家の……竜の血筋を持つお方。死に瀕しようとも白の王宮の名だたる魔道士たちの力で、持ち直したことはたしかでしょう」
レオナのつぶやく声がきこえたのか、そうでないのか。オスカーは淡々と事実だけを連ねていく。うそだ。ブレイヴもそうつぶやく。たちの悪い冗談にしては許されない報告だ。それも眩暈のするような悪い報告が三つ。うまく働かない頭でこれ以上言葉を紡ごうとも、騎士からブレイヴが納得するような声が返るとは思えずに、ブレイヴは一度開いた唇をまた閉じる。オスカーの関心など、すでにブレイヴやレオナにはなく、己の主君に向けて騎士はこう言った。
「ランツェスにお戻りください。国は、炎天騎士団はあなたを必要としているのです」
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