サラザール解放①

 固く閉ざされた城門は、何人たりともその先へと侵入を許さない堅固けんごたる扉だった。しかし、それがいま破られる。施錠されていたはずの扉は侵入者を客人と認めるかのように、内側から開かれる。叛乱軍たちは一斉に城内へと雪崩れ込んだ。

やっこさんたちは大暴れしている頃かねえ」

 水路を流れる水の音、それから複数の足音が響いている。松明を持って先頭を行くのは顔に傷のある男だ。そのあとをガゼル、ブレイヴとつづき、しんがりは少年だ。一番年少者に最後尾を任せるのもいささか気が引けて、ブレイヴは自分が引き受けると申し出たものの、年の割には頑固な少年はけっきょく首を縦に振らなかった。

 ガゼルのつぶやきに答える者はなく、皆は先を急ぐのに集中している。

 解放軍の参謀役を務めているのは眼鏡の細男だ。本当はガゼルに同行するつもりだったらしいが、セルジュに言われて残っている。失敗はしない。もし危うくなったなら、指揮を執るのはあなたしかいない。そう、本職の軍師に言われてしまったら従う他はなかったのだろう。

 顔に傷のある男と眼鏡の細男、それからこの少年は解放軍でも古参で、だからこそ最後までガゼルと一緒にいたかったのかもしれない。

「すまないな。本当は、あんたがあっちに行きたかったんだろうに」

 謝罪の意味が読めなかったので、ブレイヴはまじろぐ。ガゼルはにやっとした。

「あんたは騎士だ。それもイレスダートの名高い聖騎士殿だ。お姫さんの救出役を、幼なじみに譲ってもよかったのかい?」

「ディアスなら心配要らない。それに俺は、あなたの方が心配だ」

 ブレイヴも微笑む。強がりのように見えたのかもしれない。けれども、これは紛れもない本音だ。だいたい、誰もレオナを王女だなんて呼んでいないのにガゼルがどうして知っているのか。鎌を掛けられたと気がついても遅い。ガゼルはおそらく、シャルロットのことを言っていたのだ。

 居心地が悪くなって目を逸らしたブレイヴに、ガゼルはまだにやにやしている。まったくこの余裕は大したものだ。迷っているように見えたのも演技だったとしたら、舞台役者に向いている。この戦いが終わったら勧めてみようか。ガゼルはきっと、これから先を考えてなんていない。

 先頭の男が止まった。分かれ道が見える。右か左か。迷っているうちにガゼルも追いついた。

「ああ、そこは右だな」

 城内には下水とは別に存在する水路がある。火急の際に王族だけが許された隠し通路だ。それをなぜ、下流貴族の出身だったガゼルが知っていたのだろう。誰も声には出さないのは答えをわかっているからだ。

「リンデル将軍は、あなたを本当の息子みたいに思っていた」

「……急にどうした?」

「いや、ここで決意を鈍らせることを言うのは間違っている。でも、将軍はあなたの父であり、師であり、友でもあった。だからこの地下水脈の存在をあなたに教えていた。王に危機が迫ったそのときに、ここを使えるようにと」

 ブレイヴが敢えて言葉にしたのは確認のためだ。

 上では解放軍と王国軍が戦っている。ガゼルの同志たちは子どもから老爺まで集めて二千もいかない数で、対する王国軍はゆうに一万を超える。どれだけ策を講じたところで圧倒的な力でねじ伏せられたら敵わない相手だ。セルジュと解放軍の参謀が遅くまで口論していたのが隣の部屋にも届いていた。軽い仮眠から覚めたブレイヴたちが部屋をのぞけば二人とも疲れ切っていて、だから勝算についてはきかなかった。

「将軍は無事だ。セルジュとアステアを信じよう。それにクライドもいる」

「軍師殿も魔法が使えるのは驚いたけどな」

 切り札は最後まで隠しておくものだが、ここ最近はセルジュの魔力にも頼ってばかりだとブレイヴは苦笑する。

「大台所には昨日からエディが潜入している。……それにしても、毒なんてどこで手に入れたのか」

「毒ってほどの大層なもんじゃない。ただの腹下しの薬さ」

 それでも毒は毒だ。イレスダートでは強すぎる薬は毒に分類されるから禁止されているし、他国から持ち込んだだけで罰せられる代物だ。

「レナードたちがイスカから運んだ武器も、王国軍に行き渡っているはずだ」

「ああ。あんたも持っているやつだな」

 ブレイヴの佩いている剣はイスカのものだ。サラザールへと旅立つ際にシオンが渡してくれたのは、彼女たちの友人だったシュロが使っていたという。餞別にしては重すぎる。ちゃんと返しにいかなければ、墓まで追い掛けられるかもしれない。

「大きいし、扱いがむずかしい。でも、丈夫な剣だ」

「ちょっとやそっとじゃあ、壊れそうには見えないな。曰く付きの剣だなんて誰も気がつかないだろうよ」

 ガゼルの揶揄にブレイヴは首を竦める。これは本物だから大丈夫。しかし、王国軍へと手渡った武具は不良品だらけだ。ちょっと剣を交えたところですぐ折れてしまうだろう。

 こうした裏工作のひとつひとつにしても意味があると、ブレイヴは思う。解放軍はガゼルみたいな元騎士ばかりが集まっているわけではなく、いわば寄せ集めの集団だ。それでも彼らには意思があり目的がある。失敗は、許されない。

「皆まで言うなよ。俺だって、ちゃんとわかってる」

 いいや、わかっていない。いっそ面と向かって否定してみようかと思ったが、それきりガゼルはブレイヴの顔を見なかった。もしも、ミハイルが最後まで抵抗したならばガゼルはどうするだろう。

 華美を極めて放埒な生活をつづけてきた老王とちがって少年王はサラザールをちゃんとその目で見ているし、国を立て直すつもりだ。思想はおなじく、しかしミハイルのやり方を待っていれば民は餓える。あくまで王に玉座をおりてもらうための戦い、それは耳触りの良い言葉なのかもしれない。

 ブレイヴはふと、これがイレスダートであったならばと考えてしまった。ありえない妄想だ。そんなことは起こらないし、誰かが王に刃を向けるなどあってはならない罪だ。そう、王殺しは大罪である。ここサラザールでもおなじ、ブレイヴはガゼルにそんな罪を背負ってほしくなかった。 

「あんたは俺に似ているな」

 これが遺言だと思って口にしているのなら、笑えない冗談だ。ブレイヴは真顔でガゼルを見つめる。

「他国の聖騎士殿に言う言葉じゃないな。だが……、似てるんだよ。あんたは俺に」

「忠告みたいに、そうきこえる」

「ああ、そうだ。背負っているものが大きすぎるとな、たまに見えなくなってくる。何が正解で、何が間違っているのか。どっちにしろ、道はひとつしか選べない」

 年長者のありがたい言葉なのに説教のようにもきこえる。ガゼルは振り向かないまま言う。その大きな背中の向こうで、笑っているような気がした。

「あんたは、間違えるなよ」

 


  

 

 

    


 

 

  

 促す声が必死だったので、レオナも置いて行かれないようにと懸命に先を急ぐ。

 有事の際には城外へと脱出せよ。リンデル将軍からそう伝えられていたのだろう。侍女頭や執事長の決断は早く、他の使用人たちもそれほど混乱しているようには見えなかった。けれども、捕縛されたまま帰らない主人を案じているのはたしか、このまま自分たちだけが城外へと出ていいものかと、迷う気持ちはあったのかもしれない。客人としてリンデル将軍の邸宅に留まっていたレオナたちがいなかったら、そのままあそこに残っていた者もいただろう。

 ノックもなしに扉が開いたとき、レオナはついにそのときが来たのだと思った。

 リンデル将軍が連れて行かれてから三日、ようやく解放軍が動き出したのだ。リンデル将軍の扈従こじゅうが来て急ぐようにと言われたときに、レオナはすこし躊躇った。医者としてリンデル将軍に接触したセルジュは、迎えが来るまで待つようにと言い残していたからだ。

 レオナはルテキアの顔を仰ぎ、傍付きはただうなずいた。扈従がレオナたちも脱出させようとしているのは間違いなく善意からだ。従わなければ逆に疑われてしまうので、皆の後を追うしかなかった。

 サラザール城は広い。王宮の他にも騎士団の兵舎に王侯貴族たちの邸宅が連なる西から、城下街が位置する南へと移動するだけでも大変だ。けれども馬車に乗ったものならば叛乱軍に襲われてしまう。事情を知らない使用人たちは叛乱軍を恐れてとにかく徒歩で南へと急いでいた。

 リンデル将軍の邸宅の敷地から出ると、おなじく脱出を試みる貴人たちの姿が見えた。皆、叛乱軍の襲撃に怯えているし、貴人たちを守る騎士たちは王宮へと駆り出されていった。すべてが終わったとき、彼らは叛乱軍を解放軍と認めることができるだろうか。敬虔なる教徒たちはきっと解放軍たちを汚い言葉で罵る。王家に刃を向けた大罪人として。

 思考に囚われていたレオナは突然飛び出してきた人物とぶつかった。

 危うく尻餅を付くところ、腕を引っ張られてどうにか体勢を戻す。その顔を見たとき、レオナはとっさに声が紡げなかった。

「無事、だな?」

「ディアス……? あなたが迎えに来てくれたのね?」

 誰が来てくれるかなんてきいてはいなかった。想定外といえば怒るかもしれない。でも、ディアスは赤い悪魔の異名を持つ騎士、戦力としても認められていたはずだ。

「ブレイヴは、あそこで戦っているのね? ほかのみんなも……?」

 レオナの視線の先は王宮だ。そして、リンデル将軍はあそこに連れて行かれた。

「リンデル将軍が戻らないの。もしかしたら将軍は解放軍と、」

「将軍は無事だ。処刑は阻止されたはずだし、救出も終わっている」

 処刑。思わぬ言葉が返ってきて、レオナは叫びそうになった。リンデル将軍の扈従が物言いたげな目でこちらを見ている。小声で話していたものの、その単語は届いていたのかもしれない。

「あ、彼は……、わたしの兄。いいえ、従兄弟なの」

「レオナ」

 ルテキアが耳打ちをする。襤褸ぼろが出るので余計なことは喋るなと言いたいらしい。彼女はときどき、傍付きというよりも母親みたいになる。

「と、とにかく、急ぎましょう。この先は」

「あの子はどうした?」

 ディアスに指摘されてはじめて気がついた。レオナと傍付き、それからもう一人が一緒にいたはずだ。

「シャルロットは……?」

 周りをいくら見回しても少女の姿は見つからない。いったい、いつからいなくなってしまったのか。いや、ちがう。ルテキアはシャルロットを常に気に掛けているし、少女の手をしっかり握っていた。ディアスという闖入者が現れたとき、一瞬だけ気がそちらへと集中してしまったのかもしれない。

「あのこ、もしかしたら……」

「俺が探しに行くから、お前たちは先に行け」

 ディアスはレオナの声を先読みする。あのひとを助けてあげたい。シャルロットはそう言った。

「でも、」

「ここにはあいつも来ている」

 あいつ、というのは誰のことだろう。結びつく前にディアスはもう行ってしまった。悪いところばかりお前に似る。そう、幼なじみは言い残した。

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