第15話

 青春においての幕引きと言うのは華々しいも美しいものだそうだが、俺の場合はそうでもないようだ。

その現実が教えてくれるように、やはり世界にはそれほどドラマティックな出来事は満たされていないように思える。


 






鼻に僅かに触れる磯の香りと、遠くから響いて来るのはウミネコの鳴き声。

視界の隅に隠れるように見える広大な博多湾の青は空の青と相まっていずれ訪れる夏を連想させる。


ここはベイサイドプレイス博多埠頭。

海に面する福岡の海路での玄関口であり、さらには恋人たちに人気のデートスポットでもある。


そんな名所に朝から一人でやってきた俺は溜まった疲労と気怠さを拭き流すために海風に当たっていた。

 遠足の目的地である能古島にはこのベイサイドプレイスからほど近いフェリー乗り場で船に乗って向かうため毎年、生徒はここに現地集合となっている。


 それにしても普段あまり行かない場所への集合だったため、かなり余裕を見て時間を見積もったのが災いしたのか随分早くに着いてしまった。

 周りにうちの制服姿はまだ見えない。

 フフフ、どうやら一番乗りのようだ。

その事実にそこはかとない優越感と身に染みいる孤独感を感じながら海風に黄昏る。


 とそんな悦に浸っていると後方から人の気配を感じて顔を上げる。

そして、 首を回して目を向けるとそこには長瀬の姿があった。


 「……早いのね。」

 そういう長瀬は以前よりも疲れが抜けたすっきりしたような顔をしている。

 「遠足が楽しみであまり寝れなくてな。」

 「ふっ」

 俺の下手な冗談でも笑えるほどには余裕が持てるのなら、大方は安心しても良いだろう。


 「なんだか大変だったみたいね」

 渋いその顔には当人のやるせなさが見え隠れしている。

笹栗との騒動の後、長瀬はこの件にほとんど参加していない、それに対する負い目だろうか。

仕事熱心なのもいいが、だとしたらいらない気づかいだ。


 「大変……ではなかったな。俺は何もしていないし。」

 俺がしたことと言えば、あくまで情報を吹聴して回っただけで実質的には何もしていないに等しい。勝手に事が進んでいたと言うべきか。

 「そう……」

 長瀬もそれ以上は深追いしてこない。

ことのあらましならある程度は知っているだろう。

そのためか、長瀬は次に別の話題を持ち出してきた。


 「……ごめん。」

えらくしおらしい表情でのそんな謝罪。

 なんかこいつ、最近謝ってばかりだな。

一年の頃なんて謝意という概念など微塵もなかったツンデレ女子だというのに…

 「何のことだよ。」

 謝罪をするのもあまり好きではないが、謝罪を聞くのはもっと好きではないため俺の表情はすこぶる不満気なものになる。

 そんな態度を長瀬は別の意味に捕えたのか、ますます気を落とす。

 「その……まだ私はダメみたいね。少しは追いついたと思っていたけど、やっぱりこうなってしまったわ。」

 「それは…別に……お前が悪いわけじゃないだろ。」

 長瀬の家庭事情、それを知っている俺にあまり適当な言葉は言えない。

 「誰にだってそんなの一つや二つはあるだろ……」

 だから気にすんなとは、とてもじゃないが言えないがこれ以上はかける言葉が見つからず押し黙る俺にそれでも長瀬はそれ以上は弱音を吐かなかった。

 まだ家庭問題は完全には解決してはいなく、長瀬の中でも不安定で踏ん切りがついていないだろう。それでも、いずれは決着が付くことだろう。そのときは、それなりに接すればいい。

 しかし、それにしても追いつくとは一体何のことなのか……

その言葉の意味を深く考える前に長瀬が声をかけてきた。

 ただ一言、『ありがとう』とだけ言って頬を緩めて長瀬は微笑む。

この一件で最も傷ついたはずの長瀬が不意に見せた笑顔。

 それは普段見せる背伸びをした大人びたものとは違って、ほのかに幼さを残し女子らしさの滲み出る年相応のものだった。

不覚にも、ときめいてしまったことは墓まで持っていく所存にしよう。



 時間が流れ、集合時間の十分前となるとベイサイドプレイスにはわらわらと生徒たちが集まり始め周囲に喧騒が溢れる。

 長瀬は凪沙と付かず離れずの距離を保ち、周囲の様子を見てその立ち位置を変える。


 ちょうど、大物政治家に付き添うSPの様に見えないでもない。

 凪沙もそれに呼応し、周りの女子に少しずつ声をかけていく。

頃合いを見計らって徐々にクラスに溶け込もうと凪沙も努力している、上手くいけばこの遠足で知り合いの一人くらいは作れるだろう。

 視線をずらすと姦しく話す女子達と違って深刻な面持ちで会話をする二つの集団。


 笹栗と望月の二グループは昨日の一件後、やはり何らかの相談でもあったのか今は腹をくくったような決心の表れが見てとれた。

 加藤の誘導と野球部の拡散…いや俺と凪沙の手回しが上手く効いたようだ。

これで決着が着けばいいが。


 その後クラス毎に別れてフェリーに乗り込み、島に着くと縦隊を組んで一時間ほどのハイキング。

 能古島自体はそれほど人口が多いわけではないので、多少車道に出てもそれほど危険はない。

歩道から広がり所々団子のようになる隊列の中で俺は一人、山道をひた歩く。

 誰だよ、隊列組んで歩くことはないとか言った奴……。


 心にも体にもしんどいそんな遠足が終わり目的地の山頂に着くとようやく待ちに待った昼食だ。


 一度、広場に集められ集合時間と諸々の注意を受けると、各々バラバラになって園内に散らばっていく。

 道中、昨日の疲れが残っていたため、ほとんど周囲と会話をすることができず、結局新たに友達などは作れなかった俺は特に誰と話すわけでもなく、一人菜の花畑の片隅に陣取って腰を下ろした。


 小高い丘の様になっているこの場所は一面の菜の花が丘の側面を覆っているため向こうからは俺の姿は見られず、こっちからは広場を見通し易い。

そこから見える光景の中に笹栗と望月の一派の姿があった。

 これから、行徳に鉄槌を下すのだろう。

行徳に恨みがあるわけではないが、ここは男として一丁恥をかいてもらおう。

心内で何の感慨もない哀悼を示し、バックから弁当を取り出そうとすると今度は背後に凪沙が立っていた。


 「……よぉ」

 汗こそはかいていないが若干息切れしているのを見ると、場所取りをしに来た様子ではない。

 「こんにちは。少し探しました。」

 やはり探しに来たのか…だとしたら無下に追い返すのもなあ…

 「なんか用か。」

 「いえ、用と言う程でもないですけど…」

 ではなんだと言うのだろう。

 「この度は色々ありがとうございました。

人間関係についてはまだちょっと分からない事もありますけど、これで少し自分の事が分かった気がします。」


 バカ丁寧な言葉遣いでお礼を言う凪沙につい口を挟んでしまう。

 「別に俺は何もしてねえよ。」

 正直、行徳の事が途方もなくて凪沙の人間関係のサポートについては具体的なことは出来なかったように思える。しかし凪沙は


 「そんなことないですよ、案野君が色々な人の関わりを見せてくれて、さすがに望月さんに演技をしたのは申し訳なかったですが……それでもあの経験で私は少しだけでも本当の人と言うものが分かったんだと思います。だからありがとうごさいました。」


 思いも寄らぬその言葉に俺もついお茶を濁してしまう。

 「仕事だからな、気にすんな。それよりもその敬語何とかできねえのか?正直話づらいぞ。」

 「えっでも、こ、琴からは男子には特にそうした方が良いって…」

 「琴?」


 敬語云々よりも凪沙が長瀬の名前を呼んでいることに気がついた。

 「随分、仲良くなったんだな」

 長瀬を名前で呼べる奴など、この学校にはそうはいない。何よりあいつが人に心を許すことそのものが珍しい。

 だとすると凪沙の最初の友達はもしかしたら長瀬なのかもしれない。


 「はい、今日から呼び始めることにしました、もっと仲良くなるために。琴も私の事を今は『小春』って呼んでくれます。」

 と凪沙は頬を赤らめる。

 ホント仲良いですね……


 「あ、えっとそれで敬語の事ですよね。最初はただ人に慣れてなかっただけなんですけど、今はわざと敬語でいます。」

 そうだったのか。

 「私、人によって言葉遣いを変えるのがあまり得意ではないので、もういっそ全員に敬語をつかったらって。そうすれば人との距離が取り易いからって。」

 うーむ、そう言われればそうかもしれない。

 どんなに親しくなっても敬語であればどこか距離を感じてしまうし、かといって敬語で話しかられて嫌な気分はしない。特に異性に対してはある意味での牽制に近い。私は絶対心を許さないみたいな……

 長瀬の入れ知恵だろうか。


 っと、待てよ。この言い方だと、凪沙が前の学校で起こしたトラブルっていうのはやはり異性絡みなのだろうか……

 「……」

 「どうかしました?」


 気になりはするが……ここは踏み込まないと決めた以上、口を出す必要はない。

 「いや、なんでもない。」

 凪沙は小首をかしげるがすぐに真顔になった。

 「案野君、それで今から言うことの方が本題なのですが…」

 口元をキッと引き締め、緊張の色を見せる。


 「改めて言うのもおかしいと思うのですが、その、あの……」

 中々すぐに口を開かず、潤んだ瞳の凪沙に俺もやや緊張してくる。

 なんだこれは……まるで今から告白されるようなこの空気は…


 段々と居住まいが悪くなり、背中に変な汗が流れる。

今まで、あまり深くは意識しなかったが、こうして見ると凪沙はやはりかなりの美人と言える。

 それはどこか現実離れしていて、今こうして声をかけるのもなんかの夢なのではと思えてくるほどに。

 そして俺のそんな緊張を凪沙はあっさりと断ち切った。


 「わ、私と……私と友達になってください!」


 「……はあ」

あまりにもベタな展開に思わずため息がこぼれた。

 「な、何かおかしかったですか?」

 「いや、おかしくはないけど」 


 まだまだ凪沙には教えなくていけないことが多い。

 「お前って本当に変わっているなと思ってな。」


 天然もここまで行くと、毒気も抜かれる。

 「分かったよ、友達でも知り合いにでもなるよ。だからその恥ずかしいセリフ絶対男子に言うなよ。」


 あんな雰囲気を漂わせて、こんな美少女に言い寄られたら十人に十人は勘違いをする。

 かく言う俺もかなり危なかった。

 「は、はあ」


 凪沙は釈然としてはなさそうだが、やはりまだまだこいつの距離感はかなり危うい。

今のうちに訂正しなくては……(使命感)

 「では私はこれで……」

 「おう」

 言いたいことを大方言い終え俺は凪沙と別れた。

再び一人に戻ってしまったが、それでもさほどの孤独感は感じない。

 広場を見下ろすと凪沙と長瀬が合流し、そのまま別の女子集団の輪の中に入って行った。

 いよいよ本格的に凪沙のクラスデビューが始まる。


 さらに遠くに目をやると、見覚えのある二つの影が背の高い影に詰め寄る光景。

最後に背の高い影が一発ずつビンタを放って二つの影は立ち去ってしまった。

思いの他、辛辣な仕打ちだ。

 かなり珍しいその光景に、つい俺までごくりと唾を飲み下したがもうそれ以上は考えないことにした。

もし、行徳に恨まれたらその時だけは一発くらい殴られても良いだろう。


 それくらいは俺が引き受けよう。男として!

 嫌なものを見てしまったとばかりに俺は弁当をかきこむ。

あんなバイオレンスな光景を見た後でも、しかし不思議と今は後ろめたい気分ではない。

 なんせ、喜ぶべきことが一つできたのだ。


 新たな友達が一人出来たことを今はただ嬉しく思う。




 クラスの女子に誘われ私と小春は一緒にその席についた。

誘ったのは吹奏楽部の子たちで小春の一件には直接絡んでいなかったから私は誘いに乗った。

 彼女たちもクラスの雰囲気を嗅ぎ付けて中々話かけることが出来なかったけど、今日をきっかけにして距離を近づけておきたいのだと思う。

 「凪沙さんって東京から来たんだよね?」

 「はい、学校は東京で家は神奈川にあったから厳密には東京住まいではなかったけど、今は東京に引っ越しているので間違いではないです。」


 スラスラと質問に答える小春に周りの女子達も会話を弾ませる。

 私はその様子を傍から静かに見ていたが、他の女子に声をかけられそれに応じる。

まさか、あれだけ派手に行動をしたというのに話しかけたとあって、やや緊張交じりではあったがそれでもちゃんと受け答えは出来た…はずだ。


 なんとか話をひと段落終えて、グループの輪が弛緩すると私はお手洗いへ向かおうと席を立つと小春もついてきた。

 「少し緊張したかも。本当の意味でクラスの人と初めてだったから。」


 「私も……かな、なんかこんな風に普通に同性と話したの久しぶりかも。」

 まさかこんな形で自分の交友の狭さを思い知ることになり私は少しへこむ。

だけど小春は

 「だったら琴も私と同じですね。これから一緒に頑張りましょう。」

 と健気に励ましてくれる小春の頭をつい撫でまわしてしまう。

それを子犬みたいな顔で受ける小春を見ながら私は話を続けた。


 「そういえば、小春はどうして案野に相談しようと思ったの?」

 「え?藤山先生から聞いていませんでした?」

 「何も?」

 「うーん、えっと、最初学校に行って事情を話した時にまず先生が見せたのが案野君の去年のアンケートだったんです。」

 「ああ、あれね。」

 確かにあのアンケートは常軌を逸しているから、潔白の小春にはいい刺激になるかもしれない。

 「でもそんなに響くようなものってあった?」

 「うん!全部インパクトはあったけど特に最後のを見て、この人に相談しようと、この人なら私が知らないことを教えてくれるんじゃないかなって。」

 「最後って…ああ、あの一言か、あれは確かに一際捻くれてるからね。」


 二人でアンケートにあった最後の一言を頭に浮かべた。




 青春とは何なのか…

そんな途方もない問いに俺は未だに答えを見出していない。

ある人はそれを幻想と言い、そしてまたある人はそれを悪だと言う。

だけどどの答えも俺には、いまいちしっくりとこない。


 それはあるいは神の概念を答えよと聞かれているのと同じで正しい答えなんて最初からないのかもしれない。

そうか、青春と神は同格なのか……

とも思えれば楽なのだが、そんなことを考えていられるのは中学を卒業して浮かれきっていたあの頃までだ。


 今は違う。

 と自己に目覚めながらも結論の導き出せていない俺だが、一つだけハッキリしていることがある。

 それは青春に格付けなんてものは絶対にないということだ。

個性に優劣をつけ、その差異で悦に浸るのは断じて青春なんかではない。

しかし、辛くも世の中の大半はそれを青春として美化し、誰もがそれを謳歌しようと尽力する。

だから俺はそんな連中に一つ物申したい。


 どうしようもなく度し難くて救いようのない学校という社会で生きる有象無象に。


 孤独と従属が両立する不可思議なこの世界の住人に。


 そして青春と言う名の虚像にすがり付き、それを全うしようとせしめる輩に。








 「汝、青春を謳うことなかれ」と






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汝、青春を謳うことなかれ 風見 新 @mishinn

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