第12話




 その日の放課後に予想通り凪沙がやってきた。

長瀬の様子を見て、何かを察したのだろう。


さっきから俺の机の前でもじもじと立ち竦み、何やら言いたげな雰囲気だ。

傍から見ればかなり意味ありげに見え普通に勘違いをしそうだが今日、この時に限ってはそんな気狂いは起きそうにもない。


「……あとで話がある」

 それだけ言って早々と席を立った。

 最初は話すべきか迷いもしたが、よく考えれば凪沙も関係者だ。

ないがしろにはすべきではないと最終的にそう判断した。

俺は一応、今から部活があるためそれを合法的に休むための交渉に出る。


バックを肩に、人の多い廊下をすたこら歩いていると、後ろから控え目な足音が連いてきた。


「あの、私もいた方が話を通し易いと思いまして」

 凪沙には何の事情も言ってないはずだが、まさかこいつも人外……など考えていると理由はすぐに分かった。

「案野君の部活って厳しいんですよね、長瀬さんから聞きました。あの、それで勘違いだったら良いんですけど私のせいで部活をお休みになるなら、せめてわけを私から話した方が……」


よくもそれだけの情報でここまで気が回せるものだ。だったらもっとクラスの話とかは分かるのものだと思うが。

あぁ分からなかったから、こうして気を巡らせているのか。

 ならば別に拒否する理由もない。


「分かった。」

 俺は少しだけ歩くスピードを落として、凪沙と肩を並べるのだった。

 放課後というのもあって騒然としている職員室の中は他の教室に比べ人口密度が高く、慌ただしい。


 そんな中を人を押しのけ、机を避けてようやくお目当ての席にたどり着いた。

 普段なら自主的にここに赴くことなど決してないわけだが、今日は少し特別だ。

古ぼけたアルミ製のデスクの上にプリントや書籍が山積する前で、担任はコーヒーを啜っていた。


相変わらずの薄着に、足には緑色のクロックス、襟から覗くこげ茶色の肌の上には鈍色のチタンネックレスが輝く。

まさに緩い体育教師と言った出で立ちの我が担任教諭はカップを机についてこちらに顔を向けてきた。


「おう、あんちゃん]

気の抜けるような邪気のない声を右から左へ受け流し、早々に話を切り出す。

 「先生、ちょっと頼みがあります。」

 「……なら、ちょっと部屋を借りようか、凪沙もいるという事はここじゃちょっと話しづらそうだし」


いつになくえらく空気の読める担任に首肯で答え、例の応接室へと移動する。

荘厳でどこか重苦しい空気が立ちこめるそこはいつ来ても慣れそうにない。

 ただ今はそんなことにはあまり関心がいかない。

とりわけ急を要する話なだけにそこまで気が回らなかった。


「それで、あんちゃんのお願いは何かな?」

 値踏みするようなその視線を真正面に受けながら、俺は滔々と答える。

 「まず今日部活をサボりたいんで、顧問にひとことお願いします。」

 「それは凪沙の事でかな?」

 「一つはそうです。」

 「……もう一つは長瀬かな?」


それには答えないでおく、そもそも本題はこれではないし、なにより今は時間が惜しい。

 「とりあえず部活の事はお願いします。それともう一つお願いがあります」

 軽く凪沙の方を見ながら、話をそらす。


「これからちょっとうちの学年で変な噂が流れたり、誰かが泣いたりしても出来るだけ先生には関わらないでくれませんか?」

 先生は眉をひそめ、やや不機嫌そうに答える。

 「それは誰かが誰かに危害を加えるという事かな?だとしたら先生としてはそれを黙認できないかな。こんな立場にいるわけだし」

 ここまでは想定内の返事だ。

先生は熱血漢だし、こう言う話には敏感なのは予てより知っていた。だから俺は前から決めていた通りに慎重に応じる。


「危害は加えません。ただの諍いです、トラブルです、喧嘩です。あくまでも身内の中から出た綻びが決壊しただけです。

 具体的には言えませんがこの問題は下手に外野が手を出せば余計にこじれると思います。だから先生には……せめて遠足が終わるまでは待ってもらえませんか?

 その間でのことは俺が学級委員として責任を負います。だから少しだけ俺にこの話を預けて貰えませんか?」


 そう言って頭を下げる。

ここまで来てしまえば最早、嘆願に近いがそれでも今はそうするしかない。

先生はしばらく無言で頭を下げる俺の頭を見ていたが、間も無く口を開いた。


 「あんちゃん、それは長瀬や凪沙にも関係あるのかな?」

 「はい」

 即答だった。そこにうそ偽りはない。

 「はあ、分かったよ

あんちゃんの熱意に免じて今回は黙っておくよ。今回だけだよ。

ただ、もし自分の手に負えなくなったらすぐに先生に頼ってほしい。これは先生からお願い。」

 「……はい、ありがとうございます。」


 ほうっと息を吐いて、ひとまず胸を撫で下ろす。

これで一つ目のハードルはクリアした。俺のこの一年間のクラス委員としての活躍が評価されたのだと思いたい。


 「ただ、一つだけ言っておくけど責任っていうのは大人がとるものだよ。

あんちゃんにはまだ荷が重い。」

 やっぱりまだまだのようだった。



 「先生、ここまだ使っていいですか?」

 先生との交渉を終え、席を立つそのタイミングで問いかけるとあっさりと答えは返ってきた。

 「ん?ここを、まだなんかするの?まあ別にいいけど終わったちゃんと鍵を返してね?」

 「はい」


 そう言ってドアを開け、部屋を去る先生を見送って俺は凪沙と対面するように座り直した。

 これから第二ラウンドだ。気を引き締めよう。

 「あの……すいません。さっきは何もお手伝いできなくて…」

 肩を落として、シュンとする凪沙は嫌に絵になるあざとい仕草で落胆する。

 「いや、まあ、俺が事前に何も言わなかったのが悪かった。だから気にすんな」


 俺はすでにこれからどうするかを決めていたが、凪沙にはまだ何も話していなかった。

 というより話をあえてしなかった。

 俺がこれからやろうとすることはもしかすると凪沙の今後の学校生活を脅かしてしまうものになるかもしれない。

俺と長瀬はそれなりに付き合いのある仲だが、凪沙はそうでもない。


 まだ転校して数日しか経っていない大事なこの時期に彼女に知り合って間もないクラスメイトのために余計なリスクを負わせるような真似をさせられない。

だが、もし凪沙にその気があるのなら…

 俺はまずここ最近に長瀬の身に起きたことを事細かに話す。


 長瀬がクラスメイトから反感を買っていること


 そしてそのクラスメイトから、心無いことを言われたこと


 最後に長瀬が抱える家庭の問題



 俺は長瀬とは一クラスメイトに過ぎないが、それでもかなり踏み込んだことも話した。

後で長瀬に怒られるかもしれないが、それは多分無理やりにでも凪沙を巻き込みたいという思惑があったからだと思う。


 「……それはやっぱり私のせいですか?」

 話を聞き終え、凪沙は開口一番でそう言ってきた。

その顔には悲嘆と覚悟が見え隠れしている。

ここで答えを濁すのは簡単だし、普通ならそうするのが正しいのだろう。

そもそも来たばかりの凪沙に非などあるわけない。これは身内の中で今まで曖昧にしてきたものが、膨れ上がって勝手にこちらに飛び火しただけに過ぎない。

 いわば、とばっちりだ。

凪沙が悪いということなどあるわけない。これは確かな事だった。

 だが


 「お前のせいではない、……でもお前が原因ではある」


 俺はそう答えた。

 ただ、これも紛れもない事実だった。要因は別にあっても引き金になったのは凪沙で、それによって長瀬が傷ついてしまった。


 俺たちのやり方に問題があったのかもしれない。もっと上手く事を進める方法があったのかもしれない。

 ただ結果としては長瀬は塞がりかけていた傷が再び開かれる結果となった。

これも自業自得だ。関わらなければそんな事にはならなかっただろう。


 とどのつまり俺が言ってることなど、ただの八つ当たりに過ぎない。

それでも、もし凪沙が……八つ当たりだと分かっていてもなお、長瀬に愛着を持っていて、彼女を助けたいと思ってくれるのなら。

 その可能性にかけ、俺は凪沙に一つの問いを投げかけた。


 「凪沙、お前はどうしたい?」


 我ながら呆れた質問だと思う。ここまでお前のせいだと言っておいて、その上でどうしたいなどとは……


 それに加えて凪沙の性格を考えるのなら……人間関係に疎い彼女なら出てくる答えは決まっている。

 「長瀬さんが困っているなら、私、何とかしてあげたいです。」

 予想はしていたとは言え、凪沙にそう答えるように誘導した自分にはたはた嫌気がさす。


 凪沙が純粋ならそのままで良いはずなのに、その彼女をわざわざ卑しい道へ引き込む必要があるのか

 だが凪沙は


 「あ、あの案野君、その、なんて言ったらよくわからないんですけど、私が今ここに居てこうしているのは全部私の意思です。

だから、思いがあがるつもりではないんですが、その……もし案野君が私のせいで気を病んでいるのならそれは多分、杞憂だと思います。」


 そういう凪沙の顔には躊躇いの色は見られない。

 「それに私は知りたいんです。なんで私のせいで長瀬さんが傷ついて、なんで私がクラスのトラブルの種になっているのかを。自分の目と耳で感じたいんです、人の気持ちを、考えを。知って自分なりに考えて迷って、そして分かりたいんです。」


 力強くそういう凪沙は本気の目をしていた。

彼女の身に過去に何があったのかは分からない。

ただそれだけ本気になるほどの何かではあったのだろう。

 「……分かった。凪沙にも協力してもらう。」

凪沙の言ったことがどこまで本心だったのかハッキリとしないが、これ以上考えるのはもはや徒労でしかないだろう。ただすこしだけ凪沙の言葉が救いにもなった。


 「はい、それと私からもう一ついいですか。」

 「なんだ?」

 「長瀬さんと案野君は私にとってはここで出来た初めての友人です。だから長瀬さんが一人で傷ついてしまうのはすごくつらいです。」


 そう言って目を伏せる凪沙。

 「だから案野君も……」

 ここでようやく凪沙の言わんとしていることに察しのついた俺はその先を口にした。

 「分かってる。俺は一人で事を解決するつもりはない。

 ただ出来るだけ、誰の目にもつかないように働きかけて裏で糸を引くだけだ、実際は何もしない。

だから、安心しろ。お前が心配するようなことは起きないし、起こさせない。これでいいか?」


 もともとそのつもりだ。

俺は自分を犠牲に出来るほど人間が出来ていないし、自分を安売りもしない。

 結局、自分が大事なのだ。

 だから長瀬が以前に言っていた通り、俺はどうも青春という物語の主人公たる度量ではないようだ。


 凪沙はそんな情けない俺の目をじっと見据え、そして声を出さずにただ首だけを縦に振った。

 長瀬の行動を否定することにもなるが、それでも俺は自己犠牲と自己満足は表裏一体だと思う。


 結局は自分以外にもこうして傷を残す上に余計な災いの種にもなりうる。

そしてなによりも救われない。

それは助けた側も助けられた側も、だれ一人としてロクな目を見ない。


 だから、俺は絶対にそんな真似をしない。

姑息であろうと陰険であろうと、俺は自分の身は守るし表立っては動くつもりはない。

  責任は取るべく者が取るべきで、他の誰かが肩代わりするものではない。

 そんな殊勝な真似が出来るほど人間ができていないし、そんな大層な器でもないつもりだ。結局はただの人間なんだと改めて理解した。

 青春という言葉には決して騙されない。



 「具体的にはそれで一体何をするんですか?」


  凪沙の一言に俺も気持ちを切り替え、話を続ける。

俺の決心の上での行動。

 それは、どこまで愚劣で果てしなく支離滅裂な話だろう。それこそ、聞くに堪えないほどの……


 だが、一連の件は土台からして無茶苦茶だった。それも修繕不可能なほどに。

 話し合っても、分かり合っても関係は良くならないだろう。

だとしたら、もうできる事と言えば一つだ。

痛み切った人の繋がりを根本から覆し、この話に終止符を打てる最後の方法、それは……


 「人間関係を、破壊する」


 

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