第11話



 長瀬が凪沙の面倒を見ると宣言し、はや三日が経った木曜の昼。


行徳が結果を伝えるといった金曜日の前日だ。

俺は昨日の小板橋からの話を何度も頭の中で反芻し、それでもいまいちその話を呑みこめていなかった。


なんせ、あまりにも突飛な内容だ。

そのため 昨日の話と俺の記憶をすり合わせていた、そんな昼下がり。

 事態の変化は急激に訪れた。


 「長瀬さーん、ちょっと良い。」

 昼休みが始まり間も無くに長瀬の周りには三人の女子が群がっていた。


 そのうちの一人は高圧的な態度の笹栗とはまだ顔と名前が一致していないが一人、そしてもう一人はそこそこ知った顔だ。

バスケ部の加藤 若菜。運動部特有のショートの髪型に、これまた派手目の女子に多い着崩した制服。


 そして手首にはその髪の長さで使う意味があるのか分からないシュシュが巻き付いている。

イメージとしては女王様の笹栗に振り回される手下と言う感じの奴だ。

という事は、傍に立っている派手目の女子が笹栗でもう一人の背の高いのが井上という事になる。


紛れもないこのクラスの覇権を争う笹栗派の一員だ。

その派閥からの凪沙ではなく、長瀬への呼び出し。

笹栗一派は方向転換をしたと見える、だとしたら絶対ロクでもない話だろう。


 この際、凪沙の勧誘よりも長瀬への釘差しに移行したと考えられる。

案の定、三人のうちの二人の目には明らかな敵対の色が浮かんでいた。

 特に笹栗なんかはどう見ても喧嘩腰だ。

正面からやりあうつもりだろう。

ただ加藤だけは腕を組み高圧的な態度をとる二人に比べ、随分と居心地が悪そうにしている。


 見るからに、この行動には消極的そうだ。

 その理由は去年、長瀬と同じクラスだったというのがあるからだろう。

全くの初対面の二人と違い、加藤は長瀬と友達とまではいかなくとも顔見知りくらいの関係だろうから無理もない。


 加藤は長瀬と目を合わせずにもじもじと手持ち無沙汰な様子だ。

 一方の長瀬はというと憮然というか堂々というか、まるで断頭台に向かうマリーアントワネットのような厳めしい態度で席を立つ。


 その荘厳でどこか貴婦人のような気品の良さも匂わせる出で立ちはどう見ても高校生離れしていた。

 ありゃ、潰す気だな……

体の節々から苛立ちが湧き出ているのを見て真っ先にそう感じた俺は早々に席を離れる。

長瀬がああいう態度をとる時は決まってそうだ。


 なまじ頭が良いだけに舌戦となれば負けなしで、しかも相手の心が折れるまで攻め続けるその姿勢は子供なのか大人なのかよくわからない。

そして、相手を言い負かすと決まってバツの悪そうな顔を俺に向けてくるため今回は見ないふりをしておこうと思う。言うなれば武士の情けだ。


 廊下で一人、そんな自分に酔いしれながら購買へと足を向ける。 

これは昼が終わるまで教室に戻らない方が良いだろう。

しかしそう考える一方でふと昨日の事を思い出しどこか今の長瀬には危うさを感じてしまう。


 がやや悩んで、やっぱり今はそっとしておくことにした。

怒りが溜まっているなら思いの内を掃き出させる方が良いかもしれない。

長瀬には、ここ数日でかなりのストレスが溜まっているはずだ。

無理な辛抱はその精神への負荷を考えると、あまり無視も出来ない。


 そしてそれよりも大きな理由としては昨日の話の確信を得たいというもので、そのためにまだ少しの時間と人気のない場所が欲しい。

そう割り切って購買でベーコンエピととり天バーガー、そしてお供にコーヒー牛乳という安定と信頼の布陣を揃え、ビニール袋を片手に校舎から離れる。


 今日は天気も良いから、久々の野外で風に当たるのも良いだろう。と言うより屋内に人気のない場所など皆無に等しい。

 校舎から長々と伸びるわたり廊下を進み、駐車場を横切って講堂と武道場の間にある小道に入る。

そこには講堂に大型の機材や吹奏楽部の楽器などを出し入れするための広めのスペースがあり、荷物を搬入するために地面から五段程高い台座がある。


 これはコンクリートで出来ており、地面からも離れているため制服を汚すことなく腰を下ろすことが出来、そして何よりも人の往来がほとんどない。

 まさに俺のためだけにあるベストプレイスなわけだが、今日はどうも先客がいたようだ。

角を曲がる前に女子の声が耳に触れる。


 この時点で恐るべき勢い下がるテンションをギリギリで留めて、壁から張り込みの刑事のように様子を窺う。

俺のベストプレイスを汚すふと届きな輩を確認するためだ。

そして覗いた先にいたのは四人の女子生徒だった。


 一人は良く知った顔で、もう一人はまあまあ知った顔、そしてもう二人は最近知った顔。

というより長瀬たちだった。

 おいおいまじかよ……

わざわざこっちが教室から出てきたというのに、まさかこいつらも校舎から出ているとは何たる不覚。

二つの思惑がこうも重なってしまうとはな。


 ていうか、今時の女子もこうして建物の裏とかに呼び出しとかするのね。

鉄板の体育館裏と違い今は講堂裏だが呼び出しの内容は鉄板だった。


「長瀬さん、呼ばれた理由……分かるよね?」

 最近知った顔のうちの一人、笹栗が不機嫌そうに言う。

加藤よりもさらにイケイケな風貌でこれまた手首にシュシュを巻いている。いや髪結べよ。


 兎にも角にも笹栗は、ちょっとやり過ぎじゃないのというくらいの如何にも不機嫌ですよオーラ全開の冷たい声で長瀬に問いかけるも、長瀬はさもありなんといった調子で応じる。


 「凪沙さんのことでしょ」

 とぼけられると思っていたのか、まさかあっさりと核心に触れられ笹栗は少し戸惑う。

 「そ、そうよ。」

 「で、私はどうしたらいいの?」

 喰い気味に迫られ、笹栗はさらに動じる。

 「だから、その凪沙さんと……」

 「小春と何?仲良くしないでって?

 だとしたら、どうして笹栗さんに私の交友関係を制限されなきゃいけないのかな?」


今まで凪沙の事を名前で呼んだことなどないのに、ここにきて親密度を装うとは流石長瀬さん。

それに加え、言いたいことを先回りされ完全に長瀬のペースに陥る笹栗。


 「別にそこまで言っているわけじゃ、ただ」

 「ただ何?一応こっちは先生から小春の事を任されているわけだし小春にも話を通しているから

あなたに指図される謂われはないけど、それに」


 畳み掛けるように自分の正当性を主張し、最後に追い討ちをかける。

 「あなたたちが、誰と何で争おうが私は構わないけどそのくだらない諍いに小春を巻き込もうとするのは止めてくれない?

迷惑だし、見ていて不愉快だから。」


 攻めたてるつもりが逆に言い立てられ、唖然と口を開く笹栗と他二人。

その様子を何事もなかったように長瀬は平然と見渡し

 「用事はもういい?だったら私行くから」

と吐き捨てるように言ってとその場を立ち去ろうとする。

そこへ我を忘れ茫然としていた笹栗が慌てて口を開いた。 


「ま、待ちなさいよ!まだ話は終わってないから」

ここで見逃してしまえば完全に敗北すると察して呼び止めたのだろう。

その諦めの悪さに長瀬も苛立ちを表に出し始める。


 「あのさ私、あんまり暇じゃないんだけど。

だいたいこんな人目の付かない所に呼び出して複数で囲いこんで脅迫とか……」

 その一言にピクリと加藤の肩が揺れる。

やはりあまり乗り気じゃなかったのだろうか、目がわかりやすく泳いでいた。

 長瀬はそれには全く目を向けずボソッと言い加えた。

 何時まで子供のつもり……

最後は小声で感情を剥き出しにして言い放つ長瀬に、つい笹栗も怒りをぶつけた。


 「そ、そんなあんただって親の気を引くために家出をするようなガキじゃない!」

 「ちょっと、マキ……」

 加藤が笹栗を言い抑えようとした、その時空気が凍ったかのように冷え切った。

今までこの場に吹き込んでいた微弱な風はぴたりと止み、講堂裏を気味の悪い静寂が包む。

長瀬はおよそ感情と言うものが消えた無機質な顔で笹栗に歩み寄る。

その歩き方は死人のようで、ただ生気の代わりに溢れんばかりの怒気を孕んでいた。


 長瀬はそのまま静かに笹栗の前に立ってそして垂れ下げていた右手を思いっ切り振り上げた。

 その時、


 「長瀬!先生が呼んでいるぞ」


 長瀬の振り上げらえた右手が笹栗の頬にあたる直前で、俺は叫んだ。

声は狭い建物の間で反響し、長瀬の耳にも届いたようだ。

持ち上げていた手を寸でで下ろし、さっきよりもやや感情の戻った顔でこちらに歩いてきた。


俺は講堂の裏に残る三人の顔を最後に一瞥してから渡り廊下を歩く。

そしてその後ろを長瀬も少し遅れて静々と付いていく。

そこに会話などは一切ない。

ただグラウンドに面した細長い道を二人で歩いていく。

歩いていてなぜかいつもの廊下が少しだけ長く感じてしまうのは、気のせいではないだろう。


 ようやく長い廊下の突き当り、校舎の入り口に着くと俺達は二手に別れた。

特に用事があったというわけではないが、これ以上は一緒にいるのが非常に気まずかったため長瀬と離れることにした。

俺は教室、長瀬は手洗い。

 もはや一緒の場所にはいれない。 

それぞれの目的地へ向かうため背を見せようとすると、別れ際に長瀬が消え入りそうな声でつぶやいた。


 「……ごめん」


 俺は振り返ることはせずにただ前だけを見ていた。


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