第10話
今の俺の身で、最も優先的に行うべき事は何か。
渦中の中心である行徳はカーストランクが9.それをとりまく望月と笹栗は8。一定のステータスを持った二人は当然、相応のプライドも持ち合わせている。メルヘン乙女とどきつい女王様。
これは俺一人がどう喚いても、事は動かないだろう。
なら何をすべきか。
とりあえずは情報集めだ。
長瀬が一人で体を張っているのだ、俺が何もしないわけにはいかない。
それに長瀬もそれなりに話を聞いてきたようだが、それでもまだまだ不確定なことが多い。
特に行徳の行動にはまだまだ俺達の理解できない言動があるため、そのあたりを突いてみれば何かしらのヒントが得られるかもしれない。
そこから得られる情報次第では、今のクラスの打開策が見つかるだろう。
そう思い立ち俺は放課後の過酷な部活動と言う名の労働を終えると服を着替えて、そのままグラウンドへと赴く。
夕暮れの校庭には様々な球技系のクラブが駆け回っており、ここから見ていると多数のスポーツが混沌と入り混じっているようにも見える。
俺はその中で用のあるクラブの終礼を待つため、校舎の外れの部室棟の前で寄りかかって待っていた。
今思うと、今週は真っ直ぐ家に帰った試しがないな。
残業手当の一つでも出てくれなければ割に合わない。
とそんなボヤキを吐いていると、ようやくお目当てのクラブである野球部が集合を始めた。
昨日話を聞けなかったリベンジだ。
威勢の良い掛け声と勇ましい足音で素早く大きな円陣を組み、練習後のミーティングを始める。
円の中心には中年の日焼けした野球部顧問が、やや苛立ち気な面持ちで部員たちに激を飛ばし部員達もそれに応えるように首を振っていた。
その話の内容までは聞こえてこないが、あまりいい話ではなさそうではないのは部員たちの表情でどことなく分かる。
やはり何かあったのだろうか。
俺からしたら他人事以外の何物でもないが、今日という日を境にそれがそうならないかもしれない。
その可能性を確信に変えるべく、今はただひたすらに待つ。
五分ほどのミーティングがようやく終わり、野球部の円陣が解かれて散り散りとなる。
真っ先に汗を拭いマネージャーらしき下級生の女子から飲み物の入ったボトルを貰っているのが今年で最後の新三年生で、駆け足でグランドを走り回っているのが新二年生だ。
そしてホームベースの裏手にあるフェンス越しにその様子を見ているのがおそらく今年の入部希望の一年生だろう。中にちらほらと見える女子はマネジャー志望だろうか……
羨ましい。
まだ新しい体制の出来ていない部活は見ていて、安定感に欠ける。
そのためなのかグラウンド端の物置小屋からトンボ箒を持って地面を慣らす二年生の姿はどこか落ち着きがないように見える。
三々五々でヒソヒソと小さなまとまりで雑談をする光景はどうもきな臭いような雰囲気が漂う。
あくまで俺の先入観越しでの感想だが……今はそう願うばかりだ。
オレンジ色の夕日が沈み、いよいよ本格的に夜が訪れ始めるとようやく最終下校時刻のチャイムが鳴って、野球部の集団が部室棟から顔を出した。
俺は暗がりから自分の顔が見えるように、まだ明かりの点る校舎の方に詰め寄ると群れの中から一人の坊主頭が近づいてきた。
と言っても野球部員は全員坊主なのだが。
頭の形の良いその坊主頭は、疲れ顔の上に気前の良い微笑を重ねて片手を上げている。
この汗臭さと爽やかさの二つが混在するザ・野球部員の名前は小板橋 直樹。
俺の中学からの友人で、家の方向が同じだったのと過去に同じようなトラウマを抱えていたこともあってか数少ない俺の交友関係の中でも指折りの仲だったりする。
またおしゃべり好きで話もしやすく、よく冗談も言うがそれでも根は生真面目な所もこいつとの仲の一因である。
今現在はうちの高校の野球部に所属しているが、中学の頃は学校の野球部にはあえて入らず地区のクラブチームに加入して本格的に野球に汗を流していた典型的な高校球児だ。
それほどの熱い熱意を野球にぶつける所からなんでも時期キャプテンとの声も高いという。
俺とは高校でクラスが被らなかったため、やや疎遠気味であったが久しぶりにその友情を確認するという名目で今日は近づくことにした。
「よお」
「珍しいなー、お前から俺の所に来るのは」
「まあ、たまにはな」
ホントは昨日も声を掛けようとしたんだが、それを言う必要はない。
久しぶりという事もあってか、ぎこちなさ気に挨拶を済ます。
「そっか、ならちょっと待ってろ。」
小板橋はそう言って前を歩く野球部の集団に駆け歩いてほかの部員と日一言二言、言葉を交わすとすぐに戻ってきた。
「よっしゃ、行こうぜ。」
こいつは俺とも長い付き合いだからある程度の気を使ってくれる。
特に何も示し合わせることなく自然と自転車を並べて、帰宅路についた。
その途中で何事もない雑談に花を咲かせる。
学校生活のことや家庭でのこと、かつてもよく話のタネになっていた話題でそこそこ盛り上がっているといつの間にか、小板橋の家の近くの公園にたどり着いた。
何だかこんな和やかな空気とおさらばするのは名残惜しい気もするが、致し方ない。
「とりあえず座ってもいいか?」
「なんだ、長話か」
小板橋は俺の提案に特に反発することもなく、向かい側のマンションの花壇に腰を掛けた。
「まあ少し込み入っててな。」
俺は凪沙の名前と俺がこの一件に大きく関わっていることはあえて話さず、それ以外を出来るだけ詳しく小板橋に話した。
クラスでの女子達の騒動を違うクラスの男子に話すのは、変な気がしないでもなかったが…
「……」
何も言わずにただ黙って俺の話を聞いていた小板橋は若干の間を置いて、ようやく顔を上げた。
「……その話ってさ、お前が誰かから聞いた話なのか?」
「そうなるな……」
「他に何か聞いてないか?」
普段穏やかな小板橋にしてはかなりきつめに質問を重ねてくる。
これは、地雷を踏んだかな…
そんな事を黙して思っていると、さらに予防線を張って来た。
「一応、部内での話だからあまり部外者に漏れるのは良くないんだけどな……」
これはまずいな。
親しき中にも礼儀ありとは言うが、どうやらこの話は本格的にタブーなのかもしれない。
真面目な顔で完全拒否を示され、一瞬たじろぎながらも気を持ち直す。
小板橋の反応を見るのなら、野球部がこの件についてまだ何かを隠していることは間違いない。
だからここで引いてしまっては、もう打つ手がなくなる。
「それは分かっている。俺はお前らの事に口を出すつもりはない。でも」
ここまで守りが堅いとこちらももう出し惜しみは出来ない。
「実はこの話に俺のクラスに新しく入ってきた女子が関わっていて……」
凪沙の話を始めると小板橋の剣呑さが徐々に薄れ、次第にそれが同情の籠ったようなものに変わっていく。
「……というわけだ。もし何かあるのなら俺に教えて欲しい。」
「……」
ほとんど泣き脅しのような格好で頼み込む俺に小板橋は頭を抱える。
「少し待ってくれ、今ちょっと……混乱しているから。」
その顔に俺は一旦腰を上げ、その場を離れる。
時間は差し迫っているが、今焦ってもいい結果は出ない。
とりあえず小板橋を一人にして、近くのコンビニでコーヒーを二つ買う。
気持ちを落ち着かせるにはコーヒーが一番。
通いの喫茶店で培った経験を活かし微糖と記された冷たいカンの入った袋を持って帰ると、小板橋はやや落ち着きを取り戻したのか苦笑い浮かべながらその一つを受け取った。
「お前はなんでそこまで転入生に入れ込むんだ?」
唐突な質問に口の中のコーヒーを一気に飲み干して答えた。
「……理由は任されたから、だな。」
「それだけなのか?」
「まだ理由があるとしたら……ちょっと深追いし過ぎてもう後戻りできなくなってしまったからだな。それも俺だけじゃなくてもう一人の委員長も巻き込んでな……」
情けないがこっちの方が本音に近い。
凪沙のサポートをするつもりがいつの間にか、ずるずると引き込まれていた。
その結果が昼間の長瀬の姿だ。
「そうか」
小板橋は俺の顔色を窺ってか、暗い面持ちで応じる。
「それでうちの部活の事を話せば、案野のクラスのごたごたは解決するのか?」
「……その可能性があるとまでしか言えない。」
そもそも俺一人が頑張ったところで事が収集出来るか分からない上に、仮に解決してもそこから派生した人間関係が上手くまとまるとは言えない。
俺はそれほどの影響力をクラスに持っていない。
関わった所で、塵芥の如く吹き飛ばされるだけかもしれない。
ただ俺の目に映る二人の女子生徒を顔に見て見ぬふりもできない。
「ただ、勝算が低くても俺は自分で出来る程度の事はする。それに……相手は女子二人だぜ、働くしかねえだろ。」
情けないのも本音だが、これもまた本音だ。
少なくとも俺は長瀬が一人傷つくのを良しとしていない。
凪沙がクラスで窮屈そうにしているのを見過ごせない。
再び口を閉ざす小板橋はしばし黙考し今度は俺の顔をじっと見つめて、ようやく重い口を開いた。
「お前のそういう所、ほんと変わらないな。」
「変わらねえよ。俺は俺だ。」
どこかで聞いたことあるフレーズにニヒルな笑顔で答えると、小板橋も笑みを浮かべた。
「分かった。俺が聞いている範囲でなら全部を話すよ。
どんな形であれ、部外者に迷惑をかけたんだ、これくらいはするよ。
ただお前が聞いていることとかなり話は違う思う、混乱するかもしれないけどそれは後で間違い探しだ。」
「恩に着る。」
聞きたかった言葉を言いたかった言葉で返す。
そして俺もこの話を聞く以上は後には引けないのだと心を決めた。
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