第9話

 翌日の水曜日。

晴れ間の覗く、教室は秋吉台の洞窟のように薄暗かった。

 比喩抜きで……

 なんで電気つけてないんだよ。

とりあえず、俺は壁の電気のスイッチを入れ明るくなった教室の一席に座った。

 これもクラス委員の仕事かと思いつつ普段はこれをいつも長瀬がしていることだという事に気がついた。

今日は凪沙のためにギリギリの登校をしているから電気も付いていなかったが、普段はあいつが誰よりも早く来て教室の

準備をしてのか。

 いつの間にか長瀬一人に仕事を任せていたのかと今更ながらに気づき、俺は気を引き締めることにした。


 そして今日も今日とで凪沙たちが登校をしてくる。

長瀬と二人、時間ギリギリで。

 その挑発にも見える行為に他の女子達は鋭い眼光を向けてきた。

バスケ部女王様こと笹栗なんかは額に青筋が浮かび上がりそうな程、ご機嫌斜めだ。


 いつ爆発するのかが恐ろしい。

そのタイミングが分からないだけに……


 「凪沙さん、それじゃあ」

 「は、はい、また後で」

 長瀬は席に着き、それ以上クラスに目を向けることなく窓の外を眺めていた。

クールに中庭を眺めるその姿は大変良い絵になるが、俺にはクラスの視線を避けるようにも見える

 ああ見えても、やはりストレスを感じているのだろうか。

あいつは顔には出さないからなあ。

 人知れずこみ上げてくる不安と焦り。

それでも凪沙を囲む状況は変わることなく、長瀬は一人心を痛めるのだった。


 毎時間訪れる授業の休みの度に凪沙は声を掛けられその度に長瀬が動く羽目になる。

 凪沙はやはり隙が多いのか、それともお人よしなのかは分からないが簡単に人の話に呑まれるため長瀬が割って入るしか勧誘を停めることができない。仕方ないと言えばそれまでだが、あれでは長瀬だけあまりに不憫だ。


 しかし、かといって俺が口を挟むことも出来ない。

そんななんとも気分の悪い時間はまたも過ぎ去り昼休みになった。


 例の如く長瀬は凪沙を教室の外へ連れ出す。

 凪沙の手を引き教室から歩き去る長瀬の背中に多くの冷ややかな視線と、耳障りな陰口が囁かれるのを目の当たりにし俺も席を立った。


 各学年に十個あるクラスの前半の教室が並ぶ教室棟と、後半クラスの教室がある教室棟、その両端を三階建ての渡り廊下と実験棟が結ぶカタカナの『ロ』のような形をした校舎郡の、その空白部分に花壇とベンチが並ぶ小さな中庭がある。


そこは、日当たりもちょうどよく突飛な風も吹かないため主に一部の生徒の間で人気のランチスポットである。


その一部の生徒、制服を校則ギリギリの範囲で着崩した比較的派手な装いと、周囲に存在感を示すような大きな声で談笑する上位カーストの男女たち。

学年でも指折りの有力な生徒たちだけが集うその中庭で、長瀬と凪沙はごく自然に昼食を摂っていた。


 ここでの昼食はそういった者たちだけが昼休みに立ち入ることを許されるという不文律があるだけに、周囲の者は普段見ない顔に不審げな表情を浮かべているがそのあまりにも堂々とした態度にそれ以上の追及はしてこなかった。

 長瀬の豪胆さと、そんな暗黙の了解などしらない凪沙だからこそ、こうして自然に過ごせるのだろう。


 俺にはとてもまねできない。

だから、二人の昼食中は決して中庭には足を踏み入れず近くの柱からケータイをいじるふりをして長瀬達が出ていくのを密かに待っていた。

そんな居心地も胃にも悪い時間を十分ほど過ごしていると、ゆったりと昼食を終えた二人がこちらに向かって来た。


 「よお」

 「……なによ」

 やや不機嫌そうな所を見ると長瀬も無傷と言うわけではないのだろう。どことなく疲弊しきっているようにも見える。

あそこまで多くの人間の恨みを買っては無理もない。


 「いや、ちょっと張り切りすぎじゃねえのかなって思ってな。」

 「私は大丈夫よ、こんなの。別に慣れてるし。」

 あくまで平然と応える長瀬に隣の凪沙も不安げな視線を向ける。


 「あの、その、長瀬さん」

 「凪沙さんも大丈夫よ、とりあえず金曜までには話はつくだろうし、それまで耐えれば良いだけな話だから……」

 言葉とは裏腹に、その顔はどこかこわばって見える。

それが気になって俺もつい口を開いた。


 「なあ長瀬、あんまり……」

 「案野、私は自分から進んで凪沙さんの事をサポートするって決めたわ。こうなることは最初から分かっていたし、いまさら手を引こうとも思わない。」

 俺は黙って長瀬の話を聞く。


 「だからもうちょっとだけ私に任せて、ちゃんとやり遂げるから。」

 さっきまでの態度とは打って変わって、いつにない鬼気迫った声音に俺もついたじろぐ。

 今までに長瀬のこんな顔を見たことがない。

半年ほど前に自身の問題に向き合っていた時でも、どこか他人事の様だった長瀬がここまで熱を入れるのはなんの理由からなのだろう。


 結論など絶対に出ないであろうその問いを無駄だと分かっていても考えてしまう。


 「それに……本当にダメになったらちゃんと案野のこと頼るから、それと凪沙さんにも。だから……」

 「分かったよ、お前がそこまで言うならもう口を出さねえよ。」


 気の利いた言葉など思いつかず、それだけを口にした。

我ながら情けなさの極みだが、これ以上余計な事を言うのも長瀬の事を考えると憚られる。


 後は長瀬次第だ。

 あまり口に出すのは、長瀬にも失礼なのかもしれない。

 周囲の華やかな喧騒を背に俺は静かに歩き出した。

これ以上俺がここにいても、あまり良いことは無い。


 歩みながらただ胸に感じるやるせなさと歯がゆさに、歩調は荒れる一方だった。



 結局長瀬はその日も一度たりとも凪沙を近づけさせないまま、一日を終えた。

多大なる不満と妬みをその一身に受けて。


 終礼後、最後まで初心を貫き通した長瀬は凪沙と共に教室を後にした。

周りの女子達はもはや諦めたのか、それとも明日のために一時的になりを潜ませただけなのか、特に動きは見せずに流し目でそれを見送った。


 その分だけ明日の反動が怖くなってしまうが……

兎に角、これで凪沙に変な虫が付くことは今日は避けられたのだ。

しかし、明日も同じことが起きると思うと、やはり何かの手を考えなければいけない。


 理由は言うまでもなく長瀬だが、もちろん凪沙の今後のこともある。

今からの時間は、その次の日からの事に専念しなければいけない。


過去にこんなにも明日の事について考えたことはないだろうが、今日ばかりは普段ロクに使わない前頭葉あたりを酷使しなければいけない。

このまま凪沙が庇ってばかりではクラスにも打ち解けられないだろうし、本人のためにもならない。それに長瀬も。


明日は色々と頭やら気やらを使っていかなくていけなさそうだ。

ただ一つ、長瀬の疲労に比べて俺が何も出来ていないことが無性に焦りを募らせるのだった。

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