第7話

 「それではお先に失礼します。」

 そう言って凪沙はおよそ同級生に向ける態度とは思えない仕草で喫茶店を後にした。


 なんでも引っ越しの業者がこれから荷物を引き渡しに来るとかなんとか。

凪沙もまだ福岡に来て日が浅い、色々と慌ただしい時期なのだろう。

彼女が立ち去るのを見やって、俺は一口コーヒーを口に含んだ。


 まあ、本題はこれからだ。

 先生から頼まれたことは、凪沙の人生相談ではなく学校生活の援助である。

冷たい言い方にもなるかもしれないが、今日凪沙の性格を探ったのも本当の意味ではうちのクラスに馴染めるかどうかを探ったからに過ぎない。


 凪沙のあのルックスとクラスの雰囲気、その二重の意味で俺達のクラスでは相応の身の振り方と立ち回りを

ちゃんと考えてなくては今後の学校生活に支障が出る。

 転入生となると、人との関係の作り方は普通よりも閉鎖的で単一的になり易い。

それらの事を考慮しての今日の集まりなのだが、結果として凪沙の性格ではあのサファリパークのような教室ではトラブルの種になり得ると俺は思った。


 「はー、しんどい!」

 大きく伸びをして背筋の凝りをほぐす。

授業でもないのにこんなに頭を働かせてしまったのだ、肩も凝る。

 「口に出さないで、疲労感が増すわ。」


 そう言いながらも長瀬も目元を押さえ、疲れを露わにする。

凪沙が去った後、再び俺の正面に座り直した長瀬はコーヒーカップを口にしておもむろに口を開けた。


 「凪沙さんの性格って、そんなに悪いことなのかしら?」

 ふと投げかけられた問いには、疑問以外にも別の感情が見て取れる。

 「別に悪いわけじゃないだろ、個人の性格だから良いも悪いもないし。まあ、それでも悪いものを上げるとしたらあの性格を受け入れられない周りじゃねえの。」

 「そうね……やっぱり、凪沙さんの性格が悪いわけじゃないわよね。」

 言い聞かせるようなそんな口調には、今日凪沙と築き上げたばかりの小さな友情が滲み出ていた。


 少なくても、長瀬がたった一日でここまで自分の心を開けたのは凪沙のその性格が起因しているはずだ。

悪いだなんて思えるはずもないだろう。


 それにしても凪沙の前の学校での生活が気になる、前は一体どうやって学校生活を送って来たのやら。

 「まあ、とりあえずは凪沙の事は大凡分かった。」

 「ふう…、それもそうね。」

 「だとしたら次の問題は、うちのクラスというわけだが」


 それを何とかするには今自分のクラスで何が起きているのかを出来るだけ正確に知る必要がある。

直感的にだが、クラスの妙なもの静けさは女子が原因であるように思えるのだから話を聞くなら男子よりは女子の方が詳しそうだが…


 ちらりと目の前に視線を飛ばす。

 長瀬は普通の女子よりもはるかに同性のコミュニティが狭いが、それでも上位カーストにいるだけあって情報を掴んでいそうだ。

話を聞くには十分な人材と言える。


 店内に流れていた軽快なジャズの音色は曲調を変え、先ほどよりもよりシックで落ち着いたものへと変わり店内の雰囲気もそれに合わせてどこか大人びたムードを漂わせていた。

 窓から映る日の光も赤みを帯び始める。

前の長瀬はというと面白くなさそうな顔で携帯をいじっている。相変わらず感情の起伏の激しい奴だ。

 そんな様子を見て本題を切り出すのが、やや億劫になったため互いの肩の力を抜く意味も込めて一度別の話題を話してみることにした。


 「ところでだがお前、家の事とかは大丈夫なのか?」

 出たきた言葉はややナイーブなものであったがわざと口調を明るくし誤魔化しはしたが、それでも不思議そうな顔の長瀬を見て今更ながらに気まずくなる。


 思えば普段は互いに茶化し合うくらいの仲だから、こんな風に真面目に心配するのは新鮮でもあり気恥ずかしいものでもあった。

 「……」

長瀬は携帯の画面から目を上げしばらく俺の顔を見ていると、クスッと笑ってみせた。

 「心配してくれてるようだけど問題ないわよ。最近はおとう、父親ともメールのやり取りもしてるし、大丈夫よ。」

 「お、おう」

 生返事で答え、それを誤魔化すようにカップのコーヒーを飲み干す。


 いつも通りのどこか冷たさを感じるような返しではなくていつにもないような穏やかな返しで、面を喰らってしまった。

 この話を俺から持ち掛けたのは初めてで長瀬にとっては難しい話題なためやや心配したのだが、どうやら杞憂で終わったらしい。

 それならそれでいい。


 少しずつだが、長瀬も立ち直ってきてるのならそれに越したことはない。

その事実が俺を少しだけ安心させた。


 「ならとっとと話を進めるか…ってお前さっきから何見てんの?」

 一人そんな感慨に浸る俺を他所に、携帯をいじりながら相も変わらず仏頂面をしている長瀬は見ていた画面をこちらにと差し向けた。

 「ん?」


 おっかなびっくりといった様子でその携帯を手に取る。

なんだか、人の携帯を見るのはそれだけで緊張する、しかも異性!

 と、興味半分で液晶を覗く。

 画面にはピンクを基調とした壁紙にえらくくねくねした文字が並ぶ大変読みづらい。


 そしてスクロールしてみると、下にはいくつもの動画の再生画面に青色と赤色のアカウント名のようなペンネームが並んでいた。

なんらかの動画とそれの投稿者のようだが、なぜ二人分の名前があるのだろう。

いまいちよく分からず、顔を上げると長瀬が頷く。

これは再生してみろという意味か?

まあ、それならそうするまでだが。


 すでにホームページのレイアウトで内容がよろしくないのは察せるが、とりあえず再生ボタンをプッシュした。

 すると、まずブラックアウトしている真っ暗な画面を背に何らかのイントロが入る。

曲は徐々にボリュームとテンポを上げていき、それに伴って画面も明るくなっていく。


 一体、何が始まるのだろう…と僅かな期待と多大な不安で胸を膨らませていると、画面に一人の人物が浮かび上がっていた。

 その人影は随分とラフな格好でベットで雑誌のようなものを広げくつろぐ若い男の姿だ。

 茶髪の髪に耳には小さめのイヤリングと如何にもといった風貌だ。ちゃらそう。

 雲行きがかなり怪しくなってき、そろそろ見るのがつらくなってきたがそれを長瀬が許してはくれそうにないので今は黙って見ておく。

 まるでミュージックビデオのワンシーンのような場面が続き、そして曲の山場に入ると部屋の扉が静に開かれこれまた今風としか形容しづらい若い女が顔をのぞかせた。ある意味でお似合いのカップルと言える。

 その女の部屋への侵入に気づいていないのかそのまま何もなさげに読書を続ける男。

女はそのまま背後から男に近づいて、そしてその背中にダイブした。


 『うわっ!?』

 『さびしかったよー』

 『こいつめー』

 『キャー』


 みたいな会話(俺の予想)が繰り広げられ、そして歌のサビに差し掛かるとお熱い二人がお熱いキスをする。

それは見ようによってはドラマのクライマックスシーンにありそうで、多分探せばあるであろう情景だ。


 それにしても見ていて妙に右のこめかみがむかむかしてくるのはなぜだろう。

結局曲が終わるまで、二人はキスを続けそのまま動画は終わったとなった。

 俺の胸の中に意味の分からない感情の高なりと名状しがたい不快感だけが残り、たった数分でここまで人の感情を動かせるこの動画はある意味すごいのではないかと感心し始めてようやく正気に戻った。


 「なんですか、これ?」

 いまだに混乱しているためか何故か敬語で言ってしまった。

とは言いながらこういった動画を俺は聞いたことがある。

テレビや新聞で見た程度だが、ややおつむの足りない若者の間でこう言った動画を上げてそれを見たリア充志望のミーハーもどきがイイネ!をクリックするのが流行っているのだという。

 それのどこに楽しさがあるのかは、皆目検討がつかないが。


 なんにせよ俺にとってはただの「ポップなニュース」に過ぎなかったこの動画を長瀬がなぜ今みていたのだろうか。

 向けられた視線に長瀬がすぐ答えをだした。

 「あんた先週のホームルーム聞いてなかったの?」


 疑問に質問で返すなよ。

 しかし先週のホームルームとは……はて何のことやら?

帰りのホームルームなんてものはたいして本腰を入れて聞いているわけではなく、普通に聞き流していたものだから正直覚えていない。

 何なら授業の内容すらロクに覚えていない始末の俺に長瀬は、はあと息を吐いてたしなめた。


 「まあちょっとぼかしてはあったけど、この前先生がこんな動画を上げないように注意してたでしょ。」

 そうだっけ?


 「うちの学校でもこういうのがあったのか、それともなんかニュースにもなっているみたいだから釘を刺しておきたいのかじゃない?詳しくは分からないけど。」

 おそらく後者だと思う。基本は生徒の風紀に口を出すことのない我が高校でもある程度は注意を喚起しておきたいと考えたのだろう。

何かあっては学校の責任が問われるため、あらかじめこう言った布石を打ってなにかあったら責任を軽減させる。

だから、良く帰りのホームルームでどうでもいいことをグダグダと触れ回っているのか。典型的なリスクヘッジと言える。

 社会での生き方を一つ学び、また一段と賢くなった。

人はその気になれば何からでも学ぶことが出来るのだと思いました(まる)


 「それは分かったけど、なんでお前がその動画を見ていたんだよ。」

 そんな素朴な俺の疑問に長瀬はほんのり頬を紅潮させる。

 いや、恥ずかしがるなら最初から見るなよ。


 「なんだよ、まさか興味でもあったのか?」

別に冷やかしたわけだはなく、思ったままを口にしたつもりなのだが

 「誰が好き好んで、こんなおぞましいサイトを見るのよ、反吐が出るわ。」


 吐き捨てるそう言って軽蔑の目を向けてくる。

 「俺はお前が本当に女子高性なのかたまに疑うのだが」


 反吐が出るって、きょうび中々聞かないぞ。

へそを曲げた長瀬は何時もの仏頂面に戻り、ようやく事情を説明し始めた。


 「先生が呼び掛けるくらいなら、うちのクラスのごたごたに何か関係あるかもと思って調べてみたのよ」

 本当だろうか…、絶対口にはしないが。


 「それで収穫はあったか?」

 「…なかった。」

 まあそうだろうな。

この手のサイトは似たようなのが腐るほどあるだろうし、匿名性もたかい。そもそも投稿したという確信すらないのだから検索も捗らないだろう。


とにかく行動を取ろうとする心意気はなかなかの根性だがそれでも得るものがなくては意味がない。

 「まあ、仕方ねえだろ。」

 「……」

 一応、励ましたつもりだが長瀬はどうも浮かない顔のままだ。

そんなにこの動画に賭けていたのだろうか。

しかしどうもそういうわけでもないようだ。


 「あんたはさ」

 「おう」

 「…その…こういう動画を見てどう思う?」

 「は?」

 「いや、だから…あんたはこういう動画で何か思う事とかあるの?」

 うーん…またなんの脈絡のない事を…

 「…まあ、いいんじゃねえのか。誰がなにしようとそいつの自由だろうし、別に人に迷惑さえさえかけなかったら、ありなんじゃね。」

 「あんたに彼女が出来たら…その、こんな事する?」

 「ないな、ありえない」


 理由は言わずもがなで即答すると、長瀬はしばし押し黙りそしてすぐにいつもの顔になった。

 「そうよね。」

 同意とも無意味な相づちともとれる声音。

その質問の意味は図りかねるが答えは本心からのものだ。気にはなるが、深追いはすまい。

 どうせ意味のない雑談だ、その意味を考える方が無粋というものだ。


 閑話休題

 そろそろ、本題に入っても良い頃あいだろう。時間も結構過ぎてしまった。

俺は長瀬を正面に向き直る。


 「それで、あの動画以外に何かがかりはないのか?」

 この辺は完全に俺はアウェーなため、長瀬に任せっきりになる。

 「まあ、構図だけはハッキリとしたわ。」

 「おお、まじか。」

 意外だった。

まさか長瀬がここまで真剣に取り組んでいたとは。

 居住まいを正して、長瀬は顔を学校にいる時の委員長モードに切り替えた。


 「昨日、話を聞いたところによると揉めているのはバスケ部とテニス部の女子二人よ。」

 ふむ、数ある部活の中でも有力なクラブの二つだな。

 ちなみにうちの高校に限ってだが発言力がある、要は上位カーストの集まっているクラブと言えば、男子では野球部、サッカー部、ラグビー部の王道の球技系。

 女子ではバスケ部、軟式テニス部、そして手芸部だ。

最後のクラブに限っては若干納得がいかないが、そのメンバーを見ると頷かざるを負えない。


 なんせ、その一人が目の前にいる長瀬なのだから。

 とまあ、この辺りの話は一度置いておいて、すなわちうちのクラスでは今、学内でも選りすぐりの二代派閥が争っているという。

 その事実だけでもう関わるのをやめたい位なのだが…

 畑違いの女子の、しかも上位カーストの集まるクラブのいざこざなど俺では住む世界が違い過ぎて、はなから手の下しようがない。

さらに


 「揉めてる原因は多分恋愛がらみ……」

 他人の色恋沙汰となってしまってはますます打つ手がなくなる。

これはどうすべきやら。

 「とりあえず、その渦中の人間は誰なんだ?」

 打つ手がないのであれば、ないなりに策を練る。そしてあわよくば急場を凌ぐことぐらいはしておきたい。


 そのためにはやはり最低限の情報が必要だ。

 ことに恋愛沙汰は情報を持っているかいないかでその格が決まってしまう程、重要な要素になりうる。

なんとか一矢報いるためにも、ここは準備を怠れない。


 「……バスケ部の方は」

 長瀬は一瞬だけ言い淀み、それでも名前を上げてくれた。ここで迂闊に異性の話を出すのはためらわれるだろうが委員長としての使命感なのか、それとも俺への信頼の証なのか重いその口を開いた。


 「笹栗さんでそっち側に同じバスケ部の加藤さんとバレー部の井上さん」

 どれも聞いたことある。

というより中には一人、去年同じクラスだった者もいる。


 笹栗 真妃(8)とはもちろん話をしたことなどないが、学年中に名を知られているほどの有名人で女子の名前と顔を覚えないことに定評のある俺でも知っているくらいの人物だ。

 やや茶色交じりの長い髪に大胆に着崩した制服。そしてギャルっぽいその風貌は男子からは羨望のまなざしを向けられ、女子からは畏怖の目を向けられてる。

 運動神経が非常に優れており部内でも中心的な立ち位置を占めている、そして性格もかなりきつめのイメージでプライドが高く、紛うことなき上位カーストの一人だ。


 自己分析を脳内で進める俺に長瀬はもう一方の名を告げる。

 「そして軟テの方は望月さんを中心に、陸部の片平さんとソフトボール部の清水さん。」

 次に出た名前も中々のビックネームだ。


 望月 志保(8)、こちらも笹栗同様に俺は口を聞いたことなどあるはずもないが名前くらいは知っている。

 小柄な体躯に幼い顔つき、そして人間の肩の力を抜き取りそうなほどの甘ったるい声。

 その声で男子からは庇護欲を誘い出し、女子から疎ましそうに扱われている。

あれ、どっちも同性から嫌われてね?


 なんにしても、この望月も笹栗とは違うベクトルの上位カーストの一人だ。

 それに加え、そのバックに二人と仲の良い応援が付いているという状態。


 「やっかいだな。」

 上位カースト同士の三対三の対立、そしてそれを察した下位カーストの女子が委縮してしまい、それがさらに周囲に伝染して今の俺達のクラスの雰囲気が出来上がっているというわけか。


 こうもで大所帯にまで発展してしまい中々全貌が掴めなかったが、要はこの二組を何とかすれば事態は鎮静化する…という事だ。

 とここで一つあることに気がついた。

 「そういえば、笹栗って野球部の行徳ぎょうとくと付き合ってるんじゃなかったか?」

 「へー、さすがにあんたでも知ってるんだ。」

 長瀬は驚いているようだがさすがにそれくらいは耳にしている。


 行徳 広樹(9)は粒ぞろいの野球部の中でも一際異彩を放った野球部員で、高い身長と長い手足、おまけに爽やかなルックスとイケメン三要素を全て保持しており、なおかつ野球の腕も優れていて当時一年生にしてレギュラーメンバーに選ばれるようなやり手だ。

 そんなわけでもちろん女子からは人気がある。

バレンタインなんかでは、本命から友チョコに至るまで多種多様なチョコを貰うような奴だ。


 その行徳に彼女が出来たという知らせを受けた時は誰もが興味をやつした。

二人共、特に隠そうとする意志がなかったのか噂はやがて現実味を帯びた真実となって学年中に流布され、その事実を知らない者はむしろ今では少数派に数えられるほどだ。


 片やバスケ部の主力メンバーと片や野球部のエース。

そこに関係のないテニス部の望月の名前が出るとなると、出る結論は必然となる。


 「もしかしてドロドロしてたりするのか?」

 長瀬は無言で頷く。

残念ながら、この話は痴情の縺れの中でも最悪の部類に入る三角関係のようだ。

 俺がデコを押さえてげんなりしていると長瀬が詳しい説明を始めた。


 「あんたも知ってるみたいだけど、あの二人が付き合い始めたのは去年の夏、行徳君と同じクラスだった笹栗さんが告白して始まったみたいよ。」

 いえ、そこまで具体的なことは知りませんでした。

 「それで、そんな二人の関係に変化が起きたのはクリスマス明けの年の瀬、行徳君がその時同じクラスで笹栗さんとも交流があった望月さんに相談を持ち掛けてからよ。」


 はたして何の相談でしょうかね…

もはや言わずもがなな気がしないでもないが。


 「その相談って言うのが、まあなんて言うか…えっと…」

 言いあぐねる長瀬に俺は助け船を出した。

 「恋人関係に飽きでも回ったんだろ。」

 長瀬は神妙に頷く。


 付き合い始めが夏となると、冬の時点ですでに四、五か月位は経っている。

時期とした辻褄が合わないでもない…だろう。

 あまり経験があるわけでもないから、その感覚はいまいち理解が出来ないが少なくとも思いつく限りでは最も理に適っていそうだ。


 「それで、行徳が望月に話を持ち掛けるにつれ二人の仲が段々と親密になり…」

 「って言いたいんだけど、この件ではそうではないわ。」

 おや、ここに来て俺の予想が外れたのか。


 「近いけど、本気になったのは厳密には望月さんだけのようよ。」

 あらら、これではさらにたちが悪い。

 行徳と望月が思いあっているだけなら行徳が笹栗を振ってその後、二人でくっつけば万事解決だがこの場合はそうはなりそうにない。


 「まあ、そういうわけで望月さんは新学期が始まる前の三月に行徳君に告白したのよ。」

 ほうほう、いよいよ面白くなってきたな。

他人の不幸は蜜の味ともいうが、上位カーストの三角関係などは例え自分自身に直接の接点がなかったとしても興味をそそられる。


 というより接点がないから楽しめる。いや愉快愉快。

 「それで?」

 だから今は私情で聞くべきではないと分かっていても、つい先を促してしまう。

 「その話を笹栗さんの方も耳にして、泥沼状態。それで行徳君に決断を迫ると…」

 「迫ると…」

 「行徳君はだんまりだそうよ。」

 「あっ!?」


 結果があまりにあっけないもので思わず声高になった。

 「理由までは分からないけど、行徳君は二人に明確な意思をまだ示してないみたい。」

 「おい、それって…」

 「今現在、あの三人は宙ぶらりんの関係で一色触発の状態だそうよ。」


 約一月分、ハッキリと決断が下されないまま女二人はくすぶり続け、そして新しい時節に二人は同じクラスになった…っと。

 ……最悪だ。

 つまり俺はそんな修羅場の中で授業を受けていたということになる。

 考えるだけ身震いを起こしそうになるが今は怯えてる場合ではない。


 頭を整理するのを含めてとりあえずここで一度状況を整理しておくと……


 まず、夏に野球部の爽やかイケメンこと行徳とバスケ部のイケイケ女子の笹栗が関係を持つ。

 かつてないビックカップル(8と9)の誕生に学年中が湧くが、それも長くは続かなかった。

 冬に自分たちの関係に違和感を持った行徳が年明けに同じクラスで共通の知り合いである望月に相談。

 聞くところによると、この時点で二人で外出をして何の意味があるのかおしゃれなカフェとかで相談したり、なぜか買い物をしていたという。

 そして相談しているといつの間にか好きになっちゃたという、ある意味で王道の好意が望月に生まれ三月に行徳に告白。

 その時点で、とっと判断を下せばいい物を行徳はここで謎のチキンぶりを発動させだんまり。

 笹栗と望月は結果が出ないままに同じクラスなったと。

それってなんのマンガだよ。


 ここで大きな問題となるのは笹栗の心理状態であろう。

もし、行徳が望月との関係なしに笹栗を振ったのであれば彼女もまだ普通に引き下がっていたかもしれないが、今回はその裏に望月の姿がある。

 だから、行徳が笹栗を振ってしまっては笹栗はいわゆる望月の略奪愛に負けた負け犬になることを意味しており、笹栗自身がまだ行徳を好きかどうかまでは分からないがプライドの高い笹栗には耐えがたい屈辱だろう。


 だったら笹栗の方から振ってしまえば良さそうなのだが、このタイミングでそう言っても見ようによっては単に望月に行徳を譲ったようにも見える。全員ではないだろうが、俺みたいな奴だったらそう邪推するかもしれない。

 どちらにしても多少の傷を笹栗が負うわけで、それがとうの本人は許せない……ということだろう。


 付き合っていた相手が自分よりも格上の行徳だったのも原因の一つだろう。

女は付き合う男で自分の格を示すともいう。

ともすると行徳は笹栗にとって大きな地位的アドバンテージでもあるから、簡単には手放せないだろう。

これも8と9の格差によるものか。

 だとしたら、笹栗としてのベストな筋書きはなんとしても行徳に自分を選んでもらい、その上で今後の事を考えるというものだろう。


 女の面倒臭さというものがこれでもかと発揮され俺の眉の隙間はますます狭くなる。

そのために彼女に出来る事があるとしたら……それは相手を潰すということになった。


 笹栗は新しいクラスで早速、自分の味方になりそうな連中を従え望月を威嚇。

それに呼応するように望月も自分の仲間をバックにつけて応対。

 二人は相手よりも早くクラス内での味方を増やし、いつしか相手の居場所をなくすことしか頭になくなってしまった。

 もはや二人の感情はプライドや恋慕ではなく互いと互いがいがみ合う遺恨の念に駆られていたのだろう。


 女の恨みここに極まれりといった感じだ。

 しかし、この時点で二者の勢力は拮抗し今は嵐の前のような静けさを保っている。

 これに周囲の女子達もどちらにつくか判断に困り、いまや昼休みの教室は長瀬のような一匹狼や俺みたいな無関係な男子だけになってしまっている。

 嵐の前の静けさのようだ。

そこに見目麗しい凪沙の登場だ、どちらも自分の側にいれようと躍起なのだろう。

 内容はどうであれようやくこれで、今のクラスのあの陰鬱な雰囲気に合点がいった。


 「ところで、この話って割とポップなネタなのか?」

 そのあたりの事情次第では、話はさらに大事になりそうだが長瀬は首を横に振った。

 「そうでもないわ。知っているのは多分当事者たちとその取り巻き位よ。」

 「だったら、なんでお前が知ってんだよ。」

 「私じゃなくて私に教えた奴が知ってたのよ。」


 自分が耳年増と思われるのは不服極まりないといった口調の長瀬。

だとしたらこいつに教えた奴っていったい何者だよ……

 「そんな事より、今は凪沙さんの事でしょ。」

 確かに今詰めるべき話題はそこではない。

俺も長瀬に習って話の軌道修正を行う。


 「お前の話を聞く限りでは、今の俺達で出来る事はほとんどない。

まさか、行徳たちの間に割り込んで関係を修復するなんてことが出来るわけもないし」

 そもそもこっちは関わりたくなくらいだ。


 見ず知らずの奴らの色恋沙汰なんて傍から聞くだけで充分だというスタンスの俺にはかなり荷が重い。


 「そうね、私たちにはちょっと無理ね」

 この点において凪沙も異論はないらしい。

 「だったら、当面は凪沙のガードってことになるが……」

 笹栗と望月がクラスで熾烈な権力争いをしている以上、二人は凪沙を自分の陣営に入れ込もうとアタックしてくる。


 凪沙程の顔だったそれも起こりうる。

多分、先生もそれもそんなクラスの雰囲気を察しての俺達への指示だろう。

全く、生徒のことを見据え過ぎていてこっちが怖くなる領域だ。


 「でも、流石に俺達がずっと庇うってわけにもいかないぞ…」

 「……うん。」

 例え、俺達がなんらかの権限で凪沙をクラスの連中から遠ざけようとも、いずれは凪沙もクラスになじまなくていけない。

 先生からの指示も学校生活のサポートだ。

その辺りも踏まえて動いていかなくては今後凪沙が孤立することもありうる。それだけは避けなくてはいけない。


 「庇うにしてもせめて、早くに修羅場が収まればな……」

 短い期間で事が済めばそれだけ早くに凪沙をクラスに受け渡すことが出来る。

結局はあの関係次第になるということだ。

 事を始める前から万策尽きたと大声で叫んでしまい衝動を喉元でこらえていると、長瀬の携帯のバイブ音が鳴り響く。


 長瀬はカバンの中に手を伸ばし携帯電話を取り出すと、チラッとこちらを一瞥し送られてきたラインの内容を確認する。

 別に俺のことなんぞ気にする必要もないのに律儀な奴だ。

 一通り中身を見てから、やや眉をひそめてカバンに携帯をしまった。

 良いことなのか、悪いことなのか、微妙な顔つきだ。


 「少し動きがあったわ。」

 もちろん行徳の件だろう。

 「なんだよ。」

 「今週の金曜、つまり遠足の日に二人とも合わせて話をするって。」

 「話、なんの?」

 「それは…おそらくだけど、どっちに決めるかって話じゃない」

 「それを二人にってことは笹栗と望月が対面するってことか?」

 「文面からだと…そうなるわね。」

 そんなの絶対修羅場になるじゃないですか、ヤダー。

 「なんで、そこまで持ち越すんだ?」

 「さあ、ただそのタイミングだった三人が嫌でも同じ場所に居れるし、面と向かって話が出来ると思ったんじゃない。」

 すぐに決断を出さない優柔不断くそ野郎かと思えば、ちゃんと筋は通すつもりらしい、良く分からん。


 「とりあえず、これで凪沙さんの事は金曜日まで私たちが相手をすれば良いわけよね。」

 金曜で三角関係にけじめがつけばの話だが、確かに事と次第によってはそれで俺達が凪沙に付きっ切りになる必要はなくなる。

 希望的な観測ではあるが、どっち道こちらかは手を出せない以上は考えても仕方がない。今は話を先に進めよう。

 だとしたら、次の問題は俺と凪沙のどっちが表立って凪沙を守るかという話だが……


 「あとは私が凪沙さんに一言話して、ある程度のことはしておくわ。」

 「おい、いいのか?」

 「…仕方ないでしょ、あんたが堂々と凪沙さんの前に立っていたらそれこそ変な噂とか立ってしまうだろうし」 

 「それもそうだが。」

 「それに私もクラス委員よ。出来る仕事くらいはするわよ。」

 「真面目だなー。」


 しかし、俺がこの件に深く関われないのも確かだ。

 「まあ、分かったよ。俺は裏方に徹して出来るだけ詳しい事を聞いてみる。だから、お前もあんまり無理すんなよ。」

 「言われなくても。そういうあんたこそ詳しいことを聞けそうな相手とかちゃんといるの?」


 長瀬はいつもの高飛車な視線を向け、余計な心配をする。

別にあてくらいはある…つもりだ。ただ今までロクにそれを利用していなかっただけで。

 「でも、本当に凪沙を庇ったお前がクラスで孤立してしまったら本末転倒だ。だから、やばいと思ったら声くらいはかけろよ。」


 俺の真剣な顔をみて長瀬もややたじろぐ。

 「……本当にまずくなったらね、分かってるわよ。」

 ならいいが、長瀬も大概出来ないことはため込む性質だから俺にほとんど相談なんかしない。


 それでも本当に分かっているのならいいが……

長瀬はいつものように平然と話す。

 まあ、最近は立ち直ったみたいだし任せても問題ないだろう。


 と長瀬の様子を見て事の次第を楽観視していた俺だが、後になってそれが大きな誤算だったと気づくこととなる。





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