第3話

 学校と言う社会に息苦しさを感じたのはいつ頃からだろうか。

俺の場合、それは中三の春だった。


特にきっかけがあったわけでもトラウマがあったわけでもない。

ただ無造作に群れる人の集まりを見て、急に虚しくなってしまったのだ。まるで、犯人を事前に知らされてから読む推理小説のように色々と冷めてしまったのだ。


 それでも俺はなんとも思ってはいなかった。むしろそんな心持の上ですら、クラスの空気に呑まれようとしていた。人の関係には冷めていても、人には嫌われたくなかったわけだ。所詮は臆病者なのだ。


 しかし、それでも気づいてしまった。

一人でいるときに人目が気になり、クラスの中に明確に自分のポジションが確立され、そしてみんなが割り当てられた役を演じる。


 人の中にいながら、結局は一人でいるような、そんな気がして背筋が凍えるようであった。

 だから一時期はそれを悪だと断定し、忌み嫌い軽蔑もした。


 形ばかりの関係だと嘲笑ったりもした。まるで自分がそれを手に入れてるかの如く錯覚し、実際には何も持っていなかったというのに……


 つくづく酷い勘違いだと思う。

何も知らない俺が、同じように何も知らない他人を笑うなど。


 もし高校で藤山先生に会っていなかったら俺は今でもあのアンケートのような人間だったかもしれない。人を平気で見下し、鼻で笑う。

 人と人の関係にどこまでドライな目で見つめ、達観したようにうぬぼれる。

 もちろん、今でも根本的な部分は変わっていないがそれでも見下すような真似はもうしていない。


 それが当たり前なんだと割り切っている。


 なのだが、それでも時々思うことがある。

そういった事を考えていたかつての自分は今の俺をどう思うのだろうかと。

丸くなったと嘲笑うだろうかと…

結局それでは周りと変わらないと馬鹿にするだろうか

 それとも……




* * * * *



 部活生にとっては土日などないに等しい。

練習試合や休日の活動、その他諸々で大体が潰れてしまうため、丸一日が休みになるのは中々に珍しくなるのだ。


 そんな俺に久々にやってきたフルでの休日。今日は四月の二週目の月曜日、新一年生の入学式の日だ。

そのため、学校はおろか部活すらも休みとなる。


 しかしそんな休日に俺は何故か息せき切って自転車を漕いでいた。

 季節はまだ春と言っても、感じる風は肌寒い。

そんな中で体を震わせながらなぜ俺が自転車を走らせているかというと、それは朝に届いたメールのせいだ。


 『今日、十時に大画面前に来て。』

 送り主の名前は長瀬 琴。


 何の説明もなしに届いたそのメールに、とりあえず返信はしたがいつになっても返事が来ることがなかったため結局しぶしぶ俺は目的地へ赴くことにした。


 もちろん無視をするならそれもできたが、そうすると後が怖い。

 多分それだけ一年くらいは嫌味を言われ続けることになるだろう。

それにあいつがそうするにはそれなりの理由があるはずだ。しかも今の俺にはその理由も大凡の想像がつく。おそらく例の転入生関係だろう。

だとしたら、行かないのも後味が悪い。


 なんだか高校に入ってから、人に振り回されっぱなしのようが気がしてきたが今となってそれも後の祭りだ。

恨むなら、一年の前の俺を恨むしかない。


 今はそう自分を説得させ、自転車を漕ぎ進めること十分。

通り過ぎゆく街並みは徐々に都会の色を帯び、車道に走る車の数もそれにつれて増えていく。

 ここは福岡でも有数の歓楽街、福岡市天神ふくおかしてんじん

九州でも一、二を争う都市であり俺の行きつけの街でもある。


 駅近くの駐輪所に自転車を停めて、天神駅のホームに立ち入る。

このあたりはデパートや大手店舗が隣接していて、まさに天神の中心に位置するためそれだけに人の数も多い。


 今日も平日だというのに若いOLや大学生、高校生らしき男女がウロウロとしていて一人身には実に歩きづらい。

 そんな中を押しのけかき分け俺はようやく目的の『大画面』にたどり着いいた。


 この大画面前とは天神駅の一階にあるソラリア口の正面に設置された主にCMや広告を流す大型のモニターである。

モニター前は非常に大きく開けていて、その場所も分かりやすいため待ち合わせの場所として福岡市民はよく用いる。そして今日もその例に漏れずここには多くの待ち人を待つ人間が立っていた。


 その傍らで俺はただ無言で眉をひそめながら、大画面から少し離れた所に寄りかかり時間を確認する。


 今の時間は九時四十分。

予定の時間まであと二十分はある。


 ふと、周囲の様子に目をやるとだれもかれも期待の表れなのか忙しなく手足を降らしている。

 俺はその中で腕を組み周囲のそんな喧騒を眺めつつ、ふと考えてみるとこうして人を待つのは久しぶりだと気がついた。

 それも今待っているのは女子。


 そう思うと何だか少し緊張してきた。

なにせ今までロクに女子と外出などしたことない。それがある程度気心の分かる長瀬であってもだ。

 すると急に自分の服装が気になりだし、首を下に向ける。

別に変ではないはずだが、別段お洒落という訳でもない。

うん、普通だ。

普通に年相応の普通の高校生だ。


そう割り切って、最後に全開になっていたズボンのチャックを引き上げた時に声がかかった。


 「早いわね、少し意外だったわ」

 俺はすぐに頭を上げ、動揺を隠す。

そこには私服姿の長瀬がいつもと同じように凛とした様子で立っていた。


 春を意識したのだろうか白と青を基調にした衣服に肩には黄色のトートバッグを抱えている。

それがまた随分と様になっていて、通り過ぎゆく人の目を引いていた。

普段のキャリアウーマンのようなイメージとは打って変わって、シックで落ち着いた印象を受ける。まさに休日のキャリアウーマンだ。


 女性のファッションについてはあまり詳しくはないが、長瀬のファッションは十分にキャリアウーマンとして通じる思える。なんならその手の雑誌に載っても良いレベルの仕上がりだ。


 「お、おう」

 やや首を傾けて挨拶をする長瀬に俺は大して気の利いた事を言えずに目をそらした。

 「正直言うと来てくれるとは思わなかったわ。自分でもちょっと不躾だったと思うし、でもメールでも伝えづらかったからまずは事情から話すわね。」

 「ああ、頼む」


 短く応じる俺に長瀬は簡単に事のあらましを語りだした。

 「金曜の事は覚えている?」

 「凪沙の話か?」

 「そう、あの日凪沙さんと色々話をしてみたんだけど流石にまだ分からないことが多くて……だからちょっと今日探りを入れようと思ってね。」

 「それでなんで俺が?」

 「私、これでも女子受け悪いのよ」

 「……おう」


 本人が言うと説得力が違う。

どうやら長瀬は俺に凪沙の人となりの調査に協力してほしいと言いたいのだろう。自分だけでは上手く振る舞えるかどうか分からないから。


 確かに長瀬が他の女子とゆるふわなトークをしている所を見たためしがない。

 思わずそう納得してしまったが、かといってそれを俺がカバー出来るとでも信じてているのだろうか。


 俺だって別段女子との接し方には精通しているわけじゃない。

良くて人並み、悪くて通報されるレベルだ。

どうにも俺には務まりそうはない。


 しかしこれも委員長として任された俺の仕事であり、噂の転校生と絡める数少ない機会だ。他の男子に任せるのは俺と先生の意思に反する。


 「そういうことか。」

 なら協力するのはやぶさかではない……のだが、


 「どうして当の本人がいないんだ?」

 「それは…っと来たわよ。」


 長瀬がそう言って向けた視線の先、そこには駅の階段から降りてくる凪沙の姿。


 「凪沙さんには、あんたの三十分後の時刻を言っていたんだけどね、やっぱり早くに来たわ。」


 俺の三十分後と言うと十時半に集合となるわけだが、今はまだ十時前。それだけで凪沙の人間性が窺える。

ただ心がけは良いがそこまで早いと逆にこっちの気が悪くなりそうになる。


 凪沙は俺達の姿を見かけてか、慌ててこちらに駆けだした。

 「すみません、二人共早いんですね。」

 申し訳なさそうに言う凪沙のしめやかな所作とは違って、その格好は中々派手だった。


 首には大きめのネックレスが光り、薄手のインナーに黒の派手なパーカー。

 目を下にやると白の生地に水玉の柄のホットパンツに足には黒のストッキングと更にその下は膝くらいまである茶色い革のブーツ。


 見るからに今風というファションは別におかしいというわけではないが、なんというか凪沙のイメージにはあまり合致しない。ありていに言えば似合っていないという印象を受けた。


 そんな感想を抱く俺の横で、長瀬がフォローを入れる。

 「いいのよ、私たちも今来たばかりだから。」

 「お、おう。」


 足を長瀬に踏まれて俺もそれを見習った。

 「そうですか……」


 それでも凪沙は目を落としていたが、それを長瀬が誤魔化す。

 「凪沙さん、似合ってるわね。東京ではそういうのが流行なのかしら?」」

 「流行って程でもないですよ、もっと派手なのもありますし。」


 と謙遜しながら言うも、褒められる凪沙の顔はまんざらでもなさそうだったりする。

やはり女子に褒めスキルの効果は抜群のようだ。


 「それじゃあ、人も揃ったみたいだしそろそろ行きましょうか。」

 長瀬がそう言って歩きだし、俺達二人もそれに続く。


 ちなみに俺と凪沙はこれが初めての顔合わせのため、歩きながら簡単に自己紹介をしとく。

 「えっと、それで俺は同じクラスの、」

 「……案野君」

 「え?」

 「学級委員の案野 中葉あんの なかば君ですよね。」


 俺よりも先に俺の名前をくちにする凪沙に目を見開く。


 「あ、ああ」

 にべもなく返事をすると凪沙はまるで目踏みをするように俺を眺める。

その時、思いっきり目が合ってしまいたじろいでしまった。瞳でかっ。

 「私の名前は凪沙 小春です。海がぐのなぎ沙汰さたの沙、小春は小春日和こはるびよりの小春です。」

 「お、おう」


 丁寧に名前の漢字まで紹介する凪沙は先ほどの塩らしい態度から打って変わって積極的に話しかける。

 何だろう、この態度の変わりようは……

凪沙は例のアンケートを見て俺に相談したいと先生が言っていたが、やはりそれが影響しているのだろうか。


 「一応、着いたけど?}

 下手な愛想笑いを浮かべて振り返る長瀬。

 そう言って首で示す先には駅中にある大型の雑貨店だ。

 「凪沙さんはまだ引っ越したばかりで色々足りない物があるって言うから、案内ついでにね。」

 「はい」

 「そうなのか」


 どうやら、これは事前に決めていたことらしい。

 なら俺はそれに付き従うまでだ。執事のように。

 「凪沙さん、とりあえずはここの店を見て回ろうと思うのだけど。」

 「はい、私はまだこの辺りのお店を知らないので助かります。」


 朗らかな笑顔で礼を言う凪沙とそれにぎこちない笑みで返す長瀬、そしてそんな二人の様子を遠目で見つめる俺という良く分からない三人組の買い物が今始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る