第2話
五限目のホームルームはつつがなく行われた。
と言ってもその内容は案の定、遠足の話がメインでこれについては昼休みのプリントで新鮮味がない。
ほとんどの内容を知っていたため俺は瞳を閉じて夢の中へ旅立とうかと思っていた……のだが後ろの席から聞こえる女子の中身のないヒソヒソ話によって寝るに寝れず結局、不毛な時を過ごしてしまった。
おかげで今はすこぶる
最後に担任が他に連絡はないかと問いかける。
もちろん誰も手を挙げたりはしない。担任はそれを見て一度頷くと、解散を告げ終礼となった。
再び教室に活気が戻る。
五限目といってもまだ二時を少し過ぎたくらいだから帰宅部はウハウハな事だろう。
だがこんな時、ただ活動時間が伸びるだけの部活生はウハウハどころか泣く泣く教室を出ることが多い。
いつもなら俺もその例に漏れることなく肩をがっくりと落とすのだが、今日は別の理由で肩を落としていた。
応接室に呼び出し、それが俺にとっては心底億劫だった。
普通に部活が出来るという事に、安心と喜びを得られたのは今日が最初で最後だろう。この日を部活記念日と名付けよう。
とどうでもいいことを考えつつ 重い足取りで廊下を歩き、脳内では嫌な予想を次々と立っていく。
応接室ってなんか人に聞かれちゃ不味いような事を話す場所じゃなかったっけ?
そう思うと背中に嫌な汗がながれそうだ。
そのまま 歩みを進めること数分、俺はついに応接室の前にたどり着いた。
ああ、帰りたい。
しかし帰れない。
結局、不安だけが募りながらも俺は重い扉をゆっくり開けるのだった。
* * * * *
「おう、あんちゃん。来たか。」
随分と親しげな声に呼びかけられ苦い顔を向けるると、やけに横幅の広いおっさんが笑顔で立っていた。
というか担任だった。
担任の名前は
身長は人並みで体重はやや重いくらいだが、その肉体は限界にまで鍛え抜かれている。鍛え抜かれ過ぎて、もはや全身が筋肉なくらいだ。勝てる気がしない。
髪は年中角刈りで肌は水泳部より黒く、ズボンは決まって短パン、裾から覗かせる太ももは多分俺の頭より太い。
教師として二十年以上活躍し、高校の頃より培ったラグビーと燃えるような熱意を買われこの高校でもラグビー部の副顧問をしているガチムチ体育教師だ。
しかして、その性格は熱血漢ではありながらも生徒との距離の取り方に長け、うちの高校でも一、二を争う程の人気教師だったりする。
ちなみにあんちゃんとは俺公認のあだ名である。
一先ず、待っていたのが校長や教頭でなく安堵を浮かべた。
室内には何やらすごく堅そうな木で出来た背の低い机に、学校では滅多に座れない黒塗りのソファーが四つ、それと何らかの書類らしきもの納められている鉄製のラックだけという殺風景なものだ。
しかし、そこには圧倒的な重圧と重々しい空気満たされた非常に居心地の悪い空間が広がっていた。将来、一人暮らしをするなら、もっと夢と希望に満ちたフワフワした部屋にしようと一人心に誓う。
そのまま勧められるままに、結局一番手前の見た目以上に柔らかいソファーに腰を下ろした。
あはっ、柔らかい。
できればその柔らかと温もりにこのまま深い眠りに着きたい所だが、如何せん隣には状況を看過してはいけないような人物が座っていた。
「で、なんでお前がいんの?」
隣のソファに座る眼鏡の少女に、疑惑の目を向ける。
どうも長瀬も呼ばれていたらしい。
「学級委員だからに決まっているでしょ。聞く前に少しはその大きいだけの頭を働かせなさい。」
なるほど、俺は委員枠でよばれたのか。
たちまち俺の肩がフワッと軽くなった。
少なくとも、長瀬同伴という事は俺がブラックな気持ちで後の部活に臨むことないと言える。先生受けは少なくとも俺より良い長瀬が同席するなら、二人して怒られることはまずない。
としたら、学級委員関係のことだろうか。
とはいえ、それでも腑には落ちない。
業務連絡ならわざわざ応接室でする必要はないし、それに放課後に集める意味もない。
それに藤山先生は熱い男だが、学業や生徒指導といったものには割と寛大だ。
生徒にとって面倒事と言えるようなイベントはあんまりグダグダと時間をかけないことでも知られている。
つまりはある程度は空気は読める教師なわけだ。
だとしたら、はてさて何を言われるのやら。
「あんちゃんには、申し訳なかったね、部活引き止めちゃって。一応顧問の先生にはことわっているから、その点は安心して。」
「はあ……」
謝罪から入るところは、社会人としての品格を感じるがやはり一抹の不安も覚える。
合法的に部活を休めるのは俺にとってはむしろ嬉しいくらいのご褒美だから別に気にしてない。とも言えば下校時刻まで休みたい。
願望交じりにそう思う俺を他所に藤山先生はいそしそと目の前のソファに座った。
「それじゃ、時間も勿体ないし本題に入ろう。まずはちょっとこれを見てくれ。」
快活でハキハキとした四十代とは思えない若々しい声でそう呼びかけ、ファイルから一枚のプリントを取り出した。
まずはそれを長瀬が受け取って一読。こういうのはいつも長瀬が先にやる。
というのも、これは単純に長瀬の方が委員長の仕事に前向きだからだ。口は悪いが、根は真面目な長瀬の先生受けの良い理由の一つである。
書いてある量が少なかったのか、はたまた長瀬の読むスピードが早かったのか十秒くらいしてプリントを机に戻した。
そして一息ついて俺を見る。
その顔には可愛そうなものを憐れむような、それでいて堪えられない笑みを押し殺すような嘲笑を浮かべていた。
なんだこのリアクシュンは?
まるで、つまりは聖母と悪魔が同席しているような、どっちにしても見ていてバカにされているような顔は。
そんな長瀬の反応が気にもなったが、プリントの内容の方がもっと気になったためまずは手に取ってみる。
プリントの冒頭は印刷された活字と、芋虫のくねったような汚い文字でありながらもどこか親近感の持てる書体でこう書かれていた。
一年次学校生活アンケート
一年二組 案野 中葉 《あんの なかば》
~出身中学は~
市立西宮中学校
~中学の頃の思い出は~
虚飾とささやかなプライドに満ちた日常への疑問と軽蔑を抱く日々
~中学校で最も力を入れたことは~
周囲と同化し自身を飾ろうとする人間の人格非難
~将来の夢は~
特になし
~文理希望は~
理系
~高校でしたいことは~
理知で有意義な学園生活
~新しいクラスメイトへ一言~
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そこまで読んで、俺はプリントを机に叩きつけた。
「先生、この読者の目を腐らせるような見るに耐えない痛い物は何ですか、フッ」
「えっと、去年の今頃だったかな。一年生の最初に行う素行アンケートって奴あるじゃん。
それであんちゃんが答えたものだよ。」
鼻で笑う長瀬に藤山先生は真顔で応える。
その傍らで俺はただ無言で眉をひそめていた。
確かに今の俺が見たら、目くらいなら何なら脳髄くらいまで腐るだろう。むしろそのまま腐りきって土に還りたいくらいの代物だ。
なんだか、頭痛がしてきたぞ。
思いもしてない過去の自分との再会に頭を抱える俺を他所に二人は話を続ける。
「実を言うとね、明日からうちのクラスに転校生がやってくることになってね、その子の学校生活をサポートしてもらいたんだ。」
「サポートですか?」
「そっ、まあ普通はこんなことを生徒に頼んだりはしないんだけどね。」
「だとするとその生徒に何か問題でも?」
「うーん……問題っていうほどのものでもないかな。少なくとも今はね。だから今の彼女のそれは問題点というよりもむしろ美点に近いものだろうし。なんていうか先生には少し口を出しづらい事なんだよね。」
煮え切らない物言いに藤山先生は顎をさする。
「まあ、そのせいで前にちょっと問題に巻き込まれてね、個人の事だからこれまた詳しい事はなかなか言えないんだけど……」
「それで心を病んだりも?」
「う~ん、先生の見る限りではその判断は難しいな。ただ本人は……いやこれも先生が言うことじゃないかな」
「随分と秘密が多いんですね。」
「申し訳ないね、昨今はいろいろとうるさくてあんまり先生の口からは言えないんだよ。」
「はあ……、それは仕方ないですね。ねえ、あんたはどう思う?理知で有意義な学園生活をお望みの案野君」
長瀬の挑発的なセリフに俺はようやく我を取り戻した。
「っち、事情は知らないけど大体そう言うのって放っておけばいいんじゃないですか?それに俺達じゃ役不足なんじゃ……」
「なに、まだ根に持っているの?良いじゃない私は嫌いじゃないわよ、こういう頭の悪そうなの。」
「うるせー、これは俺のその……若気の至りみたいなもんなんだよ。」
「気にする必要はないわよ。過ちも言いようによっては美徳になるのだから。よかったわね」
益体ない応酬を続ける俺達を先生が止めにかかる。
「はいはい、今はこっちの話に集中。
それであんちゃんの意見に答えるのなら、理由は二つある。
まず一つ目。それは君たち二人が以前に問題を持っていて、他の生徒よりもやや特殊な考え方や思考を持っているから。
この転入生も先生からみて少し逸脱している、だから君たちと接することでなにか反応があると考えたから。」
藤山先生の言葉に俺達二人は急に押し黙った。
俺と長瀬の問題。
俺の場合で言うとさっきのアンケートにあったような斜に構えた態度。長瀬は家庭のいざこざだ。
お互いそこには思うところがある上に、先生にはその件では世話になった。
そのため、俺達の顔つきには幾分か真剣味が帯び始める。
「二人共随分とこの一年で変わったよ、そのことを外野がなんていうかは分からないけど、少なくてもそれが君たちにとって良かったものだと先生は思っている。
だから君たちに任せたいんだ、その転入生の世話を。」
俺は先生の真面目な顔に心地の悪そうな顔をして、長瀬は目を背ける。
「まずはこれが一つ目、そして二つ目は転入生がこのアンケートを見てあんちゃんと是非話してみたいと言ってきたから。」
そう言って俺の黒歴史をひらひらと持ち上げる。
「見せたんですか?」
「なんかあんちゃんと、正反対な臭いがしてね。もしかしたらと思って試してみたら思いのほかヒットしたんだよ」
得意げな顔で言う先生に俺は眉に広がった皺を伸ばし目を閉じる。
「だからあんちゃんとそれと長瀬、二人に頼みたい。一応、来週には遠足もあるし、とりあえずはそれまでには君たち二人だけでも親睦は深めて欲しいかな。クラスに馴染む一歩として。何か質問は?」
俺は重い瞼を持ちあげ、手を挙げる。
「流石に、すぐには打ち解けられないと思うんですが。」
「だったら、来週の月曜日にでもこの辺りを案内してあげればいい。その日は休みだし学校外での触れ合いもあれば、それなりに見えることもあるだろうから。」
「えっ?それって長瀬ともですか?」
「そうですよ、先生。流石に私でもそれは身の危険は感じます。」
どういう意味だ、それ。
「まあまあ、別にこれは強制ってわけじゃないから、そこは二人で話し合うってことで。」
すぐまた言い合いを始めようとする俺達を諌めて、先生は話をしめる。
「とりあえず、そう言うことだから。続きは明日のお楽しみってことで。」
そのセリフと共に俺達は解散し、そして話は今に戻る。
帰りのホームルームで藤山先生の簡単な説明を受けて教室に入ってきた凪沙は、こういう空気に慣れていなかったためかおどおどと落ち着きのない様子だ。
「東京から来ました凪沙
凪沙は鈴の音のような声で挨拶をしながら頭を下げる。
その動作一つ一つが洗練されていて、優雅であった。
しかしそう言いつつも上目遣いでクラスの様子を窺う様子は、クラスの連中を、主に男子を釘付けにする。
そんなあざとい自己紹介が終わり藤山先生が一言二言補足を行って今日はその場で解散となった。
クラスの女子達は最初の一番槍を突こうとするが、凪沙の迫力に圧されたのか、はたまた互いに牽制し合っているのか、
男子の話題も専ら転入生の話題一色でやれ可愛かっただの、モデルじゃないのかなどの感想を口にするもので俺の気も段々重くなり逃げるように教室を後にした。そして踏み出した廊下で本日、初めて声をかけられる。
「あんた今日部活でしょ?」
不躾にそう聞く長瀬は冷めたものだ。
「おう」
「なら私があらかじめ凪沙さんから話は聞いておくからあんたは部活行っていいわよ。ああいうタイプ苦手でしょ。」
よくご存じで。ただし部活はサボりたい。
「でも、お前はいいのか?」
長瀬の好意に水を差すのもなんだったため、部活の事は言わないでおく。
「私はいいわよ。同性だけじゃないと話せないこともあるだろうし、あんたが部活に行ってる間に色々探っといてあげるわ。」
「へいへい」
「それじゃ、私は行くから。」
早々に話を切り上げ長瀬はくるりとユーターンをして速足で去って行った。
その足取りはいつもよりも気だるげにも見える。
そんな長瀬の後ろ姿を見送りながら俺は転校生の顔を思い出し、重い足取りで部活へと向かった。
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