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 そして週末、球技大会当日がやってきた。理事長による開会の挨拶と生徒会からの注意事項通達が終われば、あとはチームごとに分かれて試合が実行されるばかりである。その試合運営も基本仕切るのは体育委員であるため、生徒会がやるべき仕事はほとんどないに等しい。強いて言えば試合参加くらいのものである。

 望美が参加する一年三組のチームは開会式直後に出番が回ってきていた。相手は桐生属する教師チームである。

 最初は教師チーム相手なんて楽勝、と高をくくっていた生徒チームだったが、次第にその表情は真剣なものへと変わっていった。

 ブロックのためにネット際に飛び上がった運動部員の指先をすり抜け、ふわりと浮かんだボールは体育館の床を叩いた。審判役の体育委員がホイッスルを吹き、教師側のコートに手を伸ばした。これで十連続ポイントである。

「うわ……宣言通り超やる気ねぇ、桐生先生」

 応援することも忘れ、思わずといった様子で小百合が声を上げた。

 簡単に勝てると思うな、と豪語するだけあり、教師チームはかなりの精鋭を揃えたらしい。が、一見するとさほどの強敵には見えない。その内訳はといえば、桐生彩夏(担当英語科)、宇佐見明良(担当国語科)、広瀬瑠衣るい(担当科学)、時任遼平(担当体育)、土屋雅臣(担当国語科)、と体育教師は一人しかいないのである。

 恐るべきことは、この面々に混ざってさりげなく理事長である小笠原が参加していることであろうか。広瀬の運動靴が、運動靴足り得ていない厚底ぶりであることすら霞む衝撃であった。

 そしてそれ以上に衝撃的だったのが、小笠原がお飾りの参加ではないということである。身をかがめてレシーブしたかと思えば、華麗に飛んでアタックを決める。獅子奮迅のその活躍に生徒は翻弄されるばかりだった。

 またもやホイッスルが鳴り、教師側に得点が入る。いつの間にやら教師側はセットポイントとなっていた。得点表を見やれば、口に出すのもためらわれるほどの点差である。

「これは一セット目無理そうだねぇ……」

 懸命に声援を送っていた千恵が、口元で揃えていた手をおろしてつぶやいた。それに言葉もなくうなずく望美と小百合。今からこの点数差を逆転するのはどう考えても無理である。

 ピピーッと高くホイッスルが鳴った。伸ばされた腕は、当然と言うべきか教師側。

 コートを出てきた生徒たちの顔は、皆【あり得ないものを見た】といったような顔つきをしていた。

「……理事長が人外すぎてきもい」

 間違いなく主戦力であったはずのバレーボール部の生徒が、戻ってくるなり青ざめた顔でそう告げた。

「ちょっと何よアレ、いったいどういうこと!? どこに打っても食いついてくるわ、どこからでもアタック打ってくるわ、サーブはピンポイントに拾えない位置を狙ってくるわ……ありえないでしょー!?」

 もうイヤ、と頭を抱えてうずくまるバレーボール部員。彼女だけかと思いきや、ほかの運動部員も同じような顔つきをしていた。

「ないわ……アレはない……」

「たしかに理事長年齢不詳だけど、現役体育教師以上の運動神経って……」

 互いに顔を見合わせ、恐ろしいものを見たと語る運動部員たち。共に参加していた文化部系に目を向ければ、そちらは運動部員ほどの衝撃を受けてはいないようであるが、何が起こったかわからないと言いたげな顔つきをしていた。

「あっという間に試合が終わった」

 というのが彼女たちの訴えである。何をする暇もなく、そして自分たちに何かができるとはとうてい思えなかったとのことであった。

 漂うイヤな空気を追い払うが如く、パン! と大きく手を打ち鳴らす音がした。思わず全員が弾かれたように音の出所へと目を向ける。手を打ったのは、第二セットのチームの運動部員だった。

「はい、過ぎたことをいつまでも引きずらない! 次のことを考えるよ」

 もう一度手を打ち鳴らし、彼女は語り出した。

「たしかに教師チームは強敵だわ。けど、付け入る隙がないわけじゃない」

 言って、彼女はビシリと指を突きつける。その指先が示しているのは教師チームの中の最若手、土屋雅臣であった。

「土屋先生を徹底的に狙うわ」

 勝機はそこにしかない、そう語った彼女にチーム全員がうなずいた。

 ホイッスルが鳴り、第二セットが開始された。サーブは生徒側からの開始だ。

 運動部員の強い眼差しに応えるようにうなずいて、望美は手にしたボールに視線を落とした。使われているボールは通常のバレーボールではなく、ゴム製で弾力に富んだソフトバレーボールだ。当たりどころが悪くてもさほど痛くはないが、そのかわりうまく打たないとどこに飛んでいくかわからない。ゆっくりとでいい、ボールの真ん中を叩けというアドバイスを思い出し、拳を握った右手をうしろに引く。タイミングを計って叩いたボールはふわりと浮かび、ネットを越えて教師チームの陣営へと吸い込まれていった。

 舞うようにして飛んできたボールを、声を上げた桐生がレシーブする。遼平がトスを上げ、満面の笑みを浮かべて球技大会をエンジョイしきった様子の小笠原が全力でアタックする。ボールはソフトバレーボールであることを疑わせるようなスピードで生徒陣営のコートへと落ちていく。

「――っ!」

 小さくうめき声を上げながら、小百合が飛んできたボールをどうにか拾った。だが無理な体勢であったためか、弾かれたボールはあらぬ方向へと飛んでいく。それをどうにか運動部員がトスしてコート内へと戻す。これなら打てると判断したのか、別の運動部員が飛び上がってそれを教師側のコートへと打ち込んだ。

「はい」

 楽しげに声を上げながら、小笠原がそのボールをレシーブする。遼平によるトスが上げられ、

「行くわよ!」

 桐生がそれを受けてアタックする。往年のバレーボールマンガのごとく必殺技でも叫びそうなくらい、彼女も球技大会を満喫しているようだった。

「わ、わ……!」

 悲鳴じみた声を上げながら千恵がレシーブする。小笠原の時ほどボールに勢いはなかったらしく、変な方向に飛ぶこともなくボールはほぼまっすぐ上に上がった。すかさず運動部員が連携して教師コートにボールを打ち込む。狙うは当然土屋だ。

「……え? うわっ!?」

 ソフトバレーボールと言えど、全力で叩けばそれなりに速度が出るのは小笠原ですでに証明済みである。土屋が受け損ねたボールは音を立てて床へと吸い込まれた。

 作戦がうまくはまったことに、生徒側の応援からひときわ高く声援が上がる。コート内のメンバーもそれは一緒だ。

「よし、この調子で行くわよ!」

 メンバーを振り返ってそう叫んだ運動部員に、ほかのメンバーたちも笑顔でそれに応えた。

 幸先良く先制点を奪うことで調子づいた生徒チームだったが、好調はそう長くは続かなかった。

 バシン、とソフトバレーボールとは思えないような音を立ててボールが床に叩きつけられた。ピピッとホイッスルが鳴って試合終了が告げられる。

「あ~、やっぱり負けたかぁ……」

 悔しさをにじませながら、そしてそれ以上に諦観ていかんをまとわせて小百合がつぶやく。

「いいところまで行ったと思ったんだけどねぇ」

 頭の上で両腕を伸ばしながら、残念そうな様子で千恵が応える。それにうなずき、望美も口を開く。

「善戦はしたと思いますよ」

 事実、彼女たちは善戦した、十二対二十五とほぼ倍近い点数差だが、これでも一セット目と比べればだいぶ点数が取れた方なのだ。文化部系である彼女らとしてはよく頑張ったと自分たちを褒めてやりたいくらいなのだが、運動部所属の生徒らはそうはいかないらしい。

「いやぁっ! やっぱり理事長の動きがあり得ないーッ!」

 何アレ、何なのあの人外ー!! 揃って頭を抱える彼女らに、一セット目に参加していた運動部メンバーらがうんうんと同意するようにうなずく。その気持ちはよくわかる。あり得ないよね、アレ。


「あー、やっぱりああなるかぁ……」


 どう声をかけたものかと遠巻きに彼女らを見やっていると、ため息混じりのそんな声が横からかけられた。毎年、教師チームと当たった運動部はああやってトラウマ抱えるんだよねぇ。

 呆れたような、むしろあきらめたようなその声音に顔を上げると、憂い顔の薫がそこにいた。

「……もしかして、いつものことですか?」

 問いかけた望美の方を向き、薫は笑みを浮かべて問い返す。それは何について訊いているの?

 その問いかけに、望美はすぐに答えを返すことができなかった。理事長がしれっと学校行事に参加していることとか、ありえないような運動神経を誇っていることとか、教師チームと当たった運動部員がトラウマを抱えるとか、諸々全部気にかかる。あと、誰も突っ込まないけどどう見ても運動するのにふさわしくない広瀬の格好とか、ものすごく気になる。いつぞやも同じ感想を抱いたが、よくあの靴で飛んだり跳ねたり走ったりできるものである。

 なので、望美は素直にそう言った。

 返された薫の言葉も、また簡潔極まりなかった。

「うん、全部いつものことみたいだよ」

 ちょっとは手加減してあげればいいのにね、教師陣も。そうため息をつき、

「球技大会での衝撃で心折れるか、反発心を燃やして部活動に打ち込むかは人それぞれかな」

 まあ、燃える連中の方が多いから、高等部うちの運動部強いらしいけど。どこか他人事めいたその言葉に、そう言えば校舎に運動部の入賞歴が垂れ幕としてかかっていたことを思い出す。一つや二つではない数にすごいものだと感心したのを覚えている。

「……そういえば、渡瀬先輩はなぜ体育館に?」

 普段女装で押し通しているから忘れがちだが、薫の性別は男である。男子生徒はグラウンドで試合が行われるはずなのだが、体育館こちらに来ていていいのだろうか?

「うん、あたし次が出番だから」

 あっけらかんと笑顔でうなずいた薫に、望美は首を傾げる。それこそ、こんなところにいてはまずいのではなかろうか。そう考えて、ふと思いついたことがあった。

「……もしかして、参加するのは女子チームですか?」

「イエス、ザッツライト!」

 ウィンクと共に投げられた言葉に、なるほどと納得する。校則の抜け穴を突き、女子用の制服着用を認めさせた薫のことである。球技大会で女子チームに参加することなど、きっと造作もないことだろう。

「お相手はどのチームですか?」

「うん? クラスまでは忘れたけど、たしか三年だったよ」

 あたしが勝つとこ、しっかり見ててねと念を押すと、クラスメイトに呼ばれたらしい薫は体育館の反対側へと駆けていった。

「せっかくだし、見ていく?」

 隣で会話を聞いていた小百合が、そう言って向かいのコートを指さした。作戦会議だろう、それぞれチームごとに集まって何事か話し合っているのが見える。

「かまいませんか?」

 首を傾げてそう問いかけた望美に、小百合と千恵はかまわないと声を揃えた。

「負けちゃったから、もう試合もないしね。知り合いのチームを応援して回るのもいいんじゃないかな?」

 にっこりと笑ってそう言った千恵に、ありがとうございますと答えて望美もほほえんだ。



 トーナメント表によると、薫率いる二年三組と対するのは三年一組のようだった。

「そーれ!」

 掛け声と共に上げられたボールを薫が鋭く相手コートへと打ち込む。さすがに多少の手加減はしているのだろうが、男子と女子では体力に雲泥の差がある。どうにか拾おうと手を伸ばすものの、拳一つの差で届かずボールは床へと叩きつけられた。ピーッと笛が吹き鳴らされ、第一セットの終了が告げられる。勝利を収めたのは、当然二年三組だ。

「ね、ね、あたしの活躍見ててくれた!?」

 コートから出てくるなり望美のもとへと飛んできた薫は、開口一番そう問いかけた。

「はい、格好よかったです」

 女子に混ざっているからというのもあるだろうが、それでも薫の動きは目を惹いた。レシーブにトス、アタックとまさに縦横無尽にコートを駆け巡り、点が入ればチームメイトたちと喜びを共有し、逆に点を入れられれば次を取り返そうと励ます。チームを引っ張って勝利に導こうとするその姿勢が格好いいと望美は感じ、だからこそ素直にそれを相手に伝えた。

 言われた薫は最初大きく目を見開き、やがて小刻みに震えだした。

「いやぁーん、やっぱり在原ちゃんてばかわいいんだからーッ!!」

 もう大好き! そう叫んで力いっぱい望美に抱きつく。抱きつかれた望美は驚いたように目を瞠ったが、けれども抵抗することなくほほえみを浮かべてそれを受け入れた。薫のオーバーアクションには驚かされるが、それもいい加減慣れたものである。

 だが、それに当人以上に反応する者たちがいた。ざわり、と息を呑む気配。

「女装男子と謎の転校生……」

「逆転カップルもイイけど、一見百合ップルなノーマルカプもオイシイかもしれない……」

「次の新刊はこのネタで行こうか」

 当人たちとしては声を潜めているつもりだろうが、実際のところは周囲に丸聞こえな興奮したような会話に、小百合が頭を抱えてため息をつく。

「文芸部にエサを与えるのはやめてください……」

 結局二セット目は三年一組に取られたらしく、試合は三セット目にもつれ込んだ。二年三組は主力である薫をチームに組み込み、三セット目の奪取を狙う。

「それじゃあ行ってくるね」

 ちゃんと見ててね、と大きく手を振りながらコートへと駆けていく薫に、微笑を浮かべながら望美は手を振り返す。

「はい、ちゃんと見ています」

 律儀にそう返す望美。彼女らのやり取りを、どこか恍惚こうこつとした表情を浮かべながらメモを取る一団には気づいていないらしい。それらが何者であるのかを知る小百合はうなだれ、その評判を聞き及んでいる千恵は苦笑を浮かべていた。

 三セット目は、薫の活躍もあってあっという間に二年三組がかっさらっていった。そしてその後、文芸部にオイシイ展開があったというが、それはまた別の話である。

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