12
一年男子選抜チーム、その実態は実力で選ばれたのではなく、ある意味では実力と呼べる
「これはまた……」
「うん、なんていうか、ねぇ……」
歯切れの悪い言葉も無理はあるまい。一年選抜チームの対戦相手は、先ほど自分たちがボロ負けした相手――すなわち教師チームであったのだ。これでは戦う前から結果は見えていると言ってもあながち間違いではないだろう。
第一セットに出場する生徒たちはすでにコートの中にいるようだった。コートへと視線を投げる望美に、小百合がくすりと笑みをこぼす。
「どうやらお目当ての二人は第二セットみたいね?」
別にそういうわけでは、と否定しかけ、けれどもあながち間違いでもないことに気づいて望美は口を閉ざす。昨日の事前準備の時に悠から、今朝家を出る時に湊からも是非にと言われれば観戦するのもやぶさかではなく、そうして声をかけてくれたからこそ来たのだから否定する必要はないと思えたのだ。
「あ、在原さん!」
来てくれたんですか、と声に喜色をにじませて近づいてきたのは悠だった。
「はい、応援に来ました」
わざわざ言葉にせずともほかにこの場所を訪れる理由などないのだが、望美は律儀にそう答える。
「ありがとうございます。とは言っても、僕が出るのは第二セットなんですが……」
せっかく来てもらったのに申し訳ないと言いたげに、悠が苦笑を浮かべる。
「――望美! 来てくれたんだな!」
そこへ同じように望美たちの姿に気づいたらしい湊が駆け寄ってくる。来てくれて嬉しい、とその顔に大きく書いてあった。
「湊くんも第二セットですか?」
コートの中にいない以上聞くまでもないことだったが、望美は微笑を浮かべてそう問いかけた。
「うん、オレは二セット目。望美のクラスはもう試合終わったのか?」
「はい、教師チームと当たりました」
結果は? と無邪気に問われる。一瞬小百合と千恵が動きを止めたが、望美はそれに気づかぬ様子で負けましたと答える。
「そっか、残念だったな……。でも任せておけ、オレが仇を取ってやるから!」
話を聞いて顔を曇らせた湊だったが、すぐに晴れやかな笑みを浮かべた。自信たっぷりに宣言する。仇とは大げさな、と内心思いながらも、望美も笑みを浮かべてうなずいた。
「……きみ一人で戦うわけではないんですが」
そのやり取りに、思わずといった様子で口を挟んだのは悠だった。冷静なツッコミというよりはごく当たり前の指摘に、湊は小さくうめき声をあげた。今気づいたと言いたげにそちらへと視線を向ける。
「バレーボールはチーム戦ですが」
言わなければいいものを、わざわざため息と共に火に油を注ぐような発言をする悠。彼としては他意はなく、あくまでも一般論を言っているつもりなのだろう。
「……それじゃあ、中須は仇を取ってやろうとは思わないのか?」
売り言葉に買い言葉というわけか、湊が低い声で問いかけ、睨むように悠を見据える。
「そんなことは言っていないでしょう? 当然そのつもりです」
何を当たり前のことを聞くのかと言いたげに、悠はあっさりと言い放つ。そのまま睨み合ってしまった二人に、こそりと千恵が望美に耳打ちする。
「ねぇ、あの二人放っておいていいの?」
「そうね、そろそろ止めた方がいいんじゃない?」
いくら寄せ集めとはいえ、チームメイトだ。試合前に険悪な雰囲気になられては、あとあと試合で困ったことになりかねない。そう告げた小百合に、望美はこくりとうなずいた。たしかに、自分が原因でチームワークにヒビを入れたとなれば、ほかのメンバーに対して申し訳ない。何より、せっかくの球技大会が楽しめなくなってしまうだろう。
「お二人ともありがとうございます」
にこりとほほえんでそう告げた望美に、睨み合っていた二人は一瞬言葉を失った。ハッと我に返り、何度もうなずく。
「あ、ああ……。安心しろよ、ちゃんとオレたちで仇は取ってやるからな!」
にかりと笑い、自信に満ちた声で宣言する。先ほどまでの確執はすっかり忘れたのか、呼称が複数形となっている。
「そうですね。時任くんはバレーボールが得意だと聞いていますし、何とかなると思いますよ」
体育の合同授業でも違うクラスであるため実際に相手のプレーを見たわけではないのだろうが、悠はしっかりとうなずいた。僕もバレーボールは苦手ではありませんし、とさりげなく付け加える。
そこへ試合開始を告げるホイッスルの音が鳴り響いた。自然と視線がコートへと向かう。相手が教師チームであるためか、ギャラリーの数はずいぶんと多いようだった。その中には望美のクラスメイトである運動部員たちの姿も見受けられ、彼女らは熱心に声援を送っていた。
息を呑む攻防が続いている、と言えば聞こえは良かったが、試合は一方的だった。先ほど望美たちが味わった感覚を彼らもそのまま味わっているのだろう。
女子と違って男子の試合はソフトバレーボールではなく、一般的なバレーボールを使用している。ボールが変われば教師陣の勢いも衰えるかとわずかに期待したのだが、実際はその逆であった。水を得た魚のごとく、生き生きとコートを駆け回っている。
一年選抜チームは最初から狙いを土屋に絞った戦法を取っているらしく、それが功を奏して彼がボールに翻弄されている様が見て取れた。
「ええ!? ちょっと、なんでぼくばっかり狙うんですかーっ!?」
そんな土屋の情けない叫びが聞こえてくるくらい集中砲火を浴びているようだ。どうやらこの戦法は望美たちのクラスメイトがアドバイスしたらしく、彼女たちがガッツポーズをしているのが見えた。卑怯と
話すことも忘れ、望美たちは試合に見入っていた。ふと得点表に目を向ければ、点差はごくわずかであった。これなら、もしかすると勝てるかもしれない。誰もがそう思った時だった。
「……生徒相手に本気出すなんて、やっぱりダメですよね?」
恐る恐るといった様子の土屋の声が響く。
「何言ってるの、土屋くん! 教師が全力でやらないなんて、生徒に失礼じゃないの」
それに明るく答えたのは望美たちの担任である桐生だった。なんて余計なことを、と思った生徒は少なくないだろう。
わかりましたぁ、と情けない声で答えてからの土屋の動きは別人かと思えるほどだった。どこを狙っても――顔面や爪先といった最も拾いにくいであろう場所をピンポイントで狙っても拾う。コートの端ギリギリを狙っても拾う。お前はフリスビー犬かと言いたくなるぐらい、それはもう見事に拾ってくるのである。
「おい……誰だよ、
うめいたのは誰の声であったのか。そのつぶやきに呼応するかのごとく、教師チームが次々と点を入れていく。体育教師は一人しかいないというのが信じられない、それこそ【これは何かの間違いだ】と言いたくなるようなそんな光景であった。
ピーッと高らかにホイッスルが鳴って第一セットの終了が告げられる。見れば、十点以上の点差をつけて教師チームが勝利していた。恐ろしいことに、あれだけ動き回っていて息一つ切らしている様子がない。
「……頑張ってくださいね」
そう言ったものの、少々頑張った程度で
「おう、任せとけ!」
「では行ってきます」
湊と悠、それぞれが笑顔を残し、一セット目のメンバーと入れ替わるべくコートへと向かっていった。五分間の作戦会議――という名目の休憩時間があるのだ。入れ替わりでコートに出る彼らは、おそらく作戦の一つや二つでも練るのであろう。
「アレに勝てるチームってあるのかなぁ?」
ぽつりと漏らされた千恵のつぶやきは喧騒にまぎれ、望美と小百合の耳に辛うじて届く程度だった。
「さあ、どうかしら? でも、彼らはやる気のようよ?」
小百合がそう応じ、本格的に打ち合わせに入った一年選抜チームを示す。彼らは教師チームに作戦を聞かれまいとしてか、今にもスクラムを組みそうな密集陣形だ。真剣に話し込んでいるらしく、緊迫した空気がこちらまで伝わってくるようだった。
ピーッとホイッスルが吹き鳴らされ、作戦兼休憩時間の終了が告げられる。一年選抜チームは先ほどチームメイトが敗北を喫したばかりだというのに、意気揚々とコートへと向かって歩き出した。
試合開始のホイッスルが鳴り、まずは教師チームの雄、小笠原から渾身のサーブが放たれる。見た目の年齢からどうすればそんなサーブが放てるのか疑問を禁じ得ないほどの速度で飛んでいくボールを、生徒の一人が弾道を読み切ったかのようにレシーブする。わっと
コートの中央に上がったボールを、悠がネット間際の場所を狙ったかのようにトスを上げる。待ってましたとばかりに湊が強烈なアタックを教師チームのコートへ打ち込んだ。サーブを放ってコートに戻ったばかりの小笠原の足元を狙っての、まさに会心の一撃というヤツだ。
二セット目の先制点は、観客の度肝を抜く鮮やかさで生徒チームのものとなった。
そしてサーブ権は生徒側へと移る。ボールを手にしたのは望美のクラスで一番背の高い、運動が得意と評判の男子生徒だ。バレーボール部の部員以外はほとんどがアンダーハンドサーブで打ち込むのが常なのだが、彼はどうやらフローターサーブを打てるらしい。とん、とん、とボールの感触を確かめるようにバウンドさせると、ボールを構えて教師チームのコートを見据えた。引き込まれるように口をつぐむ観客たち。
静まり返った場の中、男子生徒はゆっくりとボールを投げ上げた。落ちてくるボールに向け、振り上げた手を叩きつける。
小気味のいい音が響き、ボールが教師チームのコートへと弾丸のように飛んでいく。フローターサーブとは思えない速度に誰もが目を瞠る中、慌てることなくそのボールに追いついたのは遼平だった。体育教師の
「あんまり
そんな無情、かつ場にそぐわない言葉が飛んできたのだ。当然というべきか、言葉の主は湊である。
「――なッ!?」
いきなり飛んできた予想外の言葉に遼平が手を滑らせる。ボールは地面に吸い込まれ、ポーンと音をさせて高く跳ね返った。
「容赦ないわねー」
感心しているのか呆れているのか判断に困る声音で小百合がつぶやいた。
「さすがは息子っていうべきなのかな?」
くすくすと楽しげに笑う千恵に周囲を見やれば、生徒チームはおろかギャラリーまで誰一人として苦笑こそ浮かべているもののその発言に驚いている者はいないようだ。
「勝てば官軍、らしいよ?」
状況についていけていない望美に、千恵がそんなことを口にした。数年前の卒業生が残した格言とのことらしい。ルールに抵触さえしなければ、勝つための手段は選ばないという風潮がこの学園――主に高等部には存在するようだった。
望美が知らないだけで、ほかの生徒たちはそんな暗黙の了解を知っているのだろう。ギャラリーたちは大いに盛り上がり、生徒チームに声援を送っている。一方卑怯な手を使われた教師チームも、その顔にはどこか面白がるような表情が浮かんでいた。
早くも二点先取した生徒チームに向けられた声援が大きくなる。一年生を中心としてコートを取り囲んでいたはずが、気がつけば上級生の姿が混ざり始めていたのだ。
サーブは続けて生徒チームである。声援の中でも響くほどの勢いで、力強いサーブが飛んでいく。
次に狙われたのは広瀬だ。さすがに運動靴とは程遠い厚底靴で足元のボールは拾いづらいらしく、きゃっと可愛らしい悲鳴を上げながらボールへと手を伸ばし、辛うじて拾い上げる。ボールはコートからそれた方向へと飛んでいったが、このチームにはどこまででも拾いに追いかける忠犬がいる。大方の予想通り、土屋がボールめがけて走っていく。だが、彼は不意に動きを止めた。
そう、たしかに距離としては余裕だった。
「はい、ボール」
人波に飲み込まれたボールは、忍足の手によって土屋に渡された。どうやら彼のいたところにたまたま飛んできたようだ。
「……あ、ありがとうございます」
律儀に礼を述べ、にへらと笑み崩れた表情で土屋がボールを受け取った。そのままボールは生徒側へと送られる。サーブ権は引き続き生徒側が握っているからだ。
ふたたび力強いサーブが打ち込まれる。しかしさすがに次は見切られていたのか、あっさりと拾われた。宇佐見、桐生と経由し、小笠原がアタックを打ち込む。
ブロックしようとネット前にいた湊が跳ぶが、まるで動きを読まれていたかのようにボールは彼の手をすり抜けて地面を叩いた。ようやく教師側にサーブ権が移動する。次にサーブを打つのは土屋のようだ。
「つっちー、フローターサーブ打てるのかよ」
ボールを中空に投げ上げようとした土屋に、外野からからかうようなヤジが飛ぶ。視線を向けると、いかにも体育会系といったガタイのいい男子生徒が数名楽しそうに笑っているのが見えた。あだ名で呼んでいるところからして、おそらく土屋と懇意の生徒だと思われた。
「自慢じゃないですけど、ぼく、高校の頃一番得意だった科目は体育です」
普段のどこか情けない態度とは打って変わり、土屋が自信ありげにうなずいてみせた。その声が聞こえたのだろう、じゃあなんで国語教師やってんだよ、というツッコミが多方面から飛ぶ。
いきますよ、と前置きした土屋がボールを投げ上げ、跳んだ。勢い良く叩かれたボールが弾丸のごとく飛ぶ。そこそこに高身長である彼がスパイクサーブを――それも本気で打つのならば、おそらくほとんどの生徒は太刀打ちできないだろう。事実生徒チームは動くことすらできず、ボールは無情にも地面に叩きつけられる。
「通常のバレーボールであのサーブって、もはや殺人級ね……」
あれを受けたら相当痛そうね、と小百合が眉をひそめる。その言葉に千恵が不安げな声を上げた。
「え、それじゃあ誰も土屋先生のサーブを取れないってこと?」
「いえ、タイミングさえ合えば、そんなことは……」
ないです、と言いかけた望美だったが、その言葉は途中で消えた。プロ顔負けとは言わないが、一朝一夕で対抗手段が見つかるとは思えない高速サーブ。自分たちが使っていたようなソフトバレーボールならともかく、速度の出る通常のバレーボールでは対処は難しいと思われた。
ふたたび土屋から小百合命名殺人サーブが放たれた。本人が得意教科は体育だったと申告する通り、コントロールも威力も抜群である。あっという間に点差はゼロへと逆戻りした。
それもそのはず、年齢からして土屋はすでに身体ができ上がったあと、衰え始める前のいわば最盛期なのである。未だ発展途上の高校生が太刀打ちできるなどと考える方がそもそもの間違いである。
普段は自信なさげでどこか頼りない印象がある土屋だが、本気を出した彼は驚くほどに強かった。望美たちのチームと対戦していた時は、完全に手抜きと言っていいくらいに手加減をしてくれていたということだろう。
どうやったらヤツを止められるのか、そんな空気が流れ始め、祭りさながらの生徒チームへの声援は困惑の声へと変わりつつあった。
「……雅臣、生徒相手に本気でやるのは可哀想じゃない?」
そこへ一石を投じたのは忍足だった。ほとんど動くことすらできない生徒チームを見かねてなのか、それとも単なる感想なのかは判断できないが、その言葉に土屋が小さく声を上げて振り返る。
「そ、そんなにぼく卑怯っぽいですか?」
あわてたようにそう尋ねる土屋に、忍足は軽く考えるそぶりを見せてから、少し、とうなずいた。そんなぁ、と哀れっぽくつぶやいたあと、土屋はサーブをアンダーハンドへと切り替えたようだ。それならば、いくら実力があろうが生徒でもやすやすと取れてしまう。
「……相変わらず、空気読んでるのか読んでないのかわかんないなぁ、瑞貴ちゃん」
不意に近くで聞き慣れた声がして、望美はそちらへと振り返った。すぐうしろに立っていたのだろう、苦笑を浮かべた恭二と目が合う。
「スポーツマンシップという意味では手加減する方がアレなんだが……。まあ、瑞貴ちゃんはやったことないらしいから仕方ないかもな」
「やったことがないって、球技大会をですか?」
そんなはずはないだろう、という意味合いを込めて問いかける。忍足がこの学園の卒業生だと言ったのは恭二だ。学校行事なんてほとんど変わることはないのだから、忍足が参加していないはずがないのだ。
「いや、そもそも体育というものをやったことがないらしいぞ?」
本当かどうかは定かじゃないが、と付け加え、恭二はおかしそうに笑ってみせた。
「それはまた、珍しいですね」
あっさりとうなずいた望美に、納得するんだ……と小百合が小さくうめく。
観戦のためにコートへと視線を戻すと、ちょうど悠がアタックを叩き込んだところだった。ふたたび生徒チームに点が加算される。
一気に熱気を増した応援に応えるように、アタックを決めた悠が軽く手を挙げ、パンと湊と手を打ち合わせた。それが伝播したのか、チームメイトたちが次々とハイタッチのように片手を叩き合わせていくのが見える。試合前のギスギスした空気はどこにもなく、そこにあるのはチームメイト同士喜びを分かち合う姿だった。
次にサーブを打つのは湊のようだった。彼はボールを高く放り投げると勢いをつけて飛び上がった。全身をバネにして思い切り放たれたサーブは、狙いすましたかのように遼平へと向かっていく。ボールの軌道がまっすぐ顔面へと向かっていくのは、わざとかそれとも偶然か。
遼平が何とか拾ったボールを宇佐見がトスする。せーのっと広瀬がアタックを打ち込もうと飛び上がったが、なぜかボールを叩かずあさっての方へと振り返った。ネット越しの正面では、男子生徒が小さくガッツポーズをしているのが見える。おそらく彼が何かしら言うなりやるなりしたのだろう。
その後も生徒たちは時に卑怯と言われかねない手を使い、ギャラリーまで味方につけて辛くも二セット目を奪うことに成功した。
遼平に効果的なのは湊の食事をネタにした悪意ある言葉であり、土屋に効果的なのはどういわけか忍足の生徒を擁護する言葉であり、またなぜか広瀬には「あんなところに魔法少女が」という叫びが功を奏したようである。ほかの教師にはこれといって効果のある発言は二セット目では見つからなかったものの、教師の半数の動きを止められれば充分すぎるだろう。
そうして二セット目が終わった時には、まるで決勝戦に勝ったかのような大歓声が彼らを包み込んだのである。
しかし、これでセットカウントは一対一であるということを忘れてはいけない。生徒チームはすぐさま三セット目へ向けての作戦会議に入っていった。
「すごかったね!」
興奮を抑えられない様子で千恵が歓声を上げた。自分たちが苦杯を嘗めさせられた相手に対して、一セットとはいえ勝ったことに純粋に感動しているようだ。
「
そう苦笑するも、小百合の顔にも笑みが浮かんでいる。千恵同様、生徒が一矢報いたことが嬉しいのだろう。
「三セット目突入ですね」
すべての観客を代表するかのように望美がつぶやいた。
ほどなくして三セット目が開始される。
相変わらずまったく構成を変えてこない教師チームに対し、生徒チームは二セット目と構成を変えてきたようだったが、望美にとって顔見知り以上の湊も悠も揃っていた。つい先ほどまでコートを駆け巡っていたという消耗を感じさせない様子に、頼もしさすら覚えてしまう。
今度は生徒チームがサーブ権を持っているようだった。
「引導を渡してあげるわ。かかってらっしゃい」
もう卑怯な手は喰わないわよ? と挑発する桐生に観客がどよめいた。
「あいにく、今度は正々堂々と真っ向勝負だ」
ニヤリと笑みを浮かべて応えたのは、ネット越しに桐生の正面にいた湊だった。
「申し訳ありませんが勝たせてもらいますよ、先生」
サーブを打つためにコートの外に立っていた悠が、湊の言葉を引き継いで自信ありげな笑みを浮かべる。
思わずどこの【コンクエスト】の演出かと突っ込みたくなるようなやり取りだが、これは盛大なごっこ遊びなどではなく、プライドをかけた真剣勝負である。
その前口上に、わぁっと観客が声を上げた。一回戦とは思えない盛り上がりぶりである。
そして、ついに戦いの火蓋が切って落とされた。
運動部に属していない悠のサーブも、バレーボール部顔負けのフローターサーブであった。
【青藍】としての動きを知っている望美からすれば彼の運動神経もかなりのものだと最初からわかっていたが、こうして改めてスポーツをしているところを見ればしみじみとすごいなと感じるほどである。
悠がサーブを打ち込んだ先は小笠原の足元であった。小笠原は低い位置に落ちてくるボールを見切っていたのか、ひょいとすくい上げるようにしてレシーブした。それを近くにいた宇佐見がトスを上げ、ふたたび小笠原がアタックを決めようとのびやかに飛び上がる――。
その瞬間、何が起こったのかが完全に見えていた生徒は少なかっただろう。
バシィッと痛そうな音が響いたかと思えば、ボールは教師側のコートに転がっていた。一瞬声援が途絶え、静寂の後大音量の歓声が沸き起こる。
「――今のは……」
望美の見間違いでなければ、小笠原のアタックから一瞬遅れて飛び上がった湊がブロックしたはずであった。いや、むしろ打ち込まれたボールをそのまま打ち返したというのが正しいのかもしれない。驚くべき動体視力と身体能力である。
華麗にカウンターを決めた湊は、コートに戻っていた悠と高くハイタッチを交わしていた。
ふたたび悠がサーブを打ち込む。先ほどと同じ軌道を描き、ボールが小笠原の足元に吸い込まれていく。同じように拾われたボールを、今度は広瀬がトスを上げた。アタックできる位置にいたのは、先ほどと変わらず小笠原ただ一人だ。申し合わせたかのような完璧なタイミングで、またもやボールは湊によって教師陣のコートへと叩き落された。
歓声が沸き上がる。その場にいたギャラリーたちが一体となったかのような声援が生徒チームへと注がれる。
生徒チームはそのまま同じ戦法で立て続けになんと十点もの大量得点を奪い取った。
「正々堂々、ねぇ……?」
敬老精神は欠片もないけどな、とどこまでも面白がるような恭二の声も歓声にかき消され、すぐ前にいた望美らにしか届かなかった。
恭二の指摘通り、彼らが集中砲火を浴びせているのは小笠原である。最も警戒すべき戦力である彼を完全にマークしていれば、ほかは何とかなると踏んだのだろう。その甲斐あって、教師チームがようやく一点を返した時にはギャラリーたちの盛り上がりぶりは一種異様な状態となっていた。小百合に言わせれば、今まで一年生が教師チームに勝った例はないそうだからこの騒ぎようも当然だろうとのことだった。
そういえば、と望美は思い出す。教師チームによって、生徒――特に運動部の部員がトラウマを植え付けられるのは毎度おなじみの光景だと薫が言っていた。
しかしさすがは教師チームとでもいうべきか、その胆力はすさまじかった。すぐさま持ち直し、一気に五点を連続して取り返したのだ。
息を呑む攻防が続く。もはや高校の球技大会などという生易しい次元ではない。完全な真剣勝負である。
そして、ついに一点差という接戦で迎えた生徒チームのセットポイント。暴力的なまでに熱のこもった声援がピタリとやみ、誰もが固唾を呑んで見守る中、サーブを打つのは湊だ。
シーンと静まり返ったグラウンドに、湊がボールを打つ音が響き渡る。
ボールの飛んでいく先は当然ながら小笠原の足元、それもコートの外側寄りをピンポイント。それでも、意地なのか小笠原はボールを拾った。ボールはコートのかなり端の方へと流れていったが、土屋が器用にアタックを打てる範囲にトスを上げる。生徒チームの狙い通りなのか、小笠原がアタックを決めようとふたたび飛び上がった。
それを見て、ネット際にいた悠がタイミングを計るように身をかがめる。
小笠原が大きく手を振り上げボールを叩くと思われたその刹那、彼は器用にも空中で体をそらした。その後ろから姿を見せたのは、すでに空中に飛び上がりアタックを打ち込む態勢に入っている桐生。
まるでコマ送りされた映像であるかのように錯覚する、無音の光景。
桐生の手にボールが触れた、その直後。
ピーッと試合終了を告げる笛の音が響いた。同時に湧き上がる大歓声。
最後の瞬間、桐生が飛び出してくるのを読んでいたらしい悠が見事なカウンターを決めたのだ。前代未聞の、一年生による教師チームへの勝利である。
大歓声に包まれる中、湊と悠が笑顔でハイタッチを交わしたのが見えた。そのままチームメイトたちとも順番にハイタッチを交わしていく。周囲に群がっていた観客たちに手荒い祝福を受ける彼らは、とても誇らしそうだ。
連れ立って望美の前へと歩いてきた二人は、同時に口を開いた。
「仇、ちゃんと取ったぞ」
見てたか、と笑顔を浮かべた湊がVサインを突き出し、
「宣言通り、ちゃんと勝ちましたよ」
どこか照れたように笑う悠。
「お二人とも、おめでとうございます」
仇もありがとうございました、とどこまでも丁寧に望美が二人を出迎えた。迎えられた二人は顔を見合わせて誇らしげな笑顔を浮かべたあと、ふと何かに気づいたかのように顔を強張らせた。示し合わせたかのようにお互いに顔をそむける。どこか気まずそうな顔をしていることから、試合前の確執を思い出してしまったらしい。忘れていればいいものを、と小百合が深くため息を吐き出した。
「お二人は続けて試合ですか?」
どこか気まずい空気の中、それを意にも介さず望美がそう問いかけた。
「……え? あ、ああ」
勝ち上がったからそうなるかな、と湊がうなずき、
「二年二組か、二年選抜チームのどちらかと当たりますね」
トーナメント表を記憶しているのか、すらすらと悠が答える。
「では頑張ってくださいね」
応援してます、とにこりとほほえんで告げた望美に、え、と二人は同時に声を上げた。
「お、おう! 任せておけよ」
「はい、頑張ります!」
わずかに頬を紅潮させて口々に叫ぶ二人を見やり、たまたまそばでその会話を聞いていたらしい望美のクラスのノッポの少年がボソリとつぶやいた。在原を巡る三角関係フラグ説濃厚、と……。
一年選抜チームの相手は二年選抜チームであった。先ほどの試合があとを引いているのか、それとも純粋な実力差か、一年チームはあっさりと二年チームに一セット目を奪われた。どうにか意地で二セット目を勝ち取り、三セット目――。
「ペース配分も考えず、一回戦で全力投球するからそうなるのさ」
ふっと息を吐き出すように笑ってそう告げたのは小林だった。たしかにあの試合は見事だったが、その後のことを考えていなかったのはお粗末すぎるな。
「……お言葉ですが、先輩。一セット目をあっさり取られたのは貴方に気を取られてだと思いますが?」
どうして男子チームに女子が混ざってるんですか、と半眼で悠がうめく。
そう、なぜだか二年男子選抜チームには
「その程度で集中を乱すとは修行が足りないな」
だが悠の非難するような声をものともせず、小林はあっさりとそう言ってのける。
「女子が男子チームに参加してはならないなどと、誰も言わなかったではないか」
それどころか、胸を張ってそんな屁理屈まで言い放った。
「……小林先輩だからな……」
「渡瀬先輩ですか、貴方は……」
同時にうめく湊と悠。誰か止めろよ教師陣、と一年生の誰もが思った。自主性を重んじる風潮も、ここまで来れば放任主義もいいところである。
「えーと、そろそろ試合を始めたいんですがよろしいでしょうか……」
ホイッスルを手に、困ったように体育委員が問いかける。それにうなずいたのは小林だった。
「問題ない、始めてくれ」
その言葉に体育委員がホイッスルを吹き鳴らす。サーブ権は一年側、打つのはどうやら悠らしい。ボールの感触を確かめたあと、高く宙に投げ上げた。落ちてくるタイミングを計って手を叩きつける。力強い音がしてボールは二年のコートへと飛んでいった。
難なくレシーブされたボールは、小林によって一年コートへと打ち返された。湊がブロックのために飛ぶが、ボールは彼の手の間をすり抜けてコートへと落ちる。
「させない」
つぶやき、滑り込むようにボールに手を伸ばしたのは望美のクラスのノッポの少年だった。それを悠がトスを上げ、バレーボール部員が渾身のアタックをお見舞いする。ブロックが二枚上がるが、止めきれずにボールはあらぬ方向へと飛んでいった。一年側の先制点である。
その後も息を呑む攻防が続いたが、軍配は二年側に上がった。
「残念でしたね」
コートから戻ってきた湊と悠を出迎えた望美はそう声をかけた。その言葉に二人は大きくため息をつく。
「もうちょっとでどうにかなるかと思ったんだがな……」
「さすがに一回戦で体力を使いすぎましたね」
小林先輩の指摘通りです、とつぶやく悠。
「けど、一年による教師チームの撃破は学園史上初の快挙だって新聞部がはしゃいでたわよ」
「写真もいっぱい撮ってたから、記事になるかもしれないね」
どこか自嘲気味な男二人をなぐさめるように、小百合と千恵が声を張り上げる。
「ええ、一回戦の試合内容はすごかったと思いますよ」
もちろん、さっきのもすごかったと思いますと告げた望美に、彼らは少し浮上したらしい。そうかな、と照れたように笑う。
「お二人はこれからどうなさるのですか?」
わたしたちは知り合いの応援に回るのですが、との望美の問いかけに、二人は考え込むような仕草を見せた。
「特に考えてはいませんが……そうですね、それもいいかもしれませんね」
もしよければご一緒させてくださいと言った悠に、もちろんと望美はうなずく。
「湊くんはどうしますか?」
「え、オレ?」
戸惑ったように自分を指さし、
「えっと……よければオレも一緒に行っていいかな……?」
ためらいがちに湊はそう問いかける。
「もちろんですよ。応援は数が多い方がいいですから」
にぎやかなのに越したことはないと笑う望美に、そうですか、と湊は小さく肩を落としたのであった。
そんなたわいもないやり取りをしている時だった。
「なあ、次、女子決勝だって! 二年三組と三年三組!」
そう叫びながら、少年たちが横を駆け抜けていった。カメラを手にしているところを見ると写真部か新聞部なのだろう。少しでもいい場所を押さえたいのか、彼らは全速力で階段を駆け上がっていく。
「二年三組って、たしか渡瀬先輩のクラスではありませんでしたか?」
「ええ、相手は都筑先輩のクラスですね」
つぶやいて互いに目を見交わす悠と望美。ややあって、我に返ったように叫ぶ。急がないと見逃してしまう!
バタバタとあわただしく駆け出すと、彼女らもまた階段を全力で駆け上がったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます