10
六月、週末に控えた球技大会のせいか、生徒たちはみなどこか落ち着かない様子だった。そんなざわついた放課後の校舎の空気をけたたましいアラームが突如切り裂く。
『二階南棟の廊下が【世界征服部】によって征服されました! 【正義の味方部】はただちに出動してください!』
放送を追いかけるようにせわしなく駆けていくのは、【特殊報道部】と少しでもいい場所で見物しようと考える生徒たちだ。
見ようによっては人質に取られたようにも庇われているようにも見える、戦闘員の背後という最近の定位置から望美は廊下の中央へと視線を投げる。そこには左手を腰に当て、【正義の味方部】の登場を待つ【真紅】の姿があった。
幾度目かの
人影は廊下の中央に躍り出ると、ビシリとポーズを決めた。
「【ジャスティスイエロー】見参! 我らがおる限り、お主らの好きにはさせぬぞ、【世界征服部】!」
耳に心地よい少年の声がそう告げる。その叫びに応えるかのごとく、【真紅】は小さく笑いをこぼした。
「さて、果たして君で私に敵うのかな?」
低くささやき、胸の前で腕組みする。はやし立てるかのように戦闘員たちが口々に奇声を発した。
「ふむ、それはやってみなければわからぬな。お主こそ、それがしを倒せるとは思わぬことだ」
正義の名にかけて、それがしは負けるわけにはいかぬ。高らかに上げられた宣言に生徒たちがやんやと喝采を上げる。いいぞ、イエロー、負けるな! 何よ、【真紅】様があんなヤツに負けるもんですか。やっちゃって、【真紅】様ー!
いつもより俄然多い黄色い声援に、望美は驚いたように目をまたたかせる。どうやら固定のファン層というものがあるらしい。そういえば【若苗】の時もやたらきゃーきゃー言ってる女子生徒の集団がいたなぁとぼんやり思い出す。【青藍】の時にはそんなことはなかったということは、彼にはまだ固定ファンがいないということなのだろうか。そんなどうでもいいことが脳裏をよぎる。
だが中央にいる二人は外野の叫びなど意にも介さぬ様子で互いに睨み合っている。そんな二人の様子に圧倒されてか、次第に外野の声援も収まっていく。
そして完全な沈黙が訪れた。しかしそれでも二人は動かない。【特殊報道部】も含め、誰もが二人の出方をうかがい
きゅ、と誰かの上履きがリノリウムの床にこすれるわずかな音が廊下に響く。静寂が支配していた空間に、その音はあまりにも大きく響いた。
それを合図にか、二人は同時に床を蹴った。
まっすぐに打ち出された【ジャスティスイエロー】の拳を、【真紅】は顔を傾けることによってかわした。避けられたと見るや、【ジャスティスイエロー】は慣性すら無視するような鋭角なターンを決めて追撃をかける。側頭部を狙った鋭い蹴り。
わずかに笑みを浮かべ、【真紅】は右手を掲げた。こめかみに当たるその寸前で【ジャスティスイエロー】の蹴りは止められる。彼女の手元をよく見れば、いつどこから取り出したのやら、教師が授業で使うような伸縮性の指し棒が握られていた。
【ジャスティスイエロー】の足を跳ね上げ、その股下をくぐるようにして【真紅】はくるりと立ち位置を入れ替える。腕を振る勢いで伸ばされた指し棒を用い、まるでフェンシングのような動きで突きを入れた。
胸を狙ったその突きを、【ジャスティスイエロー】は腕を交差させることによってどうにか防いだ。後ろに飛びすさって体勢を整える。
流れるような攻防に、リポーターですら実況を入れるのを忘れて戦闘を見入っている。一般生徒は言わずもがなであった。
涼やかな笑みを口元に浮かべ、【真紅】が
「よそ見とは、ずいぶんと余裕であるな!」
「……ふっ」
笑うように息を漏らし、【真紅】は押されるように片足を引いた。左足を軸にくるりとうしろ向きに一回転。掌底がかすめた帽子が勢いで吹き飛ばされ、中に納められていた長い黒髪が背中を叩く。
【真紅】はターンの勢いを利用し、逆袈裟に切り上げるようにしてがら空きの【ジャスティスイエロー】の右半身へと指し棒を叩き込んだ。
決まり手だと誰もが思ったその瞬間――。
「はい、そこまで」
涼やかな男声と共に、ばしんと勢いよく物を叩きつけたような鋭い音が廊下に響いた。
見ればいつの間にその場に現れたのか、忍足が手にしたバインダーを二人の間に差し入れている。先ほどの音は指し棒がバインダーを叩く音であったようだ。
戦いの行く末を見守っていた生徒たちは、何が起きたのかはよくわかっていないが勝負に水を差されたということだけは理解できたらしい。どこか不満げな、あるいは戸惑ったような声があちらこちらから上がる。
問いかけるような視線が突き刺さっているのに気づかないはずがないだろうに、忍足は沈黙を保ったままだ。【真紅】と【ジャスティスイエロー】がそれ以上の戦闘行為を行わないことを確認すると、バインダーをはたいてから右脇に挟み込んだ。
「……忍足先生? これはどういう――」
その場にいる生徒たちを代表してか、リポーターがうかがうように声を上げる。それとほぼ同時に、校内放送を示すチャイムが鳴り響いた。どこか場違いに明るいその音に、思わず誰もがスピーカーを見上げた。
『学園事務局よりお知らせします。これより職員会議を行うため、生徒のみなさんはすみやかに下校してください。繰り返します。これより職員会議を行うため、生徒のみなさんはすみやかに下校してください。――以上、学園事務局よりお知らせしました』
職員会議? と誰かがつぶやいた。え、それで【コンクエスト】に干渉できちゃうわけ?
ざわざわと、戸惑いを含んだ声が次第に大きくなっていく。
「――はい、そういうこと。理解できたらすみやかに下校するように」
注目を集めるように二度手を打ち鳴らし、忍足が声を張り上げる。けれど納得のいかない生徒たちは誰一人として動こうとはしなかった。そんな中、
「仕方あるまい、今日のところはこれで退くとしよう」
左手に押し当てて指し棒を格納し、【真紅】がそう声を上げた。ちらりと横目で【ジャスティスイエロー】を一瞥し、くちびるを吊り上げる。この場は貸しておこう。
その言葉に【ジャスティスイエロー】もまた小さく笑いをこぼす。
「さて、それはどうかの?」
借りておくのはそちらではないのか?
互いに視線をぶつけ、どちらからともなく背を向ける。
【真紅】はマントを払うように右腕を大きく広げ、戦闘員たちに向けて声を張り上げる。
「撤収する!」
一糸乱れぬ動きでそれに応えた戦闘員たちが、【真紅】のあとを追って廊下を去る。
それと同時に、【ジャスティスイエロー】もまた声を張り上げる。
「正義の名の下に、我らは戦い続ける!」
びしりと登場時と同じようにポーズを決めると、【真紅】とは逆の方向へと駆け出す。
残されたリポーターが、これをどう納めればいいのかと戸惑いがちに視線をさまよわせた時、またもや校内放送を示すチャイムが響いた。
『【コンクエスト審議会】より通達です。本日の勝負は引き分けとし、支配率は変動しません。繰り返します。本日の勝負は引き分けとし、支配率は変動しません』
呆然とスピーカーを見上げていたリポーターが救いを得たとばかりに瞳を輝かせる。マイクを握り直し、注目を集めるかのごとく【実況席】に拳を打ちつける。我に返ったカメラマンがあわててリポーターへとカメラを向けた。
「
戸惑いの余韻を残しつつ、それでも中継が己が使命と言いたげにカメラに向かって叫ぶリポーターの姿に、生徒たちもまた納得いかないという顔をしながらも、一人また一人とその場を去っていく。そんな生徒たちの波に混ざり、望美もまた昇降口へと向かったのであった。
「アレはどういうことですか!?」
翌日の昼休み、授業が終わるや否や生徒会室へと駆けてきた望美は、ドアを開けるなり響いてきた声にぱちりとまばたきした。
室内を見やれば、どうやら悠が恭二に食ってかかっている様子。彼が声を荒らげる――それも上級生に向かってというのは実際目にしながらもイメージに合わず、思わずその場に立ち尽くす。
フリーズしていた望美に気づいたのか、小さく笑みを浮かべた詩織が手招きした。自分の隣の席を手で示す。それでようやく我に返ると、望美はそっとドアを閉めて詩織の隣へと向かった。
落ち着けとなだめる恭二と、なおもヒートアップする悠を見やりながら何事ですかと問いかける。
「昨日の【コンクエスト】についてだよ。瑞貴センセイが横やり入れてきたのがよっぽど納得いかないみたいだね」
頬杖をついた薫が、どこかつまらなさそうにため息をつく。すでに済んだことなのに、いつまでも引きずってどうするんだか。
「そもそもあの先生はいったい何なんですか!? 強化スーツを着た人間の戦闘に干渉するとか、普通の教師にできる芸当じゃないでしょう!?」
恭二では話にならないということか、矛先を薫に変えたらしい悠が声高に叫ぶ。
「それに関してはわたしも同感です。目の前で見ていましたが、正直何が起こったのかさっぱり理解できませんでした」
すっと右手を挙げ、望美もそう発言する。
おそらく手にしていたバインダーで【真紅】の攻撃を阻止したのだろうとは推測できるが、問題は彼がいつ現れたのかだ。その場にいた誰もが【真紅】と【ジャスティスイエロー】の戦いに注目していたために気づかなかったという可能性もあったが、それにしても事が終わったあとにようやくその存在を認識されるというのはただごとではない気がする。悠が言うように、ただの教師であるとは考え難かった。
そう訴えた望美に、味方を得たとばかりに悠はその言葉に勢いを増す。
「なぜ忍足先生にあんなことができたのか、僕たちにもわかるように説明してください!」
納得できる返答があるまで一歩も譲らないとばかりに睨みつける悠に、上級生たちは顔を見合わせた。しばらく目線で会話を交わし、やがてため息をつきながら恭二がかぶりを振った。
「いずれわかる。――今はそうとしか言えない」
「それは、今は説明できないが、その時が来れば説明していただけるという意味でしょうか?」
反論しかけた悠を手で制し、望美がそう問いかけた。それに考え込むように視線を天井に向け、恭二はうなずく。
「そう思ってもらって問題ない。というか、本当にそのうちわかる」
恭二は繰り返しそう言い、詩織と薫は沈黙を保ったまま口を開こうともしない。一年生二人はいぶかしげに顔を見合わせ、とりあえず今は矛を納めることにしたのであった。
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