超機動錬鋼マキナクロム
ごくま
第1話
闇の中を、人が歩いている。
全身を包む外骨格スーツに、フルフェイスのヘルメットをかぶり、その額の照明から放たれる光で洞窟を照らしながら、ゆっくりと歩いている。
洞窟は、地下や山中にあるような、天然のものではない。その洞窟の内壁全体が、様々な人工物の残骸でできている。
自動車のシート、ひしゃげた電子レンジ、公衆トイレのドア、パラボラアンテナ、油圧シリンダー、変身ヒーローの玩具、電車のパンタグラフ、バルブのついた配管、腕の折れた少女の銅像、ボイラーの圧力ゲージ、駅の改札機、非常階段の一部、信号機……かつて人の世界に満ち溢れていた、人の手による創造物たち。
それら人間社会の残骸が、複雑に折り重なってできた洞窟。
その中を、時折、壁に顔を近づけたり、しゃがみこんだりして、残骸の中に何かを探すような動きをしながら、人が歩いている。
人が、壁に埋まったエアコンの室外機を動かそうとした時、洞窟全体がゆらゆらと揺れ始めた。揺れは瞬く間に激しくなり、壁の一部が音を立てて崩れた。
「やべっ!」
思わず声を上げる人に向かって、崩れた壁の中から現れた街路灯が倒れてきた。その先端が胸部を直撃し、人を巻き込んで地面に倒れ込んだ。洞窟内は埃で満たされ、ヘルメットの照明が光線となって立ち上がったが、崩れ落ちた残骸に埋もれて、見えなくなった。
「マコト」
「はい」
“マコト”と呼ばれた少年は、白い部屋の白いソファに座っている。
白いテーブルに白いカーテン、白い絨毯、白い観葉植物、白いテレビ。
「これを持っていくといい」
「はい」
渡されたものを見ようとしたが、その手には何も載っていなかった。
何かを渡されたはずの手も、見えなかった。ソファに座っているはずの、自分の身体も見えない。
「また、会おう」
「先生……」
マコトが“先生”と呼んだ者は、もうそこにはいなかった。
鈍色に輝く継ぎ接ぎだらけの地面が、軋みを上げながら震えた。うずたかく積み上げられた瓦礫の山が轟音と共に崩れ、その形を変える。錆びた鉄粉が爆煙のように舞い上がり、赤い錆の煙が辺りを覆いつくした。人の影はもちろん、生き物の姿はどこにも見当たらない。やがて煙は収まり、世界は再び静寂に包まれた。
鋼鉄の大地“スティルゴア”。木も草も、土も、砂さえもない。どこまでも続く鋼の地面と、かつて人間が創り出した様々なものの残骸からできた山々。無機質そのもの、まるであらゆる生命が絶滅したかのような世界だが、そこにはなお人類が生存していた。
広大な地平の所々に、巨大なドーム状の都市が点在する。そこに住む人々が“釜”と呼ぶ、そのドーム状都市は、透明な外殻によって外の世界から遮断され、人が生活するのに必要な環境を保っている。“釜”の中で全てが造り出され、全てが消費される。食料、水、空気。日光以外のほぼあらゆるものが“釜”の中で循環し、ライフサイクルが完成している。
都市内部の完全なリサイクルシステムは、人工知能――AIによって開発された。その中で人々は何不自由なく暮らし、各々の興味や関心に基づいて選んだ職業に従事し、あるいは趣味や創作に打ち込む。そこに生活のための労働という概念はない。都市と社会の機能維持はすべて、AIの手足となる様々な形態のロボットが担っており、人が関わることはない。
閉じられた世界の中で唯一、都市と外界との代謝を行う仕事がある。外界にある瓦礫の山から機械部品を回収し、組み合わせ、新たな機能を創り出す職業・ジャンク屋である。
都市は、人々の生活を支えるのに必要な機能を全て備えている。不便はないが、都市が提供する機能は、生活に必要なものに限られるため、娯楽や刺激に乏しい。そんな無味乾燥な生活に潤いを求める人々の要望に応え、様々なガジェットを創作することが、ジャンク屋の仕事なのだ。
都市を管理するAIは、およそ人の生活に伴うあらゆるものを製作できる技術や設備を持ちながら、趣味や娯楽のためにそうした設備を利用することを禁じている。高度に発達したAIは、すでに人の制御や干渉を受け付けないレベルに達しているため、人の手でその禁を破らせたり、監視の目を盗んで設備を使うことはできない。
そこで生まれたのがジャンク屋という仕事なのだが、娯楽の提供を禁じているはずのAIがなぜ、彼らの存在と、さらには都市外部へのアクセスまで許可しているのか、理由ははっきりしていない。いわく、AIには人間の文化を理解することができないからだとか、人間の創造性を失わせないようにしているのだとか、人々の間に様々な憶測があるのみだ。
都市外部の、鋼鉄の大地に連なる山々……それはまさに山と呼ぶのに相応しい威容を備えた、膨大な人類文明の残骸である。人類がまだ、自ら作り出した科学文明によって世界の主人公たり得た時代に、その社会活動と生活を支えていたもの――乗り物や兵器、工場やインフラ設備、さらには娯楽施設から家電に至るまで、ありとあらゆる人工物――の亡骸である。
世界の主の座を、AIに取って代わられるまでに生み出された、様々な機械や設備類は、AIが人類を都市に封じ込めた後、迅速に廃棄された。人類が作り出したものはAIの理想とする社会にとって非効率であったり、無駄や害悪としか映らなかったのかもしれない。人々は地平に連なるそれらの山々を“遺跡”と呼んだ。無秩序に積み上げられただけの、何ら形を成していない残骸だが、それだけが唯一、人類が遺したものだからであろう。
無数の残骸が複雑に絡み合い、支え合いながら積みあがった、ある遺跡のふもとに、鉄骨に支えられた穴が開いていた。人ひとりがちょうど通れる大きさの、がれきの山に作られた坑道の入り口だ。内部にはほとんど光が差し込まず、入り口から数歩先は闇に埋もれている。
その闇の奥から、瓦礫を踏む足音が響き、やがて小さな灯りが見えてきた。坑道から出てきたのは、外骨格スーツに身を包んだ人間だった。ヘルメットの額の照明が消え、日光に照らされたフルフェイスのシールド越しに、まだあどけなさの残る少年の顔が透けて見える。スーツは赤茶けた埃で汚れており、胸の装甲の真ん中が、こぶし大に凹んでいる。少年は入り口の脇に座り込むと、ぶつぶつと独り言をつぶやき始めた。
「ふぃー……あんなでかい揺れは珍しいな。あやうく生き埋めになるとこだ。スーツも凹んじゃったし……でも」
腰のベルトについたポーチから、バングルらしきものを取り出して眺める。
「こいつは掘り出し物だな。壁が崩れたおかげで、珍しいものが出てきた」
バングルは、鈍い光沢のある金属でできているようだが、日光にかざすと、うっすら内部が透けて見える。しばらく眺め回していると、その一部が淡く虹色に明滅しはじめた。
「やっぱりまだ生きてる……けど、何言ってんのかよくわからないな。釜に戻ってから、ガレージで解析してみよう」
傍に止めてあった小型の反重力バイクに跨ると、そこから一番近い都市・タガラに向かって走り出した。
様々な機械のパーツが、雑然と散らばった薄暗いガレージ。壁には様々な工具が掛けられ、部品を加工するための機械や、素人目には何に使われるのかわからないような、複雑な装置もいくつか置いてある。
それらの装置のひとつに、あのバングルが固定されている。装置の前では、HMDを装着した少年が、おそらく目の前に展開されているであろう仮想空間で、何かを操作するような手ぶりをしている。
「ずいぶん熱中しているじゃないか」
コーヒーの入ったカップを両手に持った女性が、ガレージの入り口ドアを足で押し開けながら入ってきた。
「うん。ナヅカさんも、こんなの見たことないだろ?」
ナヅカと呼ばれた女性は、左手のカップを少年の横のテーブルに置くと
「それが、おもちゃでなければね」
右手のカップを自分の口に近づけながら言った。
少年は口元に笑みを浮かべながら応えた。
「たとえおもちゃでも、こんな凝ったものは見たことないでしょ。そもそもどうやって遊ぶのかも、まだわからないよ」
コーヒーをひとくち啜ると、ナヅカはカップを両手で持ち、目を左から右へくるりと回してみせた。
「それだけ熱中するんだから、マコトにとってはおもちゃみたいなものだろう?」
少年――マコトはHMDを外すと、コーヒーカップを手に取って言った。
「確かに」
2人は同時に笑い、同時にコーヒーをすすった。
マコトは、推定14歳の少年だ。推定、というのは、生まれがわからないからである。10歳くらいの時に、遺跡の中で倒れていたところを、ナヅカに保護されたのだ。それ以前の記憶が、マコトにはない。
ナヅカは10代の頃から活躍していた、腕利きのジャンク屋である。33歳だが、人の寿命が40歳前後のこの世界では、すでに晩年に差し掛かっている。現役を引退して、今は自宅を改装したカフェを営む。街にはAIが様々なメニューを提供するカフェもあるが、人がわざわざ自らの手でコーヒーを入れたり、料理を出したりするカフェは珍しいため、ナヅカのカフェは人気がある。しかし、ナヅカにとっては単なる暇つぶしの趣味で、気が向いた時にしか店を開けない。
マコトとナヅカが話していると、マコトと同じ年頃の、少年と少女がガレージに入ってきた。
「今日は閉店中なんだがな」
ナヅカが少年に声を掛ける。
「マコトに会いに来ただけだよ。わざわざまずいコーヒーなんか飲みに来ないって」
少年は、何か珍しいものがないか、物色するようにガレージ内を眺めまわしながら応えた。
「ちょっとヒロキ!」
後ろの少女が少年――ヒロキをたしなめる。
「すみません、ナヅカさん……」
少女が頭を下げながら、上目遣いで申し訳なさそうに謝る。
「いいんだメグミ、子どもに私のコーヒーの味がわかるとは思っていない」
「ハッ! 味がわからないじいさんばあさんしか、客が来ないもんな」
ヒロキの減らず口に笑顔を返しながら、ナヅカはガレージを出ていく。
「あそこに毛が生えたら、またコーヒーを入れてやるよ」
「なっ、なにを!」
「もう、ヒロキ!」
ナヅカの出ていったドアに向かおうとするヒロキの上着の裾を、メグミが掴んで引き止めた。
「生えてないのか?」
マコトが真顔でヒロキに尋ねた。
「は、生えてるよ! 生えてるに決まってんだろ!」
少し動揺するヒロキ。
「もう、何言ってんのよ二人とも……」
顔を赤らめながらメグミが小声でつぶやく。
ヒロキが、作業机に置かれたバングルを見て、目を輝かせた。
「おっ、なんだそれ! 遺跡で見つけたのか?」
「ああ。珍しいだろ? たぶん電脳デバイスだと思うけど、まだ生きてるんだ」
マコトがバングルを手に取り、ヒロキに差し出す。
「へぇ~、遺跡で生きてる機械が見つかるなんて初めてじゃねぇか? しかも古代の電脳デバイスってか」
ヒロキは手に取ったバングルをひねくり回しながら、いろいろな角度から眺めていたが、やがてその目の光が消え、表情が曇っていく。
「なんだよ、何にも喋らねぇぞ」
「おかしいな。俺が見つけた時は何かわからない言葉で喋ってたんだけど……さっきスキャナーにかけてみたら、いちおう反応はしたんだ」
ヒロキがマコトにバングルを返すと、その手の中で、かすかに淡い光が明滅した。
「ほら、何か喋ってるだろ?」
「いや、何も聴こえんけど? 電脳と直通なんじゃねぇの?」
「え、そんなはずは……メグミは? 聴こえない?」
「うーん……光ってるのはわかるけど、声は何も……」
「ええ? 聴こえてるの俺だけ? 聴こえるって言っても、意味はわからないけどね」
「ちょっと、もう一回貸してみ」
ヒロキがバングルを受け取ると、光の明滅は消え、ただの金属製のバングルに戻った。
「消えちまった……メグミ、ほれ」
ヒロキがメグミにバングルを放り投げた。
「わっ! いきなり投げないでよもう」
メグミの手に収まったバングルには、何の変化もない。
「わたしもダメみたい……」
「それ、もしかして契約型なんじゃねぇか?」
ヒロキがバングルを指さしながら言う。
「最初にマコトが見つけた時に、電脳とのネゴで独占契約が成立した、とか?」
「いや、それなら俺にも自覚があるはずだし、俺には最初から音声で喋ってるようにしか聴こえないよ」
マコトがメグミからバングルを受け取ると、それは再び淡い光を発し始めた。
「だけどこの状況を見る限りじゃ、マコトとだけ、何かの通信をしてるとしか思えないぞ」
「それはそうなんだけど、俺の電脳には何も感じないんだよ。耳で聴こえるんだ」
「ねぇ、それバングル型なんだから、手首に嵌めてみたらどう?」
メグミの提案に、マコトとヒロキが顔を合わせる。
「なるほど」
2人の言葉がシンクロした。
淡い光の明滅を繰り返すバングルに、マコトが左手を通してみた。すると淡い光は消え、代わりに赤く鋭い光が、バングルの外周に一筋浮かび上がったと思うと、バングルの径がすうっと縮み、マコトの手首にぴったりフィットした。
「あっ、ヤバいかも……」
マコトが右掌を額に当て、眉間にシワを寄せる。
「どうした!?」
ヒロキが驚いてマコトの肩に手を置いた。その瞬間
「うわっ」
ヒロキが弾かれたように後ずさり、後ろの机にぶつかってよろけた。
「なに? どうしたの!?」
異様な状況に、おびえた表情を見せるメグミ。
「いや……わかんねぇけど、とにかくなんかヤベェ……」
ヒロキの語彙が壊滅している。
「あっ」
マコトが声を発するのと同時に目が見開かれ、そこに瞳があるはずの眼窩から、強烈な白光が放たれた。薄暗いガレージがその光で照らされ、様々な装置の影がガレージの壁に黒く浮かび上がる。
マコトの正面に立つメグミのシャツに、虹色のまだら模様が映っていた。
「きゃあ!」
メグミが思わず悲鳴を上げると、ふっと、目の光が消えた。マコトは呆然とした表情で、虚空を見つめている。
数瞬の沈黙の後、マコトが発した一言。
「マキナクロム」
「なに?」
ヒロキが聞き返す。
「こいつ、マキナクロムっていうんだ」
左腕のバングルを見せながら、マコトがつぶやいた。
「マキナ……クロム? ていうかお前、いま目ぇ光ってたぞ」
ヒロキはまだ少し腰が引けている。
「大丈夫なの?」
メグミが心配そうにマコトの顔を覗き込んだ。
「うん……体はなんともない。ただ……一瞬でいろんなことが頭に流れ込んできて、ちょっとクラクラする」
「いろんなことって、なんだよ」
ヒロキが好奇心に目を輝かせながら、身を乗り出してくる。
「いろんなことだよ。いろんなことすぎて、どこからどう説明したらいいのかわからないんだ」
「じゃあ、そいつは、そのマキナクロムってのは、結局なんなんだ? 何に使えるんだ?」
「ちょっとヒロキ、マコトに何が起きたかもわからないのに、そんなこと聞いてる場合じゃないでしょ」
「いや、大丈夫だよメグミ。ちょっと、外に出ようか」
「え? どうした急に」
「これが何なのか、説明するよ」
マコトが、ヒロキに手の甲を向けて、左手を自分の顔の横に上げて見せた。
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