夢と願い

ブランカ


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 その夜、ブランカとヴァレリアナは人を待っていた。リーチェはフェラーリンと食事に出かけ、ジニーはナポリの街へ買い出しに出ている。その日は、誰かの邪魔が入らないと確信できる絶好の夜であり、ブランカにはアズダーヤ隊との戦いの前にどうしても話をしておかなければならないことがあった。


「さあ、お入りになって」

「……あー、本日はお招きいただき」

「堅苦しい挨拶はいいのよ、トニーニさん。わたくし、ジニーさんには色々と教えていただいているのですのよ。本当にかわいいお孫さんをお持ちですこと」

「は、はあ……恐縮です」

「ベアトリーチェにもよくしていただいているとか。あの子は意地っ張りで、家族の意見も聞こうとしませんから。トニーニさん、わたくし、貴方があの子に飛行機を教えてくださったこと、本当に感謝しておりますのよ?」

「恐縮です」

「こうと決めたら絶対に意見を曲げず、ダメだと言われたことほど最後まで押し通したくなるあの気性は、誰に似たのかしらね?」


 にこにこと楽しげに微笑むヴァレリアナに、貴方自身ではないかと冗談で返せる者がこの場にいるはずもなく。まるで借りてきた猫のようにしおらしいアレッサンドロの姿は、ブランカにとっても新鮮なものだった。


「お招きしたのにお茶も淹れない無礼を許してちょうだいね。フランカは口の堅い子だけれど、あの子に隠しごとをさせるのも忍びないものだから」

「いや、お構いなく。仕事柄、食事を抜くことも多いもんで」

「そう。そんなにも集中できる仕事を持てるのは仕合わせなことね」

「機械いじりしか能がないもんですから」


 和やかに話し交わすヴァレリアナとアレッサンドロ。


「さて、本題なのだけれど」


 その空気が、一瞬にして切り替わる。口調も雰囲気も変わらないながら、周囲の人間に注視と傾聴を強いる重みを持った言葉が、アレッサンドロへ向けられる。ブランカの脇に立つヴァレリアナの表情はうかがい知れないが、アレッサンドロの表情が真剣さとわずかな畏怖を滲ませたものとなるのが見て取れた。


「トニーニさんの温めている計画について、ジニーさんが教えてくださったの」

「……それは、飛竜機のことをおっしゃっているのですね?」

「そう、名前は飛竜機と言うのね? トニーニさんが名付けたのかしら」


 ヴァレリアナの手のひらが、ブランカの頭を撫でる。慈しむような触れ方は、リーチェとは種類の異なる心地よさをブランカにもたらす。


「ヴァレリアナさん、わしは……」

「どうか、ジニーさんを怒らないでやってくださいな。トニーニさんが飛竜機を計画していらっしゃることは、わたくしが無理に聞き出しましたの」

「ああ、いや、それは構わんのですが……怒らんのですか?」

「怒る? わたくしが……?」


 軽く首を傾げ、心から不思議そうな声を上げるヴァレリアナ。童女のようなその仕草は、ほどなくして上品な笑い声へ変わる。アレッサンドロは、そんなヴァレリアナの様子にただただ困惑の表情を浮かべている。


「おかしい……なぜそう思われたのか、ぜひとも聞かせてちょうだいな」

「それは……ヴァレリアナさんは竜医で、竜を保護する立場でいらっしゃるから」

「ええ、そうね。でも、トニーニさんはまだ生きている竜を殺して飛竜機を造ろうだなんて、考えてはいらっしゃらないでしょう?」

「当然です。ブランカともそれなりの付き合いになりますし、竜が高い知能を備えた生き物であることは重々承知しておりますよ。殺すなんてとんでもない」

「そんなトニーニさんだからこそ、お願いしたいことがあります。これは、ブランカ自身の意志でもあります。……聞いてもらえるかしら?」


 そうしてヴァレリアナは、ブランカの意志と願いを代弁してくれた。

 アレッサンドロは難しい顔をしながらもそれを了承した。

 これで、心置きなくアズダーヤ隊と戦える。

 そう思ったことを、覚えている。




 それから、どれだけの時間が経ったのか。


 鈍く重く、全身に波紋のように広がる疼痛、そして意識を霞ませる酷い熱。夢を見ていたのだと、ブランカは自覚する。リーチェとともにアズダーヤ隊と戦ったこと。ズメイに不意を突かれる形で組み付かれ、そのまま墜落したこと。地面に叩きつけられてなお戦意を失わないズメイと竜爪で引き裂きあったこと。足と翼を引きずって逃げるズメイを追えずに、ヒポクラテス医師の待つ丘へ向かったこと。


 空には月と星が浮かび、人影はない。月の位置から見て、午前三時ごろだろうと検討をつける。首を巡らせれば怪我を治療された跡もある。空戦の結末がどうなったのか、眼下に広がる寝静まった街の様子からは読み取れない。


 リーチェは、無事なのか。

 浮かんだ疑問は胸の内で膨れ上がり、不安で押し潰されそうになる。


「起きていたのか、ブランカ」


 帆布の折り畳み椅子から毛布を除けて立ち上がったのは、アレッサンドロだった。なぜ彼がここに居るのか。その疑問は、続けられた言葉ですぐに解ける。


「リーチェは無事だ。アズダーヤ隊は壊滅し、取り逃がした飛竜……ズメイといったか。明日にも山狩りを始めるらしい。お前たちの勝ちだよ、ブランカ。ヴァレリアナさんも連れてきたから、お前さんはゆっくり休むといい」


 リーチェは無事。ズメイは逃がしたがアズダーヤ隊は壊滅。ヴァレリアナが治療のために来てくれていた。簡にして要を得た説明に、ひとまず安堵する。自分の身はどうなろうと、リーチェさえ無事ならそれでよかった。


「……それでだな、ブランカ。あー、俺からは言いにくいんだが、言っておく」

 言い淀むアレッサンドロの様子を見て、全てを察する。

「お前さんはもう飛べない、というのがヴァレリアナさんの見立てだ。もちろん、リハビリを続けていけば回復の芽が無いわけじゃない……だが、かなり厳しい。ヴァレリアナさんはそう言っていた。そして、リーチェはまだそれを知らない」

 アレッサンドロの声に耳を澄ます。不思議なほど平静な気分だった。

「あのとき、お前さんから受けた依頼。実行すれば、リーチェはきっと怒るだろう。悲しむだろうし、恨みすら抱くかも知れない。それでも、やるんだな?」


アレッサンドロの顔を正面に捉え、ゆっくり大きく首肯する。

これは自分のわがままだと、ブランカは知っている。

それでも、リーチェと再び空を翔けたい。

ただそれだけを、竜は願った。

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