戦友と映画を
リーチェ
1928年 6月13日 ナポリにてフェラーリン少佐と
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アデリーナをヴェネツィアまで送り届け、ぜひ両親に会って欲しいと頼む彼女を忙しいからと振り切ったリーチェたちは、空賊から奪い返した金貨から三割の取り分を引いた上で客船ガビアーノ号の船会社へ返送の手続きを取った。手続きを済ませたら、その足でナポリへ飛ぶ。ここには馴染みのホテルがあり、リーチェとブランカに色々と便宜を図ってくれる。
一晩ゆっくり休んで、遅めの朝食を摂ってから一人で出かける。その間、ブランカは海の見通せる中庭でのんびりしているはずだ。フェラーリンとの約束まで少し時間があったので、細々とした買い物を済ませてから待ち合わせ場所の映画館へ向かう。平日の昼間、スクリーンにかかってからしばらく経つタイトルであることも相まって客席の人影はまばらだ。
フェラーリンの姿は見えない。席について、ドゥブロブニクで受け取ったメッセージを広げる。空賊の襲撃が発生した日時とおおまかな位置、襲われた客船ガビアーノ号の特徴、一刻も早い追跡を促す言葉に続けて、追伸として一言『ナポリに戻ったら顔を見せろ』とある。情報を流してもらった恩もあり、渋々連絡したところこの映画館を指定されたのだ。
ホテルに届けられたチケットの半券には『偉大なるイタリアの誉れ ―竜騎士ヨハンナの空の冒険譚―』と記されている。控え目に言って、酷いタイトルだった。リーチェが軽く噴き出したところで、隣の席に王立空軍士官の制服を着た男がどっかりと腰を下ろす。アルトゥーロ・フェラーリン。先の戦争ではエースパイロットで鳴らし、三十そこそこの若さで少佐に昇進した二枚目が、大きくため息をついてネクタイを緩めるのと同時に『精悍でありながら涼やかな微笑みを浮かべた』表情を緩めて顎のあたりを揉みほぐす。軍の広告塔も大変だと、リーチェは笑いをこらえきれず身体を前後に揺らした。
「笑うなよ」フェラーリンは目頭を押さえて言う。
「笑ってなどおりません、少佐殿!」こちらは軽い敬礼。
「ともかく、息災でなによりだ。ブランカは?」
ブランカをリーチェの相棒として対等に扱うのは彼の美徳だとリーチェは思う。
「そろそろお腹を空かせてる頃合いじゃないかな……極上のイベリコ豚の丸焼きが用意されてるはずだけど」
「相変わらずか?」
「うん、ぼくが側にいないと水も呑まない。かわいいよね」
「ああ、まあ……そうだな」若干の間が空いた。
ホールの照明が徐々に落とされていく。そろそろ始まるのだろう。
「そうそう。空賊の情報、助かったよ」
「気にするな、お互いさまだ。だがな、ひとつだけ言っておく」
「うん?」
フェラーリンの方に顔を向けると、鼻先に指を突きつけられた。
「やるなら、確実に仕留めろ。聞けば、奪われた金貨を半分はくれてやったらしいじゃないか。バレナビアンカ団と言ったか、あいつらも壊れた尾翼の修理を終えたらまた出てくるぞ。それで客船が襲われたら、お前を向かわせた意味がないだろう」
「それでいいんだよ」
「なにがだ」
「追い詰め過ぎちゃダメってこと」
「ちゃんと説明しろ」
考えをまとめるため、前を向く。スクリーンの幕はゆっくり巻き上げられていく。
「空賊は、あれでも飛行機乗りの端くれだ」
「うむ」
「初めから空賊だったやつなんていない。みんな元から飛行機を飛ばしてた奴ら……要するに手に職を持った人間たちだ。だから、空賊稼業は曲芸飛行や郵便飛行よりずっと割に合わないって、やつらの身体に教えてやれば、それでいいんだよ」
「つまり、元の仕事に戻れと?」
「そこから先は当人の自由さ。空賊を続けていつか墜とされる日を待つか、元の仕事に戻って景気がよくなるのを神様に祈るか、あるいは陸に降りて仕事を探すか。うん、腕に自信があるんだったら、ぼくみたいに賞金稼ぎになるって手もあるね」
「なあ、リーチェ。お前、賞金稼ぎをやめて軍に戻る気は……」
言いかけたフェラーリンを、リーチェは唇に指を当てて制する。
「映画が始まるよ。お静かに」
映画は幕も上がり切って、壮大なオーケストラと共にタイトルロゴが映し出されるところだった。どうやらアニメ映画らしい。我が祖国イタリアが擁する竜騎士はリーチェとブランカの一組だけで、そのリーチェには映画に出演した記憶がないのだから実写だったら驚いていたところだ。ディフォルメされた白の竜はなんとなくユーモアを感じさせる表情だが、それを駆る女騎士が鎧兜に身を固めてランスを構えているのは滑稽だった。
「ねえ、ぼくってあんな格好で乗ってると思われてるの?」
「どうだか。まあ、勇ましく見えるし、騎士のステレオタイプで描いた方がわかりやすいんだろう。事実、子供にはウケがいい」
確かに前方の席から子供のはしゃぐような声が聞こえてくる。
「勇ましい演説、わかりやすい政策、国民のウケがいい国家。涙が出てくるね」
「……それでも、俺にとっては仕えるべき祖国だ。お前は違うのか?」
「ファシストに与するくらいなら死んだ方がマシだね」
「おい、そういうことは……」
フェラーリンが心配そうに周囲を見回す。
「大袈裟だよ」
彼が心配性なのは昔からだが、それにしても少々行き過ぎだろう。
「いや、そうでもない。11時の方角、一番後ろの席の二人組。視線はやるなよ」
「流石にここで暗殺はしないだろう? 気にしなくていいよ」
「いや、だがな……」
「ん……そうか、ぼくは構わなくても、きみの立場もあるだろうしね」
「そういう言い方は止めろ」
「ふふ、怒った?」
「怒っちゃいないが……」
「キスでもしようか?」
「本当に怒るぞ」
周囲からは二人がどのような関係に見えているのだろう、とリーチェは思う。ぱりっと糊を利かせた海軍士官と、ラフな格好の若い女。遠目にはいちゃついたカップルと見えるのかも知れない。リーチェが制服を着ていたならともかく、今の二人をかつての戦友と見破れる者はそういないだろう。
「お前は変わったな」フェラーリンはため息交じりに言う。「甘くなった」
「きみは変わらないね、フェラーリン。軍隊ってやつは、人を時代に置き去られたリップ・ヴァン・ウィンクルにしてしまう」
「誰だって変わっていくのは不安さ。否応もなく流されていく時代の変化に、上手く適応できる人間ばかりじゃない。お前だって、いつまでも賞金稼ぎを続けてはいられんだろう?」
「……戦争は終わったんだ。もう少し、自由を満喫させてもらうさ」
「俺が言うのもなんだが、この平和もいつまで続くか分からんぞ」
「平和を守るのが、きみたち軍人の仕事だろう?」
「そうだったら、いいんだがな」フェラーリンが天を仰ぐ。「ただ飛んでいればそれでよかった時代が懐かしい。軍だの国家だのと、そんなものを背負わなければ満足に飛ぶことも敵わない。正直、俺はお前とブランカが羨ましいよ」
「……本当に、そう思ってる?」
「ああいや、すまない。……ただの愚痴だ」
会話が途切れる。スクリーンには主人公の竜騎士ヨハンナとドラゴンのギーブルの出会いが映し出されていた。祖国イタリアを守るため、悪の帝国と戦う覚悟を決めた二人は訓練に励む。場面は切り替わり、今度はイタリア空軍の偵察機が敵の戦闘機に襲われている。偵察機は敵機の銃撃を浴びてふらりと姿勢を崩す。そこにさっそうと現れ、プロペラに槍を突き入れて敵戦闘機を撃墜するヨハンナとギーブル。ボロボロの偵察機と共に無事に帰還を果たした彼女たちは救国の英雄、天翔けるジャンヌ・ダルクとして祭り上げられる。
「これ、飛行機はよく描けてるね。動翼もきちんと動いてる」
「お前とラブロマンスでもなかろうと適当に選んだんだが、楽しめているか」
「そこそこ」
「そうか」
「で?」
「うん?」
「雑談するために呼び出したわけじゃないんだろ?」
「ああ……そうだな。単刀直入に言おう。リーチェ、ブランカと一緒に軍へ戻らないか?」
フェラーリンの顔を見るが、気真面目そうな表情はどこかリーチェの答えを予期しているようでもあった。おそらく、その予感は当たっている。
「戻らない」
次に続ける言葉をやや迷い、結局はこう口にする。
「軍の広告塔はごめんだ」
その言葉をどう受け取ったのか。
「だろうな」
ため息交じりに応えたフェラーリンが、映画館の天井へ目をやる。照明を落とされた天井に遮られたそこに、空は見えない。
「だが、イタリアの英雄であるお前がバルカン諸国と通じ、空賊狩りなんてやくざな仕事をしているのを快く思わない者もいる。俺は止めろとは言わん。だが気を付けろ。もし危険を感じたなら、意地を張らずに俺かお父上を頼れ。お前の居場所は、空だけじゃない」
彼の言葉はリーチェを気遣ってのものだと、頭では理解できる。それだけに、戦友にそのような物言いをされる寂しさと悔しさが胸の奥にわだかまる。空以外の、リーチェの居場所。それは軍の広告塔か、政治的なシンボルか、あるいは家庭かだ。どれを選んだとしても、危険であることを理由にブランカとの飛行を制限されるのは目に見えている。ブランカを、飛竜という存在を凶暴な空飛ぶトカゲ程度に考えている人間も、まだまだ多いのだ。
「フェラーリン。もう一度言っておく。ぼくは軍に戻る気もなければ、政治の道具になる気も、結婚する気もない。わかったら、お願いだから二度と口にしないでくれ」
でなければ、ぼくはきみを嫌いになってしまうだろうから。言外に込めたメッセージを、フェラーリンはきちんと受け取ったようだった。しっかりとうなずき、諦めたように座席へ体重を預けるとスクリーンに向き直る。そして、しばしの沈黙の後、ぽつりと一言だけ口にする。
「どうせ知らんのだろうが、お父上は倒れられたぞ」
「あのお父さまが? 身体が丈夫なだけが取り柄の人なのに」
そんなリーチェの返答に、フェラーリンが再びため息をつく。
「風邪、ということになっているが……毒を盛られたとの噂も聞く」
「毒? そんな、メディチ家じゃあるまいし」
「それがあながち冗談でもない。まだ調査の途中だが、一部の貴族と軍人が妙な動きをしている。言っても無駄だろうが、しばらくは派手な動きを控えて大人しくしていた方がいい。どこでどんな風に利用されるか分からんからな」
「大人しくって、いつまで? こっちは働かないとおまんまの食い上げだよ。相棒は燃料がいらない代わりに食費が十人前だしね」
「だから家に帰れと……いや、言うまい」
「それで、お父さまは無事なの?」
「……知らん。というより、情報が伝わってこない。無事だと知れればまた狙われると踏んで、隠しているのかも知れん。なあ、顔ぐらい見せてやれよ。憎まれ口の一つも叩かれるだろうが、お父上はお前をいつも気にかけておられるぞ」
「まさかとは思うけど、フェラーリン。ぼくの近況をお父さまに伝えているとか?」
「さあな」
彼は嘘をつけない男だ。少なくとも、リーチェに対しては。
「……ああ、もう」
「怒らんのか?」
「怒ったら、子供みたいだろ?」
「空を飛んでるやつは、みんな子供だよ」
「頭の悪い大人よりましさ」
「……考えなしの子供はたちが悪いな」
スクリーンでは物語が佳境に至っていた。ヨハンナとギーブルは降伏を話し合う政治家たちの会議に乗り込んで徹底抗戦を主張。あわや警備兵たちに銃殺されるかと思いきや、兵たちは二人でなく政治家たちへ銃口を向ける。弱腰な政治家に頭を押さえつけられていた軍はこれを契機として一致団結し、ヨハンナとギーブルを中心にした一大反攻計画を立案。空軍のエース『跳ね馬』率いるユピテル隊と組んで帝国の陸上戦艦空母『ヨルムンガンド』との決戦に挑む。
「ふふふ、キャタピラ付きの戦艦空母だってさ」
「お偉方が真に受けなきゃいいんだがな」
ヨハンナとギーブルをヨルムンガンドの下へ送り届けるための捨て駒となり、我が身を盾として墜落していくユピテル隊の面々。直衛の戦闘機を全て引き受けた『跳ね馬』の活躍によりヨルムンガンドへの肉薄に成功したヨハンナは、新開発の秘密兵器の助けやギーブルの犠牲もあってヨルムンガンド撃沈に成功する。しかしそのときすでにギーブルの命はなかった。緊迫感を煽る楽曲を背景に墜落するヨハンナが地面に叩きつけられるかと思ったその瞬間、助けに入った『跳ね馬』の飛行機に受け止められる。見つめ合う二人は自然と顔を寄せ合い、熱いキスを交わしたところでアニメーションがストップ。感動的な楽曲と共にスタッフロールが流れる。
「やっぱり、ぼくたちもキスする?」
リーチェがそっと顔を寄せると、スクリーンに照らされたフェラーリンの頬に赤みが差したように見えたが、馬鹿を言え、と顔をしかめる態度はいつもの彼のそれだった。気のせいだったのだろう、とリーチェは思い直す。なんと言っても、彼は戦友なのだ。もとより、軍の広告塔たる彼は女性との関係を制限されているはずだ。
「けど、意外と面白かったね」
「皮肉か?」
「そう聞こえた?」
「…………」
「ぼくはもう、行くよ」
考え込むフェラーリンを一瞥し、リーチェは席を立つ。そして返事がすぐには返ってこないのを見て取り、背中を向けて歩き出したそのとき、ふと思い出したようにフェラーリンが声をかけてくる。
「最後にひとつだけ。リーチェ、お前は『アドリアの亡霊』について、なにか知っているか?」
「アドリアの亡霊? 新しい空賊団の名前かなにか?」
「うむ……パトロール中の部隊が消息不明という事故がこの半年で三回起きていてな。部下たちは『アドリアの亡霊』の仕業だとして怯えている」
「事故?」
引っかかる言い方だった。一度ならともかく、三度続いたのなら何者かの悪意が絡んでいると見ていい。にもかかわらず奥歯にものの挟まったような言い方をする理由は一つだ。
「上から圧力が?」
「…………」
言えない、ということだろう。
「それ、海軍だけが狙われてるの?」
「民間機で同じような被害は出ていない」
わざわざ軍を狙っている人間がいる、ということだ。どうにもきな臭い話だった。
「わかった、気にかけておく」
「頼む」
「うん、またね」
「ああ。またな、戦友」
映画館を後にしたリーチェは、三十分かけて追っ手を撒いてからホテルへ戻る。有名人も大変だ、とため息をつくリーチェに首を傾げてみせるブランカが、可愛くて仕方がなかった。
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