36

 蒼空が図書部に入部してから、一週間が経った。

 蒼空は家事が好きらしく、せっせと図書部部室を掃除し、それに飽き足らず旧校舎全体をぴかぴかに磨き上げている。既に半分ほどの教室や廊下の清掃を終えており、先生たちが大喜び。変わったところで図書部の株がすごい上がっている。

 図書新聞の作成にも興味を持っており、読んでおすすめだった本を毎日のように教えてくれる。来月の新聞には蒼空の紹介記事と一緒に蒼空のおすすめ本を載せる予定だ。

 とある金曜日の放課後、誠護たちは部室でのんびりとしていた。現在抱えている相談事や大きな仕事はなく、誠護はパソコンのキーボードを打鍵しながら来月の図書新聞の構想を考えていた。

「で……」

 誠護はパソコンの画面から顔を上げて、汐織たちに目を向ける。

「そこで死んでいる人は何?」

 図書部には部員以外にも一人、女子が机に突っ伏すように伸びていた。

 その左右に汐織と蒼空が座っており、なんともいない笑みを浮かべている。

「えっと、美波ちゃん、一体何があったの?」

 汐織がおずおずとようやく聞いてくれた。

 誠護と汐織が来たときには既に蒼空と倒れ込んでいる少女、美波がいた。

 なぜ死んでいるのか聞ける雰囲気でもなく、あまりの死にっぷりに声を掛けることさえ憚られた。

 汐織の呼びかけに、美波がこの世の終わりのように沈んだ顔を上げる。

「……すいません。迷惑かけます。ちょっと落ち着きたかったので、場所を借りました」

「それは構わないけど、何があったの?」

 口を閉ざしたまま答えない美波に、苦笑しながら蒼空が説明する。

「えっと、美波は入学時から好きな人がいたんですが……」

 そういえば、流里の占い部を訪れたときに、確か美波もおり、そのときに恋占いではないかと予想したことがあった。あれはやはり恋占いだったようだ。

「それで、ついさっきその人に告白してきて……」

「あー……」

 その先の言葉を察して汐織が曖昧な表情を作る。

 つまるところ、振られてしまったらしい。

 それで、と蒼空が気まずそうに付け加える。

「その相手というのが、城戸先輩だったんです?」

「え? 涼馬?」

 蒼空の話だと、美波が惚れていた相手はついこないだの相談事の依頼人、城戸涼馬だったらしい。

 入学当時、美波は校内で迷子になったことがあるそうで、そのときにたまたま居合わせた涼馬が助けてくれたそうだ。

 親切にしてくれたこともそうだが、線の細い中性的な男子生徒で、愁いを帯びた大人っぽい表情に気になり始め、いつしか校内で探すようになってしまったらしい。

「まあ……涼馬は正直、そうだろうね」

 なにせ傍目から見て、どう考えても涼馬はカレン一筋だ。あれは幼なじみとかそういう次元を軽く飛び越えるくらい熱烈だ。

「実はこの間まで城戸先輩の名前さえ知らなかったそうなんですが、こないだの廃工場で城戸先輩見つけちゃって」

 なるほど。そこで警察にでも涼馬の名前を聞いたのだろう。

 それで、今日告白して、見事撃沈してしまったらしい。

「それはタイミングも悪かっただろうなー。あいつ最近忙しいらしいから」

 誠護が苦笑しながら汐織に目を向けると乾いた笑いを浮かべながら頷く。

 つい数日前、涼馬とカレンが誠護のところにやってきた。

 幻視が使えなくなったこと。桐澤たちは正当に逮捕され、朋香たちの計らいで涼馬たちは特に罰を与えられることはなく、注意だけで終わったこと。さらに、先日から行っていた施設長の金策がうまくいったようで、アザレアは経営難をとりあえず脱することができたらしい。

 これから改めてアザレアは、今度はまっとうにスタートを切るそうだ。

 近々、子どもたちにお菓子でも買って行ってみよう。

 幻視を持つきっかけになった負の連鎖を破壊してしまえば、涼馬の周囲を取り巻く悪環境は改善、というより元の状態に戻るのが必然だ。つまりは涼馬の周囲で起きた出来事の大半は、幻視が原因だったということだ。

 これからの人生は、彼らの頑張り次第で、どこまでも広げていけるだろう。

 涼馬とカレンもこれまでお互いを気遣いが故にあまり意見を言い合うということをしなかった。これからはきちんといいたいことを言い合うということをきっちり決めたらしい。

 その話をしていた涼馬とカレンは以前より距離が縮まっていた感じで、とても他者が割り込める雰囲気ではなかった。

「なんかもう、ドンマイ」

「ほ、ほっといてください陸羽先輩! べ、別に気にしてないから!」

 どう見ても気にしている。

「まあまあ美波ちゃん、きっとまたすぐ恋が見つかるよ。悩み事があればいつでもここにくればいいから」

「うわーん、汐織せんぱーい」

 だだっ子のように泣きながら美波が汐織に抱きつく。よしよしとあやす汐織。

 本来は美波も汐織に対して繋がりを持つことが難しい立場だが、間接的とは言え蒼空を通して強く図書部に関わることになり、関係を築いた。

 一度関係を気づいてしまえばもう関係性が希薄なることはないが、どういうわけか変に美波は汐織に懐いてしまった。

 汐織も急に歳の近い友達ができて嬉しいようで、特に拒絶することはない。

「お菓子とお茶ぐらいしか出せるものないけど、今日もゆっくりしていって」

「うわああああ、ありがとおおおお」

 ばりばりむしゃむしゃとお菓子にやけ食いとばかりにがっつく。

「といっても汐織先輩、今日はこれから相談人来るんでしょ。藤崎さんを同席させるわけにもいかないよ」

「あ、そういえばそうだった」

 重要なことをすこんと抜くのは止めて欲しい。

「だったらもう帰りますね」

 けろっと涙を引っ込めて美波が席を立つ。

「切り替えはや」

「ま、まあそれが美波のいいところなので。温かく見守ってあげてください」

 ぼそりと呟く誠護に蒼空が小声で答える。 いわれるまでもない。下手に首を突っ込んで噛み付かれたくもない。

「と、というか? これから相談人が来るんですか?」

 蒼空が驚きながら尋ねる。

「ああ、うん。俺もさっき汐織先輩に聞いた。藤崎さんがいたから言い出せなくてね」

「た、大変です! すぐに片付けます!」

 蒼空は弾かれたように立ち上がり、美波が散らかしていった後を片付けていく。

 汐織もそれを手伝い始め、誠護もパソコンを閉じて片付けを始める。

「一人増えただけでも、やっぱり楽しいね」

「……俺一人だとそんなに息が詰まってたか」

「ち、ちっがうよ! そんなこといってないから!」

「わかってるわかってる。冗談冗談」

 笑って手を振ると、汐織がぷくーと口を膨らませた。

 確かに、ここ一年誰かが増えるなんてことは考えもしなかった。

 でも、やっぱり仲間が増えるというのは、嬉しいものだ。

「はいはーい。ここで一枚お願いまーす」

 三人でわちゃわちゃとやっていると、いつの間にか美波がカメラを向けていた。

「あっ、私のカメラ!」

「気にしない気にしない。ささ、ここで新生図書部の記念にどうぞー」

 泣きすぎたせいか、美波は妙なテンションになっていた。完全に切り替えに失敗している。

「じゃあせっかくなので」

 汐織は楽しげに笑いながら誠護の隣に立った。そして腕にしがみついた。

「ほらほら蒼空ちゃんも」

「え、ええ!? 私もですか!?」

 蒼空が顔を赤くしながら戸惑う。

「もちろん! ささっ、部長命令だよ!」

「それ職権乱用な」

「え、えいっ!」

 勢いに任せて汐織とは反対側の腕をぎゅっと絡め取る。

「こ、これでいいですか?」

「バッチグー! 完璧だよ!」

 どこが完璧なのかわからない。

 左右の腕を女子二人ががっちりと固定している。

「……暑苦しいんだけど」

「またまたー嬉しいくせに」

 汐織が誠護の頬を指で突いてくる。

「せ、誠護さん、ちょっとの間なので我慢してください」

 我慢して撮る写真とはこれいかに。

「はいはーい、撮りますよーこっち向いてくださーい」

 美波がカメラをディスプレイをのぞき込みながら手を振る。

「陸羽先輩仏頂面止めてくださーい。美少女二人に挟まれて両手に花。陸羽先輩の人生に二度とないチャンスですよー」

「……藤崎さん俺への辺りきつくない?」

「失恋直後なので許してあげてください」

「どどどど同情するなー!」

 美波が目に再び涙を溜めて叫ぶ。意外にも純情乙女だった。

「いいから撮るわよ! お客さんくるんでしょ早くして!」

「なら早く撮ってくれよ……」

 げんなりと肩を落とす。

 両腕にぶら下がっている女子二人は、誠護の前で顔を見合わせ、楽しげに笑い、視線をカメラに向けた。

 そして、誠護もふっと笑いを漏らす。

 まさか、図書部に新たなメンバーが加わるとは思わなかった。

 汐織がいて、誠護が来て、さらに蒼空が加わった。

 幻視なんて特異なものを持っている誠護たちが、得られるはずがなかったもの。

 不可視領域なんてものが見える代わりに、普通の生活が遠くなってしまった。

 だけど、今きっとあのカメラが映しているものは、どこにでもある部活一幕であるだろう。

 シャッターボタンが押され、図書部の始まりが記録される。

 このときが長く続いてくれることを、誠護は心の中で願い呟いた。

  

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不可視領域のアナザーヴィジョン 楓馬知 @safira0423

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