32

 誠護がいなくなった部屋で、蒼空は頭を抱えた。

 ついに知ることができた。自分の目に宿る、常識では考えられない力を。

 誠護や汐織のような、他を圧倒するような隔絶した力ではないが、超常的な力であることに変わりはない。

 この力を持つことに気づいたのは、もういつのことかもよくわからない。

 一番初めに覚えているのは、小学校の遠足で、団体行動をしていたグループの皆と山に迷い込んでしまったときのことだ。本来歩くルートから大きく外れ、変える方向がわからずに道に迷っていると、すっかり日が暮れてしまった。

 途方に暮れいていた蒼空の視界に、光が映る。

 淡く揺らめく光の玉が木々を通りるように進んでいき、蒼空は他のグループの子たちとその光を追いかけていった。

 ある程度進んだところで光が弾けて消え、その先には蒼空たちを探していた教師たちがおり、無事に帰ることができた。

 他にも、大切なイベントに行く際にバスに乗るのを止めて他のバスに変えると、当初に乗る予定だったバスが事故を起こした。

 美波の飼っていた犬が逃げ出したとき、蒼空は最後まで探すことを諦めなかった結果、見つけることができた。

 どれも些細なことばかりだが、それらの判断を間違っていれば全て後悔に繋がった出来事だ。

 無論後悔をしたことがないわけではない。

 でも、真剣に迷い悩んだときは、いつも光が教えてくれていたのは間違いない事実だ。

 不意に、汐織が眠る寝室で、呻くような声が聞こえた。

 蒼空が部屋を開けると、汐織が眠そうに目を擦っていた。

「汐織先輩、起きられましたか?」

「おー、蒼空ちゃん、おはよう。ちょっと眠ちゃった。ごめんね。迷惑かけて」

 ぺろりと舌を出しながら頭を掻く汐織は、まだ体調がよくないのか顔色が悪かった。

「何か、買ってきましょうか?」

「うーん、ありがと。大丈夫だよ。でも、冷蔵庫から飲み物取ってきてくれると嬉しいかも」

 蒼空は冷蔵庫から先ほどまで自分たちも飲んでいたオレンジジュースを持ってきて、汐織に渡し、部屋の明かりを点ける。

 汐織の部屋は、窓際にベッドが一つ、隣接するように本棚があり、そこには漫画やライトノベル、純文学から歴史小説まで様々な本が並べられている。姿見やキャビネットに飾られたぬいぐるみなど、よくある女の子の部屋だった。

「体は大丈夫なんですか?」

 ベッドに座ったままジュースを一口飲んだ汐織は、ホッと息を吐く。

「大丈夫。いつものことなんだ」

「幻視を破壊したあとは、ですか?」

 蒼空の問いに、汐織の眉が少し引き上げられる。

「誠護君に聞いたんだ。じゃあ、蒼空ちゃんのことも、聞いた?」

「はい……」

 汐織は力なさげに笑いながら、手の中で缶を転がす。

「そっかぁ。私の体のことは気にしないで。幻視を使った後はいつもそうなの。蒼空ちゃんのような生まれもっての幻視と違って、私たちの幻視は元々肉体に備わっていない力だからね。必要以上に体力を使うんだ。私の場合は顕著でね。休めば大丈夫だから」

 そういう汐織は自嘲気味に笑っていた。

「ごめんなさい」

 蒼空は汐織に頭を下げた。

「どうしたの? 急に」

 汐織は突然頭を下げた蒼空に首を傾げる。

「誠護さんに聞きました。私が幻視を持っていることを二人とも知っていたから、だから図書部の仮入部を許可してくれたって。先輩たちが色々考えてくれてたのに、迷惑ばかり掛けて、ごめんなさい」

 汐織はきょとんとしたあと、快活に笑って手を叩いた。

「はははっ、蒼空ちゃんが謝ることじゃないよ。誠護君も悪くない。悪いのは、私だ」

 汐織は目を伏せると、小さくため息を布団に落とした。

「蒼空ちゃんも聞いていると思うけど、私の幻視は普通の人とまともに関わることができない。存在自体が希薄みたいになってしまう。だから、これまでまともに人と関わったことがなかったんだ」

 蒼空はその言葉の意味を理解し、想像し体を震わせた。

 自分たちは日常的に誰かと関わっている。

 友達、先生、先輩、後輩。もちろん学校だけでなく、ご近所の付き合いもあれば、突然知り合って意気投合した友達だっている。

 いつだったか美波がいっていた。汐織のことを上級生に聞いても、ほとんどの人が鳴海汐織という人物のことさえ認識していないと。毎日顔を合わせるクラスメイトでさえその状態なのだ。おそらくこれまで関わってきた人や、ご近所の人からも認識されていないに違いない。

 家族さえ、汐織にはいない。

 だとするなら、汐織は世界でひとりぼっちだ。

 誰とも親しくすることができず、まともに関わることさえできない。

 そんな想像を絶する生活を、汐織はずっと続けてきたのだ。

「わ、私でよければ、これからも、汐織先輩と一緒にいさせてもらいたいです。私は、図書部に、いたいです」

 蒼空の言葉に、汐織は大きく目を見開いたあと、小さく笑って首を振った。

「ダメだよ。やっぱり。蒼空ちゃんみたいな子が、私に関わっちゃいけない。蒼空ちゃんに悩みがないわかった今、蒼空ちゃんが図書部にいる理由はないよ」

「私の、悩み……?」

「うん、誠護君から聞いたんだよね? 蒼空ちゃんは先天的な幻視。つまり私たちみたいに負の運命に捕らわれているわけじゃない。もしかしたらその悩みがあるかと思ったから、私たちは仮入部を認めていたんだ」

 言い方はきつくはあるが、そこには汐織の暖かい優しさがあった。

 それは誠護もいっていたこと。

 本来は図書部に入部希望者を認めることは、仮入部であってもあり得ない。それは活動内容が幻視絡みの相談事を請け負っており、そこに無関係な人間を巻き込んでもろくなことにはならない。

 蒼空の仮入部を認めたのは、あくまでも蒼空が幻視を持っていると誠護たちが見破ったために許可していたに過ぎない。

 蒼空の持つ幻視が先天的なものであるとわかった今、誠護たちが図書部に蒼空をいさせる理由はない。

「今回のことでわかったよ。やっぱり図書部に蒼空ちゃんがいるのは危険すぎるよ。ここ半月ほどの間だけなのに、何度も危ない目に遭わせちゃった」

「それは私が自分から……」

「ううん。でもやっぱり私たちのせいだよ。誠護君は最初反対していたんだ。私が幻視を呼び込んで、誠護君が危険を呼び込む。図書部はそれだけ危ない状態なんだよ」

 はははと、汐織が自虐的な笑みを浮かべる。

「誠護君は、それでも私に付き合ってくれるんだけどね」

 今度は嬉しそうに笑いながら、壁に掛けられているコルクボードに目を向ける。

 そこには数枚の写真が貼られており、流里と一緒に写った写真や、朋香に絡まれている写真などがあり、その中に誠護と一緒に撮られたプリクラの写真もあった。

「最初は、すぐに幻視を消してあげて、普通の生活が送れるようにしてあげたかったんだけど、私のことを知ると、幻視を消すことを断っちゃってね。仕方なく、彩海学園に誘ったんだ」

「あっ、さっき聞きそびれたんですけど、誠護さんはどうして幻視を消すことを断ってるんですか? 危険未来視っていう幻視は便利に思うんですけど、それは誠護さんが危険に巻き込まれやすいから、ですよね? それだったら、幻視を消せばとりあえずは大丈夫だと、思ったんですけど」

 おずおずと蒼空が尋ねる。

 汐織は少し黙ったあと、ジュースを一気に飲み干し、ベッド脇にあるキャビネットに置いた。

「私の幻視はね、使うことに条件があるんだ。それが、幻視を持つ人の目を、直接至近距離から見ること」

「それは、誠護さんがその距離に入らないようにしているって、ことですか?」

 汐織はきょとんとして目をしばたかせると、途端に吹き出した。

「ははっ、さすがにそれはないよ。至近距離っていっても、せいぜい一メートルくらいだからね。それに、私は相手が幻視を消したいと思ってもいない人からは消さないよ。幻視を悪用している人は別としてね。でも、誠護君は絶対に自分の幻視を消してくれとは頼まない。私のせいでね」

「どういうことですか?」

「いったでしょ? 私の幻視は、直接相手の目を見ないと使えない。だから私の自身の幻視を消すことはできないんだ」

 蒼空は表情には出さずにはっとし、その言葉の意味を理解した。

 寂しそうに、悲しそうに目を伏せながら両手の指を絡ませる。

「最初に私の幻視の話を誠護君にしたときに、誠護君に自分の幻視を消せないことを話しちゃってね。そうしたら誠護君、もうしばらく幻視を消すことは今はいいので、君がやっている幻視の仕事を手伝わせてくれっていったんだ。それで、だったら私の学校に来ればって冗談でいったら、ホントに来るんだもん。呆れちゃったよ」

 乾いた笑いを浮かべながら、懐かしそうに呟く。

「幻視使いである誠護君は私に対しても負の運命の影響を受けないし、幻視絡みの出来事が自分の周りに集まってくる私には危険に巻き込まれることも多いし、自分がいれば私が助かると誠護君は思ったみたいなんだよね。事実だけど」

 誠護は自分の力の使い道を探していた。そこに、汐織という幻視に巻き込まれてしまう幻視を持つ汐織は、誠護にしかできないことではある。

 だから誠護は、自分の幻視を消すことはなく、汐織のために側にいるのだ。

「誠護君にも、いつまでも私の側にいてもらうわけにはいかないけど誠護君は少なくとも、自衛はできる。これまで相当の代償を払ってきたこともあって、誠護君の幻視はすごく強い。ありとあらゆる危険を視認し、見分け、今日みたいに銃弾すら弾き返す力を持っている。でも、蒼空ちゃんの力は、先天的なものであるからか、それほど強くないんじゃないかと思う」

「……はい、たぶんそうです」

 誠護がいった、後悔回避というのは的を射ていると思う。

 だけど、当たり前だが蒼空とてこれまで後悔をしてこなかったわけではない。涙を流すほどの苦しさだって味わったことがあるし、頻繁に後悔もしている。

 ただ時々見える程度、それが蒼空の幻視だ。

 だからだろうか、蒼空の幻視にデメリットのようなものは存在しない。

「蒼空ちゃんみたいな子は、無理をしてまで図書部に関わらない方がいいと思うんだ」

「別に無理なんて……」

 蒼空の言葉が途切れ、声にならず消え入る。

 実際に、自分でも今日は無理をしていたという自覚がある。それを否定するつもりはない。

 でも、だからこそ――

 次の言葉をいう前に、汐織の白い手が蒼空の頭に乗せられた。

「いいんだよ。もういいんだ。幻視の悩みを抱えていない蒼空ちゃんを。これ以上図書部に引き留めておけない。もう、私のわがままに蒼空ちゃんを巻き込むわけにはいかないから。だから、今までありがとう。それから、ごめん」

 それだけの言葉に、汐織の全てが詰まっていた。

 図書部として本音、今回の件のお礼、そして謝罪。

 蒼空は唇を噛んで、両手を握りしめる。

 ここまで汐織にいてしまっている。

 自分がいることは汐織にとって迷惑となるのだ。ここで図書部に居座るというのは、それはもう蒼空のわがままであり、邪魔でしかない。

「汐織先輩起きたー?」

 扉の向こうから誠護の声が聞こえてきた。

「あ、うん。起きてるよー」

「簡単に食べられるもの作るから、もう少し待っててくれ」

 その声とともにビニール袋がこすれる音が響く。どうやら買い出しに行っていたようだ。

 汐織が起きるとすぐに何か食べられるようにとの配慮だろう。

 蒼空は汐織の視線が外れている間に、俯き素早く目元を拭った。

「蒼空ちゃんも食べていってね。大丈夫。誠護君は料理上手だから」

 汐織は気づいていただろうが、こちらに視線を向けることなくいった。

 だから蒼空もそれ以上何もいわず、笑顔を取り繕った。

「はい、ありがとうございます! その代わり、今日までは図書部でいることを認めてくださいね?」

「うん、もちろん」

 汐織も笑顔で頷いた。

 その笑顔が、どこか寂しそうに見えたのは間違いではないと思う。

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