31

「本当に、ごめんなさい」

 蒼空が頭を下げる。

「だから別に怒ってないって。気づいていていわなかったこっちもこっちだから」

「……あの、気づいていたって、具体的にいつから?」

「蒼空が図書部の部室に来たとき、かな」

「最初から知っていたんですか……」

「まあね。蒼空が図書部の部室にいたこと自体が、そもそも相当おかしなことだったんだ」

「新入部員の勧誘を行ってもないのに、部員候補が部屋にいたから、ですか?」

「そうじゃないよ。元々、自分の部に対していうのはあれだけど、汐織先輩みたいな容姿のいい人間がいると、普通はそれだけで入部希望者がくることなんかもある。他の部活はね。でも、うちの部に関してはそういったことは一切ない」

 誠護が入部した際も、入部してからの一年も、誰一人入部希望者はやってきたことがない。元々人の出入りが少ない部室棟なのだから当然の一面もあるのだが、活動面を抜きにしても図書部という名前に読書好きの人間が来てもおかしくはない。

「なにか、曰くがあったり、過去に何かあったりしたんですか?」

「そういうわけでもない。その原因はたった一つ――」

 ジュースを一口飲んで口を潤わせる。

「汐織先輩がいるから、だよ」

 誠護の言葉に、蒼空はきょとんとして首を傾げる。

「えっと、逆じゃないですか? 汐織先輩がいれば、普通は人が寄ってきそうなものですけど」

「普通ならね。でも、汐織先輩は普通じゃない」

 誠護が自分の目を指さすと、蒼空は訝しむように眉をひそめ首を傾げていた。

「汐織先輩はさ、幻視所持者と出会うほとんどの人が一生に一度もない確率を、必然というレベルまで引き上げる。それと引き替えに、汐織先輩はある影響を受けている。それが、幻視所持者以外の一般人との関係性が希薄になってしまうということがある」

「関係性が、希薄……?」

「そ、幻視所持者とは普通に関係性を築くことができるが、何かの事情があったり幻視所持者が関係したりしてないと、普通の友達程度の関係性を持つことさえできない」

 汐織に限っていえば、幻視を持つことに対しての反動は幻視所持者と遭遇する可能性が高いということ、さらに一般人としての関係性がまともに築けないという二つがある。

 誠護は、目の前に座る蒼空に薄い笑みを向けた。

「初め驚いたよ。図書部の部室で目を覚ますと、汐織先輩が普通に女の子と会話をしていたからね」

「で、でもそれは、誠護さんを探していたという事情があったからで、それは誠護さんがいった何かの事情に当てはまるんじゃないですか?」

「いや、俺がいった事情としてはちょっと違う。そもそも事情っていうのは、家族であったり、汐織先輩を目的とした事情であったり、たとえば俺が引き合わせでもしない限りダメなんだ。たとえ何かの間違いで汐織先輩と話すことができたとしても、時間をおけばすぐに忘れられたり、すれ違っても気づかなくなったりもする」

 そのせいで、汐織先輩はクラスメイトからもまともに認識されることがなく、友達というものもほとんどいない。

 一度ある程度の関係性を気づいてしまえば希薄になるということもないのだが、それでもそこに至るまでのきっかけを摘み取られるため、親密な関係になる人物を作ることが困難なのだ。

「幻視を消すって説明を受けたときに、汐織先輩にいわれたんだ。『別にそんなに重く考えなくても、私が一度幻視を消せば、私とももう二度と会わないだろうし、忘れるだろうから大丈夫だよ』って」

 そのときの汐織の表情は今でも忘れられない。

 自嘲気味に笑ってごまかしてはいるようだったが、寂しげとどこか諦めを含んでおり、微かな痛みがそこにはあった。

 誠護はそんな汐織を前に、今ここで幻視を消してもらって関係性を絶つことが正しいこととは思えなかった。

 だから、今もこうして汐織とともにいる。

「普通の人はまともに汐織先輩と話すことさえできない。蒼空は確かに俺を探して図書部に来たけど、俺は寝ていてそのきっけかには関わっていない。それなのに、汐織先輩と普通に話していた。そこに何かの事情があったのかとしばらく話をしてり観察してみたりしたけど、それでも蒼空におかしなところは見受けられなかった。俺の幻視で見ても、特に危険な雰囲気はもっていなかったしね」

「……」

 蒼空は暗い表情で俯いてしまった。

「ごめんなさい……」

「いや、だから謝らなくていいよ。別に蒼空に悪気があったわけでも、何か企みがあったわけではないというのは知ってるから。むしろ謝るのはこっちだよ」

 誠護や汐織は、蒼空が何を理由に図書部に近づいて来たのがわからなかった。

 だから蒼空を、星詠教の合宿や他にも危険がある可能性が高いところに連れて行くことを許容した。本当に蒼空が無関係な存在だとわかっていれば、誠護は断固として同行を許さなかった。でも着いてきたいという蒼空を許したのは、あえて危険な目に遭えば、本性を現す可能性を考えてのことだ。

 だが実際誠護が蒼空を見る中で、蒼空に怪しい部分はなかった。

 誠護は今にも泣き出しそうな蒼空に向けていう。

「蒼空、君は、自分が幻視を持っているということを知らなかったんじゃないか?」

「……そうです」

 蒼空は顔を上げると、目尻を拭いながら答える。

「私は昔から、たまにおかしなものが見えました。虫の知らせのようなものだと思っていたんですけど、時々視界に淡い光が映ることがあるんです」

 蒼空がいうのは、図書部に足を運んだのもそのおかげだという。普段なら、助けてくれたかもしれないとはいえ、いきなり手を掴んでくるような人を追いかけたりはしない。それでも追いかけたのは、その光が着いていくように導いたからだという。

「その光がなんなのかは、今でもよくわかっていません。ただ、光が教えてくれた通りに行動をして、間違ったことは一度もないです」

「どういう基準が間違う間違わないってことになるの?」

「えっと、ただ、私がそれで良かったか悪かったかという、だけのものなので、深い意味があるわけではないです」

 それを聞いた誠護は少し考え込んだ。

「今日誘拐されたときもそうです。カレンちゃんが撃たれそうになったとき、私はカレンちゃんを庇いました。カレンちゃんを庇うことが正しいと示してくれたからです」

 彩海学園に来たのも、その虫の知らせがあったからだという。高校のパンフレットを見ているときに、彩海学園のパンフレットが光ったように見えたのだという。元々興味もあったので、知らせの通り蒼空は彩海学園へと来た。

「私は汐織先輩に特に何も、不思議なところは感じなかったですけど、それ自体がおかしいことだったんですね」

「まあね。でも、蒼空はどこからどう見ても普通の女の子だったからね。おかしなところといえば、汐織先輩と普通に関わっていること。それと、普通の子なら泣き出したり逃げ出したりする状況であっても果敢に着いてきてっていうこと」

「それって、おかしかったですか?」

「不自然ではあったね。普通の女の子の行動とは思えなかったから。今の話を聞いてわかったよ。蒼空は無意識下で、もし何か問題があれば虫の知らせがあるから大丈夫。そういう後ろ盾があったから無茶とも思えることに平気でできたんじゃないかな」

「それは……あったと思います」

 自信なさげに蒼空は頷く。

 これまで何度も数があったわけではないにしろ、その知らせは確実に自分を助けてくれている。超常的な力が自分に付いてくれているというのは、安心感のあるものだろう。

「でも、私は、特にこの力があって、不利益を被ったことは、ないと思うんですけど」

「そうだろうね。俺たちが蒼空の仮入部を認めたのは、もしかしたら蒼空には何か困っていることがあるからじゃないかと思ったというのもあるんだ。幻視の話をして、もし何かいってくるのであれば、俺たちはその問題を解決するようにするつもりだったから」

 だが蒼空にはそういったものは見受けられなかった。それから考えられることが一つある。

「君は俺たちとは根本的に違う幻視所持者だと思う」

「それは、私が何かに捕らわれているというわけではないということ、でしょうか」

「そうだね。君の場合は、俺たちのように負の運命に捕らわれているわけではない。だとするなら、君は俺たちのように後天的な幻視所持者ではなく、先天的な幻視所持者だという可能性が一番高い」

「先天的……。生まれもってのもの、ということですか?」

 尋ねてくる蒼空に、誠護は目を閉じて頷く。

 幻視は基本的に、何かに捕らわれている人間が生きていくために必要なものを手に入れることによって獲得する超常的な力だ。

 だが、ごくごく一部に、これに当てはまらない人間がいる。

 それが、生まれつきの幻視所持者だ。

「ただ生まれつきの幻視所持者は力も弱いって話だ。だから蒼空がそれを特殊な力だと認識にしていないのも不思議な話じゃない」

 蒼空は大きく目を見開いたが、やがて目を閉じて俯いた。

 誠護はジュースを飲み干して、小さく潰す。

「私は、幻視を持っていたんですね。この目が見えているのは、普通では見えない、不可視の領域、先輩たちと同じ力を……」

「さっき蒼空はいってたよね。虫の知らせのようなもので、一度も悪い結果になったっていうことがないって」

「はい」

「そこから想像できる蒼空の幻視は、おそらく、後悔の回避じゃないかと思う」

「後悔の回避……?」

「後悔は本来は過去の何かに対して行うこと。だけど蒼空は、未来から見た現段階を、後悔がない方向に修正することができるんじゃないかと思う」

 幻視はあると考えて調べるとある程度情報が出てくる。その中に自分の嫌な未来を避けるという幻視がある。蒼空の幻視はおそらく同じ類いのものだ。

 未来から見た過去の自分が、後悔を感じないように正しい道を選ばせる幻視。

 それが、蒼空の幻視だ。

「後悔回避……それが、私の、幻視……」

 蒼空は空っぽの両手を握りしめ、どこか嬉しそうに呟いた。

 これまで見えなかった何かが見えるというのは、蒼空にとって喜ばしいことなのだ。

 幻視は必ずしも悪いものではない。特に蒼空の場合は、別段負の連鎖に捕らわれているというわけではない。もしそこに捕らわれているなら、汐織の幻視で蒼空も感知されているはずだからだ。

「でも、私、この幻視を持っていてもいいんでしょうか。誠護さんたちは、幻視を消すために活動しているんですよね」

 誠護は立ち上がりながら潰した缶を手に取った。

「別に俺たちは蒼空の幻視に関してどうこうするつもりはないよ。俺たちは全ての幻視を否定しているわけじゃないから。流里の幻視も問題ないし、俺もそうだ。扱い方さえ間違えなければ問題ないからね」

 ダストボックスに缶を放り込み、小さく息を吐く。

 不意に、視界が揺れた。一瞬覚えた立ちくらみに冷蔵庫に背中を打ち付ける。

「誠護さん?」

「……ごめん、なんでもない。俺、ちょっと出てくるよ。少しの間、汐織先輩をお願い」

「あ、はい、わかりました」

 蒼空も少しは一人で考えたいことがあるだろう。自分の中にある異質なもの。

 それは意外にも、自らの内側を侵食するのだ。

 扉に手を掛けながら、誠護は後ろにいる蒼空に告げる。

「これが俺たちの全てだよ。俺たちは君がどういう人間を確かめるために、図書部にいることを認めた。君のことを疑ってたんだ。ごめんね」

「べ、別に私は……。私が無理をいって、仮入部させてもらったんですから。そんなことは……」

「いや、やっぱりダメなんだ。今回のことでわかった。俺たちは下手に誰かと関わることはできない。だから、やっぱり、蒼空は図書部に入部するのは止めた方がいい」

 蒼空が背後で息を詰まらせる。

 明日にはゴールデンウィークが開け、授業が再開される。

 そして、今週中が入部届の締め切りとなっている。その後でも入部ができないわけではないが、そこで一度区切られる。

「蒼空の幻視は別に何も不幸を招くことはない。だから、図書部にいる必要はない」

 それだけいって、誠護は汐織のマンションを出て行った。

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