30
誠護は目を閉じて、自らの視界を閉ざす。
「俺の場合は、簡単だよ。俺の目は危険を視認する。それは俺に降りかかる危険から自分を守るもの」
「誠護さんに降りかかる、危険?」
「そう、俺は、一般の人より圧倒的に危険にさらされる。普通の人が一生過ごしても経験しないようなことを、当たり前のように経験する」
「……今回のようなこと、ですか?」
「そうだよ」
瞼を上げ、目の前を通り過ぎていく鉄の塊に目を向ける。そこには圧倒的な危険が存在している。日常でさえも、危険はそこら中にある。だが別に、それらが襲いかかってくることはない。
だがそれでも、危険は容赦なく誠護を襲う。
日本に住んでいて、自ら犯罪に手を染めでもしない限り、銃を向けられることなどまずない。でも、誠護はこれまでに何度も銃を向けられたことがあり、同様の危険に巻き込まれてきた。
「これを誰かに話したのは、汐織先輩を別にすれば初めてかな」
背中で寝息を立てている汐織を一瞥し、また前に視線を向ける。街頭のない道にさしかかり、暗がりに誠護の過去が浮かぶ。
「俺が小学生のとき、俺が家族と住んでいたマンションが全焼する火事があった」
「ぜ、全焼!?」
「俺は両親と妹の四人家族。その火事になったとき、俺と母さんがマンションに残っていた。火元は俺たちの近くからで、火に気づいた頃には俺たちは部屋から出ることさえできなくなった。俺と母さんは動くこともできず、燃えさかる炎の中に残された」
幸い部屋中に炎が回るまでに助けは来たが、母親は誠護を守るために大火傷を負って、一ヶ月生死の境を彷徨った。
一命は取り留めたものの、誠護の母親の体には今でもそのときの跡がはっきりと残っている。
「中学生になってすぐに、銀行に行っていた俺と父さんと妹は銀行強盗に巻き込まれた。緻密に計画された犯行で、相手は全員が銃火器で武装した犯行グループ。警察も手をこまねいていたけど、父さんは凄腕の警察でそのときは紛れ込んで、うまい具合に相手を誘導して攪乱させていた」
だがそのとき、父親が動いていることを一緒に人質に取られていた人の行動でばれて、犯行グループの腹いせで誠護が撃たれた。
「父さんは撃たれた俺を庇って、体中に銃弾を受けた。その銃声で強引に突入した警察によって犯行グループは制圧。父さんはすぐに病院に運ばれて助かったけど、銃弾の一発が背骨に当たっていて、半身不随だ」
「い、今もですか?」
「もちろんそうだ。脊髄を損傷していたから治療のしようもない。まあ未だにぴんぴんしてるよ。動けなくなって現場での仕事はできなくなったけど、警察でそれなりのポジションで仕事を続けている」
茶化しながらいってみたが、蒼空はくすりとも笑わなかった。ただ暗い表情で俯いてしまった。
誠護は蒼空の様子に小さく笑みを落とすと、また視線を前に向ける。
その目に映るのは、初めて視認することができない世界に自ら手を伸ばした日のこと。
「中学三年になったばかりのとき、妹と買い物に出ていた俺は、通り魔に出くわした」
人通りが少ない場所だったわけでも、目立たない場所だったわけではない。
ただふらっと誠護たちの目の前にその人物は現れた。
白いパーカーにジーンズというどこにでもいる格好の男は、すれ違いように誠護の脇腹を切り付けた。
突然のことに誠護は訳もわからずバランスを崩し地面に倒れ、脇腹から広がっていく血を見て自分が切り付けられたことを知ったのだ。
男は誠護の側で狂ったように笑いながら血が滴るナイフを振り上げていた。
周囲の人間が蜘蛛の子を散らしながら逃げていく中で、妹だけは誠護の側に残っていた。
「あいつバカでさ、俺が血だらけで倒れていて目の前にナイフ持って叫んでいる男がいるのに、俺の側に残ってたんだよね」
「そりゃあ残るでしょう」
蒼空は少し怒ったようにそういった。
「俺は逃げて欲しかったんだけどね。俺、もうそのとき死んでもいいと思ってたから」
「え……」
蒼空が弾かれたように誠護の顔を見やる。
「母さんに大火傷をさせて、父さんを歩けない体にして、あげく妹まで……。そのとき俺は知ったんだよ。薄々気づいていたんだけど、自分の足元に広がっていく血溜まりを見てわかった。ああ、全部俺のせいだったんだって」
ふざけた考えだったとしても、それは間違いないと悟った。
それらだけではない。誠護はそれまで数え切れないほどの脅威に、危険にさらされてきた。それをたまたま生き抜くことができていたに過ぎない。
「野球ボールが蒼空の頭に当たりそうになったときに、俺が蒼空がそこにいたことが悪いんじゃないっていったの、覚えてる?」
「……はい」
「あれもそういうこと。元々は俺に飛んできたボールだったんだ。俺が避けるように動いたから、その先にいる蒼空に当たりそうになった。あれも、俺が原因で蒼空を危険な目に遭わせた」
無意識のうちに、たくさんの人を誠護の危険に巻き込んでいるだ。
そして、ついにおはちが回ってきたと思った。ここで自分が死ねば、これ以上誰も巻き込まなくてすむんだと。
これから来る自分の死を受け入れた瞬間、走馬燈が駆け巡った。数え切れない謝罪とどうしようもない後悔を残して、誠護は目に前の脅威を受け入れた。
だが、その脅威の間に、妹が入り込んだ。
「別に通り魔は、俺を狙っていたわけじゃないんだ。これは後の供述からもわかっている。誰でもよかったらしい。その中で、刺されたのが俺だったのは、俺がそういう危険を呼び込むからなんだ。でも、間に誰かが入り込んでも危険がなくなるわけはない」
妹が間に入っても、妹が殺されて誠護が殺されるだけ。
自分は死んでもいいと思ったが、それはもう他の誰かを巻き込まなくてすむからだ。
自分が死ぬからといって、妹が死ぬことまで許容できるわけはない。
「俺は目の前の危険から妹を守りたいと思った。助けたいと思った。もう嫌だと思った。こんな世界最悪だけど、それでも妹には死んで欲しくないって思った。そのときだよ。初めて、目に普通ではあり得ないものが映り込んだのは」
それがなんなのかを一瞬で理解した。
視界に映る世界の危険。不可視領域のアナザーヴィジョン。
初めて、幻視が使えるようになった。
視界に映し出された目映い光、命を奪い取るナイフ。
誠護は妹に襲いかかってきた通り魔のナイフを素手で掴み取った。
ナイフの刃が手に食い込み、肉を裂き骨を削り、血がにじみ出た。不思議と、痛みはまったく感じなかった。
通り魔は驚いてナイフを引こうとしたが、ナイフを掴んだまま離さない誠護に驚いてパニックになった。
そのとき、たまたまその近くにいた人が、通り魔の脳天に近くにあった鉢植えが叩きつけた。
「まさか、通り魔の人の頭に鉢植え叩きつけたのって……」
「そ、汐織先輩」
初めて幻視を使ったときは、初めて汐織に誠護が会った日でもある。
「汐織先輩は騒ぎを聞く付けてすぐ近くで見ていた。それで、俺が幻視に目覚めると同時にそれを感じ取ったんだって。汐織先輩は負の感情を抱く幻視使いを察知することができるからな」
そもそも、幻視は負の運命に捕らわれた人間が発現することが多い。誠護もそうだった。
汐織はその瞬間を感じ取った。
そして、喫茶店の店先に置かれていた鉢植えを手にし、それをしこたま頭に叩きつけた。通り魔は一撃で撃沈し、あえなくお縄に付いた。
誠護は通り魔が倒れると同時に大量の血を失ったことで意識を失い、病院に運び込まれ、数日意識を失った。
「それから視界全てが変わった。元々あった可視領域に、本来不可視である領域が追加されたからな。で、俺の幻視は常時発動しているから、まともに物を見ることさえできなくてさ。検査してもどこにも異常がないっていうんで、結構長いこと入院してた」
入院中は大変だった。注射針や薬にも、まったく危険がないわけではない。それが光となって見え、傷口は炎症が起きるからか痛むからか知らないが光りに光ってパニックになった。
そんなとき病室に現れたのが汐織だ。
「汐織先輩は俺の目に見えているものがなんであるかを説明してくれた。幻視がどういうものか、どういう風に発現するか。汐織先輩がどういう幻視を持っていて、どういう状態なのか、俺が知らないことを全て教えてくれたんだ。この人は」
未だに寝息を立ててムニャムニャといっている先輩を笑いながら、誠護は懐かしく思い出す。
「最初、少なくとも同い年か年下かと思ってたからさ、全部ため口で話してたんだ」
「ああ、それでなんですか」
「必要ならすぐにでもこの幻視を消すっていわれたんだけど、俺はその場では承諾しなかった。基本的に汐織先輩は望んでもいない相手の幻視を消すことはしないからね。それで、もしこれからどうすればいいのかわからないのなら、彩海学園に来ないかと誘われた。図書部という部活を作って相談事を解決するような部活を始めたから、一緒にやらないかってね。そのときに初めて汐織先輩が年上だってことに気づいたよ」
それを知ったときには既に敬語で話すには違和感を覚えるほど話しており、気にしないからため口でいいといわれて、それっきりずっとため口で話している。
その日は両親も妹も来なかった。誠護の近くにいると家族まで危険が及ぶ。だから来ないでくれと、一人病室に閉じこもっていたからだ。
汐織は自分が知っていることを教えてくれた。
誠護の幻視がおそらくは危険なことに遭遇する可能性が高いという運命に縛られている故に発現した力であるということ。
目に見えているのは少しでも危険があれば、それを光として視認できるようにんっているということ。そして常時発動しているタイプの幻視であるため、これからは視認する危険と視認しない危険を区別できるようにある程度の訓練が必要となること。汐織がもつ幻視破壊という希有な幻視を用いれば、すぐにでもその光や危険な日常から解放されること。
それらのことを、汐織は懇切丁寧に説明してくれた。
「……それから、誠護さんは彩海学園に来たんですか?」
「うん。幻視を消すことを断って、俺は自らの意志で、彩海学園に進学した。図書部に入って、俺は汐織先輩がしている相談事を解決する活動を手伝うことになった」
「でも、でもどうしてですか? 誠護さんはどうして、幻視を消してもらわなかったんですか? 今の話が本当なら、誠護さんは幻視を消してもらえば危険な事に遭遇することが、少なくとも人並みになるんですよね? それは今でも変わらないはず。幻視が消えても、汐織先輩と一緒に図書部の活動を続けることはできます。消してもらっても、いいんじゃないですか?」
蒼空の言葉が自然と強くなる。言葉の端から自分も知りたいという気持ちが溢れていた。
切羽詰まったような蒼空の表情を一瞥しながら、誠護は答える。
「たとえ今頃俺が一般人と変わらない程度の危険にしか遭遇しなくなったとしても、俺が父さんや母さんにしてしまったことは変えられない。それなら俺は、自分の運命から逃げるより、この運命を受け入れた上で、この力で何かができないかと思ったんだ」
今も視界をちらつくように映る危険の光。普通ではあり得ない力を持ってしまったために、いや、持っているからこそ何かできることがないかと思った。
それと、もう一つ。
「俺は幻視の話を聞いた段階で、汐織先輩の幻視についても聞いた。汐織先輩の幻視は、幻視能力者が関わる負の感情を察知すること、及び幻視能力の破壊。あらゆる幻視能力者であっても、汐織先輩の幻視には勝てない」
「そんなに、すごいものだったんですか」
「だけど、そんな汐織先輩の幻視であっても、運命から外れたものであることに変わりない。汐織先輩も俺と同じ、運命に縛られ、その結果幻視を手に入れることでしか生きることができなかった人間なんだ」
一部の例外を除いて、幻視使いは必ず運命に縛られている。その運命が原因となり、通常ではあり得ない目に遭うことが日常的に起こりうる。
そして、汐織の場合は――
「汐織先輩は、ほとんどの人が一生で会うことがない幻視所持者と遭遇する可能性が尋常じゃなく高い。俺たちよりずっと重度に。ばったり道で出くわした人が幻視所持者だったってこともある。幻視所持者は、幻視所持者っていうだけで何かしらの危険にさらされることが多く、不幸を呼び込むことがほとんどなんだ」
今回しかり、誠護の過去しかりだ。
「汐織先輩には助けてもらった恩もあったから、俺は幻視を消してもらわずに今もこうして汐織先輩と一緒に図書部として活動しているんだ」
誠護の危険未来視自体も、危険を呼び込む運命を持っている。だがそれは誠護が視認することで十分防ぐことができるのだ。
汐織の側にいることで、さらされる脅威から守るためにともにいるのだ。
蒼空は暗い表情で俯いた。
「汐織先輩、いつもあんなに笑ってるのに、そんな大変な思いをされているんですね……」
「うん、だからこそ、俺も汐織先輩も知ってるんだよ」
「知ってる? 何をですか?」
尋ねてくる蒼空に、誠護は前を向いたまま答える。
「蒼空が、幻視を持っているってことをだよ」
誠護の隣を歩いていた足が、ぴたりと止めった。
「……何のことですか?」
「いった通りだよ。蒼空、君は幻視所持者なんでしょ?」
はっきりと面と向かって告げると、蒼空は少しの沈黙のあと、泣きそうな顔で俯いた。
誠護は先を歩きながら小さく笑う。
「別に怒ってるわけじゃないよ。すぐそこが汐織先輩の家だから、そこで話そう」
汐織の部屋は彩海学園から歩いて十歩分ほどの距離にある。古いマンションだがよく手入れをされているためまだまだ現役だ。
合い鍵を使って鍵を開け、中に入る。
汐織を自室のベッドに寝かせ、誠護と蒼空はリビングの机に座った。
冷蔵庫から拝借した缶ジュースを二つ並べて向かい合う。
汐織の両親は二人とも他界している。誠護より以前から汐織はずっと一人暮らしだ。誠護が彩海学園に進学するに辺り一人暮らしをするといった際も、色々教えてくれた。
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