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「汐織先輩、大丈夫なんですか?」

「うん、心配しないで。いつものことなんだ」

 誠護の背中で、汐織は気持ちよさそうに寝息を立てている。

 涼馬とカレン、美波は朋香たち警察に任せ、誠護は汐織を背負って家まで送っていた。

 蒼空も付いてくるといったため、持ってきていた荷物を持ってもらっている。

 今回蒼空が誘拐されたこと自体、もう表沙汰にはしない方向で動いている。幻視絡みの事件を公開したところでろくなことにならず、無用なトラブルを招くだけだ。

 蒼空も既に両親に連絡しており、友達と電波のないところまで遊びに行っていたと無茶苦茶なごまかし方で乗り切っていた。帰宅すれば怒られること間違いなしとのことだが、今日はこっちに付き合ってくれるそうだ。

「誠護さんって警察とか暴力団とまで繋がり合ったんですね。驚きを通り過ぎて呆れてしまいます」

 慣れたもので蒼空もずいぶんストレートな物言いをしてくる。

「警察は父さんの知り合いだし、そっち方向の知り合いなら蒼空も知ってる人だよ」

「え? 誰ですか?」

「流里だよ。本名五十嵐流里。さっきいってた五十嵐組長の娘だよ」

「る、流里先輩がですか!?」

 蒼空は目を丸くして仰天していた。

 元々は流里のトラブル絡みで五十嵐組と関わることになったのだ。それで組長に会ってみれば朋香の知り合いであったり父親の旧知であったりと様々な繋がりがあったのだ。

「まあ、汐織先輩といると幻視絡みの事件はよく受けるからね。流里ともその過程で知り合って、色々あったんだ」

 振り返ると、バタバタとしているがどこか楽しい思い出が蘇ってくる。

「……汐織先輩の幻視って、一体何なんですか?」

 暗い歩道を歩きながら蒼空が聞いてきた。

 汐織の話に戻り、聞くタイミングを見計らっていたようだ。

「幻視を探知するものじゃ、なかったんですか?」

「間違ってはないよ。でも、汐織先輩の幻視の本領はまったく別物。幻視探知はあくまでおまけなんだ」

 誠護は顔を傾けてすぐに後ろにある寝顔をのぞき込む。

「汐織先輩の幻視は、自分以外の誰かの幻視を破壊することがなんだ」

「幻視を、破壊……?」

「そうだ。至近距離で見た相手の幻視を使用できなくする。永遠にね」

「じゃあ城戸先輩は……」

「もう二度と、誰かに自分の過去を見せることはできないよ」

 意識が戻ったとき、涼馬は普通の人間と同じになっている。他人を呪うような真似は、もうできない。

 蒼空は少し心配そうに眉を落とした。

「でも、それじゃあ城戸先輩は、これから自分の力だけでどうにかしていかないといけないんですね」

「それが普通なんだよ。俺たちみたいな人間が卑怯なことをしているだけ……っといいたいところだけどな。実はそういうわけじゃないだ」

 誠護は苦笑しながら長々と息を吐き出す。

「俺たちは、普通の人生を送れない人間だからね」

 幻視所持者は普通の人間ではない。

 容姿とか性格とか、そういう部分ではなく、もっと概念的な部分で幻視所持者は普通ではない。

「それは、幻視が使えるっていうこと以外にあるんですか?」

「というより、幻視が使えることというのは、大抵その人物の副産物なんだ」

「副産物?」

「防護本能といってしまってもいいかもしれないね」

「……えっと、話が見えないんですけど」

 困惑する蒼空に、誠護は小さく笑みを浮かべた。

「優れた推理力を持てば名探偵に。卓越した医療技術を持てば名医に。褒め称えられるほどの功績をあげる人たちは、いつもいろんな現場に遭遇している」

「ええっと、そうですね。よくいわれますね。でもそれがなんなんですか?」

「逆に考えるとな、名探偵になるには優れた推理能力以前に推理能力を発揮する現場に遭遇しなければいけない。どれだけ腕がよかろうと、誰も治療できないような患者が目の前に現れなければその人は名医なり得ない」

 誰も寄せ付けない力があったとしても、それを発揮する場がなければその人は力を持っていない人と同じだ。

 力を持っていても発揮するときがない。そんな人間はこの世界に掃いて捨てるほどいる。

 でも、誠護たちは違う。

「俺たちはな、幻視を使うために持っているんじゃない。幻視を使わなければいけないから持っているんだ」

「幻視を、使わなければいけない?」

 蒼空は意味がわからないというように首を傾げた。

 誠護はため息を一つ落とし、視界にかすめた危険に足を止める。つられて蒼空も立ち止まる。

 直後、目の前の曲がり角からバイクが勢いよく飛び出し、猛スピードで駆け抜けていた。

 驚いて飛び退いている蒼空をよそに、誠護はまた歩き始める。

「幻視がなんで使えるようになるか。それは簡単なことだ。事件にばっかり出くわす人が名探偵になりうる推理力を持つように、治療が困難な病や怪我ばかりの離島の医者が卓越した医療技術を持つように。幻視所持者は、普通ではないことに巻き込まれるから、幻視が使えるようになるんだ」

 とことこと歩いて追いついてきた蒼空は、再び首を傾げる。

「……つまりそれは、幻視を使える人は、普通じゃない経験とかをしているってことですか?」

「ああ、涼馬もな。朋香さんに調べてもらったけど、普通じゃない人生を送っている。想像してたのより相当凄絶なものだった」

 カレンの両親は、外国に行った際に命を落とした。実はそのとき、涼馬の両親も同時になくなっている。家族ぐるみで付き合いがあったカレンと涼馬は、両家の家族で海外旅行に行った。

 そしてその際、内戦に巻き込まれてしまったのだ。

 両親四人が同時に亡くなり、残された二人はその場で内戦を起こした民兵に捕らわれ、二人とも奴隷同然の扱いを受けていた。三年もの間だ。二人が日本に帰ってくることができたのはつい最近のこと。

 記録上二人は両親と同時に死亡したことになっており、戦争の終結とともに発見され、日本に帰ることができたのだ。

 その事件は、昔の新聞に小さく取り上げられていた。本来なら大々的に報じられるはずの出来事も、幻視所持者が絡むと途端に世間の目は薄くなってしまう。そういうものなのだ。まず間違いなく、涼馬はその時点で幻視が使えるようになっていたはずだ。

「これは俺の推測になるし、涼馬自身もわからないだろうけど、おそらく涼馬は、壮絶を絶する苦しみを味わったはずだ。俺たちが考えられないほどのね。普通の子どもだったにも関わらずいきなりそんな場所に放り込まれたら、心も荒む。そして涼馬は、それを幸せにしている連中にも見せてやりたいと思うようになった。その結果あいつの身に起きた変化が……」

「他者に、過去に自分が経験してきたことを見せる力、ということですか?」

「その通り」

「でも、こういう言い方は失礼ですけど、そういう経験をしている人って、たくさんいるんじゃ……」

「確かにそうだよ。でも、涼馬の不幸っていうのは、度を超しているんだ。今回の桐澤さんの出来事に巻き込まれたのも、全部あの幻視を持っているから。施設の運営が傾いているのも、カレンさんが教祖になったのも、多くの理由は、涼馬にとっての不幸が周囲に現れた結果だ。俺の目から見て、カレンさんより涼馬の方が、その条件にあっていると思ったから、幻視所持者は涼馬ではないかと思っていた」

「あっ、それも気になっていたんですけど、どうして誠護さんは城戸先輩が幻視所持者だと知っていたんですか? その、不幸そうに見えたからっていう理由だけ、ですか?」

「一番初めに思ったのは、幻視を使うための限定条件。限定条件はほとんどの幻視にあることだ。そして、他人に干渉するタイプの幻視で一番多いのが、至近距離から相手を見ること。合宿だとカレンさんは人とほとんど接していなかった。でも涼馬はバスの中で他の人たちに話しかけたり交流したりして相手を見る機会を作っていた。だから実は涼馬なんじゃないかと踏んでいた」

 他にもいくつか理由がある。

 星詠教において、教祖であるカレンさんの方が普通は行動が制限されるものだが、誠護を火事から助け出してくれたり自由に動き回っていたりした節があった。対して涼馬は、外に出るだけでも迎えが来るほどに行動を制限されていた。

「ま、ほぼ間違いないと思ったのは、病院で意識不明になった富川って生徒の話を聞いたときだね」

「えっと、あの、悲惨な光景を見せられたっていう?」

「そうだよ。それでそのときに、富川は見せられた幻覚の中でカレンらしき人物を見たといっていた。でもそれって、おかしいことだと思わない?」

「え?」

 蒼空は顎に手を当て考え込む。

「だって、自分が見た光景を誰かに見せるんだよ? そこに、自分の姿が映るなんて、あり得ると思う?」

「あっ」

 蒼空ははっとしたように声を上げる。

「鏡とかガラスにでも映ったんでもない限り、自分で自分の姿を見ることはできない。だから、カレンさんを見た涼馬だったんじゃないかと思ったんだ」

「ほぇー……誠護さん、目ざといですね」

「他にもあるけど」

「ま、まだあるんですか?」

「これは俺や蒼空も実際に体験しているけど、俺たちは幻覚を見せられる幻視を受けた。でも、他の人たちは皆、過去を調べられた上でどんなイメージが感動を受けやすいかを、考えて見せていた。当然俺たちはそんなものを抱えていった訳ではないから、見せられるのは適当な星空だけ。他の人たちが別の物を見せられていたって知った段階で、俺と蒼空だけがあの場で違うっていうことを知っていた涼馬だけが、ああいう幻覚を見せることができたんだ」

 それはまるで、こちらに訴えかけているようだった。

 気づいて欲しいという涼馬の叫びのように聞こえた。

 これ以上巻き込むのはと思う反面、それでも助けて欲しいと願っていたのだ。

「それで最終的には、汐織先輩がカレンさんが幻視を持っていないってことを見分けてくれた」

「汐織先輩が?」

「俺たちが施設を訪れたときに、汐織先輩は一度幻視を使用してカレンさんの幻視を破壊しようとしたんだ。でも、汐織先輩の幻視は破壊どころか発動すらしなかった」

「だから、そもそもカレンさんは幻視を持ってないと……」

「そういうこと」

 汐織はカレンや涼馬の話を聞く中で、現状の問題は幻視が存在していると結論した。だからあの場でカレンの幻視を破壊し、その時点で問題の根本的解決を図ろうとしたのだ。だが幻視を使用することができず、カレンが幻視を持っていないと判断した。

 その時点で誠護は幻視を所持しているのがカレンではなく涼馬だと気づいていたのだが、汐織の幻視によってそれは決定づけられた。

「もしカレンさんが幻視を持っていたのであればあの場で幻視を破壊して、問題は全て解決したはずだ。だがその方法を採ることができなかった」

 涼馬の考えが狙いが不透明だったため静観という方法に切り替えたのだが、それすら涼馬の幻視が影響してか状況が悪化してしまった。

 蒼空は難しそうに眉根にしわを寄せながら、持っていた鞄を背負い直した。

「でもでも、実際幻視を持っているだけで、ここまで状況がおかしくなるっていうのは、本当なんですか? たまたま、偶然っていうことも……」

 信じられないといった様子の蒼空に苦笑いをしながら、誠護は首を振る。

「蒼空がそう考えたくなる気持ちはわかるよ。確かに、確率で考えれば同じような経験をする人っていうことは十分考えられる。でも、偶然で来るか必然で来るか。そこには天と地ほどの差がある。抗うことも避けることもできずに、襲いかかってくる。だから俺たちは、幻視所持者に襲いかかる出来事を変えようがない事象、運命って呼ぶんだ」

 蒼空は視線を揺らして俯いた。

 横断歩道の信号が赤に変わり、誠護たちは足を止める。目の前をヘッドライトを照らし出す車が走り始める。

「……誠護さんの場合も、そうなんですか?」

「ん?」

「誠護さんも、幻視を持っている、じゃないですか。それで、誠護さんの場合は、どんなことが起こっているんですか?」

 興味本位などではない問いだと、誠護には理解できた。

 蒼空は知りたいのだ。心の底から、ただ純粋に。

 それを、知らなければいけないから。

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