28

「お前が今でもあいつと一緒に何かをしていきたいんなら、それはそれでいいだろう。俺たちは全力で止めに掛かるけどね。でも、もしそうじゃないなら」

「わかってる」

 それだけいうと、涼馬は力なく笑い、カレンから離れて桐澤の方へと歩いて行く。

 地面に倒れる桐澤を前に、涼馬は立った。

「涼馬、貴様、私を裏切ると、どうなるかわかっているんだろうな……ッ」

 苦しそうな声を出しながら、桐澤は涼馬を睨み付ける。

 血管が浮き出るほど強く握りしめられた両手は、苦しげに震えていた。

 何かをいおうと口を開こうとするが、何も口にすることができず息のみが吐き出される。

 そんな姿を見せる涼馬に、誠護は少しだけ自分と同じ部分を感じた。

「涼馬君」

 汐織が前に出ながら背中越しに語り掛ける。。

「私たちも幻視使いだから、涼馬君の気持ちは、よくわかる」

 汐織はそういいながら、寂しそうな笑みを浮かべる。

 幻視所持者は、どんな綺麗事を並べ立てたところでつまるところ世界の異端者だ。

 誠護たちは、単純に生き方を見つけることが難しい。既に見つかっている人間も誠護のように存在する。だがそんなものが見つかる方が稀なのだ。

 幻視は、望んで手に入れるものであると同時に、決して望むべきものではない。

 涼馬もわからないのだ。

 幻視なんてものを持っている自分が、どんな風に生きればいいのか、何を選択すればいいのかがわからない。だから目の前に提示された方法にしがみついてしまった。それが正しいと信じて。

 汐織は真剣な表情になると、顔を上げて真っ直ぐ涼馬を見据える。

「私たちは、普通の人とは生き方が違う。だから生き方がわからない。でも、たぶんそれは、私たち以外の人でも同じなんだよ」

 側に立つカレンに汐織が微笑みかけると、やや影の落とした表情で頷いた。

「涼馬君に被害が及ばないように、カレンさんは自ら道化を演じて、星詠教で教祖となっていた。私にはそれが間違いかどうかわからない。カレンちゃんも正しいと思った行動だろうけど、実際にそんなものはあとにならないとわからないし、いつまでもわからないこともある」

 汐織は頬を掻きながら苦笑し、視線を彷徨わせる。

「私たちだって、相談事なんていっていろんな人から相談を受けてるけど、やっていることは私たちが正しいと思うことを、自分たちの正義を貫くために行うけど、それは万人に認められることではない」

 誠護たちの解決方法は、とき相談人から文句をいわれることも、中にはある。それには事情があるからなのだが、汐織は仕方ないと割り切りながらもいつも申し訳ない気持ちでいる。

「だから、涼馬君も迷わなくていんだよ。ただ、自分が正しいと思う道を選べばいいんだ。その道が正しいかどうかなんて、誰もわからない。幻視があってもなくても、未来が見える幻視であったとしても、ずっと未来は誰にもわからない。だから、自分が選びたい道を、選べばいい。どうするべきか、どうあるべきかなんて、そんなことはどうでもいい。自分の道は、自分がやりたいようにすれば自ずと開けるものなんだ」

「間違ったときは、どうすれば……」

「そのときは――」

 汐織がそっとカレンの背中を押す。

「周りの誰が、正しい道に引き戻す。幻視を持っていても、涼馬君は、一人じゃない」

 涼馬は大きく目を見開き、カレンに目を向ける。

 そして、肩を落として小さく笑うと薄く光る目尻を指で拭い、前にいる桐澤に向き直った。

「そういえば、桐澤さん」

 ぞっとするほど冷たい声が放たれる。

「桐澤さんは、一度も僕の力がどういうものかを経験したことがなかったですよね」

「――ッ!」

 途端に、桐澤の表情がみっともなく歪む。

「ま、待て! 止めろ!」

「以前いっていたじゃないですか。止めろといわれても絶対にやれと。幻視は使ってもばれるものではないからって。だから遠慮することはないですよね」

 一歩踏み出し、桐澤に近づく。

「や、止めろ! 近づくな!」

「いってなかったんですけど、僕が幻視を使うためには確かに近距離から見ないといけないけれど、その距離は三メートル。もう十分能力が使える範囲に入っていますよ」

「なっ――」

「そしてご存じの通り、一度範囲に入ってしまえば、二十四時間、姿を視認できる限り発動が可能です」

「う、うわああああああああッ!」

 情けない声を上げながら桐澤は立ち上がり走り出す。出口目がけて脇目も振らず駆ける。

 出入り口が一つしかない以上、そちらに走るとは予想が付いていた。

 先回りするように足を進めていた誠護は、桐澤の腹に回し蹴りを叩き込んで再び元の位置まで戻す。

「往生際が悪いですよ。涼馬の幻視を受ける方が、俺に体中の骨を叩き折られるよりいいと思うんだけど」

 警棒で肩を叩きながら、誠護は腹を押さえて苦悶の表情を浮かべる桐澤に笑いかける。

「安心してください。死ぬようなことにはなりません。俺の幻視にはそう見えています。まあ大丈夫ですよ。もしものときはなんとかしてあげますから、ゆっくり味わってください」

 桐澤の表情が醜く歪む。

 これまで他人に対して涼馬に幻視を使わせてきた桐澤は、それを受けた人間がどのような状態に陥るのかを誰よりも見てきている。

 通常、涼馬の幻視を防ぐ術はない。

 いつでも涼馬は幻視を使える状態にはあったが、カレンや施設を守るためにそんなことはできず、桐澤は一度として自分に幻視を使わせなかった。

 これまで他人を食い物にしてきた桐澤は、初めて自分が食い物の立場にいる。

「桐澤さん、もうあなたの手は借りない。そしてもう二度と手は貸さない。これからは、僕が自分の力で施設を、カレンを守ります」

「そ、そんなことがお前みたいなやつにできるわけがない。私に付いていれば、どちらも守れるんだ。だから、私のいうことを聞いていれば、全てうまくいく。だから……」

「それじゃあダメなんですよ。僕はそれについてずっと考えていました。僕がしていることは結局、過去自分が経験したことと同じことを、他人に対してやっていたんです。僕みたいな人を、増やすわけにはいかない」

 きつく握りしめた手をそっとほどきながら、涼馬はいう。

「それに、カレンが嫌みたいなんだ。それはもう、僕がこんなバカを止めることには十分すぎる理由だ」

 汐織と蒼空の前に立つカレンは、祈るように手を組み、悲しそうに眉を伏せていた。

 カレンはおそらくこれまで、一度も涼馬を止めなかった。自分たちを守ろうとする涼馬に対して、そんなことをいうことができなかったのだ。

 お互いが一言何かをいうだけでよかったのに、二人はお互いのことを思うが故にそれすらできなかった。

「だから、僕はあなたに力を使うのを最後に、もう二度と、幻視を使いません。この力は、誰かに対して使うべきじゃなかった」

 涼馬は目を閉じ、小さく息を吐いたあと、ゆっくりと目を開けた。

 これまで見たことがないほど涼馬の視線が鋭くなり、同時に纏う空気も変わる。

「や、やめ……ッ」

 桐澤は座り込んだまま後ずさる。

 そのとき、桐澤の手が近くに置いていた拳銃に当たる。

「あっ――」 

 蒼空の声が飛ぶ同時に、地面から拳銃が掴み取られる。

「し、死ねええええええええッッ!」

 銃口が涼馬の頭目がけて向けられ、引き金が指に掛かる。

 だが、引き金が引かれる早く涼馬の目から力が解き放たれる。

「がっ……」

 稲妻に打たれたように桐澤の体が跳ねる。

 一瞬で目の瞳孔が開ききり、口から泡を吹く。

 手から銃が滑り落ち、それが地面に落ちると同時に、事切れた人形のようにぱたりと倒れてしまった。

 それっきりぴくりとも動かなくなってしまい、辺りに静寂が満ちた。

「やりすぎたかな」

「大丈夫大丈夫。死にはしないよ」

 それでも一撃で意識を失うほどの強い衝撃を受けたようだ。

 涼馬と二人で桐澤の何も見なくなってしまった虚な表情をのぞき込む。

「ほっとけば目を覚まさず死ぬだろうけど、こっちには汐織先輩がいるから」

「それくらいしか能がないからねー」

 汐織はからからと笑いながら桐澤に近づき、開きっぱなしになっている目を閉じさせる。

 そして、額に手を当てて、小さくため息を漏らした。

「ま、これでしばらくすれば目が覚めるでしょう。すぐ起きてもらっちゃお仕置きにならないからね」

「これで、目が覚めるんですか?」

「うん、万事オッケー。あとは、警察にお任せだよ」

 タイミングを見計らっていたように、入り口から朋香が入ってくる。

「誠護ごくろー」

「民間人に戦わせておいていいご身分ですね」

「いいご身分だから。それに相手が銃を持っているとわかっているなら下手に人数押し込むより誠護にやらせた方が安全」

 相変わらず無茶苦茶な警察だ。

 小さな朋香の後ろから大きな男たちが何人も現れる。

「全員確保だー」

 朋香が指示を出すと、屈強な男たちは倒れた桐澤たちを抱えて連れ去っていった。

 幻視絡みの事件は、普通の手段では裁きにくい。

 そういう場合は朋香が特殊な手回しを行ってきちんと罰を受けさせてくれる。

「銃の回収も忘れないでくださいね。あちこちに転がってますけど全部で四つありますから」

 誠護はそういって桐澤が最後に握っていた拳銃を渡す。

「これが3Dプリンターで作った拳銃。中々精巧に作ってる。すごいすごい」

 朋香は渡された拳銃を楽しげに眺めていた。

「あっ、蒼空!」

 この場になかった声が上がり、声がした方に視線を向けると入り口から少女がこちらをのぞき込んでいた。

「美波?」

「よかった無事だった!」

 現れた美波は蒼空を見つけるなり走り始め、そのまま蒼空に飛びついた。

「本当に心配したんだからあんたなにやってんのよ!」

「だ、大丈夫だよ。よくあることだよ!」

「どこの世界で誘拐が頻発するっていうのよバカ! 心配かけるのも大概にしなさい!」

「ごめんごめん。謝るから許してー」

 蒼空はおちゃらけた様子で答えながらも、助かったことに安堵していたようだ。

 肝の据わり方は相変わらずすごいが、それでも女子高生が危険な宗教団体に誘拐されれば相当な恐怖を抱えているだろう。

 だがそれでも楽観視というかポジティブというか。

 誠護は苦笑しながら特殊警棒を収納して腰のホルスターに収める。

「あ、あれ? そ、そっちの人は?」

 飛び込んできた美波は、その場に残っていたカレンと涼馬に向けられていた。カレンもさすがの事態に涙を流しており、それに対して涼馬が必死に謝っていた。今回のことだけではない。これまでカレンの意見を聞きもせず、勝手に巻き込み、教祖のような異端な役割をずっと押しつけていたのだ。

 二人に必要なことは行動をするより前にお互いのことを知るための相談だ。あまりに近くにいたからこそ、たった一言の言葉すら掛けることができなかった。一度壁を取り払ってしまえば、これからは相談をすることも容易になるだろう。

「美波は二人と知り合いなの?」

「え!? いや、そういうわけじゃないけど……」

 美波はもごもごと何かをいい、それっきり顔を赤くして黙り込んでしまった。

 誠護が首を傾げていると、とことこと近づいてきた朋香が腕を小突いた。

「どうするの?」

「どうするもなにも、いつも通りです」

 誠護が汐織に目配せをする。

 汐織は涼馬を一瞥し、小さく頷く。

「朋香さん、藤崎さんを連れて外に出ていてください」

「オッケー」

 朋香は未だ蒼空に抱きついている美波の袖を引く。

「え? 外に出るんですか? なら、蒼空も一緒に……」

「ああ、ごめん。蒼空は少しだけここに残って。涼馬とカレンさんもね。ちょっと話があるから」

「だったら、私も一緒に……」

 この場に残ろうとする美波の肩を、そっと蒼空が押す。

「私は大丈夫だから。美波は一緒に外に出ていて」

 美波はまだ不満げではあったが、朋香を伴って廃工場を出て行った。

 汐織が前に立ち、その後ろに誠護と蒼空が並ぶ。

 涼馬は泣いていたカレンを落ち着かせ、二人でこちらを向く。

「これから、何をするんですか?」

 蒼空が声をひそめて聞いてくる。

「今回の相談事の報告と、それから図書部の本当の仕事を行う。それを蒼空にも教えておこうと思って」

「本当の、仕事?」

 蒼空が首を傾げていると、汐織が一歩前に踏み出す。

 身構える二人に、汐織は笑いながらいった。

「今回の相談事はカレンちゃんを教祖から止めさせること、だったよね? これでひとまずカレンちゃんが教祖を続ける必要はなくなったね」

 これで星詠教自体が消滅する。教祖はカレンであり、その動力源は涼馬だったが、実際に実行していた桐澤がお縄に付いてしまったため、今後星詠教が動くことはない。

 涼馬は頷きながらも、暗い表情のまま視線を落とした。

「それでも、これでまた施設の運営が難しくなる。結局は元に戻ったけど、カレンが教祖を止められたのは本当に助かりました。ありがとうございます」

 全ての問題が解決したわけではない。

 それは相談事とは別の問題だとしても、涼馬たちにすれば重大な問題なのだ。

 汐織の眉が少し下がる。

「そのために、これからも幻視を使っていくの?」

「……それしか方法がなければ、使うと思います」

「それじゃあ、またこんなことになっちゃうかもしれないよ?」

 その問いに、涼馬は口を閉ざしたまま答えることができなかった。

 幻視を使えるということは、他の人たちよりも選択肢が増やせるという意味では有利だ。だが涼馬の幻視は人にしか影響を及ぼすことができないため、害を及ぼすことしか基本的にできないのだ。

「涼馬は思ったことがないか? もしこんな幻視なんて、いらないって思ったことは」

「……もちろんあるよ。僕は常に人を殺せる武器を持っている状態と同じだ。そんな状態でいると、心が荒んでいくんだよ」

 涼馬がこれまで、桐澤の指示とは言え他人に対して幻視を使い続けていた理由がまさにそれだ。

 ナイフや銃も、持ち続けていれば人間の内側を侵食し、とき使ってみたくなる衝動に駆られるという。涼馬も似たようなものを物としてではなく心の内面に常に所持している。指示されなければ使用することがないとはいえ、使えといわれれば使えるような状態に常にあったのだ。

 その心の隙間は、本来人が持つべきものではない。

 だが、その心の隙間を聞くことこそが、誠護たちには必要だった。

 汐織はふっと表情を崩して笑みを浮かべた。

「じゃあ涼馬君は、施設の状況がよくなったり、周りの状況が変わったりすれば、もう二度と幻視を使えなくてもいい。そう思える?」

 その問いに、涼馬は目を見開いた。

「……はい。もしそんなことがあり得るなら、その方がいい。その方がいいに、決まってるじゃないですか……!」

 堪えることができないほどの強い感情が心の底から溢れ出す。

「僕だってこんな力が欲しかったわけじゃない! ただ、ただ僕は、僕たちは普通の人たちと同じように生きたかっただけなんだ。それでもそれすらできなかった。そんなことを毎日毎日考えていたら、こんな力が使えるようになったんです」

「涼馬……」

 内心を吐露する涼馬に、カレンも辛そうに顔を歪める。

「こんな力、捨てられるものなら――捨てたい」

 涼馬から、辛い思いとともに、決定的な言葉が吐き出された。

 それを受けた汐織は、穏やかな笑みを浮かべる。

「涼馬君の言葉、確かに受け取ったよ」

 汐織は歩き出し、涼馬のすぐ前に立つ。

 そしてゆっくり目を閉じる。

 次の瞬間、周囲の空気が一変した。

 それまでただのほほんとしていた汐織から圧倒的な威圧感が放たれ、誠護たちの肌をびりびりと刺す。

 涼馬と蒼空はそれを感じ取ったようで、体を震わせている。

 カレンは汐織の空気の変化には気づていないようで、急に大量の汗をかき始める涼馬を怪訝な表情でのぞき込んでいる。

「これは、一体何なんですか?」

 蒼空は息苦しそうに胸を押さえながら誠護に尋ねてきた。しっかりと張り詰めた空気を感じ取っている。 

「汐織先輩の本領発揮だ」

 突如、空間を引き裂くように何本もの鎖が空中から飛び出し、涼馬の体中にまとわりついた。

「これは……!」

 涼馬は体中にまとわりついた鎖に動揺を露わにする。

 その鎖は身動きを封じるものではないが、手足や首に絡みついた鎖は涼馬を縛る。だが、実際は鎖が涼馬の体に絡みついたものではない。

 鎖は、元々涼馬を縛っていた物。

 汐織がそれが可視化したに過ぎない。

 カレンはその鎖を見ることができず、うろたえる涼馬に目を丸くしている。

 汐織は口元を緩めたまま、そっと目を開ける。

「その鎖は、涼馬君を縛り付ける運命の鎖。涼馬君を苦しめる全ての元凶」

 すっと腕を上げ、細く白い指を涼馬に突きつける。

「だからその運命、私が破壊する」

 涼馬の視線が、突きつけられた指を通り過ぎ、汐織の視線をぶつかった。

 その瞬間、涼馬を取り囲む鎖に一斉に罅が入る。

「二度と涼馬君は運命に振り回されることはなくなる。だけどその代わり――」

 汐織は涼馬に突きつけていた手で、近くに流れてきた鎖を掴み、引きちぎった。

 同時に、滞空していた鎖が全て、粉々に砕け散る。

「もう二度と、幻視が使えることはない」

 砕けた鎖は霧散して消え、周囲には静けさだけが残る。

 全身から力が抜けてしまった涼馬は、ぱたりと倒れ込んだ。

「涼馬!」

 カレンは倒れた涼馬を駆け寄る。

 涼馬は完全に意識を失っており、力なく地面に横たわっている。

 そして、それを見届けていた汐織も、ふらりと体が傾く。

「あ――」

 蒼空が声を上げると同時に、誠護は仰向けに倒れてきた汐織を受け止めた。

「お疲れ」

「……うん」

 汐織は微笑みながら小さく頷くと、そのまま眠りに就いた。

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