19

「いってて……。ひどい目にあった……」

 誠護は汐織に殴られた頬をさすりながら一人夜道を歩いていた。

 頬は赤く晴れており、今も熱を持っている。

 まさか寝起きにいきなり拳を叩き込まれるとは、予想外にもほどがある。さすがに油断しており危険を視たときには殴られていた。

 汐織と蒼空は既に家まで送り届けている。

 蒼空は送り届けた際に、蒼空の母親が出てきて少し話した。

 最初は不信感丸出しの対応でどうしたものかと思っていたが、そこは頼れる部長がてきぱきと応対し、事なきを得た。最後には今度は家に遊びに来てとまでいわれており、ああいうときには非常に頼りになる先輩だ。

 汐織が一人で住むアパートは蒼空の家からすぐ近くだったので、そちらも送り届け、誠護は自宅への帰路に就いている。

 腕時計で時間を確認すると既に午後十一時を回っていた。

 幸い今週はゴールデンウィーク。

 明日の日曜日からまだ四日間ある。このゴールデンウィークが、仮入部期間の終わりだ。仮入部期間が終われば、蒼空は図書部に入るか止めるかの決断を行わねばならない。

 このまま行けば、蒼空は図書部に入ることになるではないかと、誠護は思う。

 だが、それがそもそもおかしい。なぜ、蒼空はここまで図書部に、いや、汐織に関わることができたか。それが今誠護を悩ませている疑念だ。汐織も同様に疑問に思っているに違いない。

 だが、お互いに口に出せずにいる。その一言を出してしまった段階で、それは確定的な事実へと変わってしまうから。

「はぁ……」

 小さくため息を落としながら、誠護はやれやれと頭を掻く。

 家まではあと五分ほどの距離。

 誠護は視界の端に入った影に足を止めた。

「ん、あれ?」

 誠護の家から彩海学園までの桜並木。その通りに隣接するように作られた公園に、一人の見知った人物が立っていた。

 公園は遊具がいくつか接地されている小さなものだったのだが、節電なのか一本だけある街頭は灯りを消していた。

 人影は街頭に背中を預け、夜空に視線を向けている。

 見つけてしまったからにはスルーするのも気が引けたので、帰り道を逸れて公園に足を向けた。

「こんばんは」

 声を掛けられた相手は、肩を震わせて驚いていた。

「……陸羽……君?」

「こんな時間にこんな場所で、一体何をやってるの。城戸君」

 暗闇の中に一人佇んでいるのは涼馬だった。

 誠護が現れたことに驚きながらも、小さく笑みを零すとまた夜空に視線を戻す。

「それは陸羽君も同じでしょ」

「そりゃあいえてる」

 誠護も同じように笑いながら近くにあったベンチに腰を下ろす。

「何を見ているんだ?」

 誠護は涼馬の視線を追いながら夜空を見上げて尋ねる。

「星だよ。この公園は比較的周囲に光が少なくて、星がよく見えるんだ」

 確かに涼馬のいう通り、満天の星空とまではいかないがそれでも十分に星々が見て取れた。

「確かに綺麗だ」

 夜空は当たり前に頭上に存在しているが故に、ほとんどの人が気にも留めない。

 綺麗で美しいものを追い求めるくせに、こういう身近で単純なものは頭の片隅に追いやられて見向きもされない。

「聞いたよ。施設に来たんだって?」

「うん、まあね」

「どうやってあそこまで辿り突いたの? 学校の先生にでも聞いた?」

「部内秘密。そう簡単に情報は上げられませんよ」

「当然だよね」

 涼馬は笑いながらため息を吐く。

「状況は把握してくれた?」

「おおよそは。教えてくれたらそこまで手間掛けずに済んだのに」

 恨めしげにそういうと、涼馬は苦笑いを浮かべながら街灯の下にしゃがみ込んだ。

「実際、どこまで巻き込んでいいものか、計りかねてたんだ」

 涼馬はいう。

 図書部に依頼をしたはいいものの、高校生の子どもにどうにかできるものだとは、涼馬にはとても思えなかったとのこと。

 涼馬は意識を失った富川と一緒に二人を送り返そうとしていた。あのとき、これ以上巻き込むのは危険だと判断していたらしい。それなのに誠護と蒼空が合宿に残った結果、いきなり誠護と蒼空は焼き殺さかけた。

 だから、もう相談事を断るつもりでいたとのこと。

「でも、ごめん。中々、言い出せなくて」

 涼馬が顔を逸らし言葉を消え入りそうに漏らした。

「安心してくれ。俺たちは相談事を途中で投げ出すようなことはしないよ」

「だけど……」

「君らが本気で迷惑に思ってて、邪魔だというなら止める。だけど、カレンさんも城戸君も、そうは思ってないと、俺は思うよ」

 それっきり、涼馬は黙ってしまう。

 何もしなければ、星詠教を続けられなければアザレアは潰れてしまう。だから涼馬とカレンは星詠教を続けていくしかない。そこには暴力団が関わっており、いとも簡単に人を焼き殺そうとする連中だ。そんな生活を続けていたいわけがない。

 外道なやつならまだしも、涼馬もカレンも至って普通の高校生。辛いのは当然だ。

 そんな彼らが図書部に相談事を持ちかけるきっかけになったのは、汐織から話を持ちかけたからだ。

「なあ、城戸君」

「涼馬でいいよ」

「じゃあ、涼馬。あ、俺も誠護でいいよ」

「わかった」

 お互いなんともいない笑いを浮かべたところで、誠護は改めて尋ねる。

「カレンさんから、俺たちのことは聞いた?」

「君たちのこと?」

 涼馬はわからないというように首を傾げている。

 どうやら聞いていないようだ。

「俺や汐織先輩は、カレンさんと同じ幻視を持っているってこと」

 涼馬が大きく目を見開いた。

 誠護は夜空に自分の手をかざす。

「俺は危険と認識できる様々なものを光として知覚する幻視を持っている。汐織先輩は、幻視絡みのトラブルを検知する。俺たちもちょっと変わった人間なんだよ」

 驚きを露わにしていた涼馬だったが、やがて小さくため息を吐いた。

「ああ、そういえば、鳴海先輩って本当に突然体当たりしてきたもんなぁ……」

「……あれは悪かった。止められなかったんだ」

 つい二週間前のことだ。

 彩海学園の始業式が行われて間もない頃。変わった時間割にまだ体が着いていかず、図書部はのんびりと過ごしていた。一ヶ月ほどこれといった相談事もなく、二人で学園を歩いていたときだ。新入部員勧誘の喧噪を避けて裏口から学園を出ようとした際に、汐織が急に立ち止まったかと思うと突然走り始めた。

 そして、物思いにふけっていた涼馬にいきなりボディプレス。止める暇などなかった。それからまくし立てるように今何か困っていることがないかと尋ねに尋ね、図書部に来るようにとの約束を取り付けたのだ。

「もしかしたらとは思ってたんだけど、やっぱりそうなんだ。そんな幻視もあるんだね」

「ああ、最初から幻視が絡んでいることは知っていた。あくまで幻視絡みってことだけだけど」

 しかし、どんなことでもあり得るという心構えでいれば、大抵のことには対処できる。さらに誠護の危険未来視の能力があれば、ありとあらゆる危険を回避することができる。そういうタッグで誠護たちはこれまでやってきたのだ。

「羨ましいね……」

 涼馬が不意に呟いた。

「羨ましい?」

「うん、羨ましいよ。君たち、とっても生き生きしているからさ」

「そうか?」

「楽しそうだよ。幻視なんてものを持っていながら、そんな風に幸せにいるなんて、羨ましいよ」

 対して寂しそうに笑いながら涼馬は握りしめた拳を地面に押し当てた。

「……カレンはそんなものを持っているせいで、不幸になっているのにさ」

 付け加えるように、それでいて決して恨めしげではなく、純粋にまぶしそうに涼馬はいった。

 そう見えているなら、それはそれでいい。事実、誠護はそれなりに楽しくやっているつもりだ。汐織も、そうであればいいと、誠護は心の中に祈る。

 それと同時に、誠護は悟った。

「そうか。知らないのか……」

「え? 何が?」

「いや、なんでもない」

 誠護は膝を叩いて立ち上がる。

「さーて、そろそろ帰るかな。もう遅いし」

「そうだね」

 涼馬も同じように立ち上がる。

「ああ、そうだ涼馬」

「何?」

「いくら幻視という特殊なもの持つ俺であっても、汐織先輩であっても、言葉にしなきゃ伝わらない。俺たちはあくまで視えるだけだからな。カレンさんの、相手に自分が過去に見てきた能力を相手に転写する能力であっても、それは同じだ」

「……」

 誠護が突然言い出した話であるにも関わらず、涼馬は黙って聞いていた。

「お前は最初言葉にした。こっちから相談事を拾うようなことをしたのは事実だけど、涼馬自身が図書部に足を運び、俺たちに言葉を投げた。それを受けた俺たちは、お前の言葉に応える」

 それが図書部の在り方だ。

 こと幻視の相談事に関しては、図書部は可能な限り全ての手段を行使して最善を目指す。それは今回も同じこと。

 相手が人を簡単に消し去ろうとする組織であろうとも、意識不明の重体人を出すことになろうとも、誠護たちは幻視使いを救済する。

 それが汐織が部長を努める、図書部なのだ。

 誠護は重ねていう。

「涼馬、お前が求めるなら、俺たちは力を貸すよ。お前の相談事、カレンさんを教祖から止めさせること。でも涼馬、本当にそれで、お前たちは救われるのか?」

「……」

「いいたいことがあるのならいえばいい。ここには俺たち二人しかいないんだから、好きにいえばいいじゃん」

 涼馬は黙ったまま、口を開かなかった。

 初夏を知らせる暖かい風が公園を流れていき、誠護たちを撫でる。

 涼馬は口を開かない。

 それでも、誠護は待った。

 それは、涼馬にいうべき言葉があるからだ。本当に何もいうべきことがないのであれば、何もないと一言いうだけで終わる。だが、まだ口にしていない何かがあるからこそ、迷い、口を開けず、思いを言葉にすることができない。それを口にしてしまえば、決定的な事実を口にしてしまうことになるからだ。

 どれくらいの時間だろうか。

 もしかしたら十秒にも満たない時間だったかもしれないが、それでもとても長く感じた。

「誠護……」

 やがて、涼馬が口を開く。

「ぼ、僕は――」

 涼馬が意を決し、思いを言葉にしようとする。

 だが涼馬が思いの丈を言葉にするより先に、公園の外で車が急停車して遮った。

 全面黒塗りのセダン。助手席が開き、中からセダン同様全身を黒一色のスーツに染めた男が出てきた。

「涼馬君、探したよ。こんなところで何をやってる」

 現れた人物は、公園の方へと真っ直ぐ近づいてくる。

 誠護の見知った人物だった。相手も、誠護の姿を目に止め、驚きを露わにする。

「君は、先日合宿に来ていた……」

「……桐澤さんでしたっけ。その節はお世話になりました」

 誠護はなんともないような笑みを浮かべて桐澤に頭を下げる。

 対して桐澤は鋭い視線を向けてくる。

 誠護は涼馬が何かいうより先に答える。涼馬は咄嗟に反応しかけていたが、誠護の対応がなんとか間に合い口をつぐんでいた。

 訝しんでいる様子ではあったが、桐澤は追求してくることはなかった。

「そうか。君も星詠教に来ることにしたのかい?」

「ああ、いや、俺は遠慮しときます。宗教とか神様とか興味ないので。合宿は楽しかったですけどね」

 火事で死にかけたというのに楽しかったという嫌みを漏らす。

 桐澤は顔を引きつらせていたが特に何かいうことはなかった。

「いつでも歓迎するよ、気が変わったらいってくれ」

「ええ、そうさせてもらいますよ」

 お互い心にも思ってないことをいいながら、笑みだけを返す。

「そういえば桐澤さんはどこかの大学で工学部教授をしていたと聞いているんですけど本当なんですか?」

「……どこからその話を?」

 訝しみながら聞いてくる桐澤に、誠護は胸ポケットに入れたスマホを叩いて答える。

「この時代、大抵のことはインターネットで調べられますよ」

 桐澤の目が鋭くなる。

 いくらネット全盛期の世の中といっても、誠護は桐澤の下の名前すら知らない。それは桐澤も明かしていないと認識しているだろう。それなのにその程度の情報で調べられるわけがないことを知っている。

 今桐澤の頭では、どこから情報が漏れたか必死に考えていることだろう。

「もう教鞭を執られるおつもりはないんですか?」

「止めたことだ。大学に戻るつもりはないよ」

「なんの勉強をしていたんですか? 後学のために教えていただきたいんですが。最近面白い技術たくさんありますよね」

「別に君の後学なんて知ったことじゃないよ」

 桐澤はもう誠護に興味をなくしたように視界から外すと、涼馬に目を向ける。

「涼馬君、私に何もいわずにどこかに行くのは止めるようにいってるよね? いつになったら守ってくれるのかな?」

「……すいません」

 慣れたことなのか涼馬は対して悪びれた様子もなく言葉を返した。

 合宿のときとは違い、桐澤を敬うような雰囲気は感じられず、ただ淡々と返事をしている。ちらりと桐澤に視線を向けると重ねていった。

「何から何まで星詠教に従うことはできません。それは事前にお話ししているはずです」

 突然の鋭利な言葉に、桐澤は怯んだように顔を強ばらせる。

 涼馬は小さくため息を吐き、桐澤の方へ歩き始めた。

「でも、こんな時間までほっつき歩いていたのはすいません。もう帰ります」

「……そうしてくれると助かるよ。車で送っていくから」

「助かります」

 淡泊に答えながら、涼馬はこちらにちらりと視線を向ける。

 誠護は軽く手を上げる。涼馬は悲しそうに笑みを浮かべながら手を振り返し、無言で去って行く。

 桐澤もこちらに一瞥をくれると、誠護にも何もいうことなく涼馬とともに公園を出て行った。

「ああ、そうだ。桐澤さん」

 呼び止めると、桐澤が何事かと振り返った。

「今日は、残念でしたね」

「……?」

 首を傾げ眉をひそめる桐澤。

 だが次の瞬間には、これ以上ないほど目を見開いた。

「き……貴様……ッ」

 歯を食いしばり、瞳孔の開きかかった目で誠護を睨み付ける。

 誠護は笑いを噛み殺しながら口を押さえる。

「どうしました? キャラがぶれてますよ?」

 桐澤は顔を怒りで真っ赤に染め、何かいおうと口を開こうとするが、後ろで状況がわからずにいる涼馬に気づき口をつぐむ。

「じゃあ、俺もそろそろ帰ろ。涼馬、また学校でなー」

「あ、うん、また」

 何が何なのかわからずにいた涼馬を残し、誠護はその場を後にする。

 背中には、ずっと桐澤の突き刺さるような視線を感じていたが、気づかないふりをする。

 そして、そのままアパートには帰らず、逆方向へと歩みを進めた。

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