17

 照りつけるような太陽。降り注ぐ紫外線。ごった返す人の荒波。大きなアトラクションがそこら中に建ち並んでいる。

 誠護が現在いる場所は、とある有名な遊園地だ。

 カレンがいる施設を訪れてから数日後の休日、ゴールデンウィークの初日に誠護は仕事で遊園地を訪れていた。

 この日誠護は、半袖の青いパーカーとカーゴパンツという、一見どこにでもいる一般人を装って人混みに溶け込んでた。 

「なんでこんな暑い日にこんなところに……。しかもぼっちとか、悲しすぎる……」

 周囲に視線を配りながらまたため息を吐く。

 すると、すぐ耳元からのんびりとした声が響いた。

『仕事なんだから愚痴いわない』

 深めに被ったハンチング帽に隠すように耳にはイヤホンをはめており、そこから発せられた声だ。

「そうはいったって、いきなり過ぎるんですよ」

 誠護が口にした言葉を黒パーカーに隠すように取り付けられたマイクが拾う。

『仕事はいつだって突然やってくる。そして誰も待ってはくれない。これ、社会人の一般常識』

「俺は社会人じゃなくて学生です」

 人混みを歩きながら、誠護はマイクからその向こうの相手に言葉を飛ばす。といっても相手に何をいってもまともに返してはくれないのでそれ以上相手にしない。

 不意に視界に映ったものに、誠護は足を止めた。

 近くにあったミニ遊具で子どもたちが遊んでいる。お城の形をした少し高い場所まで上れる遊具となっており、一人の男の子が勢いに任せて天辺まで上っている。少し離れた場所に保護者が待機するベンチが並べられており、親たちは自分たちの話に夢中で子どもがそんなところまで登っているのに気づいていない。

 幸いベンチは遊具がある場所を仕切るフェンスの近くにあり、誠護はそこまで歩いて行きフェンスに腕を乗せた。

「あのー、あの子あんな高いところまで登っていますけど大丈夫なんですか?」

 どの親の子どもかまでわからなかったため誰にともなくいってみる。

「あっ、ちょっと夕樹! そんなところまで登っちゃ生けないでしょ!」

 すぐに母親らしき女性が声を上げ、その声に肩をびくつかせた男の子は、おっかなびっくり遊具から下り始めた。

「す、すいません。ありがとう……あれ?」

 後ろでお礼のような言葉が聞こえてきたが、その場からすぐに離れてきた誠護を声の主は見つけることができなかった。

 人混みに紛れ込んですぐに離れる。

 あのままではあの男の子は遊具から落ちて怪我を負っていただろう。誠護の目には落ちるという危険がはっきり見て取れた。死亡するようなものではなかっただろうが、それでもせっかくの思い出を痛々しい記憶にしてあげたくはない。

『おせっかい』

 からかうような声が聞こえた。

 頭を掻きながらかぶりを振る。

「ほっといてください。というか、どこから見てるんですか?」

『ゆっくり回る円の中、かれこれ八週目』

「観覧車の中か! 仕事しようよ仕事!」

 押し殺した声で叫びながらずっと遠くにある観覧車に目を向ける。

 天辺当たりのゴンドラの中で、太陽の光を受けて何かがきらりと光った。双眼鏡か何かでこちらを見ているに違いない。

『それは誠護も。しっかり仕事してよ』

 悪びれる様子もなく電話の相手はあくまでもマイペースに言ってのける。

「別に仕事してないわけじゃないですよ。朋香さんだって一応警察なんだから、一般人が怪我しない方が嬉しいでしょ?」

『一応じゃない。私は模範的に立派な警察』

 模範的で立派な警察は勤務中に観覧車に乗ったり盗み見したりしない。

「それより、他のところで何か動きはありますか?」

『今のところなしー。他の捜査官たちも平常運転』

 現在時刻は午後四時。

 誠護がこの遊園地に入ったのは朝の八時だった。

 事前の打ち合わせから参加させられ、休みなのに六時起きというハードスケジュール。大したことではないのだけれど、朝が弱い誠護には中々にきついことだった。

「朋香さん」

『なに?』

「腹減った」

『我慢して』

 鬼か。

 朝一番にヨーグルトを食べただけで、この時間まで何も食べていない。動き回っていることもあり、先ほどから腹の虫が騒いでいる。

「はぁ……」

 ため息を吐きながらショルダーバッグに入れていたペットボトルに手を伸ばす。

 しかし、ついさっき飲み干していたことを思い出す。

 邪魔なので小さく潰して通りにあったゴミ箱に放り込んだ。

 突然、頬に冷たいものが左右から押し当てられた。

「つめた!」

 驚いて振り返ると、後ろでは見知った顔が、牛乳パックを両手に持って無邪気に笑っていた。

「お疲れっ! 仕事しているかい若人よ!」

 快活な声でそういうのは、なぜかこの場にいる図書部の先輩。

「汐織先輩……こんなところで何やってるの?」

 パステルカラーのワンピースにカーディガンを着た汐織は、牛乳パックやパンが入っている袋を掲げた。

「差し入れだよ。仕事、大変そうかなと思って。蒼空ちゃんと遊びに来ちゃった。ねっ、蒼空ちゃん」

 たははと笑いながら汐織は後ろにいた蒼空に振る。

「はい、遊びに来ちゃいました」

 もう汐織の勢いにも慣れてきたのか、蒼空は楽しげに笑っていた。

 ジーンズのショートパンツに、シンプルなシャツの上からチェック柄のロングシャツを羽織っており実に女の子らしい姿だ。

 合宿のときはラフなシャツのようなものしか着ていなかったが、今回はしっかりとおしゃれをしている。

「すいません。朋香さん。ちょっとマイク切ります。イヤホンはオンにしときますので」

『え? 何かあったの?』

 その問いに答えるより先にマイクを切り、イヤホンのボリュームを小さくする。

「また汐織先輩に振り回されてるみたいだけど大丈夫?」

 帽子を取って髪に手ぐしを入れる。

「何失礼なこといってるの?」

「事実でしょ?」

「まあね」

 汐織ははにかみながら頷く。

 そんな誠護たちの様子に蒼空は笑いを噛み殺しながら答える。

「私は大丈夫ですよ。たまたま例の幻視で意識をなくしている人に会いに近くまで来たので、寄らせてもらいました」

「ああ、そういうことか。サボって悪いね」

「いえいえ、誠護さんはお仕事なんですよね? それなら仕方ないですよ」

 蒼空は両手を振りながらそういってくれた。

「まあ、遊園地で一人寂しくだけどねー」

 和んだ空気をぶち壊された。

「いわないでよ……。自分でもさっき悲しくなったところなんだ」

 げんなりと肩を落とすと、汐織が大声で笑いながら肩を叩いた。

「元気だしなって。こうして美少女二人がきたんだから今や両手に花! もっと喜びたまえ!」

「あーはいはい。嬉しい嬉しい」

「もー、何よその言い方は。せっかく買ってきた差し入れ、あげないよ」

「すいません余計なことをいいました勘弁してください」

 早口でいいながら誠護は頭を下げて手を合わせる。

 空腹には勝てなかった。

 それを見た汐織と蒼空は楽しそうに笑っていた。

 三人でフードコートのテーブルに着くと、差し入れられたものを広げた。

「はい、誠護君には定番のこれ!」

 一体何が定番なんだと思いきや、差し出されたのは牛乳パックとあんパンだった。

「なるほど皮肉が効いてる。まあこの組み合わせ好きだからいいけど」

 あんパンの袋を破き、一気に噛み付く。口の中にパンと餡子の甘みが広がっていった。少しぬるくなってしまっていたが、牛乳も心地よく喉を滑り落ちていく。

「はぁー、生き返った。あの人は人使いが荒くてダメだ」

「朋香さん?」

「そ、今も耳元で呪いの言葉を呟いている」

 音を小さくしているからあまり気にならないが、絶えずゆっくりとした声で語りかけくる。正直怖いが気にしない。

 幸いこの場は観覧車からは死角となっているので、誠護が何をやっているかはわからないだろう。

「あの、その朋香さんという方が、誠護さんの雇い主なんですか?」

 疑問を浮かべる蒼空に、誠護は説明する。

「そうだよ。氷雨朋香さん。警察の刑事部だか科学捜査研究所だかの人だよ。いろんな仕事に首突っ込んでるんだ。実際今回の仕事は刑事部の仕事ではないはずなんだけど、なんか変に関わって俺にもおはちが回ってきたんだよ」

「わぁ……、誠護さんってすごいんですね」

「別にそういうわけじゃないよ。俺は幻視が使えるから、都合が良いんだよ。色々と」

 何せ幻視使って問題を解決したとしても証拠も痕跡も残らない。

 悪い面もないわけではないが、誠護にしてみれば自分に疑いの目が向けられる危険性は少なくなるのでメリットは大きい。

「実際にはどういったお仕事なんですか?」

「んー、簡単にいうと、朋香さんからたまにこうして仕事を手伝ってくれって仕事の依頼があるんだ。それで俺はそれに協力する」

「でも危なくないですか? 犯罪とかが、関わってるんですよね?」

 周囲を気にしながら蒼空は小声で尋ねてきた。

「まあね。でも俺は最初からそういうのが見えてるし、本当に危険な部分は警察に任せるよ。今日も捜査官一杯配備されるし」

 そう説明しながらあんパンをもしゃもしゃとかじる。

 誠護は事前の打ち合わせに参加していたが、それは別室で聞いていたので捜査官たちは誠護のような高校生が混じっているとは知らない。だからこれだけのびのびと動きがとれるのだが。

「警察ってそんなにアルバイトを募集してたりするんですか? 色々と問題がありそうですけど」

「色々どころか問題しかないよ。だから俺もアルバイトって雇用形態ではないんだ。仕事をしたら朋香さんが問題のないルートで問題がない額を俺の口座に振り込んでくれる」

 相当グレーなことをやっているのは事実であるが。

「でも誰に咎められたこともないよね。確か」

 汐織がペットボトルのオレンジジュースに口をつけながら聞いてきた。

「まあその辺は朋香さんがうまくやってるし、俺が呼ばれた際は大体何かしら結果残してるからね」

「……自慢?」

「違います」

 きっぱりとする。

 事実幻視の力をこんなことに使っていいのかは怪しいところだが、使わなければ大変なことになる可能性が高い事件もある。

 朋香はそういった事件を見繕って、誠護に影響がない形で捜査に関わらせてくるのだ。その辺はやり手だといわざるを得ない。

「ほえ-、誠護さんってやっぱりすごいんですね」

「だから別にすごくないって」

 パンで乾燥した口の中を牛乳で潤し、飲み終えた牛乳パックとあんパンの包みを袋に押し込める。

「今日はどういうお仕事なの?」

「んー、細かいことをいうと実際はあれなんだけど、俺は正規人員じゃないからいっちゃうと、人身警護だな」

「人身警護? 誰かを守ってるってこと?」

「そ、ある組織の家族を殺害するって情報が入っててさ、その家族を警護するのが今回の仕事なんだ」

 物騒な言葉はトーンを落として隠し、周囲に気を配りながら口にする。

「え……? じゃあこんなところで普通にご飯食べてて大丈夫なんですか?」

「ん、問題ないよ。近くにいるから」

「「え?」」

 汐織と蒼空が周囲のフードコートをきょろきょろと見渡す。

「こらこらそんなに不審な動きをしない」

 はっとして二人が静止すると、ビシッと姿勢を正して硬直する。

 誠護から少し離れた机に問題の家族が腰を下ろしているのは事実だが、当の本人たちでさえ警察が関わっているなんてことは知らない。色々事情があって話せないでいるのだ。

「まあそういうわけで、俺は人身警護、いや俺の場合はそれの予防なわけだけど、朋香さんの指示で対象の近くにいるってこと」

 いい終わると同時に、誠護は目をすがめ、ゆっくりと立ち上がった。

 どうやら来たようだ。このタイミング。

「ちょっと仕事行ってくるから、二人はそのまま遊んでてくれ。終わったら連絡するから。パン、ごちそうさま」

 手を振りながらフードコートを離れていく。

 人混みではさすがに襲えない。狙う対象は一人ではなく、女性とその子ども一人。

 マイクの電源をオンにし、イヤホンのボリュームを上げる。

「朋香さん、聞こえますか?」

『やっと繋がった。今まで何やってたのー? 職務怠慢』

 あんたがいうな。

 朋香の言葉をスルーし、フードコートのすぐ側の人混みに目を向ける。

「おかしなやつが紛れ込んでいます。まず間違いなく犯行声明出した側の人間でしょう」 

 誠護の目にははっきりとおかしなものが映り込んでいる。

 危険未来視の幻視の能力は、ただ単純にこれから起きる危険を予知し視認するだけの力ではない。

 これから危険なことをする人間。しようとしている人間。

 そういったものも視認することができる。

 遊園地という場所は、実に多くの危険に溢れている。

 人が多くなれば多くなるほど、一人当たりに起きうる危険も大きくなる。

 誠護が意識して見分けていなければ、まともに人がいるかもわからないほど視界が悪くなってしまう。それを見分け、大したことがない危険は視界から排除してようやく日常生活に支障がない程度にできるのだ。

 そして、かき分けた視界の中に、明らかに別格の危険を孕んだ人物が紛れ込んでいる。

 誠護は横目にその人物を確認しながら、朋香に伝える。

「白い帽子に紺色のポロシャツ、黒いジャンパーを羽織って、だぼだぼのジーンズに腰にポーチを巻いています。歳は三十代前半といったところ。今は手にパンフレットを持っています」

 見た目は至って普通の人物だ。

 人混みに見え隠れしているが、端から見れば場所がわからずパンフレットで現在位置を確認しているようにも見える。

 だが、注意深く観察していれば時折視線がフードコートに向けられていることがわかる。行動を起こすつもりだ。フードコートはそれなりに人がいるが、ごった返している通りよりは人気も少なく狙うには十分だ。

 男のジャンパーの内側やポーチが淡い色を強めた。

「男が動きます。おそらくジャンパーやポーチの中に凶器か何かを隠している。今は大丈夫です。何か行動を起こす前に、手足を封じさえすれば問題ありません」

『……了解、こっちでもその人物を確認。的確な情報ありがと』

 それっきり朋香の声が聞こえなくなる。

 捜査官の人たちに声を飛ばしているのだろう。事前の打ち合わせで顔を見ている人たちが一斉に動き始める。

 男はそんなことを知るよしもない。というよりまともな判断ができる人間には見えない。目はどこかうつろで、同時に理性が掛けているようにも見える。

 だが、男はまだ何も行動を起こしていない。凶器も持っていなければ目立つ行動もしていない。

 それなのに――

 視線の先で、人混みから飛び出した複数の捜査官が男の腕を固めた。

 何が起きたのかさえ理解できずに目を白黒させている。捜査官の人たちは、周囲の人たちに動揺が広がるより早く素早く人混みから離れていった。

 それを確認した誠護はホッと息を吐く。

 周囲に満ちていた危険が一気に消え失せた。誠護に視えていた危険はターゲットとなっていた母子だけではない。その周囲にも同様の危険が広がっていた。誠護には直接的な未来が見えることは決してないが、それでも危険に限定するなら様々なことを視ることができる。

 それから察するに、ターゲットの母子だけでなく近くにいた人たちにもかなりの被害が出ていたと考えられる。人混みから連れ出された男は捜査員に駆り立てられるように歩かされていた。抵抗するように体を動かしているが、何人もの捜査官に捕らえられて逃げ出すことなどできはしない。しかし、大声を上げたり騒いだりということを一切していなかった。

 そこに、違和感を覚えた。

 誠護は足早に連れていかれる男の方へと近づいていく。

 突如、男の周りに一気に危険が広がった。男の口が醜く歪む。

 だが何かが起こるより先に、誠護は自然な動作で男の前に回り込んだ。

 捜査官の人たちは驚いて足を止め、何かしようとしていた男も呆けて制止した。誠護はゆっくりと視線を男に向け、全てを観測する。

 ありとあらゆる危険を視認、考察し、手段を導き出す。そして考えついた行動は最も原始的な攻撃方法だった。

「ていっ!」

 素早く男の懐に飛び込み、かけ声と共に正拳を鳩尾に叩き込んだ。

「ぐぼっ!」

 男の肺の空気が一気に吐き出される。

 それと同時に、小さな金属片のようなものが口の中から飛び出した。

 誠護は地面に落ちる前に飛び出したものを左手で受け止めると、殴りつけた右手で男のジャンパーの内側に手を入れてそこにあったものを引きちぎった。

「何をするんだ!」

 すぐに側にいた捜査官が誠護を押さえつけようと手を伸ばしてくるが、後ろに下がってそれを避けた。

「朋香さん、タイムタイム」

 マイクに向かってそう告げると、イヤホンの向こうで声が上がり、捜査官たちが動きを止める。

 捜査官たちは掴みかかってくることはないが、今にも飛び掛かりそうな勢いで誠護を睨み付けている。誠護は両手に持っているものを捜査官の人たちが見えるように掲げた。

「て、てめぇ……ッ!」

 それまで一切口を開かなかった男がドスのきいた声を吐き出した。

「……物騒な物を持っていますね。自爆覚悟ですか?」

 口から吐き出された金属片はなにやら小さなスイッチようなものだった。何本かのフックが付いておりこれを歯に引っかけて口の中に仕込んでいたのだ。そしてもう一方は、弁当箱大の金属ケース。金属ケースはずっしりと重く、中に何かを仕込んでいることが簡単にわかる。

『それは?』

 イヤホン越しに朋香が聞いてきた。

「たぶん爆弾です。口の中にスイッチを仕込んで、噛みしめると爆弾が爆発ってところでしょう。爆発の範囲として、フードコートを巻き込んでこの辺り一帯が吹き飛ぶくらいの威力はあるみたいですね」

『……また無茶なことを』

 呆れたような声が響き、朋香が誠護ではない誰かに向かって小さく何事かをいった。

「このクソガキぶっ殺してやる!」

「あーはいはい頑張ってくださいねー」

 怒鳴り声を上げる爆弾魔を適当にあしらう。先ほどまで騒ぎ立てなかったのは、口の中にスイッチを仕込んでいたからだ。

 突然吐き出される暴言に捜査員の何人かが顔をしかめている。唾液を吐き出しながら敵意むき出しに叫び散らす男は、まともな理性を持ち合わせていない。さながら狂犬のようだ。

 人混みから離れ場所までやってきていたとはいえ、周囲の人たちは何事かとこちらに視線を向けている。

 すると、捜査官の一人が誠護に近づいてきた。

『その人にそれを渡して』

「了解です」

 誠護は金属ケースの上にスイッチを置きながら、近づいてきた人に爆弾を差し出した。

「スイッチを押さない限り爆発はしないと思いますが、一応気を付けてください」

 訝しげな表情でじろじろと捜査官が視線を向けてきたが、無言で頷きながらも爆弾を受け取った。

「それでは、失礼します」

 帽子を深く被り直しながら、誠護は早々にその場を後にした。朋香が止めていてくれたためか、捜査員たちは追ってこなかった。

 誠護はその足で遊園地のトイレまで行って手を洗う。唾液まみれのスイッチを手にしてしまったからだ。

「とりあえず今日のお仕事は終了、っと」

 誠護の幻視で判断してあの母子に視点を絞ると、この先数時間は大した危険はないことがわかった。そこまで時間が経てば遊園地は閉園しているし、母子も帰宅している予定だ。

 もう問題はない。

 そんなことを考えていると、イヤホンから朋香の声が響いた。

『犯人確保、お疲れ様』

「お疲れ様です」

『今日はもう帰っていい』

「いわれなくても好きにさせてもらいますよ」

 たまの休日にこんな物騒なことに関わり続けたくはない。

『給料はまた振り込む。いくらがいい?』

「おまかせします。朋香さんが適正と思う額でいいですよ。元々生活には困ってないですから」

 アパートの一人暮らしだが、以前子どもながらに大金をもらう機会があり、そのお金で誠護は一人暮らしをしている。別々に暮らしている両親に頼ることもなく生活ができているのはそういうわけだ。

『だったらわざわざ仕事手伝ってくれなくてもいいのに』

「突然呼び出すようなことしているのにどの口がいいますか。それに、父さんからもいわれてますので。朋香さんに協力するようにと」

『真守さんも律儀』

 淡泊な言い方ではあるが、朋香は楽しそうにそういった。

 誠護の父親は警察の人間だ。

 今は一線から退いているものの、それでも警察上層部として現在でも仕事を続けている。

「でも実際は、俺が関わりたいんですよ。父さんが仕事をできなくなった代わりに、俺が何かをしなければいけない。ただの自己満足なんで気にしないでください」

 そんな考えを口にしたら、一発殴られて、朋香に協力するようにといわれたのだ。

 それが一番安全かつ確実な方法だと、誠護の父親はいった。

「それに、今回は給料と別に対価を要求させていただきますので、あしからず」

『……そういえばそんなこといってたっけ』

 すっとぼけるように朋香がいう。

 はぐらかすつもりだったに違いない。

 何かいってやろうと思ったのだが、そうこうしているとポケットに入れていたスマホが音を発した。

「ちょっと調べて欲しいことがあるだけですよ。また連絡しますので、よろしくお願いします」

『オッケー』

 ぷつっという切れるような音で、通信が切断されたことがわかった。

 マイクとイヤホンを取り外して鞄の外ポケットにしまいながら、代わりにスマホを取り出した。

「はい、もしもし」

『今回は世話になったな』

 低い重い声がスマホから聞こえてくる。一般人なら声に詰まってしまうほど恐ろしい声だ。

 しかし相手と誠護は何度も会っている人物なので、特に怯むこともなく言葉を返す。

「いえ、気にしないでください。長女さんにはいつも世話になっていますから。五十嵐さんの奥さんやお子さんには、いい休日になったんじゃないかと思います」

『だといいがな』

 ぶっきらぼうにいいながらも電話の相手、五十嵐は嬉しそうにいった。

 相手は五十嵐重三という人物だ。

 ある組織のトップであり、今回の犯行ターゲットにされていた奥さんの夫だ。

 先日五十五歳になったいうお歳なのだが、それでも覇気は衰えることなく電話越しでもひしひしと伝わってくる。

「それにしても、今回の犯人、相当無茶苦茶なやつでしたよ。口内に仕込んだスイッチで自爆覚悟。とても普通の人間が考えるようなやつではありませんでした」

 誠護が関わった事件では相当危ない人物であったことは間違いない。

 世界的に見れば平和なこの国で、爆弾まで持ち出して犯行を行おうとする事件は非常に稀だ。

 五十嵐は電話の向こうで押し黙り、小さく息を吐いていった。

『最近この近辺で新しい組織が立ち上がってな。今回はその組織の鉄砲玉だ』

「家族を狙ってくるとは、いかれた連中ですね」

『ああ、手を焼いている。家内たちを狙ったのも、俺を今の地位から失墜させることを狙った行動だろう』

 おまけに警察に犯行声明を送り、なおかつ成功させられれば警察の信頼まで失墜させることができるということか。

「あいつは大丈夫なんですか?」

『バカ娘の方か? 教えてはいるがあっそといって今日も彩海学園に行っているぞ』

 呆れてしまったがそのバカ娘はそういう辺りには敏感なので大丈夫だろう。

「でも、新しくできたばかりの組織なのに命がけでことを起こすやつがいるなんて、相当な組織ですね」

『それもわからない部分だ。奴ら頭の線が飛んでやがる。命がけで特攻してきたのもそうだが、爆弾や銃火器というものを平気で使ってくる。出所さえわからない。今回お前が回収してくれたという爆弾から何かわかればいいんだが……』

 確かに爆弾なんてものを簡単に作れるとは思えない。ましてや銃火器も使っているという話。新しくできたばかりの組織がそんなものを持っていることも甚だ疑問だ。

 しかし、それと繋がっていそうなことを、誠護は知っている気がした。

「……五十嵐さん、今回の件は、借りと考えてもいいですか?」

『ん? 急にどうした? 珍しいな』

「ちょっと事情がありまして、もしかしたら五十嵐さんの力を借りる必要があるかもしれないんです」

 電話の向こうで五十嵐が沈黙する。

『……まあ、いいだろう。家内たちを助けてくれたことは、貸しにしておく。だが覚えておけよ? 堅気があまりこっちに関わりすぎると、戻れなくなる』

「重々承知してますよ。では、力が必要なときは連絡させてもらいます」

 それではまたといってスマホの通話終了をタッチする。

 小さく息を吐き出しながら、ぐぅーっと体を伸ばす。

 突然、ドスッと背中を叩かれた。

「ぐぇ……」

 呻き咳き込みながら後ろを振り返る。

「お疲れ! 仕事は終わったの?」

 後ろから顔を覗かせた汐織が手を上げながら快活に笑う。

「さっき爆弾魔を警察に引き渡したところ」

「ば、爆弾魔、ですか?」

 汐織の後ろにいた蒼空が顔を引きつらせている。

「うん。まあ大丈夫だよ。そういう対処得意だし。とにもかくにも今日はお仕事終了だ」

 ずいぶん時間がかかってしまったが、今日一日で終わってくれたことは助かった。長々と続いてもらっても困る。

 大あくびを一つ溢していると、汐織が誠護の手を取った。

「よぉーし! それじゃあ誠護君の仕事も終わったし、遊園地へ繰り出すぞぉ!」

「……疲れているんですが」

 汐織がはにかみながらビシッと鼻っ面に指を立てた。

「部長命令! 誠護君女の子二人と遊園地にいるのに遊ばないなんて甲斐性なしにもほどがあるよっ」

「それは確かにそうかもしれないけど……」

「わかったらさっさと行こう! 両手に花で今の誠護君はうはうはだよ!」

「……わー、嬉しいなー」

 棒読みで嬉しさを表現する誠護はずるずると引きずられていく。

「あ、あの誠護さん、大丈夫ですか?」

 後ろをとことこと着いてくる蒼空が心配そうに尋ねてくる。

 誠護は苦笑しながら振り返る。

「大丈夫大丈夫。蒼空だってたまの休日に図書部の仕事ばかりじゃ嫌だろ? もうこんな時間だけど、あとは普通に遊ぼう。今日の仕事で給料も入るし。晩飯もごちそうする」

「ホント!?」

 前を歩く汐織が反応する。

「汐織先輩はポテトフライだけね」

「なんで!? お肉! お肉食べたい!」

 だだっ子のようにじたばたする汐織は無視して、蒼空に向き直る。

「だから、行こう」

「……はい!」

 蒼空は嬉しそうに頷いていた。

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