12
「そんなことがあったんですか」
月曜日の放課後、なんともないようにやってきた蒼空は聞いた話に驚いていた。
全員がそれぞれの授業を終え、図書部の部室に集まっている。
これからのことを話し合うために部室にやってくると、部室前で本を読みながら蒼空が立っていた。
昨日の話なんてまったく意に介していないように、誠護たちに挨拶して汐織が開けた部屋にそそくさと入っていった。
そして今こうして、すごく自然に会話に参加している。
「私も行ければよかったんですけどね」
少し悔しそうにむむむと唸る蒼空。
その様子に誠護は内心苦笑をしながらメモ帳をシャーペンでとんとんと叩く。
「まあね。厄介なことに、あの幻視はある程度、おそらくだが精神にも影響を及ぼす効果があるみたいだ。俺たちが見た星空を見たときはなんともなかったが、いくつもの映像をまとめて相手の視界に映し出すと、精神がダメージを負ってしまう。そして、脳が本来あり得ないダメージから回避するために、富川のように意識を失うことになるんだろうな」
視覚情報にしか変化をもたらしていないが、実際一つの刺激から複数の刺激を感じることはある。共感覚という現象だ。
副産物には過ぎないのだろうが、精神にダメージを与えるその力は厄介といわざるを得ない。
「ただ、あの手の能力は基本的に限定条件が間違いなくある。それさえわかれば対策の手段はあるんだけどな」
「限定条件というのは?」
尋ねてきた蒼空の問いに、汐織が砂糖たっぷりのコーヒーを飲みながら答える。
「幻視を使うには大抵何かしらの条件が必要になってくるんだよ。多くは、見ることによって使用するんだけどね」
「見る、というのは?」
「たとえば念動力なんかだと、見える範囲のものしか動かすことしかできない。それと、ものを動かす際に必要な力場は普通の人と同じで遠くに行けば行くほど見えにくくなって、見えなくなると使えなくなるらしい。俺の場合は、視界に入ってない場所も視ることはできる、というよりわかるんだけど、意識をしないとまともに危険を識別することができないってことかな」
誠護は両目を閉じながらため息を吐く。
危険未来視の幻視は他には例を見ない特殊な幻視だ。
自身に降りかかる危険、周囲の人これから起こる危険、誰にも関係のない危険と、ありとあらゆる危険を見ることができる。
たとえば大量の車が走り抜ける車道はどういう風に見えるか。
一歩踏み出せば死ぬ危険がすぐ目の前にある。そのため、誠護がまったく意識せず気を抜けば、車道は危険で埋め尽くされてまともに見ることすらできなくなる。だから危険が淡い光となって見える誠護の幻視は、意識をしなければ車道が真っ白に視えるのだ。だが意識をして見れば誰に降りかかる危険なのか、どうすれば回避できるかなど、様々なことがわかる便利な能力なのだ。
「でもこれからどうするんですか?」
話を聞いていた蒼空が眉をひそめた。
「星詠教は汐織先輩たちでも手を焼く幻視を持ってるんですよね? それに相手は大人が多数いる宗教団体。それだけでも十分問題なのに、あげく今回の相談の内容がカレンさん、あの教祖様を教団から助け出さないといけないんですよね?」
「まったくもってその通り」
誠護は苦笑しながら、メモ帳に書いたカレンという名前に丸をする。
「私の目から見ても、城戸先輩のいう通り悪い人には見えなかったですよね?」
「確かにね。だが実際のところはよくわからない。下手に想像しない方がいいよ。調べたことだけを事実とすればいいんだから」
「とにもかくにも、教団のことをもう少し調べる必要があるね」
「だな」
誠護はそういいながら立ち上がった。
汐織も同じように席を立ち、蒼空が首を傾げる。
「どこか行かれるんですか?」
「ああ、手がかり探しには最適な奴がいる。そいつに会いに行く」
「頼りになる子だよ」
荷物を持った誠護たちは旧校舎から移動し、本校舎の方へと向かう。
放課後とは言え、まだ授業が終わってそれほど時間が経っていないので校内にはそれなりの人数が残っている。部活動が盛んなこの学園では、むしろそっちの方が賑わっているんじゃないかという部活が多々存在する。また、専門学科が多いことも相まって、ロボット部やアニメーション制作部やファンタジー研究会やボランティア部やら、部活の種類は多岐にわたる。
「これだけユニークな部活があるのに、面白そうなのはなかったの?」
「ん-とそうですね、面白いは面白いんですけど、なんかどこも普通で」
つまり蒼空の目から見て図書部は余程普通ではない部活だったのだろう。
今やっていることが既に否定できようもないが。そしてこれから行く部活も、普通ではない。
辿り突いた部屋は、旧校舎と真反対にある校舎の、さらに一番端の部屋だった。
「ここですか?」
「うん、そうだ。でも今は入れないみたいだな」
扉には、『現在立ち入り禁止』と書かれたプレートが掛けられていた。
誠護の前に立ってプレートを眺めていた蒼空は、困ったような表情で振り返った。
「なんか、入れないみたいですけど」
「ここは大抵そういうところなんだよ。今日は約束もしてないしね」
「それほど遅いことにはならないと思うよ」
汐織がそういうと同時に、部屋の扉が引き開けられた。
中から出てきたのは、一年生の女の子だった。蒼空と同じ青色のリボンをしている。やや日に焼けた褐色の肌に、黒髪のポニーテールが相まって運動部のような活発な印象を受けた。
「蒼空じゃない。こんなところで何やってるの?」
「……それはこっちのセリフだよ」
蒼空が驚きながらなんともいない表情を浮かべている。
どうやら部屋から出てきた少女は蒼空の知り合いだったようだ。
「友達?」
汐織が誠護の後ろから首を覗かせて聞くと、蒼空がこくんと頷いた。
「はい。幼なじみで、藤崎美波っていいます」
美波と呼ばれた少女の視線が蒼空から誠護や汐織へと行く。
「もしかしてこの人たちは……」
「うん。図書部の先輩たちだよ」
一瞬、美波の目に疑うような視線が混じった。
汐織も気づいたようで、誠護の後ろで隠れるように苦笑していた。
誠護や汐織のような幻視使いは、他人の視線に敏感だ。それは自分たちの力が目を使うからということもあり、幻視使いを警戒するには目を見ることが一番単純であるからだ。
蒼空といえばそんな視線に気づくことなく美波に話しかけていた。
「美波はここで何やってるの?」
「何って、占いに来てもらったのよ。あんたもそうなんじゃないの?」
「……占い?」
蒼空が確認するように誠護に視線を向けてきた。
「うん、あってるよ。ここは占い部の部室だ」
この学園で変わった部活ベスト10に入る部活、占い部だ。
「ここのただ一人の部員兼部長に用があるんだよ」
蒼空は合点がいったように頷いた。
「ああ、そうだったんですか」
そしてふと思い当たったように美波に目を向ける。
「……というか、だったら美波はここに何を占いに来てもらったの?」
「べっ、別になんだっていいでしょっ」
顔を赤くしながらそっぽを向く美波。
その仕草に誠護たちにも大体の見当は付いた。
「もしかして恋うら――」
いい終わる前に蒼空の口が塞がれる。
「それ以上いわない!」
多感な高校一年生。入学当初ともなれば、そういったことに興味があるのも不思議ではない。
蒼空が何もいわないのを確認し、気恥ずかしさから視線を逸らす美波。
「それで、あんたはここになんの用があるのよ」
「私? 私は図書部の用件でここに尋ねに来ただけだよ」
「このうさんくさいところに?」
訝しむような視線が誠護たちに向けられる。
こういってはなんですが、そのうさんくさそうなところから今あなたが出てきたんですよ。
「大丈夫? この人たちになんか変なことさせられてるんじゃないでしょうね。こないだの合宿もおかしなことになったっておばさんが……」
「し、失礼なこといわないでよ! 別に変なことじゃないから!」
聞こえないようにいうわけでもなく隠すわけでもなくストレートにいわれたことに、蒼空が必死に弁解する。
これからのことを考えると少し心が痛む誠護と汐織だった。
「……まあ、そういうことならいいけど」
まだ納得できていないような反応をする美波に、前に出た汐織がいう。
「大丈夫だよ。えっと、美波ちゃんだったよね。私たちは別にいかがわしいことをしてるわけじゃないから。それに蒼空ちゃんは今体験入部中だから、問題があるならそのときにわかるよ。もし迷ったり困ったりするようだったら、美波ちゃんが相談に乗ってあげてね」
顔のいい汐織にそういわれると大抵の人間はころっときてしまうが、美波はそういった色香に惑わされることなく強い視線を汐織に向けていた。
「いわれなくてもわかっています。では、私はこれで失礼します。じゃあ、くれぐれも変なことされないように」
またしても誠護たちに聞こえるように蒼空へといいながら、美波は去って行った。
最後までいわなかったのは自らの羞恥心が理由だろう。
「騒がしいわね。一体どこの誰よ」
美波が見えなくなると同時に、占い部の部室の扉が開いた。
中からのそのそと歩いて出てきたのは、暗い赤髪が印象的な女子生徒。ウェーブの掛かった赤髪を項で縛って背中へと流している。
髪から覗く耳には目立つピアスが光っており、指にはいくつものリング。着ている制服はこれでもかというほど派手に改造されている。その他、あらゆるアクセサリーで体を固めた猛者がいた。
「あら、図書部の二人じゃない」
「突然悪いな、流里」
見た目に反してのんびりとした抑揚で話す人物は誠護と同じ二年生の女子生徒だ。
この占い部のたった一人の部員にして部長であり、この部屋の主だ。
「知らない子も居るわね。今日も何か占って欲しいことでも?」
「そうなのよ流里ちゃん。申し訳ないんだけど、ちょっと力を貸して欲しいの」
「ふーん、汐織先輩もそういうなら仕方ないわね。どうぞ入って。そこのあなたも」
流里は部屋の中へと戻っていく。
促された蒼空も部屋の中へと足を進める。
そして、誠護と汐織も蒼空の後ろに隠れるようにして部屋に入った。
入った部室は、窓という窓をカーテンで締め切り、明かり一つ点けられていない薄暗い部屋となっていた。
一つの大きな机といくつかの椅子だけが置かれ、他には何も置かれていない。
「またなんか変なことに関わってるんでしょー?」
緩慢な動きで部屋の中を進みながら流里が尋ねてくる。
「ああ、ちょっと面倒なことなんだけど、ことがことだけにあんまり時間を掛けてられなくてね。力を貸してもらいたい」
「ふーん、まあ対価はもらうからいいけどね。この子は目のことを知っているの?」
「話したばかりだけど、一応知っているよ」
「それなら結構。じゃあ新人さんに」
誠護の後ろで汐織がそっと胸をなで下ろした。
蒼空は前を向いて首を傾げているので気づいていない。
「はじめまして。私は占い部部長の流里よ。よろしくね」
「私は矢祭蒼空です。今は図書部に仮入部中です。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる蒼空。
顔を上げると、蒼空のすぐ前に流里が立っていた。
そして、流里が両手を蒼空へと伸ばす。
その手の意味を蒼空が知るよりも早く、流里の両手が――。
実行される前に、背後の汐織が誠護の目を覆い隠した。
そのため、何が起こったのかは見ることはできなかったが、いつものことなので何が起こったかは理解できた。
それを理解した直後――
「きゃ、きゃああああああああああああああっ!」
蒼空の叫び声が響き渡った。
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