11

「よかったのかなぁ……」

 机に肘を突き、窓の外に視線を投げながら誠護は呟いた。

 壁に背中を預けながら漫画を読んでいた汐織が顔を上げる。

「何が?」

「幻視のことに決まってるでしょ。本気で関わらせるつもり?」

 ぱらりとページをめくって読み進める汐織。

 黙って何ページか読み進めると、再び口を開いた。

「私は間違ってなかったと思ってるけど、誠護君はどう思う?」

「汐織先輩が決めたんなら俺がとやかくいうことじゃない。でも、ある程度一線を引くべきだとは思っていたんだ。図書部に入部させたいっていうんなら構わない。だからといって幻視にまで関わらせるのはまずい。大体あの子……」

 蒼空は一見どこにでもいる普通の女の子だ。そんな子を、誠護たちみたいな世界に足を踏み入れさせるのはどうかと思った。

 しかし、どこか普通の人間とは違うのだ。何かが、決定的に違っている。

 汐織は漫画を閉じると、椅子に座る誠護を見やった。

「誠護君は、私と一緒にいるのは嫌?」

 唐突に汐織が尋ねてきた。

「……俺は構わないんだよ。好きで汐織先輩といるんだし。それに、俺の目の届くところにいれば俺も汐織先輩も安全なんだから」

 恥ずかしさを紛らわすために早口にまくし立てる。汐織は綺麗な顔に似合う可愛らしい微笑みを浮かべた。思わずどきっとした。

「ありがとう。本当に助かってます」

 そういって汐織は立ち上がると、読んでいた漫画を本棚に戻した。

「私にも考えがあるのですよ。いつも誠護君にお守りをされてるばかりじゃないのです」

「別にそんなことは思ってない」

「どうかなー」

 汐織は楽しげに笑って誠護の額を細い指で突いた。

「ま、自分でも無鉄砲なのは自覚しているので、しっかり助けてくださいね」

「自覚してるならどうにかしてくれ」

 誠護は汐織の指に自分の指を当てて押し返す。

 すると、汐織の指がするりと誠護の指を絡め取った。 

 そしてそのまま椅子から引き上げる。

「じゃ、さっそく付き合ってもらうからね。よろしく」

 誠護の言葉を一切聞いていない汐織に苦笑しつつも、いつも通り頷いていた。


 やってきたのは、誠護たちが住む光里市にある総合病院だ。

 事前に調べていた情報から一つの病室を訪れた。

 メモに書かれている病室の番号と名前を表札と見比べ、間違っていないことを確認し扉をノックした。

 どうぞという男性の声が聞こえ、誠護は扉を引き開けた。

 そこは一人部屋の病室だった。入って右手にベッドがあり、そこには一人の少年が横になっている。

 ベッド脇では壮年の男性が椅子から立ち上がるところだった。僅かに白髪の交じった黒髪に、丸眼鏡を掛けたサラリーマン風の人だ。

「君たちは、息子の友達かな?」

 男性は力のない笑みを浮かべて尋ねてきた。

 ベッドで眠っている少年の父親のようだ。

 なんと答えようかと迷っていると、誠護の横をするりと通り抜けた汐織が前に出る。

 その手には花束が抱かれている。

「すいません。昨晩、一緒に合宿に参加をさせていただいていたんです」

 男性の目が微かにに鋭くなった。

 何かいわれる前に、申し訳なさそうに眉を下げた汐織がいう。

「昨日急に倒れられてビックリしました。この病院に運び込まれたと聞いていたのでお見舞いにきたんです。これ、ご迷惑でなければ」

 汐織はそういって持ってきていた花束を差し出した。

 優等生のような汐織の姿も相まってか、男性はすぐに警戒心を緩めた。

「そうかい、それはすまなかったね。こんなに立派なお花まで、本当にありがとう」

 誠護たちは部屋に入り、ベッドに眠る少年に目を向けた。

 その視線に気づいた男性は僅かに眉を落とした。

「昨日、気を失ってから、まだ目を覚まさないんだ。医者は体はどこもおかしなところはないというんだがね。これから精密検査を行う予定なんだよ」

 ちらりと壁に掛けられている時計に目を向ける。先ほど昼を回ったばかりで一時を示していた。

 昨晩からというと、既に十二時間以上も目を覚ましていないことになる。

 父親の男性の心労が目に見えてわかったのだ。

 眠り続ける少年は形容しがたいオーラのようなもので彩られていた。

 自然と目が鋭くなる。

 その視線に気づいた汐織が袖を引いた。

 誠護が小さく頷くと、汐織は父親に目を向けた。

「あの、彼は私たちが少し見ていますから、お父さんは少し休まれてはどうですか? 顔色が優れないようですが」

「いや、大丈夫……と、いいたいところだが確かに疲れているのは否定できないね。精密検査ももう少し先だから、それじゃあお言葉に甘えて一服だけさせてもらおうかな。すぐに帰ってくるから、それまで息子を頼めるかね?」

「はい。任せてください」

 汐織が微笑みながらそういうと、父親は安堵した面持ちで部屋から出て行った。

「誠護君、どう?」

「あんまりよくはないな。悪くもならないけど、このまま放置しても目を覚まさない可能性が高い」

 相当きつくやられているようだ。

「そっか。じゃあ、早くどうにかしてあげないとね」

 汐織は誠護に花束を渡すと、布団の上に力なく落ちている少年の手を取った。

 たったそれだけのことでありながら、変化があった。

「うっ……」

 少年が呻き、苦しそうに顔を歪ませている。

 汐織がホッと息を吐くと、そのまま祈るように少年の手を握りしめる。

 誠護は汐織の肩に手を乗せて、同じように祈る。

 少年の体が震えた。

 口から苦しそうな吐息が漏れ、汐織の握る手に力がこもる。

 やがて、重そうな瞼がゆっくりと持ち上がった。

 薄く開いた瞳を動かし、周囲を見渡す。

「こ……こは……?」

 少年はかさかさになった声で呟いた。

 汐織は少年から離れ、入れ替えでベッド脇に立つ。

「病院だ。覚えてるか? 気を失う前のこと」

 尋ねると、おぼろげに意識が覚醒し始めた少年の目が誠護を捉えた。

「あんたは、合宿に一緒にいた……?」

 首肯すると、少年は徐々に思い出し始めた。

 少年の名前は富川といった。

「俺は、どうして病院に?」

 自分が気を失ったという自覚すらないようで、なぜここにいるかということさえ理解できていなかった。

 簡単に富川が気を失ってからの経緯と、合宿がどうなったかについて話した。

「じゃあ、何か? あんたあの合宿で殺されかけたのか?」

 ログハウスが燃やされたことを伝えると富川は顔を引きつらせていた。

「事故だよ。不審火不審火。あるある」

 自分で何をいっているんだろうと思ったが、下手に放火ということで騒ぎを大きくしたくない。

「それより聞きたいことがある。時間がないから話を聞かせてくれるか?」

 起きたばかりで戸惑いがちではあったが、富川はおずおずと頷いた。

 汐織は話の邪魔にならないように聞き耳を立てながら持ってきた花を花瓶に生けていた。

「気絶する瞬間に何を見た?」

「何、って?」

「お前は何かを恐れているように見えた。星空を見せられたことと同じで、何か見せられたんじゃないか?」

「星空? 何のことだ?」

 汐織が手を止めてこちらを見やる。

 富川の見えないベッド下で手を振りながら、誠護は尋ねる。

「外に連れ出されたとき、星空を見せられなかったか? 空一面に輝く星」

 記憶を辿るように富川は顔を歪ませる。

「……いや、俺はそんな光景は見ていない」

「じゃあ、何を見せられた?」

 富川はいいづらそうに少しためらったあと、頭に手をやって首を振った。

「……母さんが生きてて、父さんと三人で暮らしている光景だったよ」

 話を聞くと、富川の母親は数年前に病気によって他界しており、現在は父親と二人で暮らしているそうだ。

 最近では折り合いが悪くなることが多々あったそうだ。

 そんな矢先に、合宿のことを持ちかけられたらしい。なんでもあの父親は天文学の大学教授らしく、富川もこれまで触れたことはなかったが興味があった。だからと思って父親に内緒で合宿に参加した折、今回の件に巻き込まれてしまったのだ。

「確かに、母さんが死んだのは堪えた。でも、突然っていっても別れる前にはちゃんと話せたし、割り切れてもいたんだ」

 それなのに、富川は家族で仲良くやっているものを見せられ、ふざけるなと頭にきたそうだ。

 ちなみに父親と折り合いが悪くなっているのはまったく別のことが理由とのこと。なんでも付き合っている彼女のことをあれこれ聞かれているのが原因らしい。

 妻を早くに亡くしてしまった父親だから、その辺りのことに敏感になってしまっているようだった。 

「どうせ信じやしないと思うけどな。頭がおかしいと思うだけだろ」

 富川は吐き捨てるようにそういったが、誠護は鼻で笑ってベッド脇にあった椅子に腰を下ろした。

「だったらこんなところまできたりしない。君は正常だ。安心して。むしろ俺たちが異常なの」

「誠護君と違って私は正常なんだけど?」

 花を生けていた汐織が非難の声を上げている。

「ちょっと黙っていてくれ……」

 思わぬ伏兵に頭を抱えた。

「だって綺麗な金髪少女に鼻伸ばしたりしないし」

「伸ばしてないから。そんなことはいいから汐織先輩はそっちの花に手を伸ばしてくれ」

「うまくないからね」

 ほっとけ。

 そんなやりとりを見た富川は楽しそうに笑っていた。

「こんなところまでわざわざきたんだ。教団の連中ってことはないよな」

 どうやら俺たちが教団からの差し金だと思われていたらしい。

 よく考えればある得ることだ。自らも参加していたとは言え、誠護もあの合宿に参加していた。その差し金で、富川の様子を誰かが見に来たということも考えられない話ではない。だが誠護たちのバカなやりとりにそんな懸念はなくなったようだ。

「それで、さっきなんていってたっけ。最初の光景を見せられて、その次に見せられたかってことでいいのか?」

「そうだ。俺はそれが知りたい」

 気を失うことになったきっかけの光景だ。

 富川はそのときのことを思い出し始めたのか、やや苦い表情になった。

「……言葉にしづらいんだが、ひどい光景を見た」

 富川は顔をしかめ、額に汗を浮かべながら話し始めた。

「戦争、なのかな。殺し合い。作り物とは思えないくらい鮮明に思い出せるよ。飛び散る血とか肉が自分の顔にべったりと付いて、さっきまで隣にいた子どもが死んでる。銃とか使って撃ち合ってんの。子どもを虐待したり銃で撃ち殺したりとかして、なんか、ひどい光景を見せられた」

 他にも、炎や崩れ落ちる建物、死んでいく人、狂おしいほどの餓え、振り下ろされる棒、向けられる銃器。

 それらの光景を一緒くたに混ぜて、頭の中に放り込まれたようだといっていた。

「……あと、見た人間はほとんど外国人だったな」

「外国人?」

「ああ、日本人じゃない。中にはアジア系っぽい子もあるんだけど。ほとんどが欧米人っぽかった。金髪の女のこととかいたし……」

 凄惨な光景とそこに映る外国人。

「そういえば、教祖のカレンさんも金髪だった」

「いわれてみれば、見た金髪の女、もしかしたらあの教祖かもな」

「本当かに?」

「うんたぶん。ずっと子どもに見えたけど、金髪に日系の顔だったから」

 あり得ない話ではない。

 見せられた光景は、おそらく一から作り出されたものではない。誠護たちが見た星空は嘘くさかったが、それでも実際の光景を、映像でも写真でも見たようなものを繋ぎ合わせたようなものだった。

 富川が見た光景は本当にあった光景でも伏木ではない。

 だったらそれは十分に可能性がある。

「一瞬で頭に映像を流し込まれるような、そんな光景だった。そしたら頭の中に一気に真っ白になってさ。気が付いたらベッドの横で知らない男女がイチャイチャしてた」

「だ、誰もイチャイチャしてないよ!」

 汐織が顔を真っ赤にしながら否定する。

「……病院だから静かにするように」

 口に人差し指を当てながらたしなめると、汐織は口を風船のように膨らませてそっぽを向いた。

 からかった本人である富川は楽しそうに笑っていた。だが、やがて憂いを帯びたため息を吐いた。

「それにしても、どんなトリックを使ったらあんなことができるんだ……」

「他人に何かの光景を見せることか?」

「そうだ。本当にそこにあるものじゃないってのはわかる。ただ、頭と目に直接映像を送り込まれるみたいな感覚だった」

 誠護も同じように感じた。

 そこに実際にあるわけではない。それは絶対だ。しかし、確かに見えてしまう。

「いやまあそれは別にして、お前ラッキーだよ。俺が近くにいて、汐織先輩に会えたんだからさ」

「ああ、確かにかわいい子だ。紹介してくれるのか?」

「絶対しないから安心してくれ。誰がするか」

 というかお前彼女いるんでしょこの野郎。

 誠護の答えに富川は笑っていた。

「そういうことじゃなくて、汐織先輩に会えなかったら、お前はたぶんずっと眠ったままだったかもしれないっていってるんだ」

「え……」

 冗談半分に話していた富川の笑みが凍り付く。

 誠護は立ち上がりながらナースコールのボタンを押し込んだ。

「もうすぐ親父さんも戻ってくるだろう。ずっと心配してたみたいだから、安心させてややってくれ」

「お、親父がか?」

 急に現実の話に引き戻され、富川が呆けた声を上げる。

「ああ、俺たちは邪魔だから退散するよ」

 誠護は汐織を伴って病室を出た。

 帰り際に、看護婦が足早に富川の部屋に駆け込んでいくのを見た。

 父親も病室に入っていくのを確認し、誠護たちは病院を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る