9
蒼空は最初こそ抵抗がありそうにベッドに入っていったが、五分もしないうちに寝息が聞こえてきた。自ら名乗り出たこととはいえ、ずっと緊張していたのだろう。張り詰めた糸が切れたように、穏やかな表情で眠っている。
空調はないがこの季節はまだ何もなくても問題ない。すきま風が流れ込んできてむしろ涼しいくらいだ。誠護はというと、当たり前だが寝ることができるベッドがないので、椅子に座ったまま腕を組んで俯いていた。
それなりに眠気はあるが、ここで眠るのは問題だ。少しうつらうつらしながらも、周囲に意識を配っていた。
もう深夜二時を回っている。本来ならこの時間は天体観測をしているはずだったのだろうが、あんな光景を見せられてしまった後では皆天体観測などではないだろう。
怪しげな宗教教育をされたり、また変なものでも見せられたりしなければいいが。だが、逆に十中八九見せられている可能性が高いのも事実。
ここに集められている人は皆、どこか心の弱そうな印象があった。一人でいることが不安な人たち。集団で何かをさせて、その達成感から集団意識を利用して教団に取り込む。そんなところだろう。
あんな光景を見せられてしまえば、信じてしまうのも仕方がない。実際それを受け入れてしまいそうな心に何かを抱えている人間が多いのだ。
事前に何人か行くという人間がわかったので、それについても調べていた。
家庭環境が複雑な子、ずっといじめられている子、精神を病んでしまっている子。様々な背景を持った子たちが集まっているのだ。そんな奴らにあんなものを見せれば、すがりたくなるのも頷ける。
誠護の目から見ても、違和感は残るが神秘的な光景だった。蒼空にもいったが、間違いなくあれには科学的根拠など存在しない現象だ。
他の学生たちも、何か違うだろうがすごいものを見せられたに違いない。
そして、あれは間違いなく――
「……」
不意に、外で何かの物音がした。
深夜ではあるが、天体観測が行われていないことも確認している。
一瞬涼馬がこちらの様子でも見に来たのかと思ったが、こんな時間である上、教団内の決まりでこちらには来られないと事前に聞いている。
それでも外で現在でも物音が続いており、それは人が行っているもので間違いなかった。誠護は眠っているように振る舞うために身じろぎ一つせずに椅子に座っていたが、窓からこちらを覗く人影を確かに見た。
そして、危険が誠護たちのいる場所を囲っていく。人の気配がログハウスから遠ざかる。
再び蒼空の寝息だけが耳に届く。だが、それ以外の音が徐々に広がっていった。
窓の外が、一気に明るくなった。遅れて、ぱちぱちと嫌な音が続く。
「こいつらマジか」
呆れて声が漏れる。
次の瞬間、紅蓮がログハウスの窓を叩き割った。
ベッドで寝ていた蒼空が驚いて飛び起きる。
「う、うわああ! な、何っ!?」
蒼空が声が上げると同時に外から入り込んできた赤がカーテンを焼いた。一気に炎がログハウスを取り囲み、熱気と煙が広がった。
立ち上がり荷物を持って壁から離れる。
「火をつけられたみたいだ。何考えてるのかなここの連中」
ため息を吐きながら部屋の中央に荷物を置いた。
「な、何悠長なこといってるんですか! 速く逃げ出さないと!」
蒼空はログハウスの扉に駆け寄り、ドアノブにしがみついた。
ガチャガチャとむなしい音が響くだけで、扉が開くことはなかった。
「か、鍵!? 鍵が掛かってる!」
「ああ、そういや扉の上下に南京錠みたいなのがぶら下がってたな。まるで何かを閉じ込めるみたいに」
「き、気づいていたなら初めにどうにかしましょうよ!」
蒼空が動揺のあまり声を荒らげる。
誠護は周囲に視線を滑らせる。ベッドがある方向以外に窓が二カ所と扉が一つ。どうやらそのどちらからも炎が広がっているように見える。ログハウスを取り囲むように火をつけられたのだろう。窓ガラスが割れ、カーテンに火が移ってへげ敷く燃え上がっている。
誠護は一番被害の少ない部屋の中央に腰を下ろした。
「蒼空も姿勢を低くして。煙吸うよ」
パニックになった蒼空が肩を怒らせながら近づいてくる、
「そんなこといってる場合じゃないですよ! 早く脱出しないと焼け死にますよ!」
そんな蒼空の腕を引いて姿勢を低くさせる。
「安心して。ログハウスってのは意外に耐火性に優れているんだ。焚き火をするときに丸太なんて使っても燃えないでしょ? 表面は燃えるけどしっかり組んであるから室内まで火が侵入してくることなんてまずないらしいよ。大丈夫。絶対に俺たちに被害はない。ここはガスもないから爆発が起きる心配もない。ま、その前に出られそうだけど」
淡々としている誠護の様子を見てか、蒼空も徐々に落ち着いていく。
誠護の言葉通り、火はカーテンや外を燃やしているだけで、今のところ壁自体は燃えていない。
あとは煙を吸って酸欠にならないことだけを気をつけていれば、とりあえずは身の危険は大丈夫だ。
「それにしても解せないね」
ぱちぱちと火が燃える状況にも関わらず、絶対の安全を信じて止まない誠護は思案にふけっていた。
「あいつらこんなことして何考えてるんだろう。これで俺たちが死にでもすれば、それこそ星詠教は終わりだ。俺たちも汐織先輩にいって出てきているし、家族にもいってきている。調べればすぐにわかることだ。わざわざ問題を起こしてどうする気なのかな」
目的はいくつか考えられないことはないが、それはあまりにも無謀が過ぎる気がする。
「誠護さん……めちゃくちゃ冷静ですね」
「そう?」
「そうですよ。火に囲まれているのにそこまで冷静とかシュールすぎます」
確かに火はあるが誠護たちに影響を及ぼさないのはもう見てわかる。これ以上この状況が悪化することはない。
「そういう君も顔、笑ってるよ?」
いわれて気づき、蒼空は乾いた笑いを浮かべて見せた。
「なんか、誠護さんにつられました」
「それでいいよ。いつでも笑っていればいいんだ。へらへらとね。やられた方には結構嫌なもんなんだよ」
「性格は悪いですね」
「今更気づいたの?」
いって、お互いに笑い合った。
多少息苦しくはあるが、酸欠の心配もしばらくはない。あとは待つだけだ。
「誠護さんたちは、いつもこんなに危ないことやってるんですか?」
突然、蒼空が尋ねてきた。
「んー、まあ色々だね。話し合いで終わることもあれば、こうやって行動を起こさなければ解決しないことも多いよ。だから初めに止めたでしょ?」
「そういえばそうでしたね」
たははと蒼空が笑う。そして急に真剣な表情になった。
「でも、誠護さんがなぜそこまでやるのかはわかりません」
「なぜ、というのは?」
「誠護さんもいってましたよね。自分の身に危険が及んでまで、依頼を解決しようとするなと。でも今の誠護さんを見ていると、そんな危険をまったく顧みないようにしているとしか思えません」
確かにこんな山奥まで連れてこられて、気を失って病院に運び込まれるやつが出て、あげく泊まっている場所に火をつけられた。思い返してみれば危険なことにしか突っ込んでいない。
誠護は苦笑しながら頭を掻いた。
「まあ、そういわれるとぐうの音もでないけどね。大丈夫なんだよ。俺は」
「誠護さんは?」
「そ、汐織先輩はさすがにこんなところに連れてこないよ。ホントだったら、やっぱり蒼空も連れてこなければよかったかなと思案中」
「……迷惑、でしたか?」
申し訳なさそうに、蒼空が俯く。
誠護は笑って蒼空の頭を軽くチョップをした。
「いや、そこまでは思ってないよ。それに俺の目の届くところにいてくれれば、とりあえず大丈夫だから」
いつもの口癖をいいながら周囲を見渡す。同じように蒼空も視線を投げた。
「あの、誠護さん」
「なんだ?」
「火、全然止む気配ないんですけど本当に大丈夫なんですか?」
蒼空のいう通り、部屋の中に掃討の煙が入ってきており、酸欠になるほどではないが苦しくなってきた。炎も徐々に勢いを増してきており、ログハウス全体を包むように広がっていく。
「そりゃあここにいれば焼け死ぬよ? たぶん全焼するから」
ぽかんと蒼空が口を開ける。
さっき誠護のいったログハウスの耐火性というのはあくまでも最近の話。年代物のログハウスは造りも適当なのかすきま風もあるようだったし、建物自体も燃えやすいようだった。
おまけにおそらく着火剤に燃料か何かを使われている。そう簡単には消えはしない。
「いやいや、なんでそんな冷静なんですか! 死んじゃうじゃないですか!」
勢いあまって立ち上がった蒼空は一気に煙を吸い込んだ。
「ごほっけほっ!」
それくらいの位置まで煙が充満してきていた。
ポケットからハンカチを取り出して蒼空の口に当てる。
「落ち着いて。ゆっくり息して」
誠護は自分と蒼空の荷物を手にとって立ち上がった。
そして、涙目になって咳き込んでいる蒼空の手を取る。
「こっちにきて」
煙や炎の影響を受けないように気をつけてログハウスの扉に歩いて行く。
扉の前まで来ると、蒼空の方を振り返って耳打ちをする。
「俺が扉を開けるから、そしたら走ってログハウスから離れるんだ。わかった?」
蒼空が何をいっているんだろうという目で見てきた。
だが、少しの逡巡のあと、目を固く閉じながら何度も首を振った。
「よしっ。行くよ」
素早くドアノブを回して蹴り開ける。
鍵は掛かっていない。ほとんど抵抗なく扉が開いた。
蒼空が驚いて息を吸い込む間も与えず、手を引いてログハウスの外に連れ出した。
扉を横切るとき、扉に取り付けられていた南京錠は外れており、燃える地面に落ちていた。
入り口付近はほとんど炎は広がっていない。
あらかじめわかっていたことを確認しつつ後ろ手にログハウスの扉を叩き締めると、誠護は蒼空を連れてすぐさまログハウスから離れる。
逃げ出した誠護たちの後ろでログハウスが燃え上がっている。
中にいてはそこまでわからなかったが、ログハウスは既に大部分が燃えていた。
蒼空を引き連れて離れた森の中まで逃げ込んだ。
「ハァ……ハァ……」
荒くなった息を吐き出し、地面に座り込んだ。
「大丈夫か?」
同じように地面に倒れるようにしている蒼空に尋ねる。
蒼空は誠護以上にぜぇぜぇと息を吐いており、仰向けに空を見上げていた。
先ほどまで誠護たちがいたログハウスが熱気と音を上げながら燃え続けている。
蒼空は横目でそれを確認しつつ、また上を見上げた。
「はは……あはははっ」
突然、蒼空が笑い始めた。
お腹を抱えて目に涙を浮かべながら足をバタバタさせながら笑っている。
心はどうなのかはわからないが、とりあえず体は大丈夫そうで誠護は安堵を漏らした。
「どうした? あまりのことに怖くなった?」
ひとしきり笑うと、蒼空は体を起こして座り直しながら目尻に溜めった涙を拭った。
「い、いえ、ただ、あまりにめちゃくちゃだったのもので。ふふっ」
また蒼空は笑った。
こんな状況であるにも関わらず、蒼空はその幼い顔に似合ったかわいい笑みを浮かべる。
「そんなにめちゃくちゃだったかな?」
「本っっ当にめちゃくちゃです。だって、誠護さん何の根拠もないのに大丈夫だ大丈夫だっていうんですもん」
誠護は苦笑しながら鞄からタオルを取り出して蒼空に一つを投げた。
「実際大丈夫だったでしょ?」
蒼空は受け取ったタオルで顔に浮かんだ汗や煤を拭う。
「まあ、そうですね。何か根拠はあったんですか?」
もう一枚取り出したタオルで顔を拭うと、真っ黒な煤が付いていた。
「内緒だ」
ニヤリと笑ってそういうと、蒼空はまた吹き出して笑っていた。
「図書部に入るの、嫌になったんじゃない?」
尋ねると、蒼空は唇に人差し指を立てて微笑んだ。
「内緒、です」
その笑顔は、とても晴れ晴れとしたものだった。
「ははっ、そうか。……まあ、それはともかくとして」
屋敷の方から徐々に喧噪が聞こえ始めた。
ログハウスは屋敷の死角にあったため、ログハウスが燃えていても気づくのが遅れていたのだ。
一人が気づき、少しずつ人が集まってくる。
「出て行かなくていいんですか?」
「ちょっと様子を見たい。幸い俺たちがログハウスから出たのを見た人は誰もいないみたいだから」
中にいる誠護たちがどうなっているかがわからないようで皆が慌てふためいている。誠護たちが外に出たことを見た人間がいればあの慌てようはないだろう。
中を確認できる状態ではないし、脱出の際に扉は閉めてきた。
端から見れば誠護たちは中で焼け死んでいるようにしか見えないだろう。
「え? でも、火をつけられたんですよね? 私たち。火をつけた人は見てたんじゃないですか?」
「たぶんだけど、俺たちが脱出できないと判断した段階で離れたんじゃないかな。ログハウスの近くにいれば、疑われやすいからね」
火を放ったのは間違いなく星詠教の連中だ。
浮いた誠護たちを排除しようと放火したと考えるなら、他の誰に見られるのは困るはずだ。
「私たち、殺されかけるようなことをしましたか? 確かに、ちょっとは目立ったとは思いますけど」
「たぶんそういうことじゃないんだよ。着いてきて」
蒼空をつれて森の中を姿勢を低くし歩いて行き、屋敷から出てきた信者たちに近づく。
「お告げがあった通りだろう。皆の目にも見えていただろ。燃える大量の炎を。予言が当たったんだ」
桐澤が誠護たちと一緒にきたサークル参加者に説いていた。
「やっぱりね」
納得して呟く。
「やっぱりって? それに予言って何のことでしょう」
「俺たちがいなくなったあと、洋館に残った連中だけで何かやったんだろう。集めておけば火をつけられている瞬間を見られることもないからな。で、さっき俺たちに星空を見せたように何か炎や燃えるような景色を見せた。お告げだ予言だといってな。それで実際に焼けているログハウスを見れば、予言として成立する」
星詠教の星詠みとはそもそもが占星術、占いからきているのだと思う。
誠護たちが見せられた先ほどの不思議な星の光景。
おそらくだが見せられるのは星だけではないだろう。他の光景も見せ、それを予言、予知、お告げなどといえば、それは信じ込ませるには十分役に立つ。
「でも、そんなの教団の人がやったって、すぐにわかるんじゃないですか?」
誠護の説明を聞いた蒼空がもっともなことをいう。
「確かにそうだ。ただ、そんなことは関係ないのさ。たぶんな」
何しろ、人に幻覚のようなものを見せることがそもそも超常的な力なのだ。
そんなものを見せられて、直後それを予言させるようなことが起きる。そうすれば、信じるのも仕方がない。
ただでさえ、彼らは心が弱っているのだ。
誠護と蒼空に視線が一緒にやってきた入信者候補に向かう。
彼らは驚きを露わにしている。だが、その表情はどこか好悦としていた。もしかしたらログハウスの中では焼死体が二つできあがっているかもしれないのにだ。
信じられないものがこの世に存在し、自らもその力の恩恵を受けることに喜びを感じているのだろう。
「……そのために、私たちを殺そうと?」
殺すという単語をあっさりと使う辺りに、蒼空の肝の据わり方を感じさえられる。
「そこまでやるのがむしろいいんだろ。中途半端なことをすれば嘘だと疑いたくなるが、ここまでやれば逆に普通はやらないことであるから疑いにくくなる。それに、狙いは他にもある」
誠護は洋館の方に再び視線を戻した。
「さて、そろそろきたか」
遅れて、金髪の少女、カレンが現れた。
燃え上がるログハウスに目を丸くし、火を消すように指示を出している。
洋館から消化器やバケツなんかが運び出されていき、ログハウスの消火に当たっていく。
入信候補者も手伝い、せっせと消火を行っていく。
一つ一つの出来事が、入信させるという一つのものに繋がっている。入信者候補たちの瞳には僅かな焦りと恐怖が浮かんでいる。信じさせると同時に、ここに来てようやく自分たちもこのようになる可能性があるという恐怖。
一体感を作り出すと同時に秘密の共有を図る。組織の一部に組み込むための同等手段だ。
昔の集落などでは、古くから伝わる宗教を信仰し、外部の人間を排除するために子どもを殺すなどの罪を共有し、排他的な社会を作ったという話もある。
逃げられない。抵抗できない。そういう考えを深層意識にすり込んだのだ。
「そんなこと、できるんですか?」
「……あの幻覚を見せるような力、あれがどれくらいものなのかはわからないけど、使い続ければ精神に何らかの影響を及ぼすこともできるだろうな」
実際、先ほど男子生徒が一人気を失って病院送りになるという事態が発生している。
見せられる景色に条件などがあるのかはわからないが、誠護たちがいない間に洋館で起きていたことを推測すると十分に考えることができる。
飴と鞭。共同作業と存在価値の認識、畏怖。それらを与えることにより、入信者の心を掴み取っていく。結局、素人連中だけであったものの、燃料などを置いているからか消化器なども結構置いており、何時間も掛けて鎮火することができた。
終始誠護たちは外から様子を眺めていた。
正直このまま燃え続けていれば、外の人間が気づいて消防署に通報されていたであろうが、消防車やヘリが来ない辺り大丈夫だったのだろう。まあ安心はできないが。
「さて、そろそろ出て行くか」
誠護は荷物を持って立ち上がった。
「大丈夫なんですか?」
「もう大丈夫。まあとりあえず、俺の目の届くところにいてよ」
蒼空は吹き出し、そして笑いを噛み殺しながらコクコクと頷いた。
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