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「そっかー、あそこの中学出身なんだ。校門前にあるパン屋さんのカレーパンおいしんだよね」
「あ、汐織先輩も知ってるんですか。そうなんですよ最高なんです。家が近いので、今度買ってきますよ」
「本当? じゃあ楽しみに待ってるね」
隣合ってに座り、汐織と蒼空が楽しそうに話している。
汐織は仮とは言え、入部希望者に喜んでいるようだ。朝から入部希望者がどうとかいっていたから、さぞ嬉しいのだろう。
誠護は鞄から引っ張り出したノートパソコンで、昨日遅くまで執筆をしていた原稿に修正を加えていた。
ちょっとお手洗いに、といって汐織は席を立つと部室を出て行く。
部屋には誠護と蒼空だけが残された。カタカタとキーボードを叩く音だけが響く。
すると、とことこと蒼空が誠護の側へと歩いてきた。
「これが図書新聞ですか?」
「うん。一ヶ月に一回発行するんだ。書評とかおすすめの本とかそういう情報を掲載するの。これはとりあえず、これで完成っと」
最後の文章を修正し終え、ぐぅーっと体を伸ばした。
どうにか相談人が来るまでに終わらせることができた。
部屋にあるプリンターで印刷し、ファイルに入れる。これを顧問の先生に提出して問題がなければ先生が必要枚数刷ってくれる。
パソコンを落としてさっさと片付けてしまうと、誠護は蒼空へと向き直った。
「矢祭さん。ちょっと先に伝えとかないといけないことあるから、少しだけいいかな」
「あ、はい」
蒼空は誠護の横の椅子に腰を下ろすと、体をこちらに向けた。
「まず、これから話す相談人の情報は絶対に厳守です。誰にももらしていけません」
「はい、絶対に誰にもいいません」
「もし相談を解決するに当たり、自分たちに被害が及びそうになった場合は、必ず自分を優先すること」
「……え? 相談事を優先しないんですか?」
蒼空は意外そうに首を傾げている。
「もちろん相談事を解決することは重要だよ。でも、それは俺たちが無事であってこそだ。いわゆる二次災害の防止だね。相談事を解決するのに俺たちに問題が起きてたんじゃ仕方ないだろ?」
「それは、確かにそうですね」
やや歯切れ悪く、後輩の少女は頷いた。
「ま、当たり前だけどそういう事態にならないようにすることも俺たちの役割だけど、自分を犠牲にしてまで相談事を解決しようとしないこと。そんなことをされても相談人が申し訳ないだけだからね」
実際これまでもそんな状況になったことなんてほとんどない。要は可能性の話だ。
「あと、一番重要なことをいっとく」
「はい」
律儀に返事をする後輩に、誠護は告げる。
「もし、自分でもなにか危険だと判断したら、絶対に俺の目の届くところにいること。わかった?」
それからすぐに汐織が帰ってきて、しばらく待つと部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
汐織が促すと、恐る恐るといった様子で一人の男子生徒が部室へと入ってきた。
青みがかった黒髪を持つ男子生徒だった。短く切りそろえた髪にはヘアピンが留められており、茶目っ気を残す瞳には優しげな光を宿している。第一印象は人畜無害の好青年といった感じだった。
ネクタイは誠護と同じ緑色。二年生だ。
「待ってたよー涼馬君」
「あ、鳴海先輩。よかったです。部屋を間違えたのかと思いました」
ここにきた人物の半数が口にする言葉を述べながら、今回の相談人である城戸涼馬は安堵したように部室に足を踏み入れた。
誠護や汐織とは違う専門学科の生徒で、事前情報によると商業科だったはずだ。誠護は同学年であるのだが、一年間過ごしてきて話すどころか会ったことすらない。
「あれ、部員は二人って聞いてたけど、一人増えたんですか?」
部室に入るなり、視線が部屋の隅に立つ蒼空に向かう。
「うん、しばらく仮入部として一緒に活動をしてもらう矢祭蒼空ちゃんだよ」
「よ、よろしくお願いします」
蒼空がぺこりと頭を下げる。
涼馬は誠護と汐織が座る前の席に腰を下ろした。
蒼空がすぐに涼馬の前にお茶を運ぶ。自ら買って出た役割だ。自分は活動する上であまり役に立たないだろうし、それにこういう雑用は後輩の役目だからと進んで買って出た。
意外と体育会的な考え方を持つ子だった。
邪魔にならないようにという配慮か、蒼空は涼馬から離れた誠護の隣に腰を下ろす。
それを横目で確認すると、汐織は涼馬へと視線を向けた。
「じゃあ、聞かせてくれるかな。涼馬君のお話を」
「知り合いが、宗教の教祖に祭り上げられているんです」
そういって、涼馬は話し始めた。
「その知り合いは僕の幼なじみなんですが、今年から彩海学園に通っています。同じ商業科でカレンって名前なんですけど」
涼馬が同じ新入生であり一年生の蒼空に視線を向けたが、蒼空はふるふると首を振った。
ただでさえ一学年千人を軽く超える大きな学園だ。蒼空は普通科の生徒なので、学科が違えば会うこともほとんどない上、入学してまだ間もない。知らないのも仕方のない話だ。
「えっと、なんという苗字なんですか? 何、カレンさんですか?」
蒼空が尋ね返すと、涼馬は少しだけ眉を曲げて口を開いた。
「いや、すいません。彼女の名前は、カレン・カーライルっていうんです」
「およ? 外国人さんかな」
汐織が首を傾げると、涼馬は苦笑しながら首を振る。
「いえ、ハーフなんです。母親が日本人で、父親が外国人で。両親の付き合いで、子どもの頃から知り合いだったんです」
その話をするとき、一瞬涼馬の瞳に影が入った気がした。
しかし、誠護が瞬きすると既に真剣な表情に戻っていた。
「えっと、それで幼なじみの、カレンさんが教祖に祭り上げられているっていうのはどういうことかな」
汐織が難しそうに眉をひそめている。
「初めは、僕たちでボランティアとかに参加していたことがきっかけだったんです。大学のインカレサークルのようなものだったんですけど、高校生か中学生も入れる結構オープンなサークルだったんです。でも、最近だんだんと変わって……。いや、たぶん最初からそうだったんです。よくわからない宗教を信仰させられて、現代の社会は間違っているとか、もっと声を大にして国に訴えていかないといけないとか」
「……いわゆる、カルト宗教のグループだな」
「カルト宗教?」
首を傾げる汐織に、誠護は頷きながら説明する。
「反社会的な宗教団体っていう意味だけど、おそらく涼馬君が入っているのは新興宗教かな。大学なんかでは、サークル勧誘にみせかけて裏は宗教団体への誘いだったなんてことも珍しくない。実際に行って見たことはないけど、カルト宗教にご注意をなんて張り紙をされているらしい」
日本において、信教の自由が認められているため、宗教活動や組織の結成は自由とされている。憲法によって保証されており、中々周囲が関知できない部分でもある。それが犯罪にならない限り、本人たちがよしとしているなら多くのことが認められる。
「新興宗教、カルト……一番簡単で、面倒なパターンだな」
誠護の呟きは蒼空に届いていたのか首を傾げていたが、誠護は努めて気にせず涼馬へと視線を戻した。
「カレンさんは今どうしているんの?」
「……週末から新しいメンバーの合宿があってその準備とかで、最近もほとんど家に帰っていないんです」
なるほど。それは心配にもなるわけだ。
新興宗教といっても、全てが悪いわけではない。
話に聞くに、厄介な組織のようだ。
「高校生を誘うような団体があるの?」
汐織はわからないというように首を傾げていた。
「俺の知る限り、あまりないのは事実かな。大学生が誘われるのは、授業がカリキュラム制になったり一人暮らしをする生徒が多かったりで、自由に割ける時間が増えるから。それにある程度大人になるから、咎められても自分の意見を主張できる」
でも高校生は全日制で自宅から通う生徒が多く、いってしまえばまだ子どもだ。そんな活動をしていればすぐにばれる。
大学生であれば融通をきかせることもできるが、高校生の内から制限をするというというは難しい話だ。
しかし、一番の疑問は別にある。
「それで、そのカレンさんが教祖の祭り上げられているというのは、どういうこと?」
汐織が核心を問うた。
カレンが以前からサークルに参加していたということは理解した。だが、教祖に祭り上げる意味がまったくわからない。
涼馬は顔をしかめ、唇を噛んだ。
そして、戸惑いがちに口を開いた。
「……カレンには、不思議な力があるです」
その口から紡がれた言葉に、蒼空が首を傾げた。
誠護と汐織は、目配せをする。汐織は小さく頷き、誠護も目を閉じて了解の意を示した。
「不思議な力、というのはなんなのかな?」
汐織が尋ねると、涼馬はどう説明をしていいかといった様子で頭を押さえた。
「なんていうか、あり得ないものを見せるという、というか。相手に自分の感情を伝えたりということができるんです」
「超能力、ですか?」
蒼空が信じられないといった様子で目を見開いた。
涼馬は苦々しい表情で肯定する。
「うん、そうだと思う。いつから使えるようになったか本人もわからないっていってるんだけど、そういう力は確かにある。僕も一度使ってみせてもらったことがあるんだけどね」
「どんなもんなの?」
「今見ている場所とはまったく別の場所の光景を見ることができたんだ。まるで、上空から街を見下ろしているような、景色だった」
自分でもなんと説明をしていいのかわからないように、涼馬はしどろもどろに説明をした。
「その力を持っていることが、サークルのリーダーに知られてしまったんです。そうしたら、これまで教祖をしていた人が失踪したとかで、その後釜として指名されたのだが……」
「君の幼なじみの、カレン・カーライルさんだったわけだ」
聞くところによると、以前の教祖とは名ばかりなもので、ただ皆の前に立っているだけの存在だったらしい。
元々教祖というのはその宗教の開祖であったり、指導者であったりするのだが、前教祖はただ単純にお飾り状態だったということだ。
「カレンが教祖に祭り上げられてから、サークルメンバーにお布施っていう形でお金を出させたり、新たな信者から巻き上げたりしてるんです」
その辺りは驚くことはない。新興宗教を気取ってはいるが、最終的には目的が金品であることは不思議ではない。
やや聞きづらそうに汐織が頬を掻いた。
「えっと、カレンさんはどう思ってるのかな。いきなり教祖に祭り上げられて、黙ってそれに従っているの?」
涼馬は閉口して沈黙した。
汐織が困ったように誠護に視線を投げる。
誠護は小さく肩をすくめると、涼馬にいった。
「まあいいよ。城戸君。正直俺たちはカレンさんがどう思っているかは看過するところじゃない。それは君たちがあとで話し合うところだ」
「うん」
「大体城戸君の相談内容のは見えてきたよ。つまりはそのカレンさんが教祖に祭り上げられていて、それをどうにかしたいってことだね」
無言のまま涼馬が頷く。
「でも、これだけは俺たちのモチベーションのために聞かせてくれ。俺たちも、本人が心の底から望んでいることを、たとえ第三者の依頼とはいえど、はいわかりました止めさせてきますと受けることはできない」
少しだけ涼馬の目が暗くなった。
「カレンさんは、心の底からその教祖であることを望んでいるという可能性はない? 君の主観でいい。一片の迷いもなく、教祖になっいるわけではない?」
「違う。それは絶対にない」
きっぱりと涼馬が即答する。
誠護は涼馬の瞳を真っ直ぐ正面から見返した。
やがてニヤリと笑い、汐織に目配せをする。
汐織は満足げに頷く。
「じゃあ、涼馬君、最後にはっきりさせておきたいことがあるんだけど、いいかな?」
黙って言葉を待つ涼馬に、汐織はいった。
「涼馬君の、図書部への依頼内容を教えてもらえるかな。涼馬君は、図書部に何を依頼したいの?」
投げられた問い。
汐織たち図書部が依頼を受ける上で最も重要な部分だ。依頼をどういう形で進めて欲しいのか、終わらしてもらいたいのか。そこが依頼を受ける上で一番大事な部分となる。
涼馬はすぐに口を開こうとしたが、何か思いとどまったようにつぐんだ。
急に苦しくなったように胸を押さえ俯く。
蒼空が慌てて駆け寄ろうとしたが、汐織が手を伸ばしてそれを制した。
誠護たちが言葉を待つ中、意を決したように涼馬が視線を上げた。
「僕は、カレンをあんな連中と一緒にいさせたくない。だから、カレンを教団から連れ出して欲しい。助けて、欲しい」
はっきりと、意志のこもった言葉で、涼馬はいう。
「それが、僕の依頼です」
消え入りそうなか細い声で、幼なじみへの思いを吐露した。
「よしっ、そうと決まれば潜入かな」
いきなり物騒なことを汐織がのたまった。
「せ、潜入ってもう相手がどこにいるか知っているんですか?」
目を剥いて驚く蒼空に、誠護が手を振りながら説明する。
「違うよ。城戸君の話だと、週末に新しいメンバーの集会があるって話だから、そこに新メンバーとして潜り込もうってこと」
内情を知るには内側に侵入するのが一番だ。それに相手は外部の人でも簡単に入ることができる宗教グループだ。入りたいといって断れることはまずないだろう。
汐織があまりに突然言い出したことに、依頼主の涼馬自身も驚いていた。
「ちょ、ちょっと本気? 依頼したのはこっちだけど、それなりに危ない組織だよ? 脱退者なんて許そうとしないし、力で押さえつけているような連中だ。だから僕もカレンを助けて欲しいといっているんだけど……」
「城戸君の依頼を解決するには実際直接見る方が確実だ。潜入するのは俺なんで被害は少ない」
「いやいや、行くのは危ないって」
心配してくれる涼馬をよそに、誠護は苦い顔を浮かべて唸る。
「それはそうだけど、どちらにしてもそれには城戸君も参加するんでしょ? だったら何かあってもどうにかできる。それに、男の俺はまだしも、女性がこういうとこに行くのは本当にまずい。いいにくいけど、この手の宗教じゃ女性の暴行なんかは珍しくないからね」
覚えがあるのか、涼馬は再び口を閉ざした。
嘘が苦手なやつである。
新興宗教の裏には集団暴行のようなものが必ずといっていいほど存在する。鬱屈した環境に男女が何日も一緒にいればそういった感情に流されるのも無理ないのかもしれないが、下卑た行為であることに変わりはない。
そんな微妙な雰囲気の中で、ビシッと手が立てられた。
「わ、私も一緒に行きます!」
声を上げたのは、誠護の隣に座る蒼空だ。
「ちょ、ちょっと矢祭さん俺の話聞いてた? 女の子が行くのは危ないんだって」
「でも、陸羽先輩の見立てではそこまでの組織ではないんですよね? だったら私がいってもいいんじゃないですか?」
「そうだとしても、仮入部の君にそこまでやらせるわけにはいかない」
「仮入部だからですよ。どういう活動内容なのかしっかり見ておかないと、本入部を決める際に困りますから」
「いやだから……」
頑なに譲らない蒼空に眉根を押さえていると、汐織が誠護の肩をつついた。
「誠護君。さわりだけってことでいいんじゃない? 元々新メンバーを集めるってことだから、新入生のメンバーを集めるってことだよね。だったら新入生の蒼空ちゃんがいた方が潜入しやすいんじゃない?」
「それはそうかもしれませんが……」
「それに、誠護君がいれば、問題ないよね?」
汐織がぱちりとウインクをする。
左に視線を向けると、矢祭さんが両手の拳を握ってやる気をアピールし、汐織はもうお守りを任せたつもりでいる。
正面にいる涼馬はどうしていいかおろおろとしていた。
立つ瀬もない状態に、げんなりとして肩を落とした。
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